【第九十二話】 家族
伯爵家を後にした俺達は行きと同じく馬車で帰路を辿っていた。
最終的には姫様の提案を伯爵が飲み、双方が代理を立てる、命のやり取り及び勝敗が決した状態での不必要な殺傷行為、そして勝敗に関する責任の追及が禁止事項として設けられ、馬鹿息子も『ルールなんざどうでもいい』と同意したため明日の昼にあの屋敷の広い庭で決闘が行われることが正式な書面にて決まったというのが現状だ。
車内はどこか重苦しい空気に包まれている。
敢えて原因を挙げるならばアンが終始無言だからだろう。
きっと俺の軽挙妄動を責めたい気持ちは今もあるはず。
だけど今そうしたところで何が解決するわけでもないと敢えて口にせずにいるのだと思う。たぶん。
「……悪かったよアン、挑発に乗った俺が馬鹿だった。だけどあのバカ息子の様子じゃ結局話し合いではどうにもならなかったぜ?」
「それは分かってるわよ、だから何も言ってないじゃない。決闘以外の方法にするとか、代理を禁止するとか、そうなる前に手を打つべきだったって後悔してるだけ。咄嗟に口を挟めなかった自分に対してね」
「お前が自分を責める理由はないって。ただまあ、姫様に感謝だな……」
「わたくしももう少しやりようがあったかもしれないと思うと心苦しい限りです。横から口を出すことしか出来なくてごめんなさい」
「何を仰るのです。姫様は何も悪くありません、二人共感謝しています。私達の都合で巻き込んでしまって申し訳ございませんでした」
アンはわざわざ立ち上がって深く頭を下げる。
俺も真似して座ったまま頭を下げておいた。
「謝罪など必要ありませんよ。今は明日のことを考えてください」
「感謝します。それで……悠希、どうするつもりなのよ」
「一応だが、アテはある。頼めば引き受けてくれるとは思うけど、その何とか隊長と比較して勝算がどの程度かなんて俺みたいな素人にゃもう分からんってのが本音だ」
「今はそれに頼るしかない、か。どのみち一日で代わりを見付けるなんて出来ないでしょうし……いえ、というよりも猶予が何日あろうとジャンバロック隊長より強い人を見付けろってのが土台無理な話だけど」
「腐っても隊長なんだろ? 今日の明日なんて仕事の都合で来られない、とかって展開を願うしかねえか」
「神頼みなんてお互いガラじゃないってのにね」
「……間違いない」
「「はぁ……」」
二人の溜息が重なる。
アンの言う通り国内最強の騎士より強い人間を探せ、なんてミッションがそもそも無理ゲーなのだ。
マリアが化け物みたいに強いのは知っているけど、それは巨人だの岩の怪物だのというモンスター的な奴らを簡単に蹴散らしてしまうという話であって同じ人間やこの国を守る騎士達と比べてどうかなんて聞いたこともないし未知数としか言えない。
だからこそ危ない目に遭わせることに躊躇してしまうわけで、それゆえに姫様の提案がなければ果たして代打マリアに踏み切れたかどうか。
つっても出来なければ俺が指一本で殺されて終わりなんだけど……なんで身内の政略結婚みたいなのを阻止しようとしただけで死人が出る可能性が発生するんだよ。
どうなってんだこの世界。
「はぁ……」
今度は一人分の溜息が漏れる。
ぎりぎりのところで為す術なしという状況に陥るのは避けられているが、だからといって何一つ上手くいったと言える成果もない。
果たしてどうなることやらという憂いが晴れるはずもなく。
勝手に首を突っ込んで貴族の家に乗り込んでおきながら最後にゃ全部人任せなのだから本当に情けない。
「では姫様、今日は本当にありがとうござっした」
やがて王都に帰り着くと、姫様に改めて一礼し馬車を降りる。
こんな中でも雰囲気を悪くしないために微笑を称えて軽く会釈をしてくれるのだからマジ天使。
続けてアンにも礼を言おうと思ったのだが、どういうわけか一緒に下りて来た。
「明日また同じ時間に迎えに来るから、そっちは任せたわよ。分かってると思うけど、ロックシーラ様には内密にね」
「ああ、了解した。アメリアさんへの報告は?」
「するしかないでしょ。何か手を回してもらえる可能性もゼロじゃないかもしれないし」
「ならそれは頼む」
「ええ」
「まだ何が解決したわけでもないけど、色々とありがとな」
「別にアンタのためにやってないからいいわよお礼なんて。じゃあね」
こちらの反応を待たず、アンは背を向け馬車に乗り込んだ。
そしてそのままメイドさんに指示を出すとこの場から離れていく。
途端に独りぼっちにになった俺は改めてドッと押し寄せる疲労感を全身に浴びながら、とぼとぼと風蓮荘へと歩くのだった。
「ただいま~」
色んな意味で疲れ果てたためすぐにでもベッドにダイブしたいところではあるがそうはいかない。
まずは待っていてくれた連中への報告からだ。
「あら、悠希じゃない。どこ行ってたの? 皆知らないって言ってたけど」
玄関を潜り、水を飲もうと台所に入るとテーブルに葡萄酒とグラスにつまみを広げている茶髪の美少女が座っていた。
その名もレオナ、俺の嫁である。違うけど。
「レ、レオナ!? なんで!?」
「え……そんな驚くこと? あたしが家に居たらそんなにおかしいわけ?」
「い、いや……仕事に行ったもんだとばかり思ってたからびっくりしただけだよ」
「行くには行ったんだけどね。最近休みもろくに取ってなかったし、急ぎの仕事もあらかた終わったから今日は帰って休めって言われちゃってさ」
「そ、そうか……それはよかった。傍から見ても働きづめだったもんな、ゆっくり休めよ」
「そうね、だから今日は久々に家でゆっくりお酒を楽しむわ。帰りに鶏肉を買ってきたから美味しい夕食を期待してるわよ」
「おう、任せとけ。っつっても料理人じゃないから大層なもんは作れんけど」
「いつものでいいわよ」
「はいよ」
ひらひらと片手を振るレオナに同じく片手で了解の意思を示し、自分の部屋へと向かう。
まさかレオナが家にいるとは思いも寄らない。
これじゃ作戦会議出来ねぇぞ。
「悠ちゃん悠ちゃん」
どうしたもんかと考えながら部屋に戻ろうとする最中、廊下の向こうで俺を呼ぶ声がした。
顔を上げると角の部分から顔だけを出してこちらを見ている二つの顔がある。
ソフィーとリリだ。
二人もレオナが居ることで隠密性が必要だと分かっているらしく、ものっすごいヒソヒソ声である。
すかさず寄って行くと同じく声を潜めて対処策を伝えることにした。
「おかえりなさい悠希さん。それで、どうなったんですか?」
「落ち着けリリ。俺も帰り次第報告するつもりだったけど、レオナがいる状況じゃ不味い。ってことで晩飯食った後に俺の部屋に集合だ、叩き起こしてでもマリアも連れて来てくれ」
「わ、わかりました」
「絶対に気取られるなよ。レオナの前では自然体だ自然体」
熱弁する俺に二人もこくりと頷いた。
問題はマリアだが、今日ばかりは眠いで済ませるわけにはいかない。
あいつ飯食って風呂入ったら即寝るからな。
カウンターでぶっ飛ばされようとも起こして連行しよう。
そんな決意をして着替えを済ませ、さっそく晩飯作りを開始することにした。
基本となる野菜のスープとパン、それにレオナが買ってきてくれた乗り肉をソテーにするという簡単メニューだがこの家ではまともに飯を作る人間がいなかったのでこんなんでも割と好評なのだ。
そうして帰宅から一時間もすると晩飯の時間が始まり、葡萄酒を二本丸々開けたレオナは我先に入浴を済ませると酔って足取りも覚束ないまま部屋に戻っていった。
リリに潜入捜査を敢行させたのち、約束通り俺の部屋へと全員が集合する。
「リリ、レオナは寝てたんだな?」
「はい。結構フラフラでしたし間違いないかと」
「よし、じゃあさっそく今日の報告と今後のことを話していくぞ」
ミニテーブルを囲み座る『レオナは俺の嫁評議会』の面々。
唯一マリアだけは胡坐を掻く俺の太ももを枕代わりに横になっている。
別に寝ているわけではないのでリリの帰りを待つ間は放置していたが、ここからは真面目な話になるので無理矢理に起こした。
脱力していて自分で起き上がる気ゼロなので必死こいて両脇を持ち上げて。
「えー、まず最初からだな。言っていた通り伯爵の家に行って、話をすることは出来た」
「ほんとですか? じゃあ……」
「そう結論を急ぐなソフィー。婚約の解消を要求して、その伯爵のおっさんは理解してくれたんだけど……馬鹿息子が聞く耳持たずって感じでな」
「え~と……つまりは駄目だったってことですか?」
「いや、そういうわけでもなくて」
そこで決闘の件を説明した。
双方の主張のどちらが通るかはその勝敗に委ねられていること。
代理が認められており野郎は何とか隊長を立てること。
騎士団同士の決闘は禁じられているためこちらはレオナもアメリアさんも頼るわけにはいかないということ。
ついでに大事になっては互いに……というよりはむしろ貴族様にとっても好ましくないので『死んだ方が負け』みたいな勝負にはしないこと。
などなどだ。
「一つお聞きしたいのですけど~、その何とか隊長というのはもしかして~……」
「ほら、事の発端になった例の王国最強の騎士って奴」
「それってヘンリー・ジャンバロック隊長じゃないんですか!?」
「そう、そいつだ」
「「ええぇ……」」
「まあそういう反応になるわな……アンもそんな感じだったし。そいつに勝てる奴なんか探したって見つかりっこないって」
「そりゃそうなりますよっ。王国最強なんですよ!?」
「そうかもしれんけど、やるしかないんだよ。一回受けたら撤回は出来ないとか後付けで言いやがるんだから。しかも決まってから替え玉ありとか言い出すんだぞ? 詐欺じゃねえかって話だよマジで」
「それで、ジャンバロック隊長と悠ちゃんが決闘をすると?」
「んなわけないだろ、指一本で殺されるってハッキリ言われてんだぞ。あっちが代理を立てるならこっちもそうするしかない。この家で一番強いのはマリアだ、勝手なことを言ってるのは百も承知だけど頼む……力を貸してくれないか?」
ここまで無言のままでいたマリアに視線が集まる。
話を聞いていたのかどうかも若干怪しいというか、いっそ目を開けたまま寝てるまであるんじゃねえかと思っていたのだが案外そうではなかったらしくマリアは言い終わるのとほとんど同時にコクリと頷いていた。
「お願いなんて、しなくていい。悠希の頼みなら、いつでも、何でも聞く」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどな。自分の意思だとか、冗談じゃねえって気持ちがあるなら今ちゃんと言ってくれ。相手は騎士団の隊長なんだ、しかもこの国で最強と名高い野郎ときてる。頼んでる俺が言うのもおかしな話かもしれんけど、どんなルールであれ確実に危険なんだぞ」
「関係無い。マリア、負けない」
「「おぉ~」」
そこにはどんな根拠があるのか。
二人は迷いなく言い切る姿に呆れるとか諫めようとかではなく普通に感動していた。
巻き込んだ俺にしてみりゃ当然気は進まない。
だけどもうこれしか手段がないのも事実。
手助け出来ない俺に出来ることはもう祈るのみ、か。
「すまん、そしてありがとう」
改めて頭を下げるも、マリアは『全然、へいき』と表情一つ変えない。
頼もしいのか鈍いだけなのかという感じではあるが、ここまできたら運命共同体みたいなもんだ。
万が一の時は一緒に死んでやるさ。