【第八十話】 おかえり
いつしか空は夕焼けに染まっている。
レオナを奪還したのち、アンやアメリアさんに加えて救援に来てくれた兵士の人達と共に元居た屋敷に戻り、そこからはすぐに王都へ帰還することとなった。
負傷者の手当てや壊れた建物その他の撤去や応急処置など多くの兵士達が行ったり来たりと忙しそうにしている中、俺やアンには王様や客人の女王様と共に先に王都へ帰る一団に混ぜてもらうことになり、急ぎ駆け付けたクルセイダー隊とかいう部隊の隊長と副隊長の先導の元で大軍に囲まれた馬車によってしばらく揺られつつ帰還を果たす流れになったためだ。
また新しい部隊の登場にどんな人達なのか気にならないわけではなかったけど、サッサと馬車に詰め込まれたので姿は見ていない。ついでに好奇心が行動を左右するような精神状態でもないのでそれっきり気にすることもなかった。
宮殿に到着してからは特に何をするでもなく、王様からは予期せぬ出来事とはいえ危険に巻き込んだことへの陳謝を受け、アメリアさんからは助太刀への感謝や行動力に敬意を表する言葉を、ついでにアンからは無理があんだろってぐらいに遠回りな『ちょっとは見直してあげるわ』的な誉め言葉か悪態か分からんような捨て台詞をいただいて一旦の別れを交わし、そのまま風蓮荘へと一人で歩いている。
襲撃とかは無関係に付き添ったことへのお礼だとか、心身共に癒しが必要ならば回復術士とかいう人の治療を手配してくれたこととか、帰るなら帰るで馬車で送らせるよという申し出とか、全部断って一人で歩くことを選んだ。
聞いたところによると道中でレオナは無事に目を覚まし、意識や記憶もはっきりしているとのことだが少々肉体的なダメージがあるため念のため検査と治療を受け、その後他の隊長やら大臣やらを加えて聴取やら今後の動向や対策、処置などを話し合う場を設けるとのことで、今日は徹夜になるだろうとだけ教えてもらったものの直接話は出来ていない。
言ってしまえばここから先は国の問題であり政治や軍事の問題だ。
俺には無関係な領域の話であり、巻き込まれたことで聴取の機会ぐらいはあるかもしれないけど、だからといって口を出せる立場でもなければそれ以外に何が出来るわけでもない。
とはいえもう済んだ問題だ、気にするなと言われて綺麗さっぱり拭い去れる程に単純な脳ミソなんて持っていないし、忘れろと言われて何食わぬ顔が出来る程バカでもないつもりだ。
化け物とはまた違う武器を持った人間が殺す気で襲って来る恐怖。
生々しい血の匂い。
死屍累々と表現して相違ない死傷者だらけの戦場跡。
俺はきっとそれらの体験、記憶、光景を一生忘れることはないだろう。
俺もレオナも姫様もアンも皆無事だったけど、なんかもうそういうレベルの話じゃないというか、その場に自分が居たということが心にずっしりと乗っかっていて、怖かったーとか無事に帰ってこられてよかったーとかという即物的な感情ではなく、かといって辛いとか悲しいというわけでもなく、自分でもはっきりとは分からないモヤモヤとした重い気分とどんよりした感情が渦巻いている沈んだ気分だけが頭と心に蔓延している感じだ。
この世界の成り立ちというのか在り方というのか、考えないようにしていたことを誤魔化し様のないぐらいに突き付けられたというか、現実を見せつけられたというか、頭がフワフワしているのはそういう理解と納得を強いられたことと現実逃避したい自己防衛本能が混ざり合っているからなのだろうか。
「はぁ……」
もう何でもいいからサッサと風呂入って寝たい。
きっと一人でトボトボ歩いているからこうやって嫌な方向に考えたいってしまうんだ。
こんなことならやっぱ送ってもらえばよかったかな……いやでも風蓮荘に住んでるってバレたらやべぇってレオナが言ってたからさ。
半放心状態でも咄嗟に気付いて遠慮出来た俺を褒めてやりてぇよ。
「ただいま~」
しばらく歩いたはずの町中の景色や喧噪なんて一切記憶にない。
気付けば森に入り、いつしかボロアパートの前に居た。
玄関の扉を開いて靴を脱いでいると、すぐに目の前のダイニングルームから複数の声と足音が聞こえてくる。
「悠ちゃんお帰り~」
「悠希さん、お帰りなさい」
「よ、お前等家にいたのか」
無駄に心配を掛けまいと、精一杯何気ない風を装ってみる。
パタパタと足音を響かせながらにこやかに出迎えてくれたソフィーとリリは、しかしながら続く言葉で俺の渾身の演技がいかに不出来だったかを教えてくれた。
「って悠ちゃん、どうしたんですか~」
「ものすごく顔色が悪いですよ!?」
「あ、ああ~……まあ、ちょっとな」
顔色かー。
そりゃ演技力でどうこう出来る問題じゃねえわな。
「悠希……大丈、夫?」
いつの間にか後ろから現れたマリアが顔を覗き込む。
気配どころか足音一つしねえ暗殺スキルは何なの? ここで発揮する必要あった?
「あらあら、マリリンいつの間に~。よっぽど悠ちゃんが恋しかったのね~」
「ついさっきまで部屋で寝ていたのに……」
しかも部屋で寝てたのかよ。
こいつの部屋二階だけど?
そっから音も気配もなく合流ってもはやテレポーテーション的な能力じゃね?
「悠希……匂いした」
「そっか~……匂いか~」
うちの実家の犬かお前は。
「で、悠ちゃんはどうしてそんな憔悴しきった顔をしているんですか~? 取り敢えず中にどうぞ~」
「ああ……」
そんなはっきり見てくれでバレるのなら流しちゃうわけにはいかないよなぁ。
というわけで引き連れられるまま全員でダイニングテーブルに。
ソフィーが全員分の紅茶を入れてくれたところでようやく少しばかり落ち着き、俺は皆に話して聞かせることを選んだ。
さすがに俺とレオナが当事者とあっては誤魔化すのも躊躇われるので分かる範囲で特に隠すこともなく、だ。
「そんなことが……メスチアの襲撃だなんて、よく無事に帰ってきてくれましたね~。本当によかったです~」
ソフィーは深刻な顔で、心の底から安堵の表情を浮かべている。
逆にリリは気が気じゃないと言わんばかりだ。
「そ、それでレオナさんは……」
「ああ、無事だよ。怪我もないし、意識もはっきりしてるらしい。ただ事が事だけに事後処理諸々あるから今日は帰れないっぽいってさ」
「そうですか……」
ここでリリもホッと一息。
ちなみにマリアはあんまり理解していないのか、隣に座ってずっと俺の頭を撫でているだけで何も言わない。
慰めてるつもりなのかな。それとも褒めている?
まあどっちでもいいわ。
「そんなわけで、今日はもう風呂入って寝たいんだ。飯は勘弁してもらっていいか?」
「気にしなくていいですよ~、そんなのはどうとでもなりますから。疲れている時は休めばいいんです、辛い時は甘えてくれたらいいんです。そして困っている時は助けを求めてください~。いつも助けられてばかりでは立つ瀬がありませんから~」
「そうですよっ、こういう時ぐらいしか恩返しも出来ませんしわたしも頑張ってお役に立ちますから。努力すれば掃除やお洗濯ぐらい出来るはずですっ」
にこやかで優しい笑顔のソフィーと力強く元気を与えてくれんばかりのリリ。
何ともまあ泣かせることを言うもんだ。
いや、掃除や洗濯に努力が必要なのかは甚だ疑問だけども。一人暮らしレベルでやるだけなら別に技術的な研鑽いらんぞあれ。
「というわけで悠ちゃんはゆっくり休んでください~。晩御飯は三人で食べに行きましょう~」
「すまんな」
露骨に重い雰囲気にさせまいと明るく振舞ってくれるソフィーを始め、皆優しい良い奴等だなぁと密かに感謝しつつ、リリが掃除と用意をしてくれた風呂で熱い湯舟に浸かり、すぐにベッドに倒れ込むことを許された俺は即座に眠りに落ちて行った。