【第七十二話】 急襲
突如響き渡った大きな声は一帯に緊張を走らせた。
敵襲。
その言葉の意味を瞬時に理解した者も、俺みたく一瞬何を言っているのかと混乱した者も一様に言葉を失っている。
その状況を作り出した張本人である名も知らぬ兵士はよほど切羽詰まっているのか大急ぎで馬を走らせたことも相まって息を切らしていたが、その異様な雰囲気を正したのは姫様を除くとこの場で一番階級の高い人物、すなわちグリムホークさんだった。
「取り乱すな! 報告を続けろ、魔王軍の残党による襲撃か」
見た目にそぐわぬ大きな声は別の意味で緊張感を生み、どこか兵士達の動揺をまとめて吹き飛ばしたようにさえ思わせる気の引き締めっぷりだ。
知らせを届けた兵士は馬から降り、膝をついた体勢で拳と掌を合わせ続けて報告を口にする。
「いえ、いずれの勢力かは不明なれど……敵軍は同じ人間の軍隊であります」
「他国の勢力……メスチアか? 敵軍の規模と損害、戦況はどうなっている」
「数は三十前後、率いている者の詳細は不明。見知らぬ鎧を身に纏っており、ただいま交戦中ゆえ現状それ以上の情報はありません。しかしながら敵の動きや言動から狙いはアレクサンドリア陛下及びミルフォード閣下であると予測されます。両陛下は地下室に避難しておりますが迎賓のための施設であるため籠城には向かず、全兵力で対抗していますが率いてきたと思われる男に対し両隊長及びロックシーラ副隊長が奮戦しておりますが苦戦を強いられている状況であり屋敷は半壊しつつある状況! グリムホーク副隊長殿におかれましては遊軍と合流し王女殿下を安全な場所までお連れするようにと両隊長からのお達しであります!!」
「委細承知した。馬車の用意は」
「はっ、追尾を警戒し迂回しつつこちらに向かっております。馬も同様で……」
果たして俺はこの場にいてもいいのかという疑問と覚めぬ困惑で頭がぐるぐるしている中、不意に若い兵士の言葉が途切れる。
同時に全員が一斉に武器を構え、その兵士の背後に体の向きを変えた。
俺の位置からははっきりと見えている。
その男の背中の辺りに弓矢が刺さっているのが。
「いたぞ王女シルヴィアだ!」
険しい顔でいる周囲の面々とは違い混乱甚だしくただただ泣きそうになっている俺だったが、そんな暇すらもなく視線が一手に注がれる方向から次の瞬間には大きな声が響いていた。
その先から明らかにこの国の兵士とは違う鎧を纏った男が二人と真っ黒なローブを着た男が一人の計三人がこちらに向かって進んでいてる。
鎧の二人は顔が隠れるような甲冑なのか兜なのかを、そしてローブの男はフードで顔を隠しているため男であることぐらいしか見た目からは判別出来ないが、それぞれが手に弓、杖、剣と別々の凶器を手にしていることだけは間違いない。
「…………」
逃げることも、恐怖を言葉で表現することも出来ず、固まる他に行動の自由がない状態の俺が分かるのは過去最強の速さ強さで鼓動を伝えてくる心臓の脈打つ音と知らない間に振るえている足の振動だけだ。
おいおいおいおい、やべえんじゃねえのかこれ。
化け物の類は何度も遭遇してきたけど、何で同じ人間が襲ってきてんだおい!
今から殺し合いでも始めるつもりか!?
なんで!? どういう理由で!? 誰か説明してくれ!!!
怖い、怖い、怖い、怖い。
頭を巡るのはそのワードだけで思考する余裕もない。
理屈だけを考えたなら俺や姫様を除いても三人対九人。
だけど明確に人を殺そうというつもりで向かって来る人間が何人だろうと何一つとして安心出来る要素にはならなかった。
矢を受けた兵士が蹲る周りで全ての兵が臨戦態勢を取るが、それよりも初めから攻撃する前提で現れた敵の初動が上回る。
杖を持つ男が何かを発射したのだ。
一瞬ピカリと杖の先が光り、所謂魔法的な何かであろう白く輝く球体の何かがこちらに飛んでくる。
考えるまでもなく、狙いは王女だ。
いやいやいやいや!
いやいやいやいやいやいやいやいや!
何に巻き込まれてんだよ俺!!!
つーかどうすんだこの状況!!!!!!
「姫様!」
もう何が正しい行動でどうすれば正解なのかを考える余裕はない。
いや、そんなもんは最初からずっとなかったが、それでも体が動いたのは反射と反応という以外に言い様がない。
あれ? 何してんだ俺?
と疑問を浮かべながらも思い留まる思考回路は働いておらず、頭にあるのは姫様がヤバいという至極単純な事実のみだ。
ほとんど飛び掛かるように姫様目掛けて突っ込んではいるものの、どうにか逃がそうとしたんだろうなと後から理解するだけで到底間に合うタイミングではない。
結果的に覆いかぶさる格好で抱き付くのが精一杯となってしまっていた。
そこで初めて己の行動の意味を自問し、この後すぐに訪れるであろう現実に血の気が引いていく。
痛いのか!?
死ぬのか俺!?
何で格好付けたんだ俺ぇぇぇぇぇ!
仕方ねえだろ、勝手に体が動いてたんだからああああああああああ!!!!!!
「く……」
後悔なのか単純な恐怖なのかはもう自分でも分からないが、恐怖と絶望ばかりが止め処なく溢れてくる。
それでも、逃げられやしないと理解しながらも胸の中で震えながらしがみついている姫様の姿がそんな気持ちを吹き飛ばしていた。
「馬鹿! 何であんたが飛び込んでくるのよ!!」
せめて怪我ぐらいで許してくれと願いながら覚悟を決め、歯を食いしばり全身に力を籠める背後でそんな声する。
直後に爆音に近い大きな音が鳴り響くが、不思議と体に痛みなどは感じない。
感じる間もなく即死したのかと一瞬泣きそうになったけど、姫様の振動やぬくもり変わらず伝わっているせいで完全に意味不明だった。
そうなるのは目を閉じているからだと遅れて気付き、恐る恐る瞼を開いて振り返る。
なぜか、姫様を庇おうとする俺を庇うようにすぐ後ろに立っているのはアンだった。
両手を前に突き出し、方法は不明だけど相手の魔法? と思われるものを防いだのだとすぐに把握する。
どういう理屈なのかはサッパリだが両の掌から透明のガラスみたいな、いうばればバリアみたいな何かが広がっているからだ。
すぐに爆発によって生み出されたと思われる煙が晴れると、魔法で俺達を殺そうとした張本人すらもが唖然としているのが目に入る。
そこまできて頭が追い付いた俺に分かったのは、アンが俺達を守ってくれたということぐらいだ。
「アン……お前そんなん出来たんか!」
なんだよバリアって。
この世界のメイドさんってそんなん出来んの?
「姫様を守るのが私の仕事なんだからこのぐらい出来て当然でしょ!!」
「先に言っとけ! ありがとう!」
「いいから下がってなさい! 姫様を離すんじゃないわよ!」
アンは振り返ることなくハンドシグナルみたいなジェスチャーで後ろにいろと支持を飛ばす。
全力でメイド服のその後ろ姿、小さな背中はかつて岩の化け物と遭遇した時のマリアを彷彿とさせるぐらいに格好良く見えて、怪我をせずに済んだ事実に頭が追い付いたせいでもうなんか泣きそうだった。
このまま姫様を抱えて逃げたい願望が尋常ではないが、アンの口ぶりからしても傍にいた方が安全なのだろう。
恐怖心は今なお何も変わらないけど、無力な俺はせめてこの役目を全うしなければならない。
武士道と云うはは女の子を守って死ぬ事と見付けたり!!!
って無理に決まってんだろそんなん!
許されるなら今すぐ泣き叫びながら走り去りたいわ!
でも今走っても足が震えているせいで絶対こける。そして姫様を置いて逃げたら多分痛い思いをするより後悔する。
そして何よりこういうのって一人で逃げたらそいつが死ぬパターンだと本能が告げてるので単独行動なんてとてもじゃないが出来る状態ではなかった。ホラー映画でよくあるやつだ。
とにかく下がっていろと言われた以上は大人しく姫様を抱えたまま、出来るだけ存在感よ消えろと願いながら棒立ちで見守るしかない。いや、奴等の狙いが姫様であるなら俺がいくら気配を消しても無意味なんだろうけども。
今後のことを考える余裕も誰かの無事を祈る余裕もなく、ただバクバクとなり続ける心臓の音を全身に感じながら目を逸らすことも出来ずに結末を待った。
その目の前では既にグリムホークさんが俺……というか姫様を狙った魔法使い風の男を吹っ飛ばしている。
何らかの魔法であるのは確かだけど詳しい事なんて俺に分かるはずもなく。
理解出来たのは相手の火の玉みたいなのを相殺した上で何か白く細い光の筋を発射したということぐらいだ。
直撃したその魔法が胸から鎖骨の辺りまでを切り裂くと男は血を吹き出しながら前のめりに倒れてピクピクと痙攣するだけで起き上がろうとする気配はない。
現実離れしたそんな光景と血を流して倒れる人間の姿に一層動悸が激しくなり瞬きも、それどころか呼吸すら意識していないと忘れてしまいそうなぐらいに体が硬直していた。
そのせいで視界の端で弓を持った男がグリムホークさんに狙いを定めているのが見えているのに声を出すことも出来ず、口からは言葉とも言えない何かが漏れるだけだ。
幸いにもグリムホークさんは瞬時に気付いていたし、それ以前に弓の男は矢を放つことなく倒れてしまったのでどうやら俺は何もかもが追い付いていないらしい。
目の前のアンが後頭部から細い髪留めを取り外したかと思うとそれをそのまま口に当て、どこか吹き矢みたいな要領で『プッ』みたいな音を立てるなり中から発射された針らしき何かが首に刺さり、男はふらふらとよろめいたのち力無く倒れてしまったのだ。
すごい倒れ方ではあったし目を閉じたまま疎く様子もないが、呼吸をしている辺り毒とかではないのだろうか。
それでいて動くことは出来ない様子なのでもう色々と末恐ろしいというか、何このメイドさんって感想しか出てこない。
兎にも角にも三人で現れた賊? なのか敵なのかは二人が倒れ襲ってこられる状態ではなくて、そんな有様に勝機なしと判断したのか残る剣を持っている男は舌打ちを一つ漏らし、背を向けて逃走していった。
そうなってようやくここで殺されてしまうのではないかという絶望的な恐怖感が少しだけ薄れるが、安心というわけでは微塵もなく。
アンも、グリムホークさんも、周りの兵士達も、なんでそんなに冷静でいられるのかという別の驚きが入れ替わりで頭を埋めていて他のことを考える要領なんてない。
「三人で追え! 捕らえられずとも何か情報を持ち帰るのだ」
「「はっ!」」
「おい、大丈夫か? 傷の具合は」
「幸いにも刺さったのは肩口です、動けない程ではありません」
「ならば治療をしながら案内を頼む。倒れている男は縛って運べるようにしておけ」
「御意」
「すぐにここを出る。半数は先行して安全の確保だ、死んでも伏兵を見逃すな」
その中でも息を乱すこともなくテキパキと指示を出すグリムホークさんはいかにも軍を率いる階級の人間という感じだ。
誰もが命令に従い三人一組になって逃げた男を追う者、矢で撃たれた男を治療する者、そしてアンの一撃で気を失っている男を縄で縛る者、それぞれが迅速な行動を見せている。
日本の自衛隊とかとは全然違うと分かっていても、軍隊ってすげぇなとか思うと散々図に乗っていた自分がいかに庶民でこの場この世界に場違いな人間かを痛感させられた。
「ウィンスレット、助かりました。感謝します」
「いえ、私は私の役目を全うしただけです。礼には及びません」
「結構、ではすぐにこの場にいる全員でクラフス砦に向かいます。私が先導しますので貴女は王女殿下を」
「承知しました。さあ、姫様。こちらに」
二人は少しの会話ののち、俺達の方に寄ってくる。
本当にようやく少しばかりガチガチだった体から力が抜けていった。
が、俺が腕の力を緩めても姫様は力強く俺に抱き付いたまま離れようとはしない。
「も、申し訳ありません悠希様……まだ恐ろしさが抜けなくて、体が思うように」
「気にしないでください。無理もありません、無事でよかった」
俺も同じです、とはいえなかった。
格好付けているわけでもなく不安にさせまいと強がっているわけでもなく、何が正しい返答なのかが分からなかっただけだ。
緊張は解けつつあるもののまだ心臓はバクバクしてる。
何だこれは。
同じ人間が俺達を殺そうと襲ってきたのか?
そして同じ人間を返り討ちにして殺したのか?
最初に斬られて倒れている男は白目をむいたままピクリともしない。
その下にある雑草を赤く染めていくおびただしい血と鉄臭い匂いが夢でも悪趣味なドッキリでもないと告げていた。
これが……この世界。
これが……武器や魔法を使うということ。
散々こうなってもおかしくない目に遭ってきたのに、今更それを実感し痛感し『怖かった』以外の感情が渦巻いていく。
「あんたも、よく咄嗟に姫様を守るために動いたわね。ちょっとだけ見直してあげるわ」
姫様の手を取り、優しく介抱するアンは俺の背中をパシンと叩いた。
俺よりちっこいのに、俺より年下なのに、普通に一仕事終わったぐらいの雰囲気なのは普段からこういう経験をしているからだろうか。
「あ、ああ……ただ必死だっただけで、自分でも何が何だかわかってないけどな」
精一杯の返答である。
ソフィーの時も然り、リリの時も然り、俺みたいな人間でも死を覚悟するとがむしゃらに本能が体を突き動かしてくれるらしい。
今となってはその本能が一人で逃げるという行動を誘発しないだけ同じヘタレでもクズの部類じゃなくてよかったという感じだが、同時に思い知らされる。
己の認識の甘さを。
危機感の無さを。
どうにかしようとしてどうにかなる問題ではないと、現実逃避みたく開き直って今日までを何となく過ごしてきた俺が今いるこの世界が乱世真っ只中であることを。
軍隊も、町にいる傭兵みたいな連中も、珍獣も化け物も、魔法だって何度も目にしてきたのに。