【第七十一話】 長閑なひと時、のち緊急事態
王様が何とか王国の女王様と屋敷の中へと消えてからしばらく。
ようやく自由時間を得た俺と王女は少し離れた位置にある川の流れる林に来ていた。
はっきり言って愛人疑惑が晴れぬままでは嫉妬で狂いそうになる気持ちが心をどす黒く染めるばかりであったが、それでもせっかくのプリンセスとのデートを台無しにしてはならないと無理矢理切り替えた次第である。
あの髭親父め、権力を利用してあんなけしからんお姉さんを囲うとは……許せん。羨まし過ぎる。
「悠希様? どうかなさいましたか?」
よほどのしかめっ面を浮かべてしまっていたらしく、姫様が若干心配そうに顔を覗き込んできた。
危ない危ない、今は自分のことに気を向けなければ。
この瞬間こそ人生で一、二を争う大切な時間なんだよ。
こんなチャンスは滅多にあるものではない、グッと姫様と距離を近づけねば。
……と思っていたのに、何で二人きりじゃないんだろうね。
隣には姫様。
その後ろにはなぜか赤毛のアンとグリムホークさん。更に少し離れた場所には数名の兵士が警護という名目で同行している。
澄んだ空気や穏やかな雰囲気も台無しだよ。
「ああいえ、何でもないですよ」
慌てて誤魔化す俺の心は勿論めげることなどなく、すぐに姫様の好感度をゲットするぜ! と切り替わる。
幸い特に怪しまれる様子もなく姫様は少し先の気を指差した。
「見てください悠希様、不思議な色の鳥がいます」
「ほんとですね、俺も初めて見ましたよ」
「このような綺麗で静かな自然の中というのはとても心が落ち着きますね」
「同感です。心が洗われるような気がしてきますね」
「ええ、本当に」
「十年後も……こうやって自然に囲まれ穏やかな時を過ごす、そんな夫婦でいたいものですね」
あまりにも眩しい笑顔に、思わずそんなことを言っていた。
いやもう反則だよその顔は。
世の男なら九割が惚れるもんそれ。
「……何でもう夫婦気どりなのよ、馬鹿じゃないの」
優しい笑顔に癒されている最中、すぐ後ろでぼそりと毒を吐く生意気メイドが一人。
放っておきゃいいのに、わざと聞こえる声で言ったのであろう嫌味ったらしい声に思わず反応してしまう。
「何か言ったかアン」
「あれ~、聞こえちゃいました~? 叶いっこない夢を見て鼻の下を伸ばしてる哀れな少年があまりに滑稽で無意識に声が出ちゃってたみたいですね~」
「その憎たらしい顔と口調をやめい、腹立つんだよ」
「そりゃわる~ございましたね」
ベーッと舌を出すアンはどこまでもアンチ俺スタイルであるらしい。
もはや姫様の前だろうと周りに兵がいようとお構いなしってところが相当だね。
「お前は何がそこまで気に食わんというのだ。将来の予行演習は必要だろ」
「心配しなくてもそんな将来は永劫来ないから」
「なぜ言い切れる? こんなにも俺と姫様は仲睦まじいというのに」
「なぜなら私が死んでも阻止するからよ。いえ、アンタを殺しても阻止するからよ」
「しれっと物騒なこと言うのやめてくんない? さてはお前ツンデレじゃなくてヤンデレ気質だな?」
「うっさい残念男!」
「残念男てお前……姫様、どう思いますかこのメイドの態度」
今にも殴り掛かって来そうな勢いの殺意の混じった目が怖くなってきたのですかさず姫様に泣きつく残念男こと俺だった。
たまに見せる本気で怒ってる時のアンは普通に怖い。小柄な体躯だけど、多分俺と喧嘩しても軽くやられると思う。
しかし、ほんわか体質に揺るぎのない姫様はこんなやり取りすらも心安い間柄ゆえのことだとでも思っているのか、仲裁するでもなく軽く諫める程度だ。
ついでに言えばその後ろで顔色一つ変えず黙って見ているグリムホークさんもある意味変わってるよね。
「アンリ、仲が良いのは喜ばしいことですけれど悠希様に無礼な態度はいけません。悠希様はお父様の無理を聞いてくださって、善意でご同行してくださっているのですよ?」
「姫様、騙されてはいけません。この男に善意などありません、あるのは下心のみです。下心という概念が生んだケモノ……いえ、ケダモノなのです」
「もう、アンリったら。気を悪くしないでくださいね悠希様、薄々は分かっておられるかもしれませんがアンリは少々過保護なもので」
「そういうお年頃なんですよ。俺達は生暖かい目で見守ってあげましょう」
「うふふ、そうですわね」
初めて俺のジョークが受けたらしく姫様は口元に手を当て愉快そうに微笑んだ。
その後ろでアンは『後で覚えてなさいよ……』みたいな目で俺を見ていたが、勿論スルーです。
そうしてまた少し林なのか森なのかという木々の中を歩いていく。
本当に静かで、風蓮荘の周囲も然り似通った風景でも日本のそれとは全然違っていて、本物の自然という感じがはっきりと伝わって来るようだ。
それはこの世界の住人である姫様も同じだったのか、軽く目を閉じその新鮮さを味わうように鼻で息を吸った。
「草木の匂いがはっきりと感じられますね、空気が澄んでいるのが全身に伝わってきます。こういった感覚というのは王都では味わえない物なのでしょうね」
「珍しいですか?」
「ええ、普段はほとんど宮殿から出ることがないので外の世界というのは新鮮に感じます」
良い話なのかと思いきや、当の姫様はやや浮かない表情だった。
王様であったり周囲の扱いを見ていればまあ何となくは分かることだが、所謂箱入り娘として育ってきたのだろう。
一国の王女ともなれば当然なのかもしれないが、王族だからといって一概に満たされ、恵まれ、羨まれるだけの人生ではないのかもしれない。
それは言うまでもなく当事者としての捉え方と外から見ている人間の感じ方の違いは大いにあるのだろうけど。
「大丈夫ですよ姫様。もう少し大人になればどこにだって行けます」
「本当ですか?」
「勿論です。姫様の立場上好き勝手に出歩くのが難しいということは馬鹿な俺だって理解してますけどね、だからって一生を王宮の中や王都という限られた場所で生きなければならない理由にはならないんですよ。行きたい所があれば行けばいいんです、見たい物があれば見に行けばいいんです。誰もが同じ場所同じ立場で生まれてはいないでしょうし、同じ目線で同じ道を辿って生きていくわけではないんでしょうけど、それでも人っていうのは姫様が思っているよりも自由なもんですよ。そのために二本の脚があって、そのために二つの目があるんですから」
って、昔読んだ何かの漫画で言ってた。
ちょっと格好良いとか思って未だにそのシーンを覚えているんだけど、完全に台詞まで記憶しているわけではないので間違ってたらすげぇダサいよねこれ。
「わたくしも、そうなれるでしょうか」
しかし、パクリだと知るはずもない姫様はちょっと感銘を受けた風である。
さすがは日本が世界に誇る文化。異世界でも十分に通用するらしい。
ありがとう漫画家先生、おかげで好感度上がったっぽいわ。
「なれますよ、必ず」
「色んな場所で色んな物をこの目で……そうなればとても素敵ですね。いつかそうなった時には、悠希様もご一緒してくださいますか?」
「当然じゃないですか、どこにだってお供しますよ」
お風呂にもお供しましたからね。とは口が裂けても言わない。
必死に邪心を隠す俺の心を知ってか知らずか姫様は嬉しそうに微笑み、そして空を見上げた。
「一度でいいのでどうしても見てみたい物があるのです。悠希様は虹色の滝と呼ばれる場所をご存知ですか?」
「いえ……初めて聞く言葉ですけど」
「小さい頃にお母様がよく話してくれたんです。どんな財宝やお城よりも価値がある景色がそこには広がっているんだよ、と。大きくなったら連れて行ってあげるといつも言ってくれていたのですが、その前にお母様は亡くなってしまいました。だからこそ一度だけでもこの目で見てみたいのです。母が大好きだった、思い出の場所だと言っていたその景色を」
「なるほど……」
「いつかきっと連れて行ってくださいね、悠希様」
「ええ、この命に代えても」
その笑顔で頼みごとをされて断れる男など存在しない。
怪しげな壺だって買うし、生命保険にだって喜んで加入するレベル。
笑顔の度合いをもう一段階上げたかと思うと、姫様は右手からレースの手袋を外しその手でなぜか俺の右手を取った。
そして人知れずドキッとしている俺に気付く様子もなく互いの小指と小指を絡ませる。
俗にいう指切りの格好だ。
「うふふ、約束です♪」
「…………はい」
今すぐプロポーズしてぇぇぇぇぇ。
いや、もう何回かした記憶があるけども。改めてしてぇよ。
この雰囲気ならちょっと可能性あるだろマジで。
天使じゃん。だって天使じゃん。
しかもこれが普段とは違う姿だってことは周りの反応を見れば明らかだ。。
周囲の兵士達どころかポーカーフェイスなグリムホークさんすらちょっと驚いた風な顔してっからね。
それすなわち俺=特別な存在という図式が成り立つはず。というか成り立ってくれ。
「は~い、二人の世界を作るのはやめてくださいね~姫様~」
と、ここで現る目の上のたんこぶ。
アンは俺を押しのけるように間に割って入ってくると、そのまま姫様の手を引き俺から遠ざけようとしている。
「もう、アンリったら」
「お前……ここで邪魔するのはあんまりだろ。夢に出て毎晩呪詛を唱えてやるからなマジで」
「姫様を悪い虫から守るためなら呪詛でもクソでもドンと来いだもんね~だ」
「……女の子がクソとか言うな」
なんてがっくりと肩を落としたまさにその時。
突如として森林の中に遠くから大きな声と馬の足音らしき騒音が響いた。
テンパって『え? 何?』とか言いながらキョロキョロしているのは俺だけで、グリムホークさんは腰から細身の剣を抜いているし、周りの兵達も一斉に警戒態勢を取り、それどころかアンリですら姫様を守るように自らの背に回し険しい顔で音の発生源である方向を見つめている。
何が何やら分からず困惑するばかりの俺は逃げる準備だけはしておこうと自分に言い聞かせることしか出来なかったが、やがて現れたのは見知った格好をした一人の兵士だ。
そろそろ見慣れた……といっても周りにもいるので当たり前だが、鎧や装備のデザインからこの国の人間であることが分かる。
猛スピードで馬を走らせ近付いて来るその誰かは、俺達の中にグリムホークさんを見つけるなり馬を飛び降り真っすぐに駆け寄った。
「グリムホーク副隊長! 緊急の伝令です!」
「落ち着きなさい、何があったのです」
「て、敵襲です!!」
ただならぬ形相のそんな台詞に、その場が凍り付いた。