【第六十六話】 水軍基地視察
正確な時間の経過は一切分からないが、昼飯休憩からまた二、三時間ほど馬車を走らせたところでようやく一行は目的地へと到着した。
それを知ったのは勿論のこと赤毛のアンリに頬をつねられ起こされてのことだったが、俺にしてみりゃ朝も早かったし飯食っちゃったしで眠気に襲われるのも無理からぬ事だ。だからもうちょっと優しく起こしてくれと言いたい。
「ふわぁ……」
と、大きなあくびを一つ挟んでアメリアさん、レオナに続いて馬車を降りると、なるほど確かに事前に聞いていた情報の通りの光景が広がっている。
位置関係なんざ分かるわけもないけど、要約するに国境の近くにある水軍基地ということだけは理解した。
そもそも水軍って何だよ、海軍的なことなの?
という疑問を飲み込んだ当初を経ているわけだけども、まあ実際に目にしてみると大体そういう解釈で良さそうだ。
目の前にはどこまで続いているのかも分からないぐらいの大きな河川が広がっている。
名をイグラス峡というらしい、高い岩場に囲まれた峡谷のような川だ。
この場所自体は川とも湖とも呼ばれているという話だが、それこそどこまでも続く長い長い川まで続いていて、それがこの国を含む三国にまで渡っているのだという。
無論、基地というからには湖があるだけではなく軍隊が駐在している。
三百や四百か、或いはそれ以上の兵隊がそこかしこを慌ただしく行き来していて、物資を運んでいる人だったり切った木を縄で組み合わせてはしごみたいな物を作っている人がいたり奥の方では上官らしき人の号令に合わせて忙しく隊列を組む訓練をしていたりと、まあ何とも壮観な光景があちらこちらに見られた。
それだけではなく湖面には木製の船が何十隻と並んでいて、遠くの方では笛の音に合わせて旋回したり船上の兵が規律の取れた動きで弓を構えたりしている。
「すっげ」
思わず声が漏れる。こりゃ確かに壮観だ、何か凄い所に来ちゃった感がハンパない。
「悠希、何してんの。早く来なさい」
視線を縦横無尽に走り回らせ感動に目を輝かせていると、ふとレオナの声に現実へと引き戻された。
王様を先頭にサッサと建物の方へ歩いていく一団を慌てて追い掛ける。
ここに来た目的の一つである友好関係にあるらしい隣の国の王様との会談は明日の予定と言っていたっけか。
今日は前ノリして水軍の演習の視察を兼ねたらしいとは聞いていたが、実際には何すんだろうな。
気軽に尋ねてみようにも王様の横にはあのカルカロスとかいうオッサンががピタリと控えていて、姫様の横にはレオナとアンが左右にくっついているといった流石の護衛っぷりであるせいで馴れ馴れしく出来る雰囲気皆無なんですけど。
この国の主、すなわち王様が姿を現わしたからか、陸地にいる兵達は一斉に動きを止め直立不動で整列しだしたし何なら私語厳禁という同調圧力が凄まじい。
「皆の者、日々ご苦労であるな。そなた等は国境を守る大任を担う戦士達だ、くれぐれもよろしく頼むぞ」
「「「はっ」」」
とか何とか偉そうな遣り取りを経て、またすぐに移動するっぽい流れが出来上がっていた。
しかしまあ朝も思ったことだけど、王様であったりアメリアさんやオッサン、ついでにレオナも含め、周囲の兵隊さん達は誰もが大層な肩書きを持っている人への敬服度というか畏怖の度合いってのが相当であることがよく分かる。
特にレオナなんて俺と同じ歳なのに、一回りも二回りも年上の兵達ですら直立不動で一礼するわ、敬語で忠実に命令や指示を聞くわと、こういう社会では階級ってのが全てなんだなぁと改めて、そしてしみじみと実感させられるばかりだ。
「それでは陛下、あちらの高台にお席を用意してありますので」
軍服の肩にヒラヒラした布を着けている、それすなわち士官だか将校だかと呼ばれる立場にある男が近付いてきたかと思うと短い返事を受けてそのまま先導を始める。
何? またどっか移動すんの?
先述のお偉いさん方が一緒なせいで誰も私語をしないのでこっちへの説明が全然足りてねえんだけど。
「一応は視察ってことになってるから、あそこの崖の上に移動して、そこでしばらく演習を見学していくことになってるのよ」
実は多少なりとも気に掛けてくれていたのか、はたまた俺がイラッとしたのが分かったのか、レオナがしれっと後ろに続く俺の傍まで寄ってきたかと思うと小さな声でそんなことを言った。
いくつか小さな建物があるこの辺り以外はほとんどが岩壁みたいな崖と水辺しかない土地だ。
なるほど確かにレオナの指差す先に目を向けてみると少し向こうにあるそう高さのない部分に大勢の兵が整列しているのが分かる。
他所の王様と会うついでに視察を、というのは事前に聞いていたし、まあこれだけで帰ったらただの慰労みたいになっちゃうってなもんか。
そう言われちゃあ納得しておく他ないな。
というわけで黙って着いていくことに。
数分と掛からず目的の高台に到着すると、王様と王女の二人が用意されていた椅子に腰を下ろした所で演習とやらが始まった。
実際に来てみると確かに何十メートルの高さはないながらも見晴らしが良く何十と浮かぶ船の全てが見下ろせる視察にはもってこいの場所だと言えよう。
玉座に似た感じのいかにも偉い人用の豪華な装飾が施された椅子に王家の二人が並んで腰掛け、その横でなんか若い兵士が日よけのパラソルみたいなのを持って立っているという有り様は何というか流石の一言であったが、それはそうと何で俺達は立ったままなの……。
家臣であるレオナ達はまだしも俺は招かれた側じゃねえのかよ。
そんなツッコミもどうにか飲み込み、間もなくして始まった水軍の訓練とやらを一緒に見守る王と愉快な仲間達。
笛の音やフラッグの動きに合わせて無数の船が陣形を組んだり、合図に合わせて一斉に矢を放ったり魔法を撃ったり投石機みたいなのをセットしたりと、いかに素早く連携したり陣を形成するかみたいなまさに本物と表現せざるを得ない見事な光景がひたすらに続く軍事演習はすげえの一言だ。
なんだけど……最初は感動したし、見ていて面白かったけどぶっちゃけ一時間も見てたら飽きた。
「…………」
なあ、これいつまで続くわけ?
立ちっぱなしで足とかダルくなってきてるし、喉乾いたし、あくびを我慢するのも辛いし、もう早く帰ろうぜマジで。
日頃の鍛錬の賜物ってやつなのか、みんなよく平然と直立を維持出来るもんだ。つーかその理論で言うと俺ってあのちっこいアン以下なのか?
さすがにそれはちょっとへこむ……でも疲れたもんは疲れた、それは強がっても仕方がない。
所謂授業中はやけに時間が長く感じる理論なのか、早く終われ早く終われと思うあまり余計に体感する時の流れが遅くなる一方ながら更に数十分の苦行に耐え、ようやく王様とアメリアさんの判断で撤収の、言い換えれば解放の段取りを迎える。
心底来たことを後悔し始めていた所なのでマジで助かった。
あんな空気じゃトイレ行っていいですかとかも言えねえよ。絶対一人ぐらい我慢してる奴いただろあんだけ人数いたらよ。
そもそも姫様とか軍事演習に興味なんかないだろ普通に考えて。女の子だぞ? 二人で散歩でもしていた方が二千倍有意義だったって絶対。
「ん? どうしたんだい悠希君」
「あ、いえ、何でもないっす」
そんな不平不満もアメリアさんと目が合ってしまっては口に出来るはずもなく、何ならちょっと心配そうにされてはこちらが心苦しいので一瞬にして吹っ飛んでしまう。
しかし、そんなに疲弊した顔になってしまっていたのだろうか。
国王にバレてねえだろうな……あのオッサンに嫌われたら姫様に近付けなくなっちまうってのを忘れちゃいかんぞ俺。
「お? 今日はここで泊まんの?」
水辺の基地を離れ、少し歩いた所で建物の群れへと行き着いた。
団地みたいな箱形で石造りの建物が四つほど並んでいて、その奥に一つだけ洋風の館みたいなのが建っている。
俺達が向かっているのはその洋風の館だ。
「そうよ、会談は明日だからね。周りに建ってるのは水軍兵の官舎で、ここはゲスト用の宿舎ってわけ」
「ほ~ん」
どうりでここだけ王都から一緒に来た兵隊たちが厳重に包囲しているわけだ。
国で一番偉い人間が一晩を過ごすのなら、当然ってなもんか。
「両隊長、そして悠希君、長旅も含めひとまずご苦労だった。夕食までは体を休めてくれ」
館の中に足を踏み入れ階段を登ると、予め待機していたらしい三十前後のメイドさんに外したマントを預けつつ、王様が休息の許可を告げた。
御意、と。
俺以外の全員が揃って一礼すると、王様は姫様に一言二言声を掛けて一番立派な扉の部屋へと消えていく。
どうやらこの二人だけは要人用の館でも更に特別な個室を使うようになっているらしい。
どこまでも縦社会過ぎる世界である。
そもそもこの建物自体アメリアさん達隊長級の人や他所から招いた他国の要人だの貴族だのが来た時にしか使わないという話なのに、その上流階級の中でも特別扱いってもう……。
「ではでは、シルヴィア様もご夕食の前に汗を流しておきましょう。ご一緒しますので中へどうぞ」
王様の部屋の扉が閉ると、次いでアンが隣の部屋の扉を開き王女を中へと促した。
どうでもいいけど、アンって隊長達より王族への態度が砕けてるよな。ガキだからか?
「ええ、よろしくねアンリ」
二人も部屋の中へと歩いていく。
姫様とお風呂だと? アンの野郎……なんて羨ましいポジションにいるんだ。
いや、むしろアン一人じゃ大変だろう。俺も手伝ってあげた方がいいに決まってる。
「こら、アンタはこっちでしょ」
「ぐえっ」
二人に紛れて中に入ろうとするのを、後ろからレオナに止められてしまった。
後ろから服を引っ張られたら窒息するマジで。
「え~……俺は姫様の相手するために呼ばれたんだろー。添い寝役が必要じゃん、それ俺がやるべきじゃん? あとお風呂も」
言っている間に部屋の扉が閉っていく。
その狭間にアンが『ぷぷっ、馬鹿発見』みたいな顔でこっちを指差して笑っていたのが無性に悔しい。
「必要だとして、それはアンタじゃないから。中に入れるのは陛下と姫様、それから身の回りの世話をするアンリだけ。他の人間が許可無く入ったらその時点で投獄だから肝に銘じておきなさい」
「ちぇっ、世知辛い世界だなまったく。なら後で姫様に直接入っていいか聞いてみよっと」
「めげない奴……」
「つーか、だったら俺はどこに泊まんの? お前と同じ部屋? ならお前と添い寝するけど」
「あたし達は向かいの個室。つーか添い寝はしなくていいっつーの」
「え? じゃあ同じ部屋なの?」
「仕方ないでしょ、便宜上あたしはアンタの雇用主ってことになってんだから。滅多に使わない分ここを使うのってお金掛かるし、あとから一部屋追加してくださいなんて言えないっての」
「理由なんざ何でもいい。お前と同じ部屋で過ごせるならば」
「誰でもいいわけアンタは……ま、そうは言ってもあたしは夜間に移動してミルフォード王をお迎えに行かないといけないからそもそもここで寝てる暇はないんだけど」
「んだそれ、最終的に一人ぼっちってことじゃねえか」
そんなんもはや同室でも何でもねえよ。
「ま、夕食まで少し時間はあるし話し相手ぐらいはしてあげるから」
「色々納得がいかんぞ俺は……」
何で連れてこられたのかどんどん分からなくなってくるぜ。
もしかして俺ってば騙されたのか?
いやいや、何の意味があるんだよそれ……。