【第五話】 見た目に反しまくって超絶物騒な住人、その名もマリア
ボロアパートに戻った俺達は入り口で靴を脱いで中に入ると、ひとまずダイニングで腰を下ろした。
疲れたという程歩いたわけでもないが、斡旋所のお姉さんにさっきのおばあさんと知らない人と面談したせいか若干ながら精神的に疲労がある。
言うならばバイトの面接に臨んだ時みたいだと言えば分かりやすいか。妙にかしこまってしまうせいか緊張していなくても終わった後にガクッと疲れがくる感じ。
「リリ、何か飲み物とかねえ? 水でいいから」
遠慮するのが礼儀かとばあさんの申し出を断ってはみたものの、喉はカラカラである。
「水なら何本も入っているのでご自由に飲んで大丈夫ですよ? といっても、それを用意していたのは管理人さんなので今後は悠希さんの仕事になるんですけど」
「マジでか……もしかして飯の用意とかもやれって言うんじゃねえだろうな。月二万の家賃で飯まで付けろって贅沢すぎんだろ」
「あ、それは勿論各々が自分で用意するので大丈夫かと。日用品を揃えるのをやってくださっていて、そこに飲み水も含まれていたというだけのことなので」
「ならいいけどさ。まあ、料理は嫌いじゃなし金貰えばやってやってもいいけどタダ働きはぜってーヤだ」
「え……悠希さん料理出来るんですか?」
「うちの寮は休みの日は飯出ねえんだよ。今なんて夏休みでほぼ一人暮らしみたいなもんだし、バイト代と小遣い程度の仕送りじゃ一月半外食や買い食いで過ごすわけにはいかないからな」
「へ? 悠希さんって地下闘技場に出入りしてるんですか?」
「はあ? なんだよ地下闘技場って」
「ファイト代というのはファイトマネーみたいなものじゃないんですか?」
「なんの話してんだお前……アルバイト代だよアルバイト代」
「なんですかそれ? そういえば町でも聞いたような気がしますけど」
「アルバイト代ってのは、まあ……それはさておきだな」
「完全に説明するのが面倒臭くなりましたよね、今」
「いいんだよ俺の話は。それより水くれって話はどこいったんだ」
「だからご自由に飲んでいいって言ってるじゃないですか」
やれやれと、呆れたように肩を落とすリリの口振りはどこか『人の話聞いてました?』的なニュアンスを感じさせたが、話が逸れたのならそれでいい。
俺とて聞きたいことは山ほどあるのだ。
「飲んでいいって、どこにあるのかも教えてくれないのか意地悪リリちゃんは」
キッチン周辺を見渡しても水なんて見当たらない。
まさかとは思うが、蛇口から直接飲めってか。
「どこって、そりゃクールジェルの中に決まってるじゃないですか。誰も冷やす前のを飲めなんて言いませんって」
「クールジェル?」
聞き慣れない言葉に思わず聞き返していた。
出会ってからというもの、お互いこんなやり取りばかりな気がする。
「あ、クールジェルもご存じないんですか。そこにある二段重ねになっている球状の物ですよ」
「ああ、これがそうなのか。つーかこん中に水が詰まってんのか?」
中は見えないが、確かに水色のゴムボールだ。いや、材質がゴムかは知らんけどパッと見ね。
「そんなわけないじゃないですか……それは飲み物や食材を冷やして保存しておくための物なんです」
「マジか……つまりは冷蔵庫みたいなもんってことか」
「れいぞうこ?」
「いいかリリ、二人してそうやって聞き返してばかりいたら話が進まねえ。今ここで大事なのは今ここにある物を俺が理解することだ。オーケー?」
「お、オーケーですオーケーですっ」
ほっぺを揉もうと手を伸ばしたからか、リリは防御態勢を取りつつもコクコクと慌てて頷いた。
それはそれで残念ではあるが、そんなことはさておき俺はそのクールビズの前まで行ってそれを見下ろしてみる。やっぱり謎の物体にしか見えない。
「とにかく、だ。この中に水が入ってるんだな?」
「だからそうだと言ってるじゃないですか。クールジェルですけど」
「名前なんざ何だっていい。そもそもこれどこから開けるんだ?」
「え? なんで開ける必要があるんですか?」
きょとんと、リリは首を傾げる。
いい加減イラっときたのでやっぱり全力でほっぺを揉んでやることにした。
「にゃ、にゃんででふっ!?」
「一つだけ言っておいてやる。どことも分からん場所に連れて来られた俺にとっちゃ目に入るもん全てが謎だらけなんだよ。使い方も名前も知らん物をお前は初見で扱えるのか? 無理だろ? だから俺が質問する度に『そんなことも分からないんですか?』みたいな馬鹿にしくさったことを言うのはやめろ。お前にとっちゃ常識でも俺には当て嵌まらないってことを理解しろ。そして家電量販店の店員よろしく聞いてもいないことまで説明し倒すぐらいの意気込みで俺の疑問と向き合え。分かったか?」
もはやパン生地でも作ろうとしているんじゃないかってレベルで頬をぐりんぐりんしているせいかリリは目を回している。
それでも俺の言いたいことは伝わったようで、小刻みに何度も頷いていた。
「うぅぅ……ほっぺが伸びちゃうじゃないですかぁ。ていうかかでんりょーはんてんって何で、いや、なんでもないです。そのまま手を押し当てれば中の物が取り出せますのでやってみてください」
間違っても痛みを感じるような揉み方はしていないが、リリは手を離してやるなり唇を尖らせ頬をスリスリと撫でる。
まあちょっと俺もやりすぎたというか、純粋にリリの言動に関係なくその感触が癖になりそうなわけだが、それを口にしてしまうとただの変態なので言われた通り謎の球体の上のやつに手を押し当ててみた。
すると、ニュルンという感触を残してごく自然に右手は球体の中へと吸い込まれていく。
「うおっ」
未曾有の感触に思わず情けない声が出てしまった。
中はひんやりとした空気に満ちていて、手首から先がそれこそ冷蔵庫に手を入れているような温度差に包まれている。
加えてどういうわけか手を突っ込んだ瞬間に水色だったゴムボールが半透明に変わっていて、中にいくつかの瓶やら野菜や果物やらが入っているのが見えるようになっていた。
まるで無重力状態の宇宙船の中みたいに、置かれているのではなく浮いている様な状態で。
「もうわけ分かんねえな……どういう原理なんだこれは」
誰に対してでもない声が漏れる。
用途が冷蔵庫と同じであることは理解出来たが、どう考えてもおかしいだろ色々と。
「なるほど、下の方が冷凍庫的なことになってるわけね」
下のボールに手を入れてみると随分と温度が低く、半透明になることで露わになった中身は氷やらパンやらが入っている。
疑問が多すぎてどこから説明を求めればいいのかも分からず、落ち着く意味も込めて取り敢えず上のボールから瓶を取り出し喉に流し込んだ。
瓶入りなぐらいだから炭酸のジュースなのかと思いきや中身はただの水だった。
「ふぅ……やっと少しは落ち着いたぜ」
「落ち着いたって……別に興奮するようなことは何もなかったと思いますけど」
「いやいや、このクールジェル一つで精神的な絶望は凄まじいものがあるぞ」
主にここが地球のどこかではない可能性がどんどん高くなっていることに。
「これも共用となっていますので自分で買ってきた物にはちゃんと名前を書いておいてくださいね」
「うん、まあ、色々とツッコミたいことだらけだけど一応分かったとだけ言っておく。ちなみにだけど、これはなんなんだ?」
指差す先にあるのはテーブルの真上に釣り下げられているピンポン球みたいな何か。
完全に光りを放っているし、電球の役割を果たす物であろうことは明らかだったが例えそうだとしても意味不明である。
だって中に電球も入ってないっぽいし、そもそもあんな細い紐一本でぶら下がってるってことは電線とかも通ってないってことだよな?
「これはムーンストーンという物です。見ての通り明かりを放つだけのものですけど、悠希さんの国にはこういった物はないんですか?」
「いや、あるにはあるけど形が全然違うっつーか、これ電気通ってんの?」
「電気?」
「よし、通ってないことは分かった。だとしたら何で光ってんだよ、おかしいだろ」
「おかしくなんてないですよ、ムーンストーンというのは元々光りを放ってる石ですから。それを加工しているだけです」
「てことはあれか、ずっと光ったままってことか」
光る石なんざあってたまるか! という言葉は口に出来なかった。
現実としてこの目に映る物が全てなのだと、言い聞かせ受け入れなければどうにかなりそうだ。
「そんなことはありませんよ? 触れれば消えますし、触れれば明かりが灯ります」
リリは人差し指でピンポン球サイズのそれをちょんと突く。
すると、その言葉の通り変な珠は輝きを失い、部屋を照らしていた明かりがフッと消えた。
「やっぱりワケ分からん……」
早くも決意が揺らぎそうになる。が、逆にもう気にするだけ損なんじゃないかという開き直りのような感情も同時に芽生えつつあるのが分かった。
「色々教えてくれてサンキューな。そういや話は変わるけど、他の住人ってどうなってんの?」
やってみますか? と言われたのでお言葉に甘えて実際にムーンストーンに触れると、すぐに室内に明かりが戻る。
シンクの横にあるホットプレートみたいな物が何なのかを聞く気力はもうなかった。
とはいえ他の住人の存在が気になることも事実。
リリは顎に指を当て、記憶を辿り始める。
「確かレオナさんとソフィアさんはお仕事で夕方まで帰ってこられないと言っていたので……今はわたし以外では一人しか残っていないはずです。マリアさんはわたしが出るまでは家にいましたし、基本的に部屋から出ない人なので二階にいらっしゃるかと」
「マリア?」
何その可愛い名前。絶対お淑やかな美少女だろそれ。
「挨拶しに行きますか?」
「是非行こうぜ!」
「ではご案内します。ていうか……来る前にも言った台詞な気がしますけど何で急にやる気に」
「気にしない気にしない。ほら、ササッと行こうぜ」
空の瓶をテーブルに置いて立ち上がると、同じく立ち上がったリリの背中を押し全力で急かすハイテンションな俺。
どこか呆れた風ではあったが、リリは先導するかたちでダイニングを出ると玄関の脇にある階段を上っていった。
一階にダイニングや風呂トイレといった共用の場所プラス部屋が二つあり、そのうち一つが管理人用の部屋になっていて二階には部屋が三つ並んでいるという造りになっているようだ。
どこもかしこもそうであるように、相変わらずの古びた階段を登りリリの後を付いて二階に上がると確かに広いとは言えない廊下に扉が三つ並んでいる。
どうやらそのマリア様の部屋は一番奥らしく、二つの部屋を通り過ぎたところでようやくリリが足を止めた。
なぜか扉の前ではなく、その手前で。
「ここで止まってください」
「なんで?」
すぐ目の前にマリア様の部屋があるのに。マリア様が俺を待っているのに!
「悠希さんは知らなくて当然なんですけど、今後も含めマリアさんを呼びにきた時は絶対に扉の前に立たないようにしてください」
「どういうことだよ」
「マリアさんは基本的に部屋で寝てるかお腹を空かして何か食べているかという人なんですけど、寝ているのを邪魔するともの凄く危険なんです」
「危険って、具体的にどう危険なんだ?」
「何と言いますか、寝起きは本能で動いているとでも言うのでしょうか。苛立ったのを無意識に体で表現してしまうみたいで……以前レオナさんがしつこく扉の前で名前を呼んでいたら危うく扉ごと串刺しにされかけたんですから」
「えぇぇ~……なにその狂暴キャラ」
「普段はボーッとしている物静かな人なんですけど、寝起きだけは本当に何をするか分からなくて……お仕事で殺し屋をしている方だけに力で対抗出来るわけもないですし、噂なのか事実なのかは知りませんけど純粋な強さではこの国でも一、二を争うぐらいだと聞いたことがあります」
「んだよそれ、会いたくねーよそんな奴に」
絶対ゴリラみたいな奴だろそれ。
誰だお淑やかな美少女とか言った奴。俺だよ。
「そもそもだな、普段は寝てるか食べてるかってそれ完全に駄目人間じゃねえか。大体職業殺し屋って……もうなんでもありか!」
いい加減ツッコまないとやってられない。何で殺し屋がアパートに普通に住んでんだっつーの。
「悠希さんっ、大きい声出さないでくださいってば。もしマリアさんが寝てたらどうするんですかっ!」
「お、おう……すまん」
俺とて串刺しにはなりたくないので素直に謝るしかない。
多分お前の声の方がでかかったけどな。
「いいですか? ノックしますよ?」
リリは壁に張り付くようにして腕だけを扉の方へと伸ばすと特に俺の返事を待つわけでもなく、トントンと控えめに二度ノックした。
「…………」
「…………」
二人揃って無言のまま、目を見合わせて息を飲む。
その面持ちたるやいっそのこと反応が無いことを願わんばかりである。
なぜ同居人に挨拶に来ただけでこんなに緊張感が走るのだろうか。特殊部隊の突入シーンみたいになってんだけど。
呆れるやら早くも帰りたくなってくるやらという微妙な心持ちで事の次第を見守っていると、しばしの沈黙を挟んだのち願いも通じずカチャリという音と共に扉が開いてしまった。
その影から現れたのは確かにお淑やかとか清楚といった感じではなかったが、いかにも眠たそうな目とぽけーっとした表情の普通に可愛い女だ。
歳は俺と同じぐらいか。
寝癖なのか肩に触れるか触れないかぐらいの赤茶色い髪が所々跳ねていて、黒いキャミソールに白いミニスカートというナイスセクシーな格好をしている。
肩紐が片方肘の辺りまで垂れていて、露わになった胸元で自己主張をしている中々のサイズの谷間に僕は感動です。
「……シェスタ?」
マリアというらしい少女は変わらずポケーっとした表情のまま首を傾げた。
声そのものも、口調も見た目通りにどこかのんびりとした印象を受ける。
「よかった、起きていらしたんですねマリアさん」
「……もうすぐ寝るとこだった」
「あ、そうだったんですか。それはごめんなさいです。ちょっとこちらの方が挨拶をということでして、少しだけお時間をいただけたらと」
「……………………誰?」
そこで始めて俺に気付いたかの様な反応。
そして、精一杯思い出そうとしてみたけどやっぱ知らない奴だったわ。みたいな顔。
諸々含めて、なんかもう色々と凄いなこいつ。
「あ、えっと、こちらは桜井悠希さんといって、今日から新しく管理人になる方です」
微妙な空気を察したのか、リリが慌てて俺を紹介した。
「悠希って呼んでくれ。管理人って言ったって俺自身全然分かってないけど、よろしくな」
「………………?」
手を差し出してみたものの、少女はきょとんと首を傾げるだけだ。
なんだろう、この全然伝わっていなさそうな感じ……不思議そうな顔で見られても困るんですけど。
「まあ……こういう人だと思って慣れてください。で、悠希さん。こちらはルナマリア・バクスターさんです。先程も言いましたが、お仕事は殺し屋をされているらしいです」
ルナマリア。
なるほど、それでマリアと呼ばれているのか。
ていうか、
「らしいってお前……」
「滅多に外には出られないですし、そう本人から聞いただけなので……というか、人を紹介するのに『殺し屋です』と断言してしまうのも道徳的にどうかと思いまして」
「そういう良識はあったんだな……」
なぜ俺を召還する前にそれを発揮出来なかったのか。
なんてことを考えていると、横から声がした。
「……マリア」
ルナマリア・バクスターという名前を知ったばかりの少女が俺を見ている。
「それって、俺もマリアって呼んでいいってことか?」
「…………(コク)」
「分かった。この国っつーか、この世界に来たばっかで分からんことも多いけど色々とよろしくな」
もう一度手を差し出すと、マリアはその手を二、三秒見つめてから確かに掴んだ。
女の子らしい、細く柔らかい感触に包まれる。
小一時間そのままでいてくれないかと切に願う俺だったが、マリアはあっさりと手を離すと、
「……じゃあ、寝る」
そう言って背を向け、サッサと部屋の中に戻っていった。
「おう……おやすみ」
「お、おやすみなさい」
その声が届いているのかいないのか、マリアはこちらを振り返ることなくパタンと扉を閉めてしまう。
残されるのは無言のまま扉を見つめる二人の男女だ。
「…………」
「…………」
いや、可愛い子だったよ?
可愛かったし目の保養になったけども、それよりだよ。
「なんつーか、不思議な奴だな」
それしか言えない。
感想なんて他にない。
「それは恐らくマリアさんを知る人全てが同じ事を思っているので諦めるか慣れるかしてくださいとしか……」
見知った間柄であるはずのリリも閉じた扉を見たまま固まっている。
何というか、率直な感想として本当に俺はこのアパートでまともに生活することが出来るのだろうかと、そんなことを思った。




