【第四十二話】 夜の街
やがて日が暮れ、外は徐々に暗くなっていく。
建物が森の中にあるせいで外は灯り一つなく、この風蓮荘の各部屋から漏れる光だけが辺りを照らしているといった具合だ。
リリの看病を終えてからは昼寝をしたり、マリアの部屋の掃除をしようと思いきや二階でバタバタするのは休んでいるリリに悪いので中止し、運動不足解消でもしようかと外で筋トレをしたりして過ごしていた。
それからマリアと二人で夕食を取り、今に至る。
リリは夕方からずっと寝ているので一度額に乗せている手拭いを絞り直してからは起こしてしまわないように部屋に近付かないようにしておいた。
ついでに言えばマリアも風呂に入った後に『……寝る』とか言ってサッサと部屋に帰っていったので現在この建物で起きているのは俺一人である。
いつにも増して静かな屋内でポツンと一人ぼっちな俺。
言っても仕方がないので洗い物をしつつ、やけに帰りの遅いレオナの飯だけテーブルに並べ俺も風呂にするかと一旦部屋に戻った時だった。
着替えやらタオルやらを用意するべくチェストを漁っていると、不意に部屋の隅にある姿見がピカッと微かな光を放つ。
何が起きたのかもサッパリ分からず凝視したまま固まってしまうがどう考えても勘違いではないらしく、見つめる目の前で鏡は光ったり消えたりを繰り返す点滅状態になっていた。
「おいおい……何なんだよ」
どうなってんだこれ、普通に怖いんですけど。
もしかしてヤバい?
爆発とかしないだろうな……。
「悠希ぃぃ!!」
唐突に部屋に響き渡る大きな女の声。
なるほど、前にレオナがやってた電話機能を使ったわけね。
……いやいや、そんなんで納得出来るか!
思いっきりビクってなったわ!
マジでびっくりしたわ! もう一回言うけど思いっきりビクってなったわ!
これ心臓に悪すぎるだろどう考えても……点滅したら受信の合図的なシステム俺聞いてないから!
そういうの先に言っといてくれるかな!
ていうか……今の声、
「…………レオナか?」
やっぱりビビったことに憤慨して文句を言うのはダサい気がして、取り敢えず深呼吸をしながら事実確認をしてみる見栄っ張りな俺である。
どうでもいいけど、何も映ってない鏡に話し掛ける男子高校生って端から見たら可哀想な奴じゃね?
そう言えば前にパシリにされた時に鏡に触れとか言ってたな。
というわけで指でチョンと突いてみると、前回と同じく一面にレオナの顔が映し出された。偉そうだけどやっぱり可愛い。
「レオナか、じゃないわよ~。いつまで待たせんのよこのアホ~! そんなんだからアンタはいつまで経っても帰れないんだ~」
鏡の向こうのレオナは赤らんだ顔におかしな口調でそんなことを一方的に喚いている。
なんだろう、呂律が回っていない感じがするけど……、
「もしかしてお前、酔ってんのか?」
言うと、レオナは何かを言い掛けたがそのタイミングで画面が変わる。
入れ違いに映り込んできたのは、どういうわけかソフィーだ。
「こらレナちゃん、それじゃ伝わらないでしょ~」
とか何とか横顔で隣にいるのであろうレオナに言うと、ようやくソフィーはこちらを向く。
「悠ちゃん~、聞こえますか~?」
「ああ、聞こえちゃいるけど……ソフィーまで何やってんだ?」
「それがですね~、帰り道に偶然レナちゃんと遭遇しまして~、今二人で飲んでるんですよ~」
「やっぱ酔ってんのか」
「今朝何かご馳走するって約束しましたし、悠ちゃんもどうかなーと思いまして~」
「そういう話ね、やっと合点がいったわ。誘ってくれるなら行くのは構わないんだけど、どこにいんの?」
「シュベールの裏通りにある武器屋の前のホット・リバーというバーです~」
「シュベールって王都か。ていうか多分それ前にリリと一緒に行ったことある店っぽいな。いやでも……」
「是非是非おこしください~、ちなみに他の二人はどうしてますか?」
「ん? マリアは言うまでもなくとっくに寝てるし、リリも今日は早めに寝てるけど」
「そうですか~、では悠ちゃんだけでもお待ちしてますね~」
「あ、おい……切りやがった」
まだ行くって言ってねえよ。
ていうかバーって何だよ、二人とも未成年じゃなかったっけ?
色々と指摘したいことだらけではあるが、こっちから掛ける方法知らないから何も言えない。
「ま、直接聞いてみりゃいっか」
奢ってくれるというならば断る理由はない。
リリがあんな状態なだけに置いていくのは気が引けるが、戸締まりをしっかりしておけば問題ないだろう。
そう決めて、ひとまず王都に向かうことにした。
全ての窓と玄関の鍵を閉め、暗ーい夜も森を歩いて王都に向かう。
すげえわ……この森を一人で歩くの心細さが半端ねえ。
軽い肝試しだよこれ、何なら樹海を彷徨ってる気分にすらなってくるよ。
無理だこれ、散歩気分でのんびり歩いてたら心折れる。
「こうなりゃダッシュするしかねえ」
何ともヘタレな理由ではあるが、そんなわけで俺は王都シュベールまで全速力で駆け抜けるのだった。
☆
そんなこんなで王都に到着。
ここまで来ればちょっとはマシかと思ったのに、街にも思った程灯りがねえし通りには人もほとんど居ない。
立ち並ぶ店のほとんどが閉っているし、営業しているっぽいのは見るからに飲み屋っぽい所だったり何かエロそうな雰囲気の店だったりカジノだったりと風営法の管理下にありそうな店ばかりだ。
まあ、この世界じゃコンビニとかもないし車やバイクもないし出歩く理由もないのかもしれないが……夜の街に来たのが初めてに近いから全然気付かなかったぜ。
ホット・リバー、その名前は確かに一番最初に有名な魔法使いに会うために行った店と同じだと記憶している。
場所なんて曖昧にしか覚えていないが、裏通りだとか武器屋とかという情報があれば流石に大体の位置が分かってしまうぐらいにはこの王都にも来ているので迷いはしない。
「あ、あれだ」
人通りの少ない裏通りも中々に物騒なため通り魔とか人攫いとかいねえだろうなとかビビリながら歩くこと数分。
扉の上に思いっきり【Hot River】と書かれた看板が掲げられている酒場を見つけた。
どう考えても未成年は追い出される雰囲気が山の如しではあるが、前に来たときも普通に入れたしなぁ……しかもあのロリっ娘リリと二人なのに、だぜ?
年齢制限とかも日本とは違うのだろうか。
なんて考えながらそろーりと扉を開き店内に足を踏み入れる。
昼間に来た前回とは違ってものっそい人が多いし、何かもう飲んだくれている奴が山ほどいる。
ご新規の客が入ってきたというのに出迎える店員がいるでもなく、近くのテーブルに居る客が一瞬こちらを見ていたものの全然気にされてもいない感じだ。
これはこれでまた場違いなんじゃねえの俺的な心細さがあるが、突っ立っていても仕方ないのでソフィーやレオナを探すことに。
相変わらずお前等モンスターでもハンティングしに行くの? と言いたくなるような格好の客ばかりで目を合わせることすら躊躇われるのでジロジロ見れないのが虚しいが、順に見回してようやく奥の方のテーブルに居る二人の姿を発見する。
急いでそっちに向かうと、あちらも俺に気付き声を掛けてきた。というかソフィーの愉快な仲間達も勢揃いしてんだけど。
「悠ちゃん~、こっちです~」
にこやかに手を振るソフィーが安堵をもたらす。
やっとのこと俺の孤独感も薄れ、何気ない風を装ってテーブルまで歩くと空いている椅子に腰を下ろした。
すぐにポンが俺の頭に着地し、隣に座るルセリアちゃんがペコリと会釈する。
「つーか、やっぱこいつ泥酔してんじゃねえか」
俺のことをガン無視しているレオナは机に突っ伏し、一人で何かブツブツ言いながら酒の入ったジョッキを呷っている。
こういうレオナの姿は何か新鮮だ。
「そうなんですよ~、途中から会話が成立しなくなっちゃったので詳しくは分かりませんけど何か嫌なことがあったみたいです~」
「嫌なこと、ねえ。レオナにも人知れない仕事のストレスとかあんのかな、唯一まともに働いているだけに」
差し出された水を受け取りつつ、そんな感想を漏らす。
それに反応したのかどうかは定かではないが、レオナはガン! と、ジョッキをテーブルに叩き付けたかと思うと急に怒り始めた。
「貴族がなんだってのよ! そんなのあたしに関係ないじゃん!」
「おいレオナ、煩いぞ。もうちょっと声のトーンを落とせ」
周りにいる物騒な連中の反感を買ったら警察沙汰は必至である。いや、目の前で酔い潰れているのがこの国で言う警察みたいなもんなんだけど。
「はあ? 誰よアンタ……なんだ、悠希か。つまんないの」
「んだとコラ、乳揉むぞ」
「まあまあ悠ちゃん、お料理も結構残っているのでどうぞ食べてください~」
正面に座るソフィーに宥められつつ、フォークと受け取りテーブルに並んだ皿に残っている料理に手を付ける。
「お酒も注文していいですからねー」
「それなんだけどさ、君達って酒飲んでいい歳じゃないよね?」
「へ? どうしてですか~?」
ソフィーは不思議そうに首を傾げる。
やはり認識に大きな差がある気がしてならない。
「このせか……国って何歳から酒飲んでいいの?」
「この国だろうと他の国だろうと十六歳なのは変わらないと思いますけど~、悠ちゃんって他の国から来たんでしたっけ?」
「あ、いや、そういうわけじゃないけど……前に住んでた所じゃ酒なんて飲めなかったからさ」
あぶね~、うっかりボロを出すところじゃねえか。
つーかやっぱ成人の基準が全然違うんだな。十六歳て、日本じゃ高校一年生だぞ。
例え法律で許されていると言われても簡単に順応出来る程図太くはないのでひとまず注文はジュースにしておくとしよう。
そうして適当に料理をつまみつつ初めての飲み会っぽい雰囲気に浸っていると、ふと頭の上のポンが頭をコンコンと突く。
大体このパターンは食い物寄越せ的な意味なんだよな。
なんで分かったかって?
丁度焼き魚を手元に取ったタイミングだったからさ。
仕方なくほぐした身を手に乗せ、頭上に持っていってやる。
ありがとう的な意味なのか、ご苦労みたいなニュアンスなのか、ポンは『ホー』と一鳴きしてから魚を食い始めた。
「ポン、その位置で食うのはいいけどお前こぼしたら焼き鳥にすっからな」
『ホー!?』
そんな馬鹿な遣り取りをソフィーは優しい眼差しでみている。
なぜか足下ではリンリンが二つの顔で同時に期待に満ちた目で俺を見上げながら『はぁはぁ』言っていた。字面だけみたらただの変態だなお前。
何を期待してるのかは知らんけど、だいぶ尻尾振ってるし。
ポンにだけ食い物をあげるのも不公平かと目の前の皿から鶏肉を箸で取って掌に乗せ、足下に差し出してやった。
頭が二つあるため両手を使わざるを得ないせいでベタベタになっているんですけど。
文句を言ってもどうせ伝わらないのでハグハグ言いながら鶏肉をがっつくリンリンを一瞥し、布巾で手を拭って俺も何か食おうかなとテーブルを見渡してみる。
五つも六つも並んでいる皿のほとんどに料理が残っていて、肉料理やら魚料理やら野菜のサラダみたいなのやらチーズを謎の生地に乗せて焼いたような物やらと、どれも美味しそうだ。
ちなみに一切会話に参加する気がないらしいジュラは一人で大きめのグラスに入ったウイスキーみたいなのを飲んでいた。何か大人の女っぽい雰囲気でちょっと格好良い。
珍しくというか、よく考えたら外で会うのは初めてな気もする白髪の美少女ことスノーエルフのルセリアちゃんは目が合うと少し恥ずかしそうにしながらも離れた位置にある理の皿をこっちに寄せてくれる。
「やっぱり良い子だな~、ルセリアちゃんは」
この子だけだよ、気遣いとか思い遣りを見せてくれるの。
と、何気なく言ったつもりがルセリアちゃんは肩を狭め、恥ずかしそうに俯く。そこがまた可愛い。
「良いお嫁さんになるよルセリアちゃんは。いっそ俺のお嫁さんになってくれ」
リリに振られたばっかだけど。俺、懲りない諦めない。
案外オッケーしてくれるかも?
なんて身の程知らずな妄言を浮かべていると、不意に脳天に衝撃が走る。
本当にどういうわけかレオナが手に持った空のグラスを俺の頭に叩き付たらしいことだけは痛む頭でも理解した。
「いって~……おま、何すんだよ」
脳天をさすりながら抗議の目を向けるも、泥酔状態のレオナは全然こっちの声なんて聞こえていないのかやや乱暴に胸座を掴んでくる。
かと思うと、こんなことを喚き始めた。
「結婚ってのはね、お互いのことを知った上でするもんでしょ! 顔も知らない奴と結婚なんて出来るかっての、馬鹿なんじゃないの!?」
「いや、そりゃ馬鹿言ったのは認めるけどさ……顔は知ってるから、一応俺とルセリアちゃんは同じ建物に住んでるから。つーかお前どんだけ酔ってんだ」
つーか普通に頭いてえし。
「マスター、おかわり!!」
「……聞けよ」
結局その後は言語として成り立っていないため内容は不明ながら怒ったり嘆いたりするレオナの絡み酒に延々付き合わされることになるのだった。
恐るべし、異世界の夜の街。