【第四十話】 風蓮荘
俺とマリアが帰宅したのはほとんど日が暮れてからのことだった。
ポンに運んで貰っての空の旅は行きと同じくろくに会話もなく過ぎていく。
それは元々マリアが多弁なタイプじゃないからに他ならないが、こと帰り道に至っては俺側にも原因の一端があっただろう。
とにかくマリアに対して申し訳なくて、だけど本人が全く気にしている様子がなくて、掛ける言葉を探すのに苦労した。
「悪かったな……こんなことに巻き込んで」
そう伝えた俺に対しマリアはただただいつもの様に小さく首を振り、
「……いい。悠希の手伝いする、嬉しい」
と、何気なく答えるだけだ。
こんなに良い子なのにな……。
思えば思う程に何を言えばいいのか分からなくなって、馬鹿な俺には黙って頭を撫でてやることしか出来なかった。
マリアは不思議そうな顔を浮かべていたが、やはりいつもの様に嫌がることなくされるがままそれを受け入れていている。
落ち込んでいるだけではなく、きっと理解しておかないといけないことだと思ってはいるのに踏み込んでいく勇気が出ず、その後はこれといった会話もなく沈んだ気分のまま到着を待つことにするのだった。
そうして風蓮荘に帰り着いた後は一人でカルネッタに買い物に出ることに。
帰りに寄れたなら勿論そちらの方が早かったのだが、あんなことがあったばかりでマリアを連れ回したくなかったというのもあるし、そもそもマリアは服が返り血で染まっていて問題が大ありだったので着替えて風呂に入って来いと一人帰らせたというわけだ。
買い出しから帰る頃にはとっくに夜になっていて、せめてもの礼と詫びにたらふく飯を作ってやった。
一人食欲が無いのを当たり前の様に同席しているリリやソフィーに心配されたりもしたけど、情けなくもその辺はもう取り繕うしかない。
当のマリアは焼いた豚肉を山ほど乗せた焼き肉丼みたいな飯を一心不乱に口に運んでいたし、おかわりも三回もしたしと普段通りの食べっぷりだった。
そんな女子連中(というかマリアは食べることに夢中で自分からは絶対喋らないので主にリリとソフィーだが)だけが騒がしくしている食事の時間も終わり、先に風呂に入っていたマリアが『……寝る』と普段以上の眠そうな目で俺に告げて部屋に戻った頃。
ほとんど入れ替わりでレオナが帰ってきた。
いつもより随分と遅い帰りに残業的なもんでもあったのかと問おうとした声はダイニングに現れた姿が飲み込ませる。
どういうわけか両手に布の袋一杯の荷物を持っていたのだ。
溢れんばかりどころか若干溢れてしまっている袋の中身が衣服であることは一目で分かる。
どうやら帰りに買い物……というか散財というか、まあそういうことをしてきたらしい。
「ただいま~、そしてお腹空いた~。悠希、ご飯っ」
「……だから当たり前のように言うなっつの」
言いつつも、残っているレオナの分を注いであげるあたり俺ってなんて優しい寮母さん。
「つーかお前いっぺんに買いすぎだろ。そんなことしてっから貧乏なんだぞ、もうちょっと自制心を持て自制心を」
「ヤよ、これだけが生き甲斐みたいなもんなんだもん。今日出会った服に明日また出会えるとは限らないじゃん」
「……逆に別の出会いが待ってるかもとは考えねえのな」
ファッションのことなんてよく知らんけど。
まあ拗ねたようにそっぽを向くレオナもスーパー可愛いので何でもいいや。家賃はまけてあげる気ないけど。
と、今はそんなことはどうでもいい。
一度廊下の方に目をやり、レオナと一言二言交わして部屋に戻っていくリリとソフィーの声が遠ざかっていくのを確認する。
そして、少し迷ったもののレオナに切り出すことを決めた。
「レオナ……飯食い終わってからでいいから俺の部屋に来てくれ、ちょっと話がある」
「はあ? 何、もしかしてそれ口説いてるつもりなわけ? ご飯ぐらいでほいほい部屋に呼べると思ったら大間違いだもんねーだ、そんなに安い女じゃないっての」
「…………」
「ちょ、ちょっと、なに本気へこんでんのよ」
へこんでいるわけではなく単に冗談に付き合う余裕がないだけだったのだが、レオナは勝手に勘違いしてむしろ『あたしがからかったせい?』みたいな感じでちょっと焦っていた。
「分かったから、ちょっと待ってなさい」
「悪いな、先に戻ってっから」
それだけ伝えて、俺は部屋に戻ることにした。
何を聞けばいいのか。
聞いてどうすればいいのか。
そんなことを考えてみても答えなんて見つからない。
十分か十五分かして階段を上がってくる足音が聞こえたかと思うと部屋の前で立ち止まる気配がして、すぐに扉越しにレオナの声が聞こえる。
「悠希~、入るわよ~」
三度ほどノックをしたレオナは返事を待つことなく部屋に入ってきて、ボーッとベッドに座っていた俺と目が合うなり大きな溜息を吐いた。
「もう、いつまでそんな顔してんのよ、こっちまでテンション下がるからやめてよね。そんなに落ち込むようなことじゃないでしょ、元から無理難題だったのよ月光花なんて」
ああ……そうか。
こいつ俺が花を取って来れなかったからへこんでいると思ってるんだ。
「いや……別にもうそれはどうでもいいっつーか、そもそも月光花とやらはちゃんと取って来たし」
「……へ?」
「ほら、テーブルの上にあるだろ。それだよ」
布に包まれた状態で放置していた月光花を指を差すとレオナは恐る恐る包みを広げ中身を確認し、ほとんど同時に大袈裟に仰け反った。
「うそ? マジ!? あそこに行ってよく戻ってこれたわねあんた……」
「ああ、マリアに手伝ってもらったからな……じゃなくて、そのマリアのことで聞きたいことがあるんだって」
「マリアのこと? 何よ?」
「お前、さ……灰色の悪魔って、知ってっか?」
「あ~……そういうこと。あんたも知っちゃったんだ」
少し困ったような顔をして、レオナは飛び乗るように隣に腰を下ろす。
「俺、知らなくてさ。マリアがあんな……何もしてないのに逃げられるようなことになるなんて。村人全員が悲鳴を上げながら逃げていったんだ、そうしなきゃ殺されるとでも言わんばかりに必死になってさ」
「それで……そんなにへこんでんだ」
「そりゃそうだろ……誰があんなことになるなんて思うよ」
「確かに、マリアは世間で【灰色の悪魔】って呼ばれる一族の血を引いてる。元々の名前はメバドっていう古くからこの国の山奥に住んでた少数部族を指す言葉なんだけど、それはもう尋常じゃない程に戦闘に特化した一族で、昔から表には出てこないような汚れ仕事を受け持ってきたのよ」
「裏の仕事?」
「言っちゃえば暗殺やら戦争やら、そういう血生臭い仕事よ。豪族貴族から王族、国そのものまで彼らを利用していた連中はごまんといたらしいわ。だけど徐々にそういう時代じゃなくなってきた。まるで禁呪や破壊兵器でも使っているかのような扱いと認識へと時が変えていって、敵味方関わらず連中の力を用いることが非人道的であるとさえ言われるようになっていったそうよ。そしていつしか、そういった風習からくる批難の目を逃れるためにそれまで利用していた連中があっさりと彼らを売るようになっていって、自分達がやらせた殺戮や虐殺、報復行為や侵略行為を公にして、さもメバドの暴走だと言わんばかりに批難する側に回るどころか彼らを排除すべきだとまで国のお歴々は議論しあったとまで言われているわ。十年かそこら前の話だから今の国王陛下じゃなくて先代の頃の話なんだけどね。そういった動きや考えが広まって、独特な灰色の瞳から灰色の悪魔と呼ばれるようになったり、しまいには本当にメバドが関わったのかどうかも分からないような事件や事故まで彼らのせいにされたりもして、猟奇の血族だの破滅の一族だのって言われ始めて……まあ、そりゃ戦争や殺しだけじゃなくていくつもの村を死体の山に変えてしまったり商船や軍港を焼き尽くして略奪したりってことも実際に多々やってたわけだから自業自得だって見方も出来るんだけど、それで十年ぐらい前にメバドと関わっちゃいけないって法律が出来たのよ。といっても、そもそもそのメバドは五、六年前に絶滅したってことになってるんだけどさ」
「それは……戦争とかそういうので?」
「そうじゃない。内乱というか、一族同士で殺し合いが起きたの。マリアはその唯一の生き残りってことみたいね、私もここに住むようになって本人に聞いて初めて知ったんだけど」
「それで、あいつは一人だけ山ほど金を持ってるのにこんなところでひっそりと暮らしてたのか……」
「あんたに説明するまでもないけど、あの子自体にはそういう言い伝え程の危険性は無い。勿論それでも異様なまでの強さを持ってるし、言いたくはないけど仕事を選べないからその手を血で染めてきた。あたしだってマリアが悪い奴ならとっくに報告してるわよ、でもあの子は十歳そこらで家族が皆死んじゃった孤児みたいなもので、褒められたことじゃないにせよ生きる方法がそれしかなかったって部分もある。友達としては普通に良い子だし、一緒に暮らしてて何かされることも絶対にない。でもあたしがそう感じたところで世間はそうはいかないの」
「それなのに俺は……自分の都合で身勝手にあいつを傷付けたのか。はは、最低じゃねえか」
「あんたさ、それでへこんでんの? そもそも無理矢理マリアを連れていったわけ?」
「違うよ、そんなわけないだろ」
「そうよね、あんたは間違ってもそういうことはしない。それはあたしだって分かってる。でも、じゃあ何を気に病んでんの? 本人が恨み言でも言った? 傷付いて落ち込んでた?」
「いや、そういうわけでも……ない、けど」
「だったらあんたが気にする必要なんてないじゃない。本人だって正体が知られればそうなることを承知で付いていったんでしょ? あんたの力になりたくて、自分の意志で。ま、さすがにその騒動が広まったら問題になるかもしれないから、明日にでも私から隊長に相談してみるわ。隊長だけはマリアと同居してること知ってるしね。だからそんなに心配しなくてもいいし、いつまでも落ち込んでないで普段通りおちゃらけてなさいよ」
「そういう心配は……してないわけじゃないけど、単純にマリアを傷付けたのかなって。それがもの凄い自己嫌悪っていうか」
「はぁ~、普段はただの変態のくせに根は良い奴だから困るわあんたって。言ったでしょ、それで傷付くようなら最初から行ってない、あんたの助けになるならって手伝ってくれたんでしょ。マリアを見くびってんのはあんたの方よ、そんなことであんたを恨むような子じゃない。確かに強大な力を持ってるけど、そういう過去もあって少しばかり精神的に幼い部分もあるから善悪の判断も自分で出来ないし、力の使い方もよく分かっていない。だからああいう仕事をするの。普通の職には就けないってのもあるけど、言われたことをやればいい、それが一番楽だから。そんなに心配ならあんたが良い方向に導いてあげればいいじゃない。どういうわけかあんたの言うことは聞くんでしょ? 何年も一緒に暮らしてる私でもこっちから話し掛けないと会話も成立しないのにさ。あんたがそんな顔してたらむしろマリアが自分のせいだと思っちゃうわよ?」
話は終わりでいいでしょ? お風呂入ってこよっと。
そう言って、レオナはベッドから立ち上がり部屋を後にする。
扉が閉じる寸前でこちらを振り向くその顔に浮かんでいたどこか優しい微笑が少しだけ心を楽にしてくれた気がした。