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【第三十八話】 黒霧谷



 川に沿って森の中を歩き到着した大きな滝壺。

 その奥に、つまりは絶えず流れ落ちる川水の裏側にある空洞へと入り進んでいくこと数十秒。

 俺達はようやく目的地である黒霧谷(ブラック・ネスト)へと到着した……らしい。

「中々キッツいな……」

 洞窟を抜けるなり思わずそんな声が漏れる。

 先程までとは打って変わって肌だけではなく五感全てがひんやりとした不気味な空気を感じ取っているかのようなゾクゾクとした感覚が全身を伝っていた。

 本当に森の続きなのかと疑いたくなる程に緑の欠片もなく、ただ岩壁に挟まれた峡谷が続いているだけだ。

 もう不気味さしかないというか、誰がどうポジティブに考えても危険盛り沢山といった風景である。

「もたもたしてると魔物共が集まってきちまう。早いところ済ませようぜお二人さん」

 ビビる俺、相変わらずノーリアクション棒立ち状態のマリアを特に気にすることなくバンダーはクイっと親指を奥側へと向け、サッサと歩き出してしまう。

 こんな所に放置されたら孤独死確定なので慌てて追い掛けると、スタスタとマリアも続いた。

「マリア……今更言うことじゃないけどさ、大丈夫なのかここ? 化け物とかそう簡単には出ないよな?」

 すぐ後ろを歩くマリアの耳元に口を寄せる。

 それはただ自分が安心したいがための耳打ちだったが、返って来たのは最悪の答えだった。

 マリアはフルフルと首を振り、

「結構…………いる。近くにも、遠くにも」

 おいおい……絶望感が増しただけじゃねえかこれ。

 もう無理、帰ろう。

 そんな二つのフレーズを口にしたい願望が留まることを知らない中、結局それを口にする勇気も出ないまま五、六メートルの幅がある一本道を進んでいく。

 二人の間という定位置を意地でもキープするように心掛け、少しの物音にも逐一反応して右を見たり左を見たり上を見上げたりと挙動不審さが半端無かったけど……もう格好悪くてもいい。

 相当な高さのある岩の壁に挟まれた道はどこか圧迫感があって、何と言うかこれ挟み撃ちされたら終わりじゃね? なんて思考で頭は一杯だ。

 とはいえそんな臆病風も杞憂に終わったらしく、一本道を抜けた俺達を待っていたのは岩や崖が四方八方を埋め尽くすだだっ広い空間だった。

 まさに黒桐谷と呼ばれるに相応しい日の光のほとんどが遮断された薄暗い谷がどこまでも続いているかのような途方もない景色である。

「…………」

 こんだけ広い中から花を探すって無謀過ぎんだろ……花どころか草木すらほとんど見当たらないぞ。

 やっぱ俺、王様に無理難題を押し付けられて遠回しにお姫様に近付くなって言われただけなのかな……いや、むしろ遠回しに死ねって言われてるまであるなこれ。

「え……急に何?」

 不意に歩く足が止まる。

 すぐ前にいるバンダーが立ち止まったことがそうさせていた。

 それだけではなく、腰から剣を抜き辺りをキョロキョロと見回しているバンダーの姿は否応なく不吉を予感させる。

「さっそくお出ましのようだ。奴等(、、)じゃないことを祈るしかないが」

 そんなことを言って、こちらの反応を待つことなく細く長い剣を両手で構えた。

 まさにその直後。

 ドスンドスンと二度、地面が揺れる程の衝撃と共に大きな音が辺りに響き渡る。

 ビクつき、心臓が止まったんじゃねえかってレベルにビビった俺は思わずマリアの後ろに隠れ、鳥の時と同じく踊る膝でその腰にしがみつく。

 どこから降って現れたのか、すぐ目の前に着地したのは二体の化け物だった。

 例えるならば岩人間とでも言うのか、本当に人型の二メートルはあろうかという岩の固まりがノソノソと動いているのだ。

「何だよあれ! 気持ち悪!! 怖っ!!」

 大声を出してないと気が狂いそうになる。

 夢でも幻もない、正真正銘の紛う事なき化け物がそこにいた。

「ちっ、ギガロックか……流石にレベルが違って来やがる、厄介極まりねえこった」

「お、おい……」

「下がってな少年ユウキ、こいつ等そこそこ危険だぜ」

 今にも向かって行こうとするバンダーの背中に思わず声を掛けようとするが、被せるように遮られる。

 俺にしてみりゃ逃げ一択なのに……まさか挑もうというのか、あの岩人間に。

 経験値豊富なこの男なら当然の思考なのかもしれないが、あれ完全に岩なんだぞ。刃物でどうにかなるのかよ。

 次から次へと不安ばかりが浮かんでくるが、それを口にする前にバンダーはすでに突進を開始している。

 タタタタっと、素早く近付いてくる岩人間に向かっていくと直前で飛び上がり右側の奴に真上から剣を振り下ろした。

 バンダーの体が一瞬、空中で静止する。

 甲高い金属音を残した一撃は易々と腕らしき部位に受け止められ、それどころか岩人間は逆側の腕で殴り付けようとする動きを見せていた。

 バンダーは着地するなり後方に飛び退いてその攻撃を回避すると素早いバックステップで距離を置き、俺達の方まで戻ってくる。

 そして一つ息を吐いて、額を手の甲で拭った。

「分かっちゃいたが、相当固いな……面倒くせえ」

「やっぱ……逃げた方がいいんじゃねえの? あんなん無理だって、どう考えても」

「動きはそこまで速くないはずだ。確かに、どうにかやり過ごすってのが無難かって……お、おい嬢ちゃん?」

 バンダーが戸惑いの声を漏らす。

 その困惑は俺も全く同じなのだ、無理もない。

 どういうわけかマリアがソッと俺の腕を腰からどかし、のそのそと前に出たかと思うとそのまま離れていったのだから。

「お、おいマリア……」

「悠希は……ジッとしてて」

 ボソリと背中に呼び掛ける俺の名前だけを挙げて、マリアはそのままスタスタと岩人間の方に歩いていく。

 ギガロックとか呼んでいたか、巨大な化け物二体も先程のバンダーの攻撃で臨戦態勢に入ったのかドスンドスンと音を立てながら確実に近付いてきていた。

 バンダーも流石に心配になったのか『おい嬢ちゃん、何する気だ』と後ろから呼び掛けるが、基本的にバンダーのことは眼中にないのかマリアは何ら反応することなくそのまま遠ざかっていく。

 そして、特に身構えるでもなく背中に携えた大剣をスッと抜いたかと思うと、全力感なんて微塵もなければフルスイングという風でも全然ない、本当に何気なくといった感じで横一線に振り抜いた。

 刹那、岩の化け物の胴体が真っ二つに分断され、その場に崩れ落ちる。

 そのままバラバラになり、動く気配もなくただの地面に転がった無数の岩と化していた。

 マリア……いや、マリアちゃん…………いやいやマリア様。

 何その歴戦の勇士みたいな格好良い感じ、半端ないんですけど。

「おいおい……あれを一振りって、何者なんだこの嬢ちゃん」

 別段大した手間でもなかったと言わんばかりに右手に持った剣を背中に戻し、スタスタと戻ってきて俺の後ろという定位置に戻るマリアを横目に俺とバンダーは唖然呆然の間抜け面で顔を見合わせるしかない。

「まあ……実は俺も超絶ビビってるけど、こいつは元々フリーの戦士だから強いんだ。何せ巨人を倒してくるぐらいだから」

「き、巨人ってお前……本当に何者なんだよ」

 バンダーもドン引きである。

 女の子なのに、可愛いのに、スタイル良いのに、何であんなことが出来るんだろうね。

 この世界の戦士ってのはマジで凄いわ。

 リリやソフィーみたいなのとばかり冒険してたせいで余計にそう思っちゃう部分もあるんだろうけど……それでもすげえって。

「率直言葉もないぐらいにびっくりしてはいるが……時間も限られているし、とにかく行くとするか」

「うん……そうしよう」

 なんだか微妙な空気はきっと『深く追求しない方がいい気がする』という男二人の共通認識のせいだろう。

 これ以上トンデモ武勇伝を聞かされたところでもう頭が現実に追い付いてくれないから。

 同じ人間として接することが出来なくなりそうだし、聞かない方が幸せなこともあるさ。

 そんな雰囲気のまま、打って変わって緊張感が失われた足取りでトボトボと更に奥へ進んでいくことに。

 幸いにもそれからは化け物が現れることなく平穏……とは言い難いがとにかく、岩の山を十分ほど歩いた頃、ようやく一本道の出口へと到達した。

 ゴツゴツとした大小様々な岩があちこちに転がる高低様々な凹凸だらけの道が左右に続いている。

 言うまでもなく俺に正しい道なんて分かるわけがない。

「で? どっち行けばいいの?」

 というわけでバンダーに聞いてみる。

 それに関してはこの男に頼るしかない……のだが、何故かスカシ野郎は求めていた回答を口にすることなく肩を竦めるだけだった。

「ご期待に添えなくて悪いが、この奥って所までしか俺も知らねえ。何せ俺も来たのは初めてだからな」

「はぁ? あんた偉そうに道案内買って出た癖に今になってそんなんありかよ!」

「ありったけの情報を集めてきたんだ、そのおかげでここまで辿り着けたってのを忘れてもらっちゃ困るぜ? 心配しなくともここまで来りゃすぐ見つかるさ、こんな依頼でもなきゃ俺だって近付きたくねえ場所なんだ。そうそう何度もやって来る馬鹿なんていねえってもんよ」

「散々格好付けてたからそこだけはアテにしてたのに……じゃあどうすんだよ」

「二手に分かれるしかなかろうさ。俺が右、少年と嬢ちゃんは左をそれぞれ担当するってことで。そこまで奥に行かなくても見つかるはずだ。どちらが見つけても二人分持って帰ってくること、深入りはせずある程度捜索すれば発見出来たか否かに関わらずここに戻ってくること。本当に長居は危険なんだ、それを互いに遵守するってことでいいかい?」

「まあ、最低限の安全策……か。ちなみにだけど、合流出来なかった場合は?」

「その場合は一旦村に戻れ。互いに探し合ってここに留まったまま時間だけを浪費するのは最も避けるべき状況だ。はぐれた場合、ここでしばらく待っても一方が現れなかった場合はひとまず村で待つ。そうすりゃ一方は安全を確保出来るし、一方は片割れの心配をせずに済む。戻らなければ失踪したか死んだか、その場合の判断は個々の裁量で……ってとこか」

「そこだけえらいシビアだな……」

「無駄な死人を増やすのはお互い願い下げだろう。期間限定とはいえパートナーなんだ、協力もする、裏切らねえ、襲われてりゃ助ける、そこまでは最低条件だが……生きているかどうかも分からん状態でここに舞い戻れってのは少々無茶が過ぎる。その頃にゃ日も暮れてるだろうしな。そういう意味での個々の判断に委ねるってことだ。それぞれクライアントがいる、つまりは金貰って頼まれたことをやるってのを仕事にしている以上はそれが道理だ。恨みっこなしでいこうや」

 じゃあな、精々死ぬなよ。

 そう言ってバンダーは右側の道へと勝手に歩いていってしまった。

 別に俺達は金貰って来たわけではないんだけど……でも確かに、この世界でのこういう人種の在り方というのはそういうものなのかもしれない。ということだけは何となく分かる。

 そうやって生きる糧を得ているのだ。危険を承知で、戦って、何かを成し遂げる。それによって報酬を得て、その金で生活する。それはあのリリやソフィーの傍で見てきたことじゃないか。

「じゃあ……俺達も行くか」

 腹を括れたかどうかはまだ明確に断ずることは出来ないが、それでも先に進むことを選んだ。

 花を取って帰りたいとか、王女がどうとか、そういうのはほとんど頭になくて、何となく……これがこの世界の在り方であるならば怖がって逃げることばかり考えていては日本に帰るという目的を果たせない気がした。ただそれだけだ。

 マリアは無言でコクリと頷き、俺の横に並ぶ。

 そうして左側の道を進むことになった俺達はあまり話も弾まない状態でとにかく歩いた。

 会話が少ないのはまあ……マリアの性格も原因の一つなのだろうが、何よりも俺が必死だったことが大きい。

 岩が散乱している道は足場が悪く、踏み外さないように気を付けたり大きな岩を登ったりしなければならないのだ。楽しくお喋りする余裕なんてそもそも無い。

 放っておくとマリアは先に行ってしまうので今や手を繋いでる状態で、俺はその手を離さない様にするだけで精一杯だ。

 一人だけ息も切れてないし、身長ぐらいある高さの岩に軽く飛び乗って行っちゃうし、ほんとこいつどんな身体能力してんだよ。

 途中で岩の隙間からアナコンダみたいな大蛇が現れたりもしたが、俺が絶叫している横でマリアが追い払ってくれたため特に被害もなく岩山をやり過ごして今に至る。

 さっきみたいに剣でぶった切るとかじゃなく普通に睨んだだけで蛇の方が逃げていったからね……おかしいだろ、そろそろマジで。

「やっとまともな足場がある道になったな。しっかし、お前ほんとすげえなぁ。怖いとか思わないの?」

「……怖い?」

 何が怖いの?

 という意味のキョトンとした顔を浮かべていることが仮面越しにも分かる。

「俺が元々住んでた所にはああいう化け物ってのは一切存在しないんだよ。だから俺はいちいちビビっちゃうわけ。言い訳みたいで格好悪いけどさ、マリアはすげえなって話だよ」

「悠希の方が……凄い。ご飯、作れる」

「そんなん凄いことじゃないって。お前等を見てると、自分の身も自分で守れないってのは情けないことだなーって思うし。マリアに守って貰わないと花も摘みに来れないんだから」

「大丈夫……マリア、悠希守る」

「そりゃ助かるわ。どう頑張っても俺はあんな岩の奴とかに勝てねえもん、代わりに俺がマリアの胃袋を守るってことにすりゃバランス取れるかもな」

「バランス……取れる」

 どこか満足げに頷くマリアの頭にはやっぱり食べ物の事が浮かんでいるのだろう。

 散々飯係になっていることに不満を漏らしていた俺だったが、命を守って貰って飯で済むなら御の字過ぎるよな。本来なら多分マリアにギャラ払わないといけないぐらいだろうに。

 レオナですら百万貰っても嫌だとか言ってたぐらいだしな……とはいえ、マリアにとってはいつまで経っても俺は食料確保のための人員らしい。

 まあ、喜んで食べてくれるならそれでいいんだけど、そんなことは今はいいとして。

 これってどこまで進めばいいんだろうな。そう問おうとした声を寸前で飲み込む。

 首を横に向けると隣を歩いていたはずのマリアはおらず、少し後ろで立ち止まり真上を見上げていた。

「マリア? どうした?」

「多分……あれ」

 スッと右腕を上げ、指差した先にあるのは変わらず崖みたいな岩壁だ。

 しかし、目を凝らしてみると確かに何らかの草だか花だかが生えているのがうっすらと見える。

 無機質な岩に囲まれた空間にあるそれはどこか異質さを感じさせた。

「え? あれなの? ていうか何で分かんの?」

「……昔住んでた所にも生えてたから、匂いで分かる」

「マジか、お前鼻良すぎんだろ。つーか……あんな所に生えてたら取れねえじゃねえか」

 見上げる崖の高さはどう考えても七、八メートルはある。

 多少の凹凸(おうとつ)はあれど、流石に上まで登るのは不可能だろう。

 と、思ったのだが、

「……取ってくる」

 マリアはボソリと呟いたかと思うと、ぴょんと飛び上がる。

 本当に何気なく、それでいて思いも寄らない身軽さで華麗にトントンと壁と壁をステップして二本の足だけで崖を駆け上っていく。

「なんじゃありゃ……」

 人間業じゃねえだろこれ。

 ほぼ垂直の壁だぞ? 

 なんであんな簡単に登っていけんの?

「やっぱあいつ只者じゃねえわ……助かるけどさ」

 ドン引きしつつも待っているしか出来ない無力な俺だった。

 とはいえすぐに上まで到達したマリアはガサガサという音だけを俺に伝え、一分もしないうちに戻ってくる。

 手には二十本ほどの月光花らしい花の束を抱えていた。

 なるほど、流石こんな所に取りに来なければならない程に貴重で、この世界ならではの植物ということもあって意味不明なぐらいに神秘的な花だ。

 なんかもう花びらがレインボーだもん。

 赤、水色、黄色、白みたいになってもん……こんな植物があってたまるか。

 とまあ、心のツッコミは留まることを知らないがそれでも、

「よっしゃー、これで王様の依頼は達成だー!」

 思わず叫ぶ。

 あのエリートレオナですら嫌がる無理難題を成し遂げたんだ! 

 俺何もしてねえけど……終わりよければ全て良しだろ?

「マリア、マジでありがとな。お前がいなかったら確実に無理ゲーだったよ」

 さも何てことのない仕事だったと言わんばかりにしれっとしているマリアから花束を受け取るのと交換で頭を撫でてやる。

 やっぱり仮面のせいで表情は見えないが、無抵抗でジッとしている辺りキモがられてはいないと信じたい。

 何はともあれこれで目的は達成した。

 こんな物騒な場所に長居もしたくないしサッサと帰ろうぜ。

 不覚にも気が抜けて、何気なくそんなことを口にした時だった。

 突如地面が揺れる。

 震度にしてどのぐらいか、相当の大きさで立っているのに苦労するレベルだ。

「な、なんだよこれ」

「悠希……動くの、駄目」

 パニック状態に陥る俺の腕をマリアが掴んだ。

 それだけではなく、どういうわけか右手で背中の剣を抜いている。

 何が起きているのかもさっぱり分からず言われた通り出来るだけ動かずに、そしてマリアの傍を離れないように揺れに耐えること数秒。

 ビクビクしていたせいで実際よりも随分と長く感じた地鳴りと地震の両方が治まった。

 怖くて仕方がなかった俺は勘弁してくれよと言わんばかりに不快溜息を吐くが、対照的にマリアは未だ巨大な剣を片手に一方向を見たまま動かない。

 どうした? 

 なんて暢気に問い掛けようとするも、声になる前に消えていく。

 直後に響いたドスンドスンという奇妙で物騒な複数の音が原因だった。

「な…………」

 目の前にいるそれ(、、)に視線を固定したまま、咄嗟に動くことも出来ずに言葉を失う。

 見据える先、大きな岩の影から現れたのは過去最上級の化け物だった。

 体長三メートルはあろうかという巨大な、全身が黒い体毛に覆われた人型のゴリラみたいな化け物だ。

 いかにも筋肉質な体はそれだけで狂暴性を感じさせ、分厚い胸板や一発殴られただけで即命に関わりそうな太い四肢。

 それだけでもチビりそうなレベルの恐怖だというのに、手には重量感が半端ない巨大な斧が持たれており、地面を引き摺るように下向きで持つ姿が余計に物騒さを増長させている。

 そんな絶叫も忘れてしまう程に恐ろしく、生命の危機を感じてしまう様な怪物が五体、大きな足音を響かせガリガリと斧で地面を削りながら近付いて来ていた。

「な、なんだよあれ……絶対やべーだろ」

「悠希……あれは、ちょっと強い。マリア、片付ける。悠希は危ないから、先に戻ってる」

 涙目で絶望の声を漏らす俺に対し、マリアは俺の腕を離し一切の動揺を感じさせないいつも通りの声音でそんなことを言う。

 むしろ少しぐらい焦ったり取り乱したりしてくれた方が多少安心も出来るのではないかと思ってしまう程に、普段と変わらぬ抑揚のない口調だった。

「先に戻れって、お前一人であんなんとやり合う気かよ……無理だって、絶対やばいって、一緒に逃げよう、早く」

 震える声で言うも、マリアは小さく首を振るだけだ。

「逃げても、駄目。絶対に……追い付かれる」

「だからって……」

「マリア一人なら、問題ない。戦ってる間……危ない。だから悠希、先に戻ってた方が二人とも安全」

「でも……お前一人残していくなんて出来ないだろ」

 マリアはもう一度首を振る。

「マリア、強い。だから……平気」

「…………」

 返す言葉がない。

 俺だって馬鹿じゃない、マリアが言わんとしていることは分かっているつもりだ。

 こいつ一人ならどうにかなるってんだろ?

 俺がいたら邪魔だって、遠回しに言ってくれてんだろ?

 そんなの分かってんだよ! 俺が足を引っ張ったら無事なもんも無事じゃなくなるって言いたいのはよ!

 俺にマリア一人を残していく度胸と覚悟があるかどうか、ただそれだけだ。

「早く、行く」

「絶対に……無事に帰って来るんだな? 約束だな?」

「ん……約束」

「破ったら、ご飯抜きにしちゃうからな」

「ご飯、いる。だから……すぐに追い付く」

 躊躇いはある、当然だ。

 それでも歯を食いしばり、一人で助かるぐらいなら二人で死んだ方がいくらか上等なんじゃないかと思う気持ちやそんなことも出来ない情けない自分への苛立ちをどうにか押さえ込み、ゆっくりと後ずさり背を向ける。

 そして絶対に戻って来てくれよと祈り、痛い程に握った量の拳を振わせながら一目散に来た道を全力疾走で戻って行った。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] うーん。いや異世界に慣れてないっていうのはあるだろうけど流石に考えが足りなさすぎないか、って思ってしまう。
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