【第二十七話】 お兄さんは山にシバかれに、お姉さんも山に鬼退治に
突然振り返ったジュラとリンリンは真っ直ぐに森の奥を見据え、警戒心を剥き出しにしてジッと動かないでいる。
隣に立つハーフ蛇女状態のジュラの鋭い目、そしてリンリンの唸り声も含め、その雰囲気は誰がどう見ても何かの気配に気付いたと言わんばかりだったが『どうしたの?』と聞くよりも先になぜか俺の頭はジュラに押さえ付けられていた。
「伏せな!」
頭上で大きな声が響く。
伏せなと言われても無理矢理頭を押さえ込まれているので自動的にそうなっているわけだが、何が何やら分からない状態のままに続けて聞こえてきたのはグシャっという破壊音と地震でも起きたのかと思わされるような地面が震動する音だった。
そうなってようやく頭が解放される。
一体どういうことなのかと慌てて音がした背後を見てみると、なぜか鬼が持っていたゴツイ棍棒が一本の木にめり込んでいた。
「な……なんで?」
傍で眠っている上にガチガチに縛られている鬼の横にはちゃんと棍棒も転がっている。
なのになぜアレと同じ物が飛んで来るというのか!
というか伏せろってお前これ俺に向かって飛んで来てたってことだよね!?
「余所見してんじゃないよ。死にたいのかい」
戸惑い愕然とする俺への気遣いなど微塵もない叱責もついでに飛んでくる。
咄嗟に体の向きを戻すと、奥にある木の陰からこちらに向かってくる二つの影が目に入った。
その姿に、更なる愕然と絶望感が湧き上がる。
たった今やっつけたばかりの緑の鬼が二体、それこそ鬼の形相で近付いてきていた。
「おいいいいい! なんで鬼が増えてんだよ! 三体になってんじゃねえか!」
その方向を指差し、無様にも取り乱す俺の頭は混乱の二文字に埋め尽くされていく。
対照的に冷静さを維持している様子のソフィーは腰に手を回し、ナイフのような短剣のような武器を取り出しながら、静かに言った。
「まさか仲間がいたとは驚きましたね~。こうなってはさすがに不味いので悠ちゃんは下がっていてください~」
「だ、大丈夫なのかよ……」
「大丈夫じゃないと言ってしまっては生業として成り立ちませんからね~。どうにか頑張るしかないって感じです。万が一の時は私達に構わずすぐに逃げちゃってください~」
こちらを見ることなく、ソフィーは一歩前に出てジュラに並ぶ。
あんな化け物を更に二体、同時に相手にしようというのか。
それでいて二人揃って少しも焦ったり慌てたりしないのだから魔物使いという存在、この世界でいう戦士という存在の凄さを思い知らされる。
そんなことを考えている間にすぐ目の前まで接近した鬼達の片割れにリンリンが襲い掛かった。
再び力尽くで押し倒そうと飛び付くリンリンだったが向かって左側、すなわち先程飛んできた棍棒を投げたと思われる方の鬼も負けじと両腕で押し返し、がっつりと組み合いながら互いに牙を剥き息を荒げている。
そしてそんな仲間の姿に触発されたのか、もう片方の鬼も唸り声を上げながらこちらに突進してきてしまった。
やべぇ! 超怖ぇ!
それ以外の感情が見つからない俺の心の声を知って知らずか、目の前ではソフィーとジュラが迎え撃つ体勢を取っている。
大木をも拉げさせる程のデカさと重量を持つ棍棒を振り回す鬼の攻撃を左右と後方へのステップを織り交ぜて躱す二人は反撃の隙を作るためか鬼の両サイドに別れ始めた。
そして鬼原人の視線がソフィーへと向けられた瞬間、すぐさまジュラが背後から襲い掛かる。
しかし、一体目と同様に噛み付いて眠らせようとしたのか、蛇の体になった下半身で巻き付き首元に顔を近づけたその時、棍棒を持っていない左腕を後ろに伸ばしたかと思うと鬼はそのままジュラの肩口を掴み背負い投げの如く投げ飛ばしてしまった。
勢いよく地面に叩き付けられたジュラは軟体と化した体のおかげで受け身こそ取ってはいたが、それでも苦しげな声を上げ地面を転がる。
更に悪いことに鬼は残ったソフィーへと血走った目を向けていた。
すぐに短剣を構えるソフィーだったが細く短い武器であの棍棒に対抗出来るはずもなく、二度三度と振り下ろされる攻撃をどうにか避けたものの四度目の一撃がまともに直撃する。
短剣を盾にしてはいたが、腕力差と重力差に耐えきれずソフィーはそのまま後ろに倒れ込むと同時に身を守る短剣も容易く弾き飛ばされ、その手を離れていた。
鬼はじわりじわりと、背中を打ったのか息を詰まらせたまま動けずにいるソフィーに近付いていく。
ジュラはすぐに助けに入れる状態ではない。
リンリンも別の鬼と揉み合っていてどうにもならない。
そして言わずもがな、尻を突き後退るソフィーにも対抗の術はない。
「おいおいおい……」
これヤベェんじゃねえのか……どうすんだ。
俺が助けに動かないと駄目なんじゃないのか。
でも、だからといってノーマル人間の俺に何が出来る?
「そんなもん……今更になって冷静に考えてる場合かっての」
助けられるかどうかも、何が出来るかなんてことも、考えてる暇なんざあるか!
どちらの疑問に対してもネガティブな答えしかなかったとしても、何もしないという選択肢も一人で逃げるなんて決断も出来るはずがない。
そう思うと同時に、勝手に体が動いていた。
勢いと根性でどうにかしてやると言わんばかりに、リリの時と同じ半ばヤケクソ状態だった。
「ソフィーに手ぇ出すんじゃねぇクソ野郎ぉぉぉぉ!!!!!」
叫びでもしないと精神が持たない。
そのまま突進した俺は作戦も戦術も何も無く、ただ全力で突っ走って全力で飛び上がって全力で跳び蹴りをかました。
人生における最大の勇気と男気を見せている瞬間であることを確信出来てしまう渾身のライダーキックは、しかしながらあっさりと受け止められる。
防御なんてそれっぽい展開などでは一切なく、ただ空いてる腕でキャッチされるという残念極まりない格好で。
宙に浮いた体が一瞬静止した。
かと思うと、俺の視界はぐるりと上下が逆転する。
そして肉食獣さながらの咆哮が耳を劈いた瞬間、鬼は掴まれた足首を振り回し勢いよくブン投げられていた。
もの凄い早さで鬼の姿が遠ざかっていく。
気持ちの悪い浮遊感はすぐに恐怖へと代わり、こんな速度で飛んでいっては受け身なんか取れるわけがないと理解した時には全てが手遅れだった。
「がはっ……」
背中に激痛が走る。
地面に叩き付けられたわけでもないのに何故そうなったのか、それは目の前に棍棒が現れたのを認識すると同時に理解した
そのまま木に叩き付けられた。それが現実に俺の身に降り懸かった全てだ。
見えている棍棒は先程投げ付けられた鬼の持っていた物だろう。
同じ木にぶつかったということは少しずれていればあの棍棒に直撃していたということ。
まさに九死に一生、そう言っても過言ではない状況だったということだ。
「悠ちゃん!」
ソフィーが俺を呼ぶ声がする。
背中を打ち付けたせいで呼吸が詰まり、答えることは出来ない。
意志を行動に反映させることが出来ず、俺の体はずるずると木を伝い地面に落下する。
背中の痛みは一過性のものではなく、治まるどころか増していた。
そして悪いことに、痛みと恐怖で動けない俺の目に映ったのは絶望的な光景が展開だ。
大木が今の衝撃に耐えきれなかったらしく、棍棒が刺さっている位置からへし折れ倒れてきている。
どう考えたって怪我で済む重さではないだろう。
寝っ転がったまま動けもしない状態で、そんなことだけは冷静に分析出来てしまう。
あ、これ死んだんじゃね?
なんて諦めの気持ちが湧き、色々と後悔や無念が浮かんでは消えていく。
しかし目前に迫る大木を認識しながらも為す術無く頭を抱えてギュッと目を閉じる俺だったが……二秒三秒と経っても体に何かが触れる気配がない。
何がどうなっているのか。
気になる気持ちよりも怖さが勝り目を開く勇気を持てない俺に自ら塞いだ視界を取り戻させたのは、続けて聞こえてきた羽音だ。
バサバサと、絶えず耳に届くそれには確かに覚えがある。
開いた目の先にあったのは、予想通りの姿と予想外の光景の入り交じったものだった。
枝の一部を掴んだポンがその状態で羽ばたいている。
重さを感じないポンが大木を持ち上げることで俺を助けてくれていたのだ。
助かった。
それは間違いないのだろう。
位置からして背中になるし、よく考えれば死ぬまでのことにはならなかっただろうけども、それでも骨折とか、想像したくはないが内臓破裂だとかという怪我を負っていた可能性は大いにあった。
ソフィーの言い付けがあったとはいえ、その危機から俺を助けに来てくれた事自体には感謝もしよう。
だけど……そんなことやってる場合じゃねえだろう!
「馬鹿野郎! 俺のことなんか放っておいていいからソフィーを助けろ!!」
思わず叫んでいた。
未だピンピンしている鬼は棍棒でソフィーに襲い掛かっている。
どうにか木々の間をすり抜けることで躱してはいるが、どう見たってそれも時間の問題だ。
「ぐぇ……」
俺の声に驚いたのか、ポンは慌てて掴んでいた木を放し飛び立ってしまう。
それによって体の真上ぎりぎりの位置で止まっていた木は動きを取り戻し、俺の背に落下した。
一度落下を止めているのだ、衝撃や痛みなんてほとんどない。
とはいえ大きさに比例した重量はあるわけで、結果的に重い重い大木が乗っかっていることで俺は身動きが取れなくなっていた。
うん、いや、放しちゃうのはいいんだけどさ……せっかく一回掴んだんだから俺をよけて落とせよ。
なんて愚痴は誰に届くこともなく、どうにか木をどかそうとジタバタしている前では一気に戦況が変わっていく。
まず飛び立つなり姿を消したポンが戻ってきたかと思うと、どこで拾ってきたのか馬鹿デカイ石をソフィーを襲っている側の鬼の頭に落とし気絶させたのだ。
そしてそれを受け、すぐにジュラがリンリンの加勢に向かうと二対一の状況を上手く利用し、ほとんど一体目同様の戦法であっさりと片を付けてしまっていた。
俺が動けなくなってから僅か数十秒。
すでに三体の鬼は漏れなく倒れ、気を失っている。
結局のところ俺は何の役にも立たなかったが、ソフィーとジュラ、リンリン、ポンのチームワークや強さ、経験値が物を言ったということになるのだろう。
鬼だの巨人だのという存在に対する驚きは一生消えないだろうし、いつまで経っても慣れるものではないが、あんなゴリラみたいな恐ろしい鬼を三体もやっつけてしまうのだからやっぱりこの世界で戦士を名乗る人間ってのは凄いもんだ。
とまあ、そんな感想を抱いている間に俺も解放され、鬼を縛る作業を手伝うことに。
やや背中に痛みは残っているが、打撲以上の症状は特になさそうだ。
少ししてそれが終わると三匹の鬼を引き摺って山を下りる。
勿論運ぶのはポンの役目だ。
前回以上に同行した意味もなさげな上に今回も今回で怖い思いに加えて痛い思いもしたけど、皆が無事に帰れるならそれが何よりかな。
最後にしみじみと感じる鬼退治の冒険だった。
☆
「「いただきまーす」」
元気な二つの声が店内に響く。
場所は帰る途中で寄った見知らぬ町の肉料理店で、声は俺とソフィーのものだ。
あれから三匹の鬼を縛ったまま持ち帰った俺達はそのまま依頼主でもある村長の家に向かった。
当初の話と違い三匹に増えていたことに村長自身もとても驚いていたし、加えてこちらが気を遣うぐらいの大層な謝罪の言葉を述べながら頭を下げられたりもしたが結果的に依頼はちゃんと果たしたということで報酬を受け取り、そのまま村を後にする。
お詫び代わりということで飯代を追加で貰っちゃったりもしたのでちょうど風蓮荘への道すがら通過する町に寄り、全員で打ち上げも兼ねた早めの晩飯を取ることにした次第だ。
俺も約束通り報酬から四万ディールと交通費として貰ったお金を頭数で割った二千ディールを受け取ったので四万二千ディールの収入を得ている。
日当と考えれば随分な額だが、相応の危険があってのことだし大金ゲット出来てラッキー♪ と素直に思えないのが難儀なところだ。
目の前には肉料理屋というだけあってさぞ美味そうな豚肉のステーキと米が並んでいる。
ソフィーが労いと俺にと奮発してご馳走してくれるとのことだし、空腹も限界に近いとあって思わずよだれが出そうなぐらいの良い匂いに思わず顔も綻んでいた。
ソフィーはソフィーで帰り道からご機嫌なご様子で、ずっとにこにこしている。
頻繁に仕事が貰える立場じゃないって話だし、こうして一仕事終えてギャラも貰うことが出来たのだからそれも当然なのかな。
達成感とか満足感とか、そういうものがあるのだろう。
「んまし!!」
一口目を味わった瞬間、無意識に大きな声が漏れる。
肉も軟らかいし、厚みもあるし、にんにくっぽいソースも含めてめっちゃうめぇ!
さすが肉料理を専門に出している店だけはある。
日本でもそうそう食べたことのない絶品具合に感激だ。美味しいステーキってのは牛肉ってのが相場だと思っていただけに余計にそう感じる。
目の前に座るソフィーも頬を押さえて幸せそうに食べているし、ジュラは相変わらず淡々としているが……まあ、疲れも吹っ飛ばしてくれるご馳走ってのもいいもんだ。
リンリンも足下で【魔物用肉】とかいうワケの分からんメニューを頼んでがっついている。
一体なんの肉なんだろう……。
知りたいような聞きたくないような、複雑な乙女心を抱きつつチラッとテーブルの下に視線を落としていた時、ジュラの手がこちらに伸びてきた。
かと思うと、なぜか肉を二切れ自分の皿から俺の皿に移している。
「ん? 何やってんだ?」
意味が分からず、普通に尋ねてしまっていた。
ちなみに山を降りると同時に完全な人間の姿に戻っている。
「腹が減っているんだろう。この間の礼とでも思っておけばいい」
「お、おう。サンキュー」
そっぽを向かれたため怒っているように感じてしまって若干戸惑ったが、肉を分けてくれるというならありがたく貰っておくとしよう。
まあ機嫌が良さそうなジュラとか見たこともないし、これがこいつの素なんだろうなきっと。
「うふふ、では私も悠ちゃんにお裾分けさせてください~」
「へ?」
なぜか反対側からもフォークが伸びてくる。
言葉のまんま今度はソフィーが自分の肉を二切れ俺の皿に移していた。
「くれるなら食べちゃうけど、なんでソフィーまで?」
よく分からない流れに首を傾げる俺と一層にこやかになるソフィー。
俺ってばそんなに幸せそうな顔してた?
「ジュラと同じで、普段のご飯のお礼と今日のあの一言が嬉しかったお礼ですよ~」
「一言? って……どの?」
「分からないならそれでもいいんです。だから、悠ちゃんはそのままでいてくださいね」
「……はあ?」
それ以上、ソフィーは何も言わない。
何が何だかよく分からんまま、美味い肉をたらふく食って店を出たのち今度こそ風蓮荘に帰るのだった。