【第十五話】 掃除をしろぉぉぉぉ!
4/3 台詞部分以外の「」を『』に統一
散歩から帰って間もなく、ルセリアちゃんとポンが部屋に帰っていくのを見届けた俺は一人キッチンで頭を悩ませていた。
なんのことはない。ただ昼飯をどうしようかというだけの悩みだ。
洗濯をして、散歩にいって、風呂掃除もした。
日頃の生活からは考えられない午前中の体力の消費具合に空腹もそこそこである。
とはいえ食料はパンしかないわけだが、朝も昼もトーストというのはいかがなものか。
やっぱり買い物行かなきゃ駄目か~。
かといってここからもう一段階徒歩で体力を使わされるって勘弁して欲しいな~。
いやでも結局晩飯の買い出しには行かないといけないしな~。
と、椅子にも座らず突っ立ったままあれこれ葛藤しまくった結果渋々カルネッタに行くことを決めた時だった。
「うおっ!」
玄関に向かうべく振り返った瞬間、目の前にいたその人物の存在に反射的に仰け反る。
いつからそうしていたのか、なぜかマリアが真後ろに立ってジーッと俺を見ていた。
「お、お前……いつからいたんだよ」
「結構……前」
「だったら声掛けるとかしろよ。全然気付かなかったし、普通にびっくりしたわ!」
情けない声を出した上に全力でビクついた格好悪さを誤魔化すために思わず声を荒げる。
しかしマリアはきょとんと首を傾げるだけだ。
ポンやルセリアちゃんもさることながらこのマリアも中々に意思疎通の難しい奴である。
台詞の字面だけ見ればルセリアちゃんと似通っていて区別が付きにくいが、実際に向かい合って会話をしてみると全然違う。
精一杯言いたいことを伝えようと頑張っているのが分かるし、喜怒哀楽も表情に出ているルセリアちゃんとは対照的にマリアは常にボソボソと喋るし表情がほとんど変化しない。
感情どこかに忘れてきたの? と言いたくなるぐらいに無表情で、きょとんとしてるか眠そうにしているパターンぐらいしか変化を見たことがないといっても過言ではないぐらいだ。
とはいえ『何で怒ってるの?』と言わんばかりに無言で首を傾げられたところで自分がビビったからだなんて説明をすると余計に格好悪いし、さっさと話を進めるが吉っぽいなこれ。
「ゴホン、まあ俺の話はいい。で、どうした?」
「悠希……大変」
「何が大変なんだ?」
やっぱり表情にも声色にも変化はないため言葉ほど危機感は伝わってこない。
「ご飯……無い」
「はい? 食い物がないってことか?」
マリアはこくりと頷く。
この家に食料がないことなんて昨日から分かっていたと思うのだが……。
「そりゃお前……買うなり作るなりしないと無いんじゃないの?」
「……悠希のご飯」
「俺は今から買い物に行こうと思ってたところだけど……」
「…………(じー)」
「な、なんだよ」
「マリアも、食べる」
「うん、いや、食べれば?」
「違う。悠希のジャーハン」
「炒飯な。じゃなくて、待て待てお前」
「…………?」
「それ今日の飯も俺に作れって言ってんのか?」
マリアはやはり黙ったまま頷く。
どうやらここの住人は俺がただの管理人であることを分かっていないらしい。
ことマリアに至っては飯作ってくれる人ぐらいの認識しかないんじゃないかこれ。
ならば全力でふざけるなと言いたい。今度こそ間違った認識を正してやらねば。
「いいかマリア。俺は管理人であって家政婦じゃねえんだぞ?」
「……かせいふ?」
「伝わらないか……えーっと、分かりやすく言うと何だろう。宮殿とかあるからあれか、ようするに侍女的なことだよ」
どうにか少ない知識の中から言葉を選んでみる。
そんな説明は我ながらナイスチョイスだったらしく、マリアは僅かながら納得したっぽい顔をした。
「マリアも……次女」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
全然伝わってねえじゃねえか。なんの顔だったんだよ。
「何が言いたいかというとだな、俺はあくまで管理人でしかない。しかも安い家賃しか貰ってないとくれば自腹を切ってまでお前達にタダ飯を食わせる義理も金もないってわけだ」
ピザトーストでいいというなら作ってやらないでもないが、エンゲル係数抑制ミッションを己に課したばかりの俺に貧乏住人達を食わせてやる金銭的余裕などない。
ただでさえ食ってるか寝てるかのこいつの代わりに家事をやっているだけでも若干不満なだけに尚更だ。
マリアもようやく言わんとすることを理解したのか、数秒俺と目を合わせたまま目をパチクリしたのち何かに思い至った様に掌を拳で叩いた。
「……お金、あればご飯食べられる?」
「そりゃ俺だって金を貯めないといけない身だし、相応の対価をもらえるなら自分の分のついでに作ってやるぐらいのことはやぶさかじゃないけど……」
「来て」
そう言ったかと思うと、マリアは俺の腕を掴んだ。
そのままダイニングの外へと引っ張っていく。
「おいマリア? どこ行くんだ」
「……部屋」
振り返ることなく、マリアは廊下に出たかと思うとすたすたと階段を上っていく。
腕を掴むんじゃなくて手を繋いでくれればテンション上がるのになぁ。
というもどかしさは、引っ張られるまま下から階段を上っていることで目の前にある見えそうで見えない短いスカートの中身に全神経を持って行かれて一瞬で頭から消え去るのだった。
そのまま廊下を少し歩き、辿り着いたのは昨日も挨拶のために訪れた二番目の部屋だ。
マリアはそのまま扉を開き、中へと入っていく。
しかし、飯を作れと宣うならば払うもん払ってもらおうじゃねえかという俺の言い分に対してなにゆえ部屋に案内するのだろう。
それはもしかするともしかして……体で払う的なことではなかろうか!
高鳴る鼓動と知的欲求を胸に扉を潜ると、その先にあったのは全てを台無しにする光景だった。
「…………」
急激に気持ちが冷めていく。何なら俺の興奮を返せと小一時間説教したいぐらいだ。
狭いのはアパートの性質上仕方がないのかもしれないが、心躍る通算二度目の女子の部屋は到底若い女の子のものとは思えない残念な姿をしていた。
擬音で表現するならば『どちゃ~』という感じ。
黒いカーテンを閉め切っているため薄暗いし、ほとんど床が見えないぐらいにあらゆる物が散らばり積み上げられている。
例えば脱ぎ散らかした衣服。
例えば空の瓶。
ベッドの上には何枚もの羊皮紙が散乱していてお前これどこで寝てんの? というレベルである。
壁にはゲームの中でハンターが背負ってそうな馬鹿デカい剣が立て掛けられているし、床にもナイフの様な短剣の様な刃物がホルダーに入ったままいくつも転がっていた。
「お前……もうちょい綺麗にしろよ、仮にも女の子の部屋なんだから。男の夢を壊すな」
ようやく腕を放されると、心はげんなりに埋め尽くされた状態ながらもはっきりと言ってやった。
「片付けは……苦手」
「だからといってこれはあまりにも酷いぞ。よし、明日片付けしようぜ。俺も手伝ってやるからさ」
面倒くさがりではあるが、意外と几帳面な俺である。
散らかっていると落ち着かないし、出した物は出しっぱなしにしておきたくないし、自分以外の誰かの仕業であっても目に入っただけで気になって仕方がない。
嫌々でも面倒でもどうにかしないとモヤモヤしたまま過ごす羽目になるし、何で俺がこんなことをと言いながらも代わりに片付けないと気が済まない。
よく面倒な性格してるなぁ。なんて身近な人間に言われたりもするが、この部屋を見て、それでいてマリア本人が綺麗にする気がなくずっとこのままであるのかと考えてしまっては背中がむず痒くなる。
散らかったままで平気でいる奴の気が知れないし、これが普通と思ってそうなマリアの人間性が不可解でならない。
「悠希……掃除する?」
全然気にしていなさそうな当の本人は『やりたかったらどうぞ?』ぐらいのニュアンスでそんなことを言うだけだ。
それはそれでおかしくね? と思わなくもないが、こればっかりは一度気になったらずっとそのままになりそうなので今ばかりは文句も飲み込んでやることに。
「これはあまりにも酷いからな。明日掃除だ、お前もちゃんと朝起きろよ? 起こしにきたら串刺しにされるんだろ?」
そこの大きな剣でそうされるのかと思うと末恐ろしい限りではあるが、リリがやったみたいに扉の前に立たなければ大丈夫だろうか。
「……………………………………頑張る」
「おい、それ絶対頑張れないパターンの返事だろ。寝てたら勝手に部屋に入っちゃうぞ」
「……入っていい」
「まじで? 串刺しにされない?」
リリが言っていた串刺し未遂事件の話も、それ対策のためにおかしな訪問をしたことも当然のこと記憶に新しい。
というか串刺しって本当にあの馬鹿デカい剣でやられたのだろうか。
考えれば考える程に末恐ろしいどころの話じゃないし、どうにか深く考えないようにしてはいるがそもそも自称殺し屋というのがそもそも洒落になってねえってのに。
「……何してんの?」
遠い目をしている隙になぜかマリアが至近距離に詰めていた。
急激に迫ってくるもんだからキスでもしてくれるのかと期待したのも束の間、なぜか首元に顔を寄せると鼻をすんすんしている。
「匂い覚えた……これで大丈夫、多分」
「匂いって、犬かお前は。あとしれっと多分とか付け加えられるとすげー不安なんだけど」
「ノックするから、駄目。勝手に入っていい」
「そういう問題なのか?」
全く意味は分からないけど、本人も寝惚けてるってことだったっけか。
もう一度こくりと頷くだけのマリアを見るに全然安心感とかは無いけど、大丈夫か俺の命。
「それでいいって言うならそうするけど、凶器持って襲ってこられたら俺泣くよ?」
「大丈夫……悠希が死んだら、ご飯なくなる」
「…………」
やっぱ俺そういう認識なのね。
「パンばっかりは、嫌……美味しいご飯を食べると美味しい」
美味しいご飯を食べると美味しい?
何か哲学的な意味を含む言葉なのだろうか。うん、絶対違うよね。
「パンばっかりって、カルネッタにでも行けば飯屋ぐらいあるだろ」
「町は、行かない。出掛けるの……嫌い」
そう言ったマリアはふるふると首を振る。
出たー、溢れんばかりの引き籠もりニート体質~。
将来大丈夫かこいつ、俺に心配されるとか相当まずいレベルだぞ。
「まあ、お前の将来なんて知ったこっちゃないけどさ……それで、美味しい飯を食うためには俺が作るしかないってか」
「そう」
「言いたいことは分かったけどだな、結局ここに連れてこられた意味は?」
この駄目人間っぷりを見せるためにというわけでもなかろうに。
いや、ある意味この部屋のことを知らずに過ごすよりは良かったのかもしれないけどさ……。
今度は何を思ったのか、マリアは一度キョロキョロと室内を見渡し、やがてベッドの足下あたりに脱ぎ捨てられている黒いコートを手にした。
そしてなぜかポケットをまさぐり始める。
「これで……足りる?」
「え……まじかお前」
手渡されたのは取り出した紙幣だ。
しかも、10000ディールと書かれた札が五枚もある。
「足りるどころか多すぎるぐらいだけど……もしかしてお前は貧乏じゃないのか?」
ここの住人は家賃もろくに払えない貧乏女子の集まりだったはず。
にも関わらず一番駄目人間っぽいマリアがなぜその辺に散らかった服のポケットにこんな大金を持ってんの!?
「マリア……貧乏じゃない」
「そうなのか……すげー意外だわ」
だったら何でこんなボロアパートに住んでるんだろう。
やることなすこと不思議だらけな奴だ。
いやいや、理由が何であれこれだけのギャラをいただけるなら何も文句は無いでゲスよ? だって家賃の二・五倍だぜ?
「よし、取り敢えず今日明日ぐらいの飯は俺が作ってやる。あんま料理が得意ってわけでもないけど、精々期待しておくがよいぞ」
高らかに笑ってやると、マリアは特にテンションを変えることなく小さく頷いた。
なんか一人ではしゃいているみたいで少し虚しさが残っちゃったけど、全然気にしてなんかいないんだからねっ。