【第十四話】 聖母ルセリアちゃん
3/26 台詞部分以外の「」を『』に統一
そんなこんなで強制的に朝の日課となったらしい洗濯を終えると、途端に暇な時間が訪れた。
普段なら携帯でゲームでもして暇潰しをするところなのだが、充電する術が無い以上バッテリー切れは可能な限り避けたいので極力触らないようにしているためそれは却下。
そもそもパソコンが無いというのが辛い。
ついでに漫画もないし、テレビもないし、この世界の人々はどうやって暇を過ごすんだろうか。
せめて誰かが相手をしてくれたらいいんだけど、洗濯が終わるなりリリは『日課の鍛錬に励んできます』と、魔法使い風コスプレに着替えて杖を片手に森の奥に消えていった。
勿論のこと召還魔法は試すなと念を押しておいたし、それでなくても昨夜レオナに釘を刺されているのでその点においてだけは心配いらないだろう。
話が逸れたが、つまり今アパートに居るのはマリア一人というわけだ。
あいつ昼までは寝ているらしいし、起こそうとしたら串刺しにされるという情報がある以上は自然に目覚めるのを待つしかない。仮にマリアが起きていたところで相手してくれるとは思えんけど……。
食料も使い果たしてしまったし、早いうちに買い物にでも行こうかと思ったりもしたのだが時刻はまだまだ昼すら遠いぐらいの時間帯だ。
見るからに田舎町っぽいカルネッタの店では行ったはいいけどまだ店開きしていませんでした、なんてことがなきにしもあらずなのでは? と考えた結果もう少し後にすることにした次第である。
日差しが当たってポカポカ気持ち良いし、芝生の上で二度寝ってのも悪くないかな。
大きな伸びとともにあくびを一つしながらそんなことを考えていた時、突然辺りにバサバサと羽音の様な音が響いた。
そりゃ森の中だし鳥の一羽や二羽いて当たり前なんだけど、何やらアパートの中から聞こえたような気がして建物を振り返ってみると、目に入ったのはまさに二階の窓から一羽の鳥が飛び出して来る瞬間だ。
その光景によって羽音の出所がただの鳥ではなく、頭に角の生えたフクロウであることを理解する。
要するにポンが脱走しちゃったわけだ。
そもそもあいつ部屋の外に出ることを許されているのだろうか。
言い換えれば室内犬ならぬ室内鳥なのかそうでないのかということなんだけど……そうでなかった場合ソフィーに知らせないと不味いんじゃないの?
頭ではそう思いつつも追い掛ける気とかはゼロな俺だったが、そのまま飛び立っていくのかと思いきやポンは空中で方向転換し、どういうわけか俺の方に向かってきた。
頭の中でソフィーに咎められた時用の言い訳を考えている俺の策士っぷりを知ってか知らずか、ポンはそのまま俺の頭に着地する。
そして何をするでもなく、短い付き合いの中で何度も聞いた『ホー』という鳴き声を一つ残した。
「おはよう、っつーかお前何やってんだ? 勝手に出てきていいのか?」
『ホー?』
「…………」
ホー? じゃねえよ。
全然分かんねえよ。
勝手に会話が成立している風に言葉を返してるけど正直最初の一鳴きからして一切意思疎通は出来てねえよ。
そもそもどうしてこう俺の頭に乗りたがるのだろうか。
そこからしてよく分からないが、ツンツンと頭を突かれたのでその疑問の答えは気が向いた時にでも探すことにしよう。
昨日の今日ではあるが、『ホー』の意味は分からずともこの行動の意味は何となく理解した。
例えばパンを寄越せと言っている時、例えば部屋に戻れと言っている時(これはソフィーに教えてもらって初めて分かったことだけど)といったように、何かを訴える時にポンはこれをするのだ。
では今こやつが何を言いたいのかということについてだが、そりゃ全く分からないさ。
ソフィーがいれば分かるのかもしれないけど、パンを持っているわけでもないし、自分から飛び出してきて部屋に帰せと言っているはずもない。
腹でも減ってんのか?
朝慌ただしかったせいでソフィーが餌やり忘れたとか。うん……大いにありそうだ。
勝手ながらそう解釈した俺は仕方なくポンを頭に乗せたままダイニングに向かうことに。
間違っている場合は『そうじゃねえよ馬鹿』と言わんばかりに追加で突かれるのだが、歩き出してなお何もしてこないあたり読みは正かったみたいだ。
「おっ」
丁度アパートの玄関口に近付いた時、慌ただしく扉が開く。
出てきたのはどこか焦った表情のルセリアちゃんだった。
俺を見てホッと胸を撫で下ろしているところを見るに、ポンを追い掛けてきたらしい。
「よっ。おはよー、ルセリアちゃん」
「あ……お、おは……よう」
しどろもどろだし明らかに目を逸らすために俯かれてはいたが、それでもルセリアちゃんは挨拶を返してくれる。
その不安そうな表情はまだ俺への警戒心があるがゆえか、人と接すること自体が苦手であるがゆえか。
いやしかし、その気弱そうな佇まいといい、色白な肌や真っ白な髪によく似合う白いワンピースに麦わら帽子をかぶった格好といい、やっぱり可愛いだけではない神秘的かつ繊細さを含む儚げな美しさを感じさせる。
見た目は俺と似た様な歳だと思うんだけど、ルセリアちゃんって何歳なんだろう。
「ポ、ポン……」
そんなことを考えていたせいで一瞬黙ってしまっていると、小さな声がした。
じろじろ見てしまっていたからか、遠慮がちに視線を彷徨わせるルセリアちゃんの声だ。
「ああ、ごめん。ポンを呼び戻しに来たのか?」
言ってみたものの、ルセリアちゃんは精一杯否定を伝えようとするが如く無言のまま何度も首を振る。
違うのか。ポンって言うからてっきりそうなのかと思ったんだけど、この子も大概意思疎通が難しいな……。
「ソフィア……」
「ソフィー? ソフィーがどうした?」
「ポン……ゆ、ゆうき……散歩」
「……えーっと」
ポン?
悠希、すなわち俺?
散歩?
直前にソフィーの名を上げたことを考えると、ソフィーから何かを言われたということは分かる。
そしてポン、悠希すなわち俺、散歩という三つの単語……つまりはポンと俺と一緒に散歩に行っておいで的なことか?
「えーっと、ポンを連れて散歩に行けってことか? ソフィーがそう言ってたと」
憶測だらけではあるが、今度は当たっていたようでルセリアちゃんはパッと表情を輝かせ、嬉しそうにコクコクと頷いてくれる。
察するに、人型のジュラやルセリアちゃんはともかく獣型のポンやリンリンは普通のペットと同じく外に出してやる必要があるのだろう。
ソフィーがいないとあってルセリアちゃんが引率する役目を仰せつかったものの、気弱な彼女では奴らを従えるのは難しいであろうこともあって俺を一緒に連れていけばいいんじゃない? 的な提案を受けたといったところか。
「ま、俺も暇を持て余してたところだし散歩に付き合うとしますか。あれ? でもリンリンはいいのか?」
「リンリン……お留守番」
「そっか。まあ寝てるだけのマリア一人残していくってのも防犯的にまずいもんな」
むしろ犬っぽいリンリンにこそ散歩が必要な気もするが、ソフィー一家の中での当番というかローテーションみたいなものがあるのかもしれないし俺が口出しするのも無粋か。
「じゃ、行くか。どっか決まったコースとかってあんの? それとも森の中を徘徊するぐらいでいい感じ?」
「そ、それで、だいじょうぶ……」
「ポンもそれでいいんだな」
『ホー』
真意は分からないが、肯定の意味だということにしておこう。
「あ、そうだ。せっかくだからあっちの方に行くか。リリが魔法の練習するっていって向かっていったから途中で会えるかもしれないしさ」
言って歩き出す俺だったが、一歩目を踏み出すとほとんど同時にその腕を掴まれていた。
振り返ると何やら焦った様子のルセリアちゃんがまるで懇願する様な顔で見ている。
「どうしたルセリアちゃん」
「だ、駄目……」
「駄目?」
ルセリアちゃんは小さく、それでいて何度も首を振る。
駄目って、一体何が駄目なんだろうか。
「魔法……使い、駄目……」
元が非力なのか掴まれた腕に力強さは一切感じられないが、か弱い声から必死に何かを訴えようとしていることが分かる。
どうにか理解してあげたくて、精一杯思考を働かせていると頭の上でポンが鳴いた。
それは聞き慣れた『ホー』とは少し違っていて、突かれた嘴による一撃もいつもより気持ち強めであったことが『うちのルセリアをいじめんじゃねえよ』的なニュアンスを感じさせる。
魔法使い、駄目。
二つの単語から憶測を働かせるならば魔法が苦手なのだろうかということぐらいが限度だったが、言葉ではなくリリが居るであろう方向に行こうとしている俺を止めようとしていることを考えればあながち間違っていないのかもしれない。
問題は魔法が苦手なのか、魔法使いが苦手なのか、それともリリが苦手なのかという点だ。
昨日自己紹介をした時の様子までは覚えていないのでリリ自体に苦手意識があるのかどうかまでは分からないけど、いずれにせよそういう事情があるなら俺が汲み取ってやらなければなるまい。
「分かった、大丈夫だよルセリアちゃん。散歩は反対側にしよう」
俯き加減で、怯えているようにすら見えてしまう表情があまりに不憫だったのでどうにか安心させようと柄にもなくさわやかな笑顔と優しさに満ちあふれた声で言ってみる。
若干あざとくなってしまった気がしないでもないが、それでもルセリアちゃんは腕を放しホッとした顔で小さく頷いた。
どうにも複雑な事情がありそうだが、昨日今日会った俺が踏み込んでいいものかどうかも分からないし、無遠慮に踏み込んでみたとして答えるに足る信頼関係を築けてもいないだろう。
下手にこれ以上嫌な思いをさせたくないし、今は触れずにいよう。
そう決めて、二人と一羽でリリとは反対側の森の奥へ向かって歩き出すのだった。
☆
アパートを少し離れるとどこまでも続いているのではないかと思わされるほどにどこまでも森一色の景色が四方八方の全てに広がっている。
静かで、日本の山や森とは違った綺麗さがある、まさにザ自然という感じだ。
「おいポン」
ルセリアちゃんが自分から喋ってくれないのであまり会話もない中、沈黙が若干気まずくなってポンに話し掛けるという逃げ道に辿り着く残念な俺。
それでも『んだよ?』的な『ホー』を返してくれるあたりポンも良い奴なのかもしれない。
「昨日も言った気がするけどさ、お前フクロウだろ?」
『ホー』
「だったらお前散歩に行くにしても普通夜に行くだろ。夜行性って特徴を無視し倒すのもどうかと思うぞ?」
『ホー?』
返事はしてくれるものの、あんまり伝わっていないっぽかった。
もう一個疑問をぶつけることを許されるならば俺の頭の何が気に入ったのかも聞いてみたかったのに。
そんな謎コンビのよく分からない会話を隣を歩くルセリアちゃんは微笑を浮かべながら聞いている。
ちなみにではあるが、時折ポンに話し掛けている彼女はどうやらポンと意思疎通が出来るらしかった。
俺と違って完全に会話が成立しているし、思わず聞いてみたところ普通に肯定されたので間違いないだろう。
スノーエルフという存在が人寄りなのかこの世界で言う魔物寄りなのかは俺の知るところではない普通に感心しちゃったぜ。
「あ、おい!」
そんな感じで五分ほど森を進んだ時、急に頭に掛かる負荷が消える。
バサバサと羽音を鳴らしたポンは俺の上から離れ、そのまま空高くへ飛んでいってしまっていた。
「だ、大丈夫」
慌てて追い掛けようと手を伸ばす俺の隣でそう言ったルセリアちゃんは対照的に落ち着いている。
「え、あれ放っておいていいのか?」
「散歩……お、終わったら……戻って、くる」
「ああ、そういうこと」
要するにあれがポンにとっての散歩というわけか。
俺は飛べないから森の中を歩き回ってるだけで散歩してる気分になってたけど、ポンにしてみりゃ文字通り羽を伸ばして初めてそうなるわけだ。
「じゃ、戻ってくるまでちょっと休憩しとこうか。ずっと立ってる意味もないだろうし」
そう言って近くにあった大きな木にもたれ掛かり、腰を下ろす。
すぐにルセリアちゃんも同じ様に傍に座った。両膝を揃えた、行儀の良い座り方だ。
「静かなとこだよなー。空気も澄んでるしさ」
どこを見渡しても相変わらず緑に囲まれている。
何も無いはずの空間なのにこうしてジッとしていても飽きないというか、時間を忘れていつまでもこうしていたくなるような、ただ自然を堪能することが全く苦にならないと思えてしまう不思議。
「ここは……いい森」
「うん、いい森だ」
その会話を最後に、しばし互いが無言のままの時間が流れる。
慣れない肉体労働と寝不足のせいか次第にウトウトし始めていた俺がいつの間にか寝ていたことを知ったのは、意識を取り戻してからのことだった。
「…………ん」
いつの間に眠っていたんだろうかと薄目を開く。
座っていたはずが完全に寝転がっていたらしく、背中からは地面と密着している感覚が伝わってきた。
そしてなぜか目の前にはルセリアちゃんの顔がある。
外見も含め聖母という表現がぴったり合うような温かく、慈しむような優しい笑顔だ。
「ルセリア……ちゃん?」
少しドキっとして、急速に頭が冴えていく。
そこでようやく膝枕をされていることに気が付いた。
「ごめん、寝ちゃってたのか」
頭に残る柔らかな感触が心地よくて、すぐに体を起こすことが出来ない。
ルセリアちゃんは何も言わず、そして表情を変えることなく小さく首を振る。
気にしなくてもいいよと、言葉がなくとも伝わってくるようだった。
「き、気持ちよさそうに……寝てた」
「そっか。それはきっとルセリアちゃんの膝枕のおかげだな」
ルセリアちゃんは少し恥ずかしそうに目を逸らしながらも、決して膝をどけたりはしない。
冷静になってみればこれなんて楽園? 状態だよな今の俺。
いっそのことしばらくこのまま堪能させてもらおうかと思ったりもしたわけだけど、見透かした様なタイミングで鳥の声がした。
『ホー』
「なんだ、ポンも戻ってきてたのか。ていうか、俺が起きるのを待っててくれたんだな」
どのぐらい寝ていたのかは分からないけど、待たしていたとなればさすがにいつまでも寝っ転がっているわけにもいかず、惜しみつつも起き上がるとすぐにポンは俺の頭に飛び乗った。
せめてその綺麗な太腿に頬を擦り付けてからでもいいんじゃないかと一瞬迷ったが、それをするとせっかく警戒心を解いてくれつつあるのが台無しになりそうな気がしてやめた。
「よっし、そんじゃぼちぼち帰るとするか」
あくびを一つして、立ち上がる。
そろそろ昼も近付いているだろうし、あれこれと次の予定に進むにはいい頃合いだろう。
ルセリアちゃんの無言の頷きとポンの『ホー』が返ったところでやはり二人と一羽で森を後にする。
といっても帰る先も森の中なんだけどそんなことはどうでもよくて、どこか来た時よりも遠慮し合う度合いが薄まったことが分かる雰囲気もまた心地良い。
全てに出会って間もないという前置きが付く環境において、一人と一匹との距離が縮まった気がした昼前の一時だった。