【第百十七話】 早起きは大人への第一歩
「…………ちっ」
うるせえったらありゃしないベルが起床の時を告げる。
いつもと違ってまだ外は薄明るく、日が昇りきっていない早朝に分類される時間帯であることを明確に伝えていた。
何が悲しくてこんなに早起きをせにゃならんのか。
分かりきっている、それもこれも王様の気まぐれのせいだ。
姫様のためなら何だって拒否したりはしないけど、直接のご指名ではなくあのオッサンの思い付きで駆り出されるのだと思うとやる気もテンションも下降する一方である。
ま、アンであれアメリアさんであれ少しでも自分が役に立てるなら身を粉にして働かなければならない立場だと言われればそれまでだけども。
「はぁ~……しゃあねえ、起きるか。面倒くせっ」
頭ではそう思っていても本音は隠せねえさ。
だって素直に眠いもん、普通にだりぃもん。
とはいえいつまでも愚痴っていたところで何も変わらんし、切り替えるとしますか。
てことで渋々起き上がり、キッチンで水を一気に飲み干した。
奴等の朝飯としてパンを焼き、スープを温めればいいだけの状態には昨日の夜にしてある。
俺個人は腹も減っていないのでパス。
サッと顔を洗って着替えりゃいつでも出発出来るので紅茶でも飲んで目を覚まさせるか。
と、茶葉の入った瓶を手に取った時。
浴室の扉が開いた。
奥から現れたのは頭にタオルを掛けてはいても服は着ていないという下着姿のレオナだ。
「あら、おはよ」
「あ~……おはよう」
ちょいちょいこういう予期せぬ遭遇が起こるせいか、今や慣れてしまってレオナも恥じらったり体を隠すことすらしなくなった。
目の保養という意味では間違いなくこの世の最上級だとは思っているのだけど、ある意味マリアのそれより刺激が強いので心臓に悪い。
とはいえそっちがそういうつもりなら改善されても困るのでフリーパスだからといって敢えて凝視しないことで日頃のご褒美を堪能する俺だった。
普段ならナイスセクシーと親指の一つぐらいは立てているところではあるものの、今はもう頭がボーっとしていてそういうテンションでもない。
頭も重いし、なんか目を閉じたらすぐにでも眠れそう。
千円払って二度寝が許されるなら今すぐ払ってもいいレベル。
「どうしたのよ気の抜けた顔して」
「どうしたって……こんな早起きは久々だから眠たいんだよ。しかも行きたくもない場所に行くためにさ」
「そう言わないでよ、直接陛下の御下命を受けるだけでも名誉なことなんだから。普通の人間じゃあり得ないのよ?」
「こんなん強制されるなら普通の人間でいいわ俺は……」
「姫様のためを思ってのことなんだから頑張りなさい、男でしょ」
呆れた顔で激励の、というかもはや叱咤の言葉を述べつつレオナは俺の肩に手を添えた。
かと思うと不意に顔を寄せて来る。
咄嗟の事でこれといって反応も出来ず、やっぱり女の子って良い匂いだなぁとか馬鹿な感想を抱いている俺の目の前数センチでその顔が止まった。
互いの唇が触れ合うことで。
「…………」
「…………」
数秒の静止ののち、やはり予告無くスッと離れていくとレオナは慌てて背を向ける。
え? ちょっと待って?
今こいつ何した?
口と口がくっついていたよ?
ちゅーしたよ!?
「…………へ? 今お前……ええ!?」
「これで目も覚めた?」
「いや……むしろ混乱とドキドキで気絶しそうなんだが。そういうのは先に言っといてくれないと俺の心臓爆発しちゃうよ?」
「ふ、夫婦なんだからいいでしょ。形だけの結婚なんて嫌だもんあたし、覚悟決めたからにはちゃんと夫として振舞ってよね。陛下や他の隊長の前で馬鹿やらかしたらあたしが恥ずかしい思いをするんだから、ちゃんと顔を立ててよ?」
「うん……分かった」
なんかもう不平不満なんか一気に吹き飛んだ。
というかいっそ今から何をするとかすらどうでもよくなった。
「なら早く着替えて用意して、あたしも着替えてくるから」
「はい」
レオナもレオナで気恥ずかしいのかこちらを一切見ない。
それでいてそそくさと部屋へと戻っていく。
「言っとくけど、初めてなんだからね!」
最後にそんな台詞を残して。
一人になったことで俺もまた一気に恥ずかしくなってきた。
なんか顔が熱い。
あと喜びもあるけど歓喜よりも悶えそうなのを抑えるのに精一杯です。
一つ言えるのは……生まれてよかった。ほんとそれだけ。
母ちゃん、俺……奥さんが出来たよ。
「っと、いつまでも昇天している場合じゃねえ。着替えてこないと」
どのぐらい虚空を見つめて固まっていたのかは不明だが、ようやく我に返ったので慌てて涎を拭き自分の部屋に戻る。
今日という日が俺にとってのハイライトな気がしてならない。
それでもいいんだ、だって俺も初めてだもん。人生初キッスだもん。
三日三晩浮かれるぜ俺はよ。
「さて、と」
着替えといっても、普段の地味な服装はさすがに不味いよな。
王様とか姫様に同行するわけだし、そんな場違いな様相で参上しようものならまたアンに怒られること必至だ。
ってわけで仕事をしに行く時とかに使っている外行きの服でいいだろう。
一応この前アンに買ってもらった正装みたいなやつもあるにはあるけど、動き辛いし、堅苦しいからパス。別に俺自身が畏まった場に同席するわけでもないし、そこまでは求められはいないはずだ。
そもそも俺が平民の凡人であることは承知で呼ばれているわけだし?
つーか……それに関して言えば代金まだ払ってないんだよなぁ。
つまりは俺ってアンに借金残ったままなんじゃね。
「金策どうすっかな~……」
絶対高いよねえ。
口出す知識なんぞ無かったから服選びは丸投げしていたせいで値段とか見ても聞いてもなかったわ。
何万とかすんのかな。姫様御用達ってことを考えるともっとしそうだな。
無理ゲーだこりゃ。
でもまあ一応値段だけでも聞いておくか、有耶無耶にしちゃうのはさすがに人としてクソ過ぎる。
そんなこんなでこの世界で買った安い庶民向けの衣服に着替え、玄関の外でレオナを待つ。
当然ながらレオナはいつもの騎士様の白い制服を着ており、髪の毛もしっかりセットしていた。
お互い様ではあるが、時間が経ったことで互いに冷静になったせいか余計に気恥ずかしくて目を合わせることもなく、何なら口数も少なくなってしまって会話もほとんど交わされないまま気付けば王都までやってきている。
「…………」
こういう時ってどういう態度でいればいいんだよ。
男の方が何か言わなきゃいけないんだろうけど、その何かが俺には分からないんだけど。
さっきからチラ見しながらタイミングを伺ってはいるんだけど、目が合った瞬間同時に違う方を向くからどうにもならん。
何これ、恋愛ってこんなにドキドキするもんなの?
こんなに活力を与えてくれるもんなの?
初めてだから僕分からないの。
つってもいつまでもこんな具合じゃ逆に気が滅入るというか、自分達で空気を気まずくしているだけだ。
もういい加減やめよう。そう思ったのはあちらも同じだったらしく、レオナは声を掛けようとする横で大きな溜息を吐いた。
「はぁ~……もうやめやめ。普通にしましょ、こんな状態じゃ周りの人に変に思われていじられるわ」
「そうだな。平常心だ平常心、俺も初めてだったけど夫婦だもんな。普通だよな、第一歩だったってだけで」
「そ、そういうことよ」
「つーわけで普通に話をするけど、本当にあの何とか隊長は来ないんだろうな」
「ジャンバロック隊長でしょ。来ないわよ、療養中で休暇が残っているし、そうでなくとも二部隊の主力が挙って陛下に随行するわけだから、あそこの部隊は王都の防備にあたることになってるもの」
「ならよかった」
あのおっかないオッサンとは二度と会いたくない。
逆恨みと正当な恨みとを合わせて今度遭遇したらその場で殺される気しかしない。
その時は決闘もクソもないから法律しか俺を守ってくれるものはないからな。
そう考えるとノコノコ王宮に通うのもだいぶ危ういんだけどね……まあアンが言う通り逆恨みで庶民を痛めつけるなんて貴族様の威厳を貶めるような真似を立派な地位や肩書きを持っているお偉いさんがするとは思えんけども。
あと会いたいか会いたくないかで言えば別にゴリラとも会いたくない。




