【第百十六話】 鹿狩り
そんなわけでソフィー一家は二手に分かれて山を登っていく。
この世界ではそろそろ列挙するのに苦労する程度には山登りをしてきたけども、目的が食料の確保というだけで何と気持ちに余裕の出来ることか。
巨大猪に襲われるでもなく、実質闇バイトみたいな荷運びをしているでもなく、魔獣の痕跡を探すとかいうわけの分からん日雇いに来たわけでもなく。
ただのんびり山を登って鹿を探す、人間そういうのでいいんだよ。
まあ、その代わり特に金銭的な見返りとかもないわけだけど。
危ない思いをして金を貰うより安全で長閑な方が百倍いいってなもんよ。・
というわけで二人と一匹でゆっくり草木の間を進んでいく。
どうでもいいけど、リンリンの単位って一匹なのか二匹なのか。
うん、ほんとどうでもいいな。
気を取り直して辺りを見回してみると、何とまあ静かで特に何かの気配はない。
加えて言えば不穏さも感じないし不気味さが漂うでもなし、エンジェルが倒れていることも勿論ない。
化け物がいるかもしれないと聞かされた上で散策する絶望的な状況と違って自然を堪能するだけってのはこうも気が楽なものなのか。
いや、そういう情報を持っていないというだけで居ないことが確定しているわけでは全くないのだが。
まあそんなんがいるなら村で止められているだろうし、そもそもカルネッタが存続しているかどうかも怪しいので大丈夫でしょうよ。
「お?」
気が抜け過ぎて本来の目的すら忘れていることを自覚し始めたちょうどその時、一歩前を歩くリンリンが不意に立ち止まった。
耳をピクつかせ、一点をジッと見つめている。
「どうしたリンリン、何か見つけたのか?」
『ガフッ!』
ごめん、ポンより何が言いたいのか分からん。
と俺が思っているのを察したのか、リンリンは背後に回ったかと思うと頭で俺の腰を押し、強引に前進させ始めた。
誘導しようとしているのだろう。
それは分かるが、理由も分からないまま『はよ行け』みたいな感じで押されても怖いんだが。
つっても探しているのが鹿なのでそう襲ってきたりはしないだろうが……案外野生動物の反撃って怖いよ?
羊とかでもいきなり突進してきたらビビるもん。
「あ、いた」
木々の隙間から見える景色の一端に、なるほど俺達にとっての獲物を発見。
二、三十メートルは離れていると思われるだけに俺は全く気付きもしない。その辺はさすがの狼っぷりである。
角が生えているので雄だと思われるそこそこ大きな鹿は草でも食べているのか地面に顔を近付けジッとしていて、周囲に他の動物の気配はない。
とはいえ、アレを狩ってこいって結構な無理難題だろ。
俺一人だったら絶対無理。飛び掛かったところで百パー負ける自信がある。
だって角とか怖いっつーの。
そしてそもそもの話、野生の動物をおいそれと殺傷する度胸がまずないっつーの。
「なあリンリン、見つけたはいいとしてこっからどうすんだ?」
最初の話ではハントするのはリンリンの役目ということになっている。
そりゃ肉食動物vs草食動物なら負けはしないだろうが、どういう感じでいくんだろうか。
俺達も一緒に追い掛けて包囲するとか、何か連携みたいなのが必要なのか?
いやでも後ろにいるルセリアちゃんは思いっきり不安そうな顔してんだけど。
この子にそんなことさせられないというか、運動神経とか無さそうだから逆に成功率下がりそうなんだが。
だからって俺一人でやれって言われても困るけども。
「あ、おい……」
作戦会議でもするかと身を屈めると、潜む必要性を理解したのかルセリアちゃんも同じように膝を折った。
のだが、リンリンが勝手に駆け出していく。
言うまでもなくガサガサと草の群れを突破しながら突っ込んでいるため音によって一瞬で気付かれ、鹿は全速力で逃げて行った。
途中までは追い掛けようとしていたリンリンも木々の間を縫って奥へと消えていく野生動物を捕まえることは出来ず、やがて諦めてこちらに戻ってくる。
心なしか項垂れているし、トボトボ歩いているせいで何かしょんぼりしている風に見えるんだけど。
「あれだけ音立てて突っ込んでいったらそうなるだろ……お前狩りに向いてないんじゃね?」
『ガウ……』
「そう落ち込むなって、これだけ簡単に見つかったんだ。チャンスはまた来るさ」
狼を励ますというのも意味不明な図である。
ともあれ最初の獲物は逃しちゃったので再び森を散策するべく先へと進んでいくことに。
今し方の敗因を考えると静かに、足音にすら気を配るべきなんだろうけど沈黙し続けるのも退屈過ぎるので愚かにもルセリアちゃんに話を振る俺だった。
だって気が滅入るだろだんまりでいるのもさ。
そもそも俺は野生動物を追い掛ける脚力もないし、捕まえたとしても抑え込む腕力もないし、そんな抜き足差し足忍び足だけ徹底したって絶対意味ねえよ。
「なあルセリアちゃん」
「な、に?」
「何でソフィーに保護されてるのかって、聞いてもいいのかな」
結構前の話だけど、ソフィーに助けてもらったという話は聞いたことがある。
とはいえそのまま一緒に暮らすようになった経緯とかは知らないままだ。
「えっと、何年も前に、た……助けてくれた。故郷が、人間に襲われて、逃げてた……時。怪我して動けなかった、ところを」
「ああ、そういうことか……」
軽々に尋ねていい問題ではないっぽいな……ミスった。
随分と複雑な理由がありそうだ。
そりゃ保護という言葉を用いている時点でただならぬ背景があるのは当たり前ではあるんだろうけどさ。
「ルセリアちゃんは……故郷に帰りたいとか思うことはあるの?」
どこか俺とかぶる境遇とも言える身の上にふと、そんなことを口にしていた。
召喚されてここにいる俺と故郷を追われた身とでは意味合いは随分と違うんだろうけど、意図せずこの場所にいて、仲間に恵まれて生活が成り立っているという点では似た者同士だと言えよう。
「か、帰りたくても……もう、無い……から」
「え……」
「ま、魔法使いたくさんきた、男は殺されたり、女は攫われたり、みんないなくなった。でも、逃げた人も、いる。ど、どこにいるかは分からない、けど」
「そっか~……ごめんな嫌なこと思い出させて、空気読めてなかったな俺」
図に乗り過ぎた己にちょっと、いやかなりの自己嫌悪。
しかしルセリアちゃんは気にしないでと言いたげにフルフルと首を振る。
なるほどなぁ、それで魔法使いが苦手だって言ってたのか。
一緒に暮らしているリリ相手ですら見掛けるだけでびくっとしたりしてたもんなぁ。
どうにか克服させてあげられれば二人にとってもいいことなんだろうけど、そんな過去があるのなら簡単な話じゃないし、何とも複雑で難しい問題だ。
ルセリアちゃん自身は特に嫌な顔をするでもなく沈んだ気分を感じさせるでもなく普通にしているのだけど、何だか俺の方が一人で気まずさを抱いてしまっているので続けて談笑に興じるノリでもなくなってしまった。
本人が饒舌で多弁なタイプではないのも大きな要因だろうが、そんな無言の空間がまた数分続いた時。
再び前方に鹿の姿を発見。
同時にリンリンが立ち止まったが今度は俺にも見えている。
先程とは違って二匹揃っているが、片方は女鹿っぽい。
さてどうするかと息を潜め、存在するのかどうかも分からない作戦的な物を考える中。
またしてもリンリンが予告も予兆も無くいきなり突撃していってしまった。
「あ、おい……」
これじゃさっきと同じだぞ。
と、止める暇など当然あらず。
デジャブと言わんばかりに『俺一人で仕留めてやんぜ』みたいなテンションのリンリンだが、やはり早々に音で感知され蜘蛛の子を散らすように二匹の鹿は奥の方へと消えていった。
結局しばらく追い掛けたのちにリンリンは追い付けないと悟り、しょんぼりと戻ってくる。
「うーん……やっぱ素人がただ追い掛けて捕まえようとしても無理があるなこれ」
狩りと聞いて連想されるような道具、例えば猟銃だとか罠だとかを使うでもなし。
かといって手ぶらの俺やルセリアちゃんが補助として参加しようにも走って追い付けるわけもないし、包囲しようにも俺達なんてもっ早く気付かれてしまうだろう。
現状リンリンの野性味頼り一辺倒になってしまっている感が否めない。
ゆえに学習しろよという皮肉も口にしづらい。
そもそもの問題としてチーム編成が間違ってたんじゃねえのかとさえ思ってしまうぜ。
まあ……あっちもあっちでジュラ一人しか鹿に勝てそうな奴いないんだけど。
「ゆ、ゆうき……」
クイクイと、裾を引くのは勿論ルセリアちゃんしかいない。
言いたいこと、伝えたいことがあると目で訴えている。
「ん? どうしたのルセリアちゃん」
「わ、私……ちょっと手助け」
「手助け? ルセリアちゃんが?」
「…………(コクコク)」
「相手が鹿だしそう危険だってシチュエーションもないだろうけど、大丈夫なの?」
「ま、魔法……少しだけ」
「なるほど……」
要するに魔法を使ってリンリンをサポートする、と言いたいわけか。
見た目や性格はどう考えても狩りに参加していいタイプではないけど、事前に聞いている通りエルフという長命で魔法に長けた種族であることに違いはない。
こっちから頼む、頑張れとやらせるのは気が引けるけど、自らやりたい、出来ると言うのなら任せてみてもいいのかもしれない。
「分かった、俺には指示するための経験も知識もないから二人に任せてみるよ」
「うん、ま、任せて」
結局何をしようというのかは不明なままだが、本人がだいぶやる気みたいなので見守ることにしよう。
そんなわけで改めて山の中を進んでいく。
生息地であったり生活圏がはっきりしているわけではないのでただ奥に、言い換えれば上に登っているわけではなく右に左に歪曲しながら彷徨うように進行方向を選んでいるため純粋な疲労度はそこまででもない。
「あ、いた」
三度目の遭遇を目指して歩くこと五分少々。
また一匹の牡鹿を前方に発見した。
下手したら最初に見つけた奴なんじゃないかというぐらい見た目やサイズが似通っている。
どうする? という意味でルセリアちゃんに目を向けると、俺やリンリンにここで待機していてとばかりに両の掌を向けた。
そして一人でそーっと足音を殺して近付いて行く。
少しずつ遠ざかっていく華奢な背中を二人で……否、一人と一匹で見守る中、数メートル近付いたところで双方の動きが止まった。
あちらも立派な野生動物であり、肉食動物という敵から逃れることで生命を維持している身だ。
何か音以外の気配や空気を感じ取ったのだろう。
おもむろに首を上げると、はっきりとこちらを見ている。
見るからに『それ以上近付いたら全力で逃げます』みたいな雰囲気で。
やはり丸腰で捕まえてこいというのは無理な話だったのか。
半ば諦めに近い気持ちを抱くその目の前で、ルセリアちゃんは両手を前に突き出したかと思うとほとんど聞こえない声で何かを呟いた。
途端に冷たい空気が辺りに蔓延し、続けてターゲットである鹿の悲鳴に似た鳴き声が響き渡る。
あれが魔法かと驚いたのも束の間のこと、牡鹿の足元を半透明の何かが覆っていることに気付き更にビビった。
スノーエルフという種族名、急に冷え切った空気から察するに……氷を生み出したのか? 彼女が駆使するのはそういう魔法だってことなのか?
いやもう考えるのは後でいい、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかん。
「行けっ、リンリン!」
声を出すと同時にリンリンは三度目の突撃を敢行する。
ルセリアちゃんを追い越し、さながら罠に掛かった姿の如く動けないながらも必死の逃れようと暴れる鹿へと迫るとそのまま首元に噛み付いた。
日頃はあんなにペットの犬感を出しまくっているくせに、牙を剥いて両方の口で食い千切らんばかりに首を振るリンリンはちゃんと狼だったんだなという感じだ。
頸動脈をどうこうの話なのか、牡鹿は一分と経たずに動かなくなる。
つまりは、これにて狩猟完了というわけだ。
改めて亡骸を目の前にすると、何とも複雑な心境になるというか、なんだか自然の理であったり弱肉強食の現実を突きつけられた感じがすごく切ない。
ごめんな、と心で呟き褒めてくれと俺を見上げるリンリンの頭を撫でてやりつつ、こっからどうすんのかという新たな問題へと向き直る。
「これどうやって持って帰るよ。俺の体力や腕力じゃ担いで帰るのは無理だぞ」
となれば方法は一つ。
ほぼ丸投げ状態というか、むしろルセリアちゃんの功績が甚大とくれば一人だけ何もしてない俺いなくても一緒じゃね?
別に来たくて来たわけじゃねえっつの。
「よしリンリン、巨大化だ。それなら背負うなりして運べるだろ」
『バフッ』
褒められて気を良くしているのか元気な返事を寄越したリンリンはすぐに数倍のサイズへとシフトチェンジ。
そのまま片方の顔が鹿の首を咥え、問題なさそうなので俺達は元来た道を戻ることになった。
その後すぐにポンが呼びにきたため無事にソフィー達とも合流し、あっちもしっかり牡鹿一匹を成果として持ち帰っていたためそのままカルネッタへと帰還する。
肉屋ではなく解体屋とかいう獲物という名の素材を仕分ける業者に一旦預け、皮と肉に分けてもらった上で皮の方はその場で買い取って貰い、肉だけを受け取って風蓮荘へと帰還する流れだ。
俺にとっては生まれて初めての鹿肉なわけだが、ジビエ料理とか作り方わかんねえから普通に焼いて食った。
特に臭みも無く、柔らかい感じでなるほど悪くないお味だったさ。
明日からの俺とレオナが不在の間も焼いて食えるように余分に切り分けておいたため これでマリアもちょっとは満足してくれるだろう。




