【第百八話】 神様
こうなりゃヤケクソだと開き直り、黙ってシャイナネに続いて神殿へ向かっていく。
つーかあんたの知り合いならこの子、すなわちエンジェル一号を運ぶ役目代わるべきじゃね?
と言いたくてしかたがないのだが、何をそんなに急ぐことがあるのか。
俺が薄情で臆病な奴だったらこの隙に逃げてるぞ。
いや、逃げたところでここがどこかも分からないし来た方法からして自力で帰る術も無いんだろうけど。
「人間……」
とかなんとか普通にしているフリこそしているが、当然ながら不安はある。
見知らぬ場所、謎の神殿、そして翼の生えた女の子。
平静を保っていられる方がどうかしている。
そんな心の内が足取りやキョロキョロと辺りを見回す様子からバレていたのか、背中のナナリーが耳元で俺を呼んだ。
いや人間という種族の名前を口にしただけで俺という個体に対する呼び掛けかどうかは知らんが。
「お? どした?」
「心配しなくても、大丈夫……ロザリア様はきっとお礼を言いたいだけだと思う、から。人間がここに来ることなんて百年以上、無かったらしいし」
「それならいいんだけど、そもそもここはどこなの? 何か瞬間移動したよね?」
「移動は、してない。結界と魔法で見えないようになっているだけ……このドラン神殿は元々この場所にあった物だから」
「ドラン神殿……」
なーんか、どっかで聞いた覚えがあるんだけど。
あとそのロザリア様とかいうのも。
「人間! 何をモタモタしている、サッサと来い!」
ちょうど入り口に差し掛かろうというタイミング。
早足で勝手に先行していたシャイナネが振り返るなり苛立った声を投げ掛けて来た。
「うるせえ! こっちは人一人背負ってんだぞ」
普通にイラっとして言い返しちゃいました。
どう考えても真っ当な言い分だけどね?
そもそも何でお前に偉そうにされねばならんのか。
とはいえ図に乗って逆鱗に触れでもして魔法で殺しに掛かってこられても困るんだけど。
なんて後悔は杞憂に終わったらしく、シャイナネはハッと驚いたような顔を浮かべたかと思うと慌てて駆け寄って来た。
「この痴れ者めが、いつまでナナリーを背負っている。人の身で我等に触れるなど許されることではないのだぞ」
「……あんたがサッサと行っちゃうからだろ」
寄越せ、と。
おんぶしているナナリーを横から抱きかかえると、今度こそシャイナネは神殿の中に入っていく。
何かピリピリしてるし、取り付く島も無いぐらい拒絶感を出しているから厳格そうに見えるけどそんな状態で俺を攻撃しようとする短絡さ然り、実は天然なんじゃねえのこの人。
そう考えるとちょっと可愛らしく思えてくるな。
口にしたら今度こそぶっ飛ばされそうだ。
唯一それをさせない理由であったナナリーが奪われたから遠慮する必要性無くなっちゃったもんね……いやいや、そもそも攻撃される理由からして一切無いんだけども。
第一その子を運ぶ役目が終わった時点で俺もう要らんだろ。
「……ったく」
まーたわけの分からんことに巻き込まれてるじゃねえか。
俺の波乱万丈っぷりもいよいよ限界突破してるよマジで。
こんな遠くの山まで化け物の痕跡探しに来てる時点で普通の生活からは掛け離れてるんだろうけどさ。
とかなんとか、呆れている風を装い自分は仕方なく付き合っているのだと言い聞かせでもしなければこの先に進む度胸も保てやしない。
そうして、どういうわけか中の様子が全く見えない柱の間を潜り内部に入ると、案の定言葉を失う以外にリアクションの取り様がない光景が広がっていた。
特に何があるわけでもない開けた空間は何が光源なのか全体的に薄っすら光を帯びていて、思ったよりも体積のある広場の奥にはまるで教会の如く大きな十字架が立っている。
問題はこの神秘的な空間でも十字架その物ではなく、そこに見える謎の存在にあるのだが……。
「…………」
これを見て俺にどうしろと?
そう言いたくなる異様にして異質な光景。
がっしりとした土台に立てられた俺の背丈よりも大きな、黒っぽい色合いや光沢を見るに恐らくは金属製の十字架。
その縦と横の線が交差する部分に何がどうなってそういう状況に陥っているのか人が縛り付けられているのだ。
同じ例えになって申し訳ないけども、いや誰に対して申し訳ないのかは知らんけども、歴史の教科書に載ってるキリストの絵みたいな感じだと言えば分かりやすいか。
縛られているのか、吊るされているのかの判断が難しい感じになってはいるがとにかく、上腕の辺りに括りつけられた鎖で十字架本体と繋がっている、そういう状態だ。
しかも恐ろしいことにエンジェルたちと同じく白い服を着ているその白髪ロン毛の誰かは両手の肘から先、両足の膝から先が切り落とされたかの如く無くなっている。
それがより一層ホラーな光景を連想させ、無意識なのか本能なのか、その方向に進もうとする足を止めてしまっていた。
「何をしている、早く来い人間の小僧!」
大きな声が俺を呼ぶ。
人間の小僧と呼ばれる誰か=自分という状態を受け入れるのは納得がいかないし、大いに物申したいところではあるが置かれている立場と状況がおちゃらけることを許してくれず。
もう一発『うるせえ』と声を荒げたいのをグッと堪えて素直に従うことにした。
恐る恐る、ゆっくりと祭壇みたくなっている奥のスペースに近付き信仰の象徴さながらの十字架へと近付いて行く。
がっつり目が合っている磔状態の男に内心ビビり散らかしながら。
何なのアレ。
両手足が失われているだけでも心臓に悪いってのに、胸の部分に思いっきり穴空いてるんだけど。
何であんな状態なの?
そして何でああいう状態で普通に生きてるっぽいの?
ついでに言えば何が悲しくてそれを自力で推察しなきゃならんの?
お前が来いっつったからここにいるんだぞ俺、お前が説明するべきだろシャイナネ。
「…………」
とうとう目と鼻の先まで来た。
必然俺は謎の人物と……というか最早人物かどうかも分からん何者かと向かい合う。
ちなみにシャイナネはナナリーを地面に寝かせて何か光る両手を組んで祈りのポーズを取り目を閉じているだけでこっちを見ようともしない。
察するに治療的な何かなのだろうが、よくこの状況で俺の事を放置出来るな。ナメてんのか。
こちとら心臓のバクバクが留まることを知らねえんだぞこの野郎。
「よく来てくれた人の子よ。ナナリーを救ってくれた善意と温情に感謝を」
居心地の悪い沈黙を破ったのは他ならぬ磔の男だった。
自分から話し掛ける度胸は無かったので助かったのは事実だけど、普通にビクっとした。
それでいて面と向かっている状態でビビッていると悟られたら失礼なんじゃないかという思いと失礼なことをしてしまった俺が奴の機嫌を損ねて不味いことになっては困るという打算が瞬時に平静を装う方針を体現する。
「あ、いえ……俺は倒れていたのを見つけただけなので大層なことは……というか、あの子は治るんですか?」
あとあんたどうやって生きてんですか?
とは言えなかった。でも絶対いつか逝って言っちゃう気がする。
だって完全に心臓の部分に拳大の穴がぽっかり空いているんだもの。
生物なら生きていられるはずがないもの。
「彼女は回復魔法に長けている。大きな損傷が無ければ問題は無いよ」
ああ、やっぱあれ治療のための儀式だったのね。
回復魔法って確か騎士団の連中がそんな話をしているのをチラっと聞いたことはあるけど、実際にどういうものなのかを目にしたのは初めてだ。
「君は怪我も無さそうだね。どこか痛む箇所でもあれば治療させるけれど、どうだい?」
「いえ、大丈夫です。というか、そういう意味で言えばあんたの方が大問題な気がして話が入ってこないんですけど」
もう言っちゃった。
男の声色や言葉尻が思いの外柔らかかったのでもう躊躇なんて消し飛んだ。
見た目は三十前後といったところか。
顔その物からも温厚そうな印象を受けるし、いきなり怒られたりはしないだろう。
「おい貴様、主に対して何たる口の利き方か! ナナリーの件が無かったらその首へし折っているところだぞ」
かと思ったらシャイナネにブチ切れられた。
こいつずっと怒鳴ってんな。
「そもそもそのナナリーの件が無かったら俺はここにいないんだよ。というか俺は何でここに呼ばれたの? そこから説明してくんない?」
「そ、それは……」
「それは私が君をここに招くように頼んだから、だね。シャイナ、少し落ち着きなさい」
「はっ、申し訳ありません!」
シュバっと立ち上がるシャイナネは、綺麗な直立を一瞬見せたものの即座に膝を折り跪いた。
どうやらナナリーの治療は終わったらしく、苦しみから解放された天使の少女は落ち着いた表情で寝息を立てている。
「呼びたてて悪かったね人間の子よ。なにぶんこういった体なものでね、それに関しては許して欲しい。私はロザリア。主神ロザリアである」
「あー……ずっと引っ掛かってたんですけど、その名前丁度昨日聞いたっすわー」
今やっと思い出したわー。
ロザリアって名前に聞き覚えがあるようなないような気はしてたんだけど、その主神って方を聞いて思い出したわ~。
絶対ジュラがあれこれ説明してくれた時にあったやつだわ~。
「確か、何とか大戦で人間と協力して魔王? と戦った神様だとかって……」
「いかにも。もう随分と昔の話だけどね」
「おい人間、図が高いぞ。それが主にお言葉を頂くいただく者の態度か」
「そんなこと言われても……」
確かにずっとシャイナネは跪いたままだ。
とはいえ相手が神様だと今初めて知った俺にどうしろと。
「構わないよ。礼を述べるために来てもらったのだ、にも関わらずこちらが何かを強要するのは筋違いというものだよ」
「は、無礼をお許しください」
「…………」
神様に対してだけえらい従順だな。
やっぱ神様ってのは偉いのか。
あとその部下というか、仲間だから女子達に翼が生えてんのか。
……どういう理屈?
「改めて、ナナリーに救いの手を伸ばしてくれたことに感謝する。人間がこの地に足を踏み入れることは久しくなかった、彼女の態度は大目に見てくれると助かる。そして君にも戸惑いはあるだろうが緊張しないでくれるとこちらとしてもありがたい」
「はあ……いや、さっきも言いましたけど倒れてたら放っておくわけにもいかないですし、化け物とやり合う手助けをしたわけでもないんで」
「それでも助けようという気持ちを抱き、行動してくれたことに感謝したいのだよ」
「まあ、怪我が治ったのならよかったです」
「君は不思議な魂を持ってるね。ついでのように受け取られると心苦しい限りなのだけど、それが直接会ってみようと思った理由でもあった」
「不思議な魂……ですか」
「君は他の人間とは明確に違う。自覚はないかい? 差し支えなければ聞かせてもらえないだろうか」
「うーん……他の人間と違う理由っすか。別に思い当たる節は……あ」
思いっきりあるね。
俺ってばこの世界の人間じゃないもんね。
「話したくない事情があるのなら無理強いはしない。単なる興味本位だ、難しく考える必要はないけれど、そこに何か事情があるのなら知識や知恵を授けてあげることぐらいは出来るかもしれないよ?」
「……信じて貰えるかは分かんないですけど」
そう言われてはこちらも口を閉ざしているわけにもいかない。
レオナには諸々の事情は決して他人に明かすなと、それが俺のためでもあると言っていたけど……相手が百年以上生きている神様っぽい人で、知恵を貸してくれるというのならこの行き詰った状況で内緒ですと言う理由などない。
別にこの人達から誰かに話が漏れる心配もないであろうことも含め、だ。
そんなわけで俺は今ここに至るまでの経緯を語ってみることにした。
よく考えると目の前で十字架に縛られている変なロン毛と翼の生えた女に身の上話をするというのも意味不明な気がするけど、この世界における神様がどういう立ち位置なのかも分からん俺にでもこの空間含め凡そ一般的な世界とは掛け離れている特殊な存在であることぐらいは分かる。
とある少女が魔法の練習をしている最中に召喚魔法が暴走して俺が別の世界から呼び寄せられたこと。
帰る方法として元居た場所に帰るという魔法があるにはあったが、莫大な資金が必要であった上に金を貯めようとしている間にその魔法が扱える唯一の人物がこの世を去ってしまったこと。
そして現状その少女を含め数人で共同生活を送りながらあれこれ仕事をこなしたりしてはいるものの、現状打つ手も目指す先も見当たらず途方に暮れていること。
その辺りの俺が今日に至るまでの事情を掻い摘んで説明していった。
神様に加えシャイナネまでもが黙って聞いてくれていて、話が一区切りしたところでようやくリアクションを返してくれる。
「なるほど……それはまた想像していた以上に特殊な背景だね。だけど、どうにかしてあげられるかもしれないよ」
「マジっすか!?」
「必要以上に期待させてしまったのなら申し訳ないが、少し落ち着いてくれるかい? 可能性の有無という段階の話であって、今この時にという申し出ではないのだよ」
「はあ、というと?」
「現状では不可能だ、今の私の姿ではね。ゆえに、お互いに助け合うのはどうだろう」
「助け合う、ですか」
言わんとする意味は全く分からない。
そう感じていることを察しているのかいないのか、神様は戸惑う俺にこれといったフォローをするでもなく流れのまま話を続ける。
「この哀れな肉体を見て、驚いたろう?」
「まあ、内心ドン引きでした」
「ははは、正直な子だ」
言ってからぶっちゃけすぎたと気付いた俺だったが、幸いにも神様は気を悪くした風ではなく笑って許してくれているっぽい。
代わりにシャイナネが恐ろしい目で睨んでいるけど。
「君は何故この身がこのような哀れな物になってしまったか、知っているかい?」
「あ~……確か」
それも何か聞いた覚えがあるなぁ。
戦争云々の話の時に……うん、そうだ。
「戦争の時……人間と協力するにあたって体に宿っている特殊な力を貸し与えた、とかなんとか」
「いかにも。それが結果と要因の全てではないにせよ、我が肉体を人間の戦士に貸与し我々は大戦に勝利した。だが抗争の終結後、人間が我が四肢と心臓を返却することはなかったのだ。その人知を超えた強大な能力を手放すのが惜しくなったのだろう」
「…………」
「無論それを我等が看過する道理も理屈もない。しかし取り返そうにも大戦で少なくはない犠牲を伴った直後とあって決起し人間との抗争に踏み切る余力も同じく無かった。そして我等は愚かな人間との関係を絶つ選択をした」
「それは何と言いますか……俺はさっき説明した感じの人間なんでこの世界の歴史云々には関りもないんですけど、何かすいません」
「怒りをぶつけるつもりも責めようというつもりもない、どうか気を揉まないでくれたまえ。あくまで提案した話の続きだよ、君にこの失った四肢と心臓を取り戻して欲しいのだ。君がそれを成し遂げ、もしも私が元の姿に戻れる日を迎えることが出来たならば、代わりに君の望みを一つ願いを叶えよう。人の生き死にに関わる望みでなければどんな願いであってもだ。無論君が帰りたい場所に帰ることも可能だよ」
「マジですか……アイギスってやつは知り合いが持ってるはずなんですけど、それ以外の部分はどこの誰が所持しているとかって分かってるんですか?」
「申し訳ないが、それは私の知るところではない。この百年、情報を集めることすらしなかったからね」
「なるほど……その提案が事実なら俺にとっては僥倖というか、微かな希望になることは分かるんですけど、どれだけ時間が掛かるかも分からないですし、当然ながら危険も伴うことだってことも馬鹿な俺にだって理解は出来るつもりっす。それに神様の体のことである以上は出来もしないのに安請け合いをするわけにもいかないでしょうし、少し考えさせてもらえないですか?」
「構わないとも。人族と違って我々には長い時間がある、君に重荷を背負わせたいわけではないことを理解してもらえるのならばよく考えて結論を出してくれればと思うよ。考えが定まった時、何らかの気掛かりを抱いた時、いつでも訪ねてくるといい。その時、私は君を歓迎しよう」
「おす、ありがとうございます」
「では最後に聞いておこう。君の名は?」
「悠希です、桜井悠希」
「ユウキ、その名を覚えておこう。また会えることを願っている、我らが恩人よ」
その言葉を最後に人生初の神様との対話は終わりを迎える。
そしてシャイナネに連れられて神殿の外に出ると、最初と同じくワープみたいな何かによって元居た川辺に戻されるのだった。