【第百七話】 天使二号とパルテノンとシャイナネ
一瞬視界がフラッシュしたかように真っ白になったかと思うと、まるで瞬間移動でもしたのかとばかりに景色が一変していた。
足元には石畳の地面、さっきと似た感じの等身大ぐらいある石像がずらりと左右に並び、その先には歴史の教科書で見たパルテノン神殿みたいなでっかい何かが建っている。
最初に見た二体は見た感じ銅だか鉄だかといった色合いや重量感があったが、今目の前にあるのは何か真っ白だし金属っぽさ皆無だし、いかにも歴史的な背景がありそうな神秘的な雰囲気を醸し出しているのだが……どう考えてもそういう考察をしている場合ではない。
「え? 何これ? どうなってんの?」
格好悪いのは百も承知で戸惑いのまま辺りを見回している。
山のど真ん中にいたはずなのに木々の群れすら随分と遠くにしか存在していない。
わけの分からん現象に理解が追い付かないんだけど、俺は何に巻き込まれているんだ?
しかも頭の上に戻ってたポンもいないんだけど。
あいつ、ギリギリのところで一人だけ逃げやがったな。
あの薄情者め……いや、逆にソフィー達を呼んできてくれることに期待するならばこっちの方がよかったのか?
つっても助けを呼ぶ前に何かあったら俺どうしようもないぞ。奴がいれば少なくとも飛んで逃げるという選択肢は残ったのに。
「あ、あの中に……向かってくれる?」
「あの中って、目の前にある神殿みたいなの?」
「そう」
戸惑いは未だ晴れず。
それでいてエンジェル女の子の苦し気な声が焦る心を我に返らせた。
ここがどこで今何が起きていようと怪我をしている女子を残して逃げるわけにもいかないことも事実。
そもそもこの子の指示で行動した結果だし、絶対何かブツブツ魔法だか呪文みたいなのを呟いていたし、それが原因なら直ちに不味い事態が訪れるようなことにはならんよなきっと。
もうそこは信じるしかねえ。と、一つ大きく息を吐き言われた通り石像の間を進んでいく。
数十メートル先にあるのはこれまたいかにも歴史的建造物みたいな石造りで箱型の何か。
太い柱がほとんど感覚を開けずに並ぶことで外周を覆い隠しているため中の様子は見えず、内部に入っていくためのだと思われる入り口部分だけが開けている。
不気味さはそこまで感じないけど、物騒さというか近付いてはいけない場所感はヒシヒシと伝わってくるだけに怖くないはずもない。
が、もう行けってんなら行くっきゃねえ。
まさか曲がりなりにも助けようとしてる身で酷い目に遭わされたりはしないはず……たぶん、きっと、頼むからそうであってくれ。
「…………」
「…………」
せめて会話で気を紛らわせてくれりゃ助かるのだが、背中の女の子はそういう状態ではない。
息も荒めだし、時折小さな呻き声みたいなのが聞こえてくるしあっちもこっちも切羽詰まり過ぎだろ。
「……ん?」
そんな心境、状況で恐る恐るパルテノン風神殿に向かって歩くこと十数秒。
ふと、前方に人影が現れた。
明確に何者かがこちらに向かって走っていて、それが殊更に緊張感を増長させる。
立ち止まった方がいいのか、そのまま進むべきかも分からず結果的に俺と女の子双方にとっての安全確保の意味で静止を選んでいた。
ほんの数秒後。
姿形がはっきりと分かる程度に駆け寄って来る誰かとの距離は縮まり全容を把握する。
全力疾走で入ってくるのはやはり女性で、歳は二十前後だろうか。
少女と同じ白いワンピース型で袖の無い服を着ていて、やっぱり背中からは白い翼が覗いていた。
……何なんこれ、またエンジェル?
この世界じゃ野生の天使とかいんの?
というか、そう思いたくはないけどここはあの世で俺は既に死んでいる説まであるんじゃねえのかこれ。
「ナナリー!!」
もう訳が分からな過ぎて呆気に取られるしかない俺。
その間にも大声で何かを叫びながらエンジェル2はこちらに向かってきている。
そして目の前でようやくブレーキを掛けたかと思うと、何故か怒りの形相で俺を睨んだ。
「貴様……ナナリーに何をした!! 人族の分際でこの地に足を踏み入れるなど不敬かつ不浄であると知れ! その愚かな罪をこの場で清算させてくれる!」
何やら意味不明な言葉を並べ立て、大人エンジェルは俺に右手を向けた。
次の瞬間には開かれた掌が光を帯び始める。
「え? ちょ……」
何か魔法的なモンを繰り出そうとしてない?
完全に俺を攻撃しようといてない!?
つーかナナリーって誰ぇぇぇぇ!?
「ま、待って……シャイナ姉」
ビビッて声を上げることも出来ずに固まるしかない状況で、ふと耳元の声が俺の代わりに制止を求めた。
シャイナネ? とか言ったか。
それが天使二号の名前だったらしく、絞り出した弱々しい声に怒りの形相は即座に驚きに変わっていく。
「ナナリー、無事なのか!?」
「……ぎりぎり、だけどね。ギガ・ライノに襲われちゃって……倒しはしたんだけど怪我してたところを、この人間が助けてくれたの」
「そんなことが……」
シャイナネとかいう女の手から魔法の光が消えていく。
どうにか俺の冤罪は晴れたらしい。
そりゃ知った顔がぐったりしていて、見知らぬ男に担がれていれば良からぬ想像をするのも無理はないのだろうけど即決で魔法ブチ込もうとするのはどうかと思うよ?
あと化け物に襲われているところを助太刀したとかじゃなく、命懸けの諸々が終わった後に見つけてただ運んできただけだから助けたと言われるのも誤解みたいなもんだし。
「人間、お前は……む、ちょっと待て」
「……はい?」
俺に何かを言い掛けたシャイナネは急に視線を逸らし、難しい顔で人差し指でこめかみに触れた。
何やら黙ったまま頷いたり驚いた顔をしたり、かと思えば申し訳なさそうな顔をしたりとコロコロ表情を変えているが、何をしているのかはサッパリ分からん。
「……何やってんだ?」
「あれは……念話」
「念話? というか君、苦しいなら喋んない方がいいんじゃない?」
「そ、そうする……わ」
翼の生えた少女、その名も恐らくナナリーの未だ息は荒い。
外傷も無い状態でこれだけ苦しそうなのだから頭だとか腹だとか、見えない部分にダメージがあるのかもしれない。
そうでなければいいけど、こればっかりは予備知識無しで見抜けたりはしないし、だからこそ下手に応急処置をするわけにもいかないわけだ。
「おい人間」
そんなことを考えているとシャイナネがこちらを向いていた。
若干刺々しい感じは残っているものの露骨な敵意は消えている。
その呼称は大いに物申したいところだけども。
「さっきから人間人間って……というか話をする前にこの子を治療してやってくれね?」
「無論それを最優先にするつもりでいる。だから黙ってついてこい、ロザリア様がお会いになられる」
「……誰って?」
初めて聞く固有名詞が多過ぎる。
そう思って状況と情報の把握に努めようとしているのに、シャイナネは俺の問いなど完全に無視して踵を返しスタスタと早足でパルテノンの方へと歩いていっていまっていた。