【第百六話】 翼の生えたエンジェル
そんなわけでいくらか山を登った辺りで俺達は散らばって探索を続けることとなった。
三方向に別れ、俺はポンと二人で……というか一人と一匹で山道を歩いている。
しかし、こんな自然の中に来て野生の頃を思い出したりしないんだろうか。
テンション上がって飛び立たれたら困るぞ色んな意味で。
いや、こいつに野生の頃があったのかどうかは知らんが……まあ、俺やソフィーが呼べば戻ってくる賢い奴だから大丈夫か。
そもそも坂道になっているか平坦な森の真ん中かの違いであって普段暮らしている場所と景色あんま変わらんしな。
「しっかし、静かすぎて逆に君わりいな」
虫の声一つ、鳥の声一つしないため自分の足音が耳に届く情報の中で一番大きいレベルだ。
余計な物音にいちいちビビるのも嫌だけど、逆にシーンとし過ぎていてむしろホラーである。
黙っていると余計に怖くなっちゃうのでついつい独り言を声に出しちゃうわ。
「ポン、何か見つけたり気配を感じたらすぐに言うんだぞ」
『ホー』
ホー、じゃねえよ。
たまにはそれ以外の返事をしなさいっての。
思いつつ、ポンの重みでいい加減首の負担も気になったりしながら木々の間を歩いていく。
右に左に視線を彷徨わせつつ、サクサクと土や草木を踏み拉く音だけが響く静かな自然の中を歩くことしばらく。
もはや目視でリリやソフィーの姿は確認出来なくなっているとあって、そろそろ一旦引き返すべきかなんて考えが頭を過ぎるのだが、正確な時間が分からないだけに『早過ぎるだろ真面目にやれ』とかって怒られるだろうかとも思っちゃってもう加減がよく分からん。
撤収の合図とかはあの兄ちゃんが出してくれるのか?
まあ幸いにも遠くからすら笛の音や助けを求める声なんかも聞こえてきやしないし、時間つぶしも兼ねてもう少し進んだ方がよさそうだ。
頭上の鳥はこっちが声を掛けない限り置物状態だし、実質一人なので若干心細くはあるけど、森の中を歩くことに慣れ過ぎているのであんまり不安とかはない。
「……ん?」
こうなりゃ仕方ねえと、また少し木々をかき分け進むことしばらく。
微かに水の流れる音が聞こえてくる。
そりゃ山である以上どこかに川みたいなもんぐらいあるんだろうけど、地図を渡してしまったのでそれが予定範囲のどの程度まで来た証明になるのか全然把握出来ないぞ。
「休憩がてらちょっと行ってみるか。お前も喉乾いたろ?」
『ホー』
反応してくれるのはいいけど、それはどっちなんだよ。
せめてイエスとノーをこっちが判別出来るぐらいの差を付けろってんだ。
もういい、俺もちょっと小休止が欲しいし行ってみよう。
鳥の意見なんぞ知らん。
そうと決まればレッツゴー。水辺なら多少なりとも涼しそうだし、いつまでも山歩きなんてアホらしくてやってられるか。
「お、見えてきたぞ」
水の流れる音に誘われ歩き出してすぐ。
少し先で木々の群れが途切れているのが見えてきた。
近付いていくとその途切れ目を境に少しの傾斜があって、下りた先に河原と綺麗な水辺の景色がある。
いかにも山遊びに適していそうな、広く開けた自然の産物といった感じだ。
「綺麗なもんだなぁ……」
近くにあった大きな石に腰掛け、流れの穏やかな川を眺めてホッと一息。
季節柄を考えると、本来ならこういう所でBBQとかしてたのかねぇ。
……夏休みももう終わる頃っぽいけど。
『ホー!』
「いてえ、何だ急に!」
不意に、何の前触れもなくポンが啄木鳥の如く俺の脳天を嘴で連打し始める。
怪物でも見つけたのかと、慌てて立ち上がり辺りを見回すも特に何かの姿はない。
だったら何だったんだと思っているとポンが左肩に飛び降り、頭で俺を顔を押した。
まるで視線を誘導しようとしているかのような行動に感じて素直にその方向に顔を向けると……なるほど、百メートル以上は離れているが川の上流の方に何かいた。
何かというか、普通に人が倒れている。
遠くてよくは見えないけど、体格的には子供だろうか。
あとついでにその倒れている誰かの隣に明らかに化け物が倒れているんだけど。
「だ、大丈夫なのかあれ……主にでっかい何かの方。つーかいてえっつーの、いつまでやってんだお前」
肩に移ったことでこめかみ辺りを連打されている。
今までは言わなかったけど鳥の嘴って普通に固いからな?
「分かった分かった、急げってんだろ。行くよ行くから」
危険アリと見なせば事前に言い付けた通り飛んで逃げるはず。
ならばその心配は無いってことだな?
その上で倒れているあの女の子? を助けなきゃ不味いってことだな?
そうと決まれば迷う必要は無い。
一抹の不安を胸に一応はポンを信じつつ、ダッシュでその方向に向かう。
俯せに倒れているのはやはり女の子だ。
歳はリリと同じかそれよりも下かといった見た目に白いワンピース姿で、すぐ横には像ぐらいのサイズがある角の生えた黒いサイみたいな怪物が同じく倒れている。
いやいや……どうみても普通の野生動物じゃねえんだけど。
つーか、そもそも普通森の中にサイとかいねえよ。さては俺達が派遣された原因はこいつだな?
近くに立っているだけですんげえ怖いけど、見たところ全身が切り刻まれ、血溜まりを作るだけで動く気配はない。
白目を向いたまま呼吸に伴う胴体の膨張もないし、まず間違いなく死んでると思われる。
いずれにせよ問題は女の子の方だ。
パッと見では外傷も見当たらないが、明らかに腕が腫れあがっているし、こっちは呼吸こそしているっぽいがやはり意識が無いようで動く気配はない。
そしてそれとは別に問題というか一番の異変が一つ。
「……なんか背中に翼生えてんだけど」
何これ? エンジェル?
いやいや、正体とかは後でいい。
誰であっても何であっても介抱しなければなるまい。さすがにこれを見なかったことには出来まいよ。
「おい、大丈夫か?」
取り敢えず体をひっくり返し、上半身を起こしてやる。
謎のエンジェル少女はすぐに表情を顰めながらも苦しげな声を漏らした。
「うう……」
「おいしっかりしろ、怪我は腕だけか? 他にどこが痛い? 骨とか頭とかは?」
「だ、大丈夫……」
「ほら、水飲め」
出発前に貰った革袋みたいな水筒を腰から外し、口元に運んでやる。
天使風の女の子は痛みに耐えるように呻き声を溢しながらも、素直に俺の手から水を飲んだ。
そこでようやく意識も落ち着いたのか、視線をこちらに向けたかと思うと露骨に驚いたような反応をする。
「……に、人間?」
「あ、ああ……見ての通り普通に人間けど、そっちは違うのか? というか助けを呼んだ方がいいか? 悪いけど俺じゃ怪我の治療が出来ねえんだ」
「だ、駄目……人間と接触するのは許されてない」
「そう言われてもな……ここに置いていけないだろうに」
「なら……連れて行って」
「どこに?」
「私が、指示するから……」
「わ、分かった。取り敢えず背負うぞ」
喋るのだけでも精一杯ですみたいな表情や声に、もう選択肢は無いらしいと迷いを捨てる。
両脇を持ち上げて自分の首に回し、そのまま立ち上がることで所謂おんぶの格好にして持ち上げた。
そして指示されるがままに川沿いに上流へ進み、一層木々が密集している辺りを目指して川辺を離れ、五分も歩くとすぐ先に銅像が二つ立っているのが見える。
神社の入り口にある像みたいな感じで向かい合って立っていて、これまた天使みたいなデザインの女性だ。
翼の生えた女性が目を閉じ両手を組んでいるお祈りのポーズみたいな、どこか神秘的にすら感じる雰囲気に思わず息を飲む。
「間に、立ってくれる?」
「え、ここ?」
「もう少し前に……」
「こ、こうか?」
言われた通り二つの銅像の間に立つと、少女は耳元でボソボソと何かを唱え始めた。
途端に銅像が眩い光を放ち、視界を奪う。
数秒と経たず光も弱まり、白一色になった視界が元に戻った時……そこにあったのは全然知らない景色だった。