7 ミクちゃんの気持ち
7 ミクちゃんの気持ち
ひととおり説明を終えるとミヨちゃんは、「で、ミクいまどこ?」と訊ねた。
「散歩に行ったわ」とお母さんは答えた。ため息が続いた。
声が「あ、チビが起きたら犬の散歩に行くように言ってね」と遠くなっていったから、庭にでも行ってしまったようだ。
みし、と小さく畳がきしんで、ミヨちゃんがそばにやってきた気配がした。
「これ子ダヌキ、起きなさい」
指でうりうりあたしの背中を突いた。
「盗み聞きじゃないもん。ミヨちゃんがうるさいから目が覚めちゃったんだもん」
あたしのせいいっぱいの言い訳に「はいはい」とどうでもいいとばかりの相づちをうってから、ミヨちゃんは「ミクの様子、見てきてよ」と続けた。
「様子って、落ち込んでるとかそういうこと?」
「そういうこと。あの子は内側のいろいろを人に打ち明けないから」
「じゃあたしが聞いたって無理でしょ」
「でも子供相手にならポロっとこぼすかもしれないし」
「そうかなあ」
「ま、ワンコの散歩がてら行ってきて」
でも玄関を出ると犬はいなかった。
ミクちゃんが連れ出したんだろう。
んじゃ、どこにいるかはなんとなくわかる。
パクラヴァは、あたしのいないときは知らない場所には行きたがらないから、いつものコースを歩いているだろう。
追いかけてみると、案の定、いた。ぐいぐい犬に引きずられるようにしてミクちゃんが歩いていた。
「ミクちゃん」
声をかけると、振り向いて笑った。
「良かったあ。この子、私の言うことは聞いてくれないの。ぱーちゃん」
「パクラヴァだもん。ぱーじゃないもん」
「あーそうそうその名前。聞くたび忘れる。トルコ語だっけ」
「ポーランド語なら覚えられるくせに」
手綱を受け取って、並んで歩き始めた。
「城址公園まで行ってみようか」
「いいね。久しぶり」
「ミヨちゃん帰ってきたよ」
「あっそうなんだ。じゃ帰りにワインとチーズ買っていこう」
今日は真夜中まで飲むのだろう。
「早く混ざりたいなあ」
「あともう少しだよ」
「そのもう少しが長いんだよ」
「すぐだって。ちょっと前まであたしのお腹のところまでしかなかったあんたの頭が、いまじゃ同じくらいの高さにあるんだから」
ミクちゃんは、やっぱり父親の背が高いと違うねえとか、あっでもミヨちゃんのお父さんは背の高い人だったけど、ミヨちゃんとあたしの背はあんま変わんないよねえなんて笑ってる。
努めて明るく振る舞っている感じではない。
「……ミヨちゃんがねえ」
「うん?」
「ミクちゃんの彼氏さんから手紙預かってきたんだって」
一瞬だけ沈黙があった。
「……ふうん」
表情は変わらなかった。外には出さない内側の葛藤をこらえている感じでもなかった。
「彼女さんと別れたんだって」
「あらあらまあ」
表情がちょっとだけ変わった。でもそれは翻訳すると「あっちゃーやっちまったか」という感じで。
「うれしくないの?」
ミクちゃんは肩をすくめた。
「私と別れてほしいから別れ話したんであって、向こうとどうしようが、もうどうでもいい」
なるほど。じゃあ決断しない彼氏さんに業をにやして脅しをかけたというわけではないらしい。まあミクちゃんはそういうやり方をする人ではないけれども。
「じゃ、別れちゃって彼氏さん損したねえ」
「大丈夫。すぐに元サヤるから」
別れたてホヤホヤの元恋人の話をしているとは思えないほど淡々としていた。
「ミクちゃんは、彼氏さんのこと、よーっぽど好きなんだと思ってた」
「うん。よーっぽど好きだったよ」
「きらいになったの?」
ミクちゃんはつと空を見上げた。四文字熟語を思い出そうとするような顔で。
「嫌いでは、ないと思う。もしも普通に喧嘩した普通の恋人どうしだったらば、うっかりより戻しちゃうかもしんなかったくらいには、まだ好き」
「……そう」
「でも我々のあいだには、めんどくさい問題があって。そこを乗り越えるくらいなら、いまのこの胸の痛みを飲み込むほうが楽」
思い切って、聞いてみた。
「あたしのせい?」
「なにが」
「ミクちゃんが、無茶苦茶な条件を飲んでつきあい続けてきたのは、あたしのせい? あたしがあの人を怒らせて、へまやったから」
ミクちゃんは目をぱちくりさせていたけれど、やがてしっかりした声で「ううん、違うよ」と答えた。
「あんたのせいなわけ、ないでしょう。何言ってるの。あんた子供なんだから。いまもあの頃も。メンヘラをうまくあしらうことなんて、できるわけないでしょう」
「だって……」
「あんたのせいじゃない。あたしのためにそうした」
ミクちゃんは改めて、言い切った。
「そんなこと」
「……だってあのとき私、とびついたんだもの。あの人のお母さんの提案に」