プロローグ「会 ─ 1」
私が兄を殺した......。呼吸もままならないまま走り続け少女は何度も自分を恨んだ。
ヒーラーであった私は、剣士の職業に就いている兄と一緒に村付近の洞窟へ素材探しに行っていた。
毎日のように素材集めを行っていたので、洞窟の湿り気のある不気味な暗さには慣れていたけれどいつもよりか、その洞窟は水分を多く含む地面でとても湿気ており怪しい雰囲気が漂っていた。微かな不安を感じた私は顔を強ばらせていたが兄も同じことを思っていたのか
『こういうこともあるよ、気にすることない』
と落ち着いた静かな声で言ってくれた。 兄の言葉に私の不安は包まれていくように和らいでいき、安心できた。
兄の優しく穏やかな声は剣士の第一印象である元気さとは対照的に本が好きそうな静かでおとなしい印象を思わせとっても頼りがいがあった......。
湿り気が増しつつある入り組んだ道を抜けながらも目的の素材がある少し大きな広間へとたどり着いた。入口付近より一層不気味さが増した洞窟内で、松明を翳しながら素材である湿土(洞窟にあり、粘土のような性質がある)を手で掬っていく。
質感が良かったのでいつもより沢山上質な湿土が取れた事に少し肩の荷が下りた私は、造形が主な仕事である父の喜ぶ顔を思い込んで笑みを浮かべた。私の父は造形店を営んでおり造形品を作る為に湿土が必要というのでこうして毎日洞窟へ入っているのである。洞窟の外観はとても綺麗とはいえないができるだけ均しておくことにしている。
もう少し、もう少しと奥に行ってみると、ちょうど墓が祀られそうな窪みから微かな光が差し込んでいるのが見えた。洞窟で光なんて......なんなんだろう?と興味が湧き、転けないようにそっと近づく。するとそれは仄かな光に反射して煌めいているミスリルのツボだった。光が届く空間でもないのに太陽の光に反射するように銀の質感を顕にしている。
一瞬息を呑み頬を抓ってみたものの痛みはしっかり感じ取れた。......やはりどう見てもミスリルだった。まだ幻想に浸れたような気持ちで少し立ち尽くしていた私はすごい!と甲高い声で言った。歓喜溢れる声は空気が沈んでいた洞窟内を満たした。兄もその声に反応して何事かと様子を伺ってきた。
『ねぇ!あれ見て!ミスリルがある!』
『......!。すごいのを見つけたね』
兄は笑みを浮かべながら私に言った。兄のちょっとした短所はテンションの上がり具合がわからないことで少し残念だったけど僅かに兄が驚いているのが感じられた。
銀の質感を触るのにためらいを感じたものの我慢出来ず決心してえいっ!と思い切り手を伸ばし触れる。金属である滑らかな質感と同時に素材集めで汚れていた手で触れてしまって土が付いてしまった。綺麗な金属に少しの汚れが付いただけでかなりの違和感を覚える。
『あっ、汚れちゃった!』
『......もう。手を綺麗にしておかない......とっ!』
兄に叱られたと思った束の間、洞窟の天井からミスリルに反応したかのように大きな凹凸の激しい石が落下した。その石はより硬いはずのミスリルまでをも破壊し私の服の裾をかする。少し裾が破れ散り散りとなり布が空気中をひらひらと舞う。
兄は冷や汗をかいていた。兄が私を引かなかったらそのまま肉片となっていた。石の衝撃による砂埃がもうもうと漂う中、何が起こったのか思考が追いつかない私に、兄は切羽詰まったような声を出しながら言った。。
『洞窟を出て!』
兄はいつも怒らない性格なのだが、その時はまるで人が変わったように私を怒鳴った。未だに戸惑いつつも兄の言う事に従うべく洞窟の入口へと戻ろうとする。
心臓がバクバクと今にも破裂しそうな勢いで鳴る。体が拒否反応を起こし、微々たる動きもできなかった。
はっと思考を戻し体を懸命に動かしていると、ふと兄が言った言葉に少し違和感を感じた。......まるでこれから危ない事が起きるような────。
※※※※※※※※
兄が危険だと認識した私は、もうすぐ入口という所まで来ていたけれどすぐに引き返した。石は確かに怖かった。あのまま潰れていた可能性だってあったのだから。
しかし兄の言動はどうもおかしかった。石がまた落ちてくるのであれば私と一緒に洞窟を出ようと言ってすぐ逃げれば良いのだ。それ以外で考えるとすれば...罠と続いて洞窟の主か何か。私は仮にもヒーラーだ。戦える。今ならまだ間に合うかもしれない。そう思い苦しくなる胸を抑えながら前の場所へ────。
急いで兄のいる場所へ。不安が消えた訳では無いけれど、兄が危険な事と対峙している事は明らかだ。一人そのまま逃げる訳には行かない。そう思いながらミスリルのツボがあった辺りの壁へと足音を立てないようにして隠れ、様子を伺った。耳を澄ますと兄の気の籠った声がはっきりと聞こえた。
『セイッ!ヤァ!』
やはり何かと戦っているのだ。すぐにでも行こうと思った。疲れで重みを感じる足をもう一歩もう一歩と踏み出し、そして兄が見えるすぐ手前で兄が息切れしながら言った。
『早く逃げろ......!ヒーラーがいると相手が......強くなるんだ!だから......ハァハァ......そこの......隅に...ハァハァ......隠れてろ!』
その後にすぐさま剣戟の音が重なる。私がいる事は兄は知っていたようだった。息切れしつつも叫ぶ兄の声を聞きながら、私は見つからないようにしながらも頭をフル回転させた。
ヒーラーがいると強くなるモンスター。或いは亜人族。
果たしてそんな魔物を見たことがあっただろうか。初めて聞いた敵の生態に疑問を抱く。が、
((いや、いるのだろう))と私はすぐ信じ込んだ。兄が言っているなら本当だ。私が行って、もし本当の事なら兄の負担が増える。そうなってしまっては私は兄を裏切ることになる。剣戟の音を聴いてもかなり優勢と確信した私は、このまま隅に隠れて非常事態に備えようと決め、敵に気付かれないような窪みを見つけ体を曲げる。壁の数箇所が体に当たり冷たかったが小さい体は凹凸のある丸い壁に沿うようにしてうまく入り込めた。
────兄が儚クチってしまう事も分からナイまま私はその時を待っていた......。