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後編

 加登千秋はちょうど二十歳で学校に行かず定職にも就かず、ずっとあてのない旅をしているのだった。たまたまこの地に来て、この公園で光一らを見かけて声をかけてきた。カポエイラは昔からやっていたのだが、沙織にはとにかく脱帽して感心することしきりだった。

「ところで、なんでお前がここにいるんだよ?」

 光一の一人暮らしのアパートに加登が上がり込んでいた。

「そりゃあ、獅子村さん達は実家にご両親と住んでらっしゃるし、風子ちゃんも一人暮らしとはいえ、流石に女の子の部屋に厄介になるわけにはいかんやろ? そうなると必然的にここしかないやないか。消去法や」

「いや、だからどうしてそういう考えになるんだ……」

「六畳一間だろうとなんだろうと立派なもんや。あ、布団の心配はいりませんで。寝袋をいつも持ち歩いているさかい」

「いや、だから……」

 にこにこしながら自分の持ってる袋をぽんと叩いている加登を見ているうちに反論する気力が萎えていった。気弱だ。気弱な上に人が良いのだと光一は自覚した。まあ今夜一晩だけだ。

「それにしても、さっきのは凄かったな。獅子村の姉さんも凄かったけど、あんたも。どうやったらあんな風になれるのかな……」

「まあ年季が違うからなあ。練習次第で誰でもある程度にはなれるやろう。わいも別に自分を特別な人間だとは思っておらん。まあ、少しばかり筋が良かったかも知れんが。だけど沙織はんは別格や。あの人はどこでどうやってあんな技術を身に付けたんやろうなあ?」

「さ、さあ……? 俺も詳しい話は聞いてないんだけど」

 それは光一も知らない答えられない質問だった。「やっぱり、そんなに違うのか? 素人目にもそんな気はしたんだけど」

「違うなあ。さっきも言ってたように、カポエーラでは試合という形式もないしはっきりと決着をつけることはせん。だけどカポエーラの上手さの第一条件はいかなる場合でも技をもらわない事で、限りなく『負け』に近い状況というのは、相手の技をかわせなくて動きを止めたり寸止めされたり、となった時や。さっきのがまさにそれやな。実力差ははっきりしとる。何べんやっても同じ結果になったやろう」

「そうか……」

 そこで一瞬の間が流れたが、またすぐに加登が口を開いた。

「しかしもうすでに冬に入ってるし、これからの季節はあの公園でやるのもキツイんと違いますか?」

「ああ、天気の悪い時は屋根のある公共施設を使ってるよ。走るスペースはそんなにないけど、練習する分にはそんなに大差はないからな」

「そうでっか」

 何とも口の減らない図々しい男だ。しかしカポエイラのレベルは自分達とは段違いだ。厄介さも感じながら、光一は自分にない物を沢山持っていそうなこの加登という男に興味も湧いた。

「関西の生まれなのか?」

「いや、生まれは北海道や。わいのは正式な関西弁とは違う。あちこち渡り歩いとるうちに色んな言葉が混ざってしまってな。今は何となく喋り易いからこの喋り方にしとるんやが。関西弁ぽい喋りの方が舐められ難いような気がせんか?」

 正式な関西弁……? 正式という言葉もなんだが、確かに加登のは少し違うような気もした。

「わいはこの自分の『千秋』という名前が、本当はあんまり好かんのや。せっかく親から付けてもらった名前にケチをつけるのは申し訳ないが、本心は好いてない。なんか、女みたいやろ? 男でもおる事はおるが。どっちでも通用すると言やあそうなんやが、名前というもんは一目で男なら男、女なら女と分かるように付けるもんや。それから読み難い名前、読み間違い易い名前というのも気に入らん。なるべく誰にでも間違わずにすぐに読める名前を付けるべきや。というのがわいの持論なんや」

 聞かれてもいない事を勝手にどんどん話し出す奴だ。

「そやから将来自分の子供が生まれた時には、分かり易く名前を付けるつもりや。子供か……。そうやな……沙織はんとの子か……」

 真面目な顔をして語っていた加登が急に頬を緩ませて、「いややなあ、照れるやないか」とぽんと光一の肩を叩いた。

「お、おい。そりゃあ妄想が過ぎないか……?」

「なんでや? お前も沙織はん、魅力的に感じないか?」

 確かに、いずれはあの人も誰かの奥さんになるんだろう。だけどのその姿はとても想像がつかなかった。

「魅力的というのは……それは勿論そうだけど。それとこれとは別なような……」

「分からんなあ。ああ、あれか。高嶺の花、ちゅうやつかなあ。わいは迷う事なく本気で沙織はんが好きや。ネバーアップネバーイン、て言うやないか。当然これからもアタックしていくつもりや」

 羨ましい性格だ。確かにそうなのかも知れない。

「まあ、お前さんの本命は風子ちゃんやもんな。人それぞれっちゅうことか。頑張れよ」

「なっ……」

「だけど、その風子ちゃんは別の男に興味ありで。でも今の段階だったらどうにでもなるんとちゃいますか?」

 鋭い。今日会ったばかりだというのに一体どこまで見透かされているのか、空恐ろしくなった……

「寝よう、寝よう! 明日も練習だ」

 何だか今迄の築いてきたものや生活、自分のアイデンティティーが破壊されそうな感覚に襲われた。強引に寝る事にした。


「そういう事で、しばらくここに滞在する事にしましたわ」

 翌日公園で加登は皆に挨拶をし、昨晩光一の部屋に泊まった話をした。

「まあ、お布団は別々でしたがな」

「えっ……」

 風子が怪訝な顔をした。

「お、おい、何言ってんだよ。大体お前は寝袋で寝てて、一緒なわけないだろ」

 光一が慌て気味に言った。

「そやからこいつ寂しがってなあ。まあこいつは両刀使いだから、風子ちゃん、安心してええで」

「え、安心って何を……」

「そうだったのかあ」

 健太も笑いながら反応した。

「わいはもとよりそんな趣味はない。綺麗な体のままや」

 そう言って加登は口笛を吹き始めた。放っておくと何を喋り出すか分からない。まあこの男の喋る事をあまり気にしてもしょうがない、と光一は半ば諦めた。そんなやり取りを眺めていた沙織は

「そうかー。しばらくこっちでみんなとカポエイラをやるのねー」

 と喜色を表した。

「ええ、この中森君のアパートでお世話になりますわ」

「そうなのねー。光一君、ありがとうねー」

「え……?」

 ずっとなのか? ずっとこの男は俺の部屋に居候するのか? 光一にも拒否する権利があるのではないかと思った。「あの、ちょっと……」

「まあそうですな。一ヶ月か二ヶ月か分かりまへんが、一緒にやらせてもらいたいと思います。沙織はんの技を盗みたいと思とります」

「そうかあ……!」

 沙織が大きな声で一言そう言ったかと思うと、あごに手を当てて彼女にしては珍しく考え込むポーズをとった。光一の声はすでにかき消されていた……。それから沙織はおもむろに口を開いた。

「それじゃあ、かとちゃん、少なくとも来月の半ばまでは居るわけだよね?」

「まあ、そうなりますな」

「そうか。実はね。来月の上旬に東北の方でね、ダンスのイベントがあるの。それに参加したいと思ってたんだけどね。創作ダンスだけど、あくまでもカポエイラをベースとした、カポエイラをアピール出来るもの。ずっとその構想を練っていたんだけど……」

 初めて聞く話だった。沙織は続きを話す。

「カポエイラはやっぱり、二人以上での技のかけ合い・かわし合いがないとね。私の相方を務められる人がいなかったんだよねー。だけど、かとちゃんが現れてくれたおかげで、私の中のイメージが一気に広がったわ」

「そうでっか。わいでは役不足かも知れまへんが精一杯その役目、務めさせてもらいます」

 二人で話が進められていく。あとの三人は何となく避ける事が出来ない運命のようなものを感じていた。

「それじゃあこの後、そのイベントとやらの打ち合わせも兼ねて懇親会とでも行きまへんか? 本来なら酒の席でも設けたいところですが、わいは金がないんで。いつものファミレスでええですやろ」


「そんなに大きな、有名なイベントってわけでもないのよね。レベルもそんなに高くないって話だし、手始めにはいいかなって思ってるの」

 お馴染みのファミレスで沙織が皆に説明をしていた。

「この手のダンスのコンテストって色々あるんだけど、そっちの方にたまたま私の友達が住んでいてね。それで前からその情報があって、色々構想を練ってたっていうわけ。で、友達にも会いたいし二泊くらいの旅行を兼ねてと思ってね」

 ようやく話が見えてきた。「カポエイラの団体が主催する正式なカポエイラのイベントっていうのもあって、そっちの方にもいずれは参加するつもりだけどねー」とも沙織は語った。彼女を心底リスペクトする加登はひたすら「うんうん」と頷いていた。光一達も旅行というのは楽しそうだと思った。しかしダンスのコンテストというのはどうにも不安であったが……

「音源はCDで五分以内の演技。一チーム二人以上で、五人というのは特に多過ぎるって事もないしちょうどいい感じね。ただうちのチームの場合、私とかとちゃんの技のかけ合いがメインで、あとの三人は周りで簡単な踊りをやる事になるわけで、その辺の構成を上手く考えるつもりだけど」

 沙織は次から次へとダンスの内容について話す。高度な技は沙織と加登の二人がやるが、三人もジンガやホレーという基本の床移動をしながら二人にも絡む、基本の蹴りに避け動作、その演技のシナリオをノートに書き出していった。各人の立ち位置、その入れ替わりなど、話を聞いていると確かにそれらしく見えるように思えてきた。

「音楽はCDで流すんだけど、演出のための小道具としてパンデイロっていう楽器を使おうかなあって思ってるの。タンバリンみたいな楽器ね。私が用意するわ」

 沙織はどこまでも楽しそうに話すのだった。


 こうしてダンスコンテストに向けての練習の日々が始まった。

 加登は毎朝、光一が出掛ける時間に一緒に出るか、それよりも早い時間にアパートを出た。素性の知れない人間を部屋に残す心配の要らないようにそれなりに気を使っていた。滞在先での金策でもあるのか、詳しくは話さなかったがそれなりに毎日やる事もあるようだった。

 ただで住まわせてもらっているが、食事代などで光一には一切の迷惑をかける事もなく、掃除・洗濯なども手伝った。そのうち光一も加登を信用して留守番をしてもらうようにもなった。カポエイラも教えてもらって少しずつ上達した。

 健太と風子も徐々に上達した。三人の上達に合わせて演技のシナリオに細かな調整をしながら、皆必死に覚えて練習を繰り返した。そうして無我夢中で日々を過ごしていき、いよいよイベント当日となった。


 バスを降りると会場となる体育館はすぐ近くにあった。開会式は午後からという事で、JR特急を乗り継いでの移動だったがそれ程の早起きの必要もなかった。

 冬の東北という事で、皆防寒着をしっかりと着込んできていた。沙織はアイボリーのボンディングブルゾンの内側に薄い緑のセーターをのぞかせている。風子は紫色のダウンジャケットの前をしっかり閉じてグレーのニット帽、手袋までしている。光一も健太も、それぞれ特に気合いを入れているという訳でもないがそれなりによそ行きを意識した服装だった。

「加登君ってもう来てるかな?」

 風子が口を開いた。加登だけは別行動だった。

「多分ね。その辺で待ってるんじゃないかな」

 光一は昨日の朝の事を思い出していた。


「もう行くのか」

 朝早く出発の準備をしている加登に光一は寝惚け眼で声をかけた。

「ああ。沙織はんは学生の皆はんの事を配慮して格安のプランを立ててくれたみたいやけど、それでもわいにとっては厳しいからな」

 リュックに、寝袋を入れた袋に、自分の持ち物の全てを入れているようだ。

「今日のうちに目的地に着いて、そして向こうで野宿や。必要な物を持っていかんといけん」

 そうした様子を眺めていると、やはりこの男は自分達とは違う人種なんだな、と光一は思った。

「特急なんてもんは、わいにとっては贅沢品や。この間金券ショップで探してたら運良く青春18きっぷが売ってるのを見付けてなあ。それで行くんや」

「青春18きっぷって、鈍行で行くやつか。なんか大変そうだな」

 鈍行に野宿……光一は半ば呆れ憐れみの気持ちを込めた、またある意味尊敬するような視線を向けた。

「まあ、この季節やからなあ。万が一の事があって皆に迷惑もかけられんし電車を利用するんやが、本来なら歩いて行くところやな」

「……そうか」

 光一はそれ以上話すのをやめて黙って見送った。


 加登の姿を見付けた。加登の方も気付いて近付いてきた。

「やあ、皆はん。おはようございます」

 加登の服装を見るとよれよれの色の抜けた皮のコートを着ていて、昔の刑事ドラマに出てくるような冴えない中年刑事を連想させた。荷物も全部持ってきていて重そうに見える。

「おっはよー、かとちゃん。今日はよろしく頼むわよー」

「ばっちり、任しといて下さい」

 沙織の言葉に加登は自分の胸を叩いてみせた。

 そうして一行は会場に入り受け付けを済ませて、演技用の衣装に着替えた。サッカーのブラジル代表をイメージした黄色い地に緑の文字が入ったTシャツに青い短パンで、この日のために用意しておいた物だった。

 ユニフォームに着替えると、さっきまで一番冴えなく見えた加登が沙織と並んで物凄く見栄えがして、やはりこのチームの中心を担っている事を思わせた。


 開会式の後、いよいよ各チームの演技が始まる。二十以上のチームが参加し、見に来ている観客も大勢で会場はある種の熱気に包まれていた。

 どのチームも一生懸命練習してきているのが伝わってきた。そして上手だった。パンデイロを片手に光一は、自分らが一番下手なんじゃないか、という気持ちで他のチームの演技を見ていた。そうしているうちに出番が回ってきた。

 ステージに立つと多くの視線を受けた。雰囲気に飲まれそうになったが、直ぐに音楽が流れて演技がスタートした。

 もはや深く考えても仕方がない。練習した通りに、間違わないように、次の動きを頭に描いて、リズムから外れないようにつないでいく。

 沙織と加登は流石の動きだった。格闘技色を濃くするよりも踊りとして綺麗に見せる事を意識して、交互に同じ技を出しては避け合っていく。三人も時々二人と絡み合って、蹴りを出しては避け、そしてまた間合いを離す。合間にパンデイロを叩く。

 そして最後の見せ場がきた。沙織と加登の動きが最高に激しくなった。それまでよりもぐんと近い間合いから、本気で当てようとしているかに見える速さで、次々とアクロバティックな技を繰り出し合った。連続の回し蹴り、逆立ちしての旋風脚、バック宙しての蹴り、横向きに飛んで空中で回転して両足での蹴り。交互に綺麗に同じ技を出して、綺麗に避け合う。会場がどっと沸いたのが分かった。

 音楽が終わり、五人が中央に並んで頭を下げた。無事に演技が終了した。


「お疲れ様ー」

 コンテスト終了後、宿泊のホテルに荷物を置いてから地元の料理店で夕食となった。沙織と加登はビール、光一と健太と風子はソフトドリンクでの乾杯だった。

「結局、上位入賞には圏外でしたな」

「しょうがないよ。上に行く人たちはやっぱり上手だもん」

 順位は真ん中くらいで可もなく不可もなくといったところだった。皆無事にやり終えた事にほっとしていた。

「俺、一箇所ミスしました」

 光一が頭を掻きながら言うと、

「わたしも、ちょっと」

「僕も」

 風子と健太も少し自嘲気味に言った。

 あるいはそうしたミスがなければ上位入賞も夢ではなかったのではないか、ひょっとすれば優勝? という気もしないでもなかった。

「まあみんな精一杯やったよ。目標に向かって全力で努力する事に意味があるんだよ。本当に良かったよ」

 沙織にそう言われればもう反省会は終わりだった。

「それにしても二人は流石だったよなあ。全然間違わないんだもん」

 光一が羨望の眼差しで沙織と加登を見た。本当に見事な演技だったと誰もが思っていた。

「そうでっしゃろ。沙織はん、わいに惚れ直したですやろ」

 加登が沙織に顔を向けると、

「君ね、日本語の使い方がおかしいし、根本的に何か間違ってるよ」

 沙織は軽くかわした。「また、照れてはるな」と加登はめげなかったが。

「沙織さんの友達とは明日会うんですよね?」

 風子が訊くと、

「うん。本当は今日の昼間から会ってコンテストも見てもらいたかったんだけど、急な用でね。明日は間違いなく会えるからね。こっちの案内をしてもらうよ」

 沙織は答えた。

 ホテルに戻り、女子二人の部屋に全員が集まった。

「男子組の部屋はかとちゃんの荷物も余計に置いてあるからね」

 加登は宿泊者ではないが当然のように図々しく入り込んでいた。頃合を見て上手く抜け出すつもりであった。こちらの部屋も手狭ではあるが皆でわいわいとトランプをしながら過ごした。

 明日は純粋な観光になる。


 予感があった。


 翌朝、早くに目が覚めた光一は一人で外に出た。

 海が近くにあり、松の林が見えた。

 その林の方に向かって歩いた。

 加登が野宿する大体の場所を本人から聞いていた。


 寒いと感じた。

 こんな寒い中、外で寝るような真似は光一には出来ない。

 奴なりに身に付けたノウハウがあるんだろうな、と思った。

 しばらく歩くとその奴の姿が見えた。

「なんや、あんたか」


 加登は全ての荷物を背負い手に持ち、すっかり出発の準備を整えていた。

 そのどこか寂しげな瞳を見た時、光一の予感はほぼ確信となった。

「行くのか?」

「……ああ」

 やはり彼はこのまま旅立つつもりなのだ。

「このまま行ってしまうのか? みんなに何も言わずに去るのか?」

「ま、別の方法を考えていたんやが、ここであんたに会ったからな。あんたからみんなに言っといてくれんか?」

「ああ、分かったよ」

 行くんだな。来た時も突然だったが、行く時も似たようなものだと感じた。

「昨日で一応の役目は終わったと思っとるんでな。いつまでもいるつもりもないし、いてもしょうがないし、区切りだと思ってな。あんたには世話になったな」

 加登は笑って自分の右手を差し出した。

「そうか。まあ、生きていればまたどこかで会うかもな」

 その手を握り返し、光一はそれ以上余計な事は言わずに見送る事にした。


「あいつによろしく伝えてくれよ」

 ヒュー、と風の立てる音が聞こえた。

 少し離れた所に立っているシュロの木の葉が揺れた。

「今ならホテルで寝ているはずさ」

 手を離した後、加登が少し後ろに下がって今迄と違うトーンで喋り出した。

 あいつというのは、獅子村姉の事だろうか。

「泣いたら窓辺のラジオを付けて、陽気な唄でも聞かせてやれよ」

 妙な命令口調になっている。

 ラジオに陽気な唄というのはセンスの古さを感じさせる。

「アメリカの貨物船が桟橋で待ってるよ」

 貨物船というのは乗れるのものなのだろうか。この男はアメリカに行くつもりなのか。

 ただ言っているだけのようにも見えた。

「冬のカポエラ……か」

 普段の関西風の発音はどこかに行って、一人芝居がかった調子で喋っていた。いつものカポエーラではなく正しくカポエイラでもないが、わざわざ指摘する気にも光一にはなれなかった。

「男って奴は港を出ていく船のようだね。哀しければ哀しいほど黙りこむもんだね」

 加登は後ろを向いて歩き始めた。

「あいつは俺には過ぎた女さ……」

 まだ呟きが聞こえた。少し背中を丸め、哀愁を漂わせていたが、コートのボタンが一つ取れかかっていてその姿は様にならなかった。


               (「冬のリヴィエラ」作詞・松本隆/ビクター音楽産業/昭和五十七年)


「アーハッハッハッハー。あいつらしいわねえ」

 皆で朝食をとりながら先程の話をすると、沙織は大笑いした。泣かないだろうとは思っていたが、身も蓋もないというかこれでは加登の奴も浮かばれないなと光一は思った。

 どうやら昨晩、加登の奴は本気で沙織に告白したらしい。そして本格的に撃沈させられたのだった。完全決着で奴としてはやる事をやり尽くしたのだろう。

「でも、もう会えないのかな?」

 風子が少し寂しそうな顔をすると、

「さあね。カポエイラを続けていれば、またどこかで会う事もあるんじゃない?」

 と沙織がさらりと言った。

「しかし、おかしな奴だったな」

「そうそう、変な奴だった」

 皆の口からはそんな言葉ばかりが出た。だけど羨ましい面もあった。奴のある面に関してはほんの少しでも見習うべきなんじゃないか、とも光一は思った。

「なあ……」

 光一の隣に座っている健太がポツリと言った。

「ん?」

「伊狩部長、早く元気になって復帰しないかな?」

 光一は「……ああ、そうだな」と短く返しながら健太の顔を見た。

 ほんの何気ない会話の中での一瞬の出来事だったが、その時に光一は健太の心の一部がどこにあるのかが分かったような気がした。

 人と人との関係は微妙なバランスによって保たれていたり、時には何でもないような事で途切れたり疎遠になったりする事もある。そんな人との繋がりの中で奇妙な巡り合わせというものを感じさせてくれた冬のカポエイラだった。

                                              <了>

森進一「冬のリヴィエラ」ですね。このシーンがまず浮かびました。一つ迷ったのが、本当にそのような関係があったのか、それとも本編のような一人芝居にするか、という事でしたがコメディという事でこれでいいかなと思いました。加登は本当に活躍してくれました。他のメンバーがあまり個性が無いのですが……


登場人物の名前は『ドリフターズ』から取っています。


獅子村健太 ←志村けん

中森幸一  ←仲本工事

高井風子  ←高木ブー

加登千秋  ←加藤茶

伊狩知世子 ←いかりや長介


獅子村沙織 ←由紀さおり


最初の構想を立てた時は人数がハッキリと定まっていませんでした。だいたい五~六人かな? という感じで、まあ深い意味もなく「ドリフからとろう」と思いました。

結局は六人になって、一人だけ他から名前をとってくる事になったのですが、入れ替わったメンバーとかから使う案もありましたが(荒井注とか)、一組は姉弟が入るという設定だったので、どのみち上の名前は使えない。それならグループのメンバーにこだわる事もないか、と思いました。

そこで準レギュラー的な存在だった由紀さおりが頭に浮かびました。誰と姉弟にしようか……。強い姉という設定だったから、いつも志村けんのバカ殿に足蹴にされていたから、弟を志村けんにしよう。逆に志村けんを泣かせてやろう。

こうして足技の達人、獅子村沙織が誕生しました。

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