前編
今年1月に「アルカディア」に投稿した作です。少し修正してあります。同人誌バージョンとも少し違うのですが(いずれ同人誌バージョンに修正したいと思います)
語呂合わせで「冬のカポエラ」というタイトルが思い浮かびました。そのタイトルだとどういう話になるのか? と考えていったら、ほぼ必然的に(?)こうなりました。ラスト前のシーンがどうしてでもこうなって、ひたすらこのシーンにつなげる事だけを考えました。(もし貴方がこのタイトルで話を考えたらどんな話になるのでしょう?)
登場人物の名前ですが、あるグループのメンバーの名前をそれぞれ少し変えています。一名はそのメンバーではないですが、準レギュラー的な存在の人物の下の名前だけを拝借しました。
「カポエラ~?」
秋も深まった平日の昼下がり、いつものファミレスの片隅で中森光一が獅子村健太の言った言葉に反応した声がどことなく間抜けな感じで響いた。
「そう、カポエラ。正確に言うとカポエイラなんだけど。どっちでもいいか。だけど姉貴の前ではやっぱりちゃんとカポエイラと言った方がいいと思う」
健太は少し困ったような真面目な表情、だけど何となく小馬鹿にしているようにも見えた。
「カポエラっていうと、ブラジルの格闘技? なんかずっと逆立ちしてるようなやつ?」
「あー、別に逆立ちばかりしてるわけじゃないんだけど。そういうイメージで描かれる事が多いけど、実際はむしろ地面に足をつけてる事の方が多いよ。それから格闘技とも限らないんだ。どっちかというと踊りだと思ってもらった方がいいかな」
唐突に「カポエイラをやろう」と言い出されて何のことやらピンとこない、どう見ても乗り気な態度ではない光一に対して健太は少しでもイメージを柔らかくしようとしている様子だった。
「そうだよ。ダンスの世界で、例えばストリートダンスに取り入れられたり、バレエをやる人でもカポエイラを取り入れたりとか。それとかフィットネスにも使われてるんだ。ねえ、高井さん。ダイエットにも効果があると思うよ」
それまで二人のやり取りを黙って見ていた高井風子の方に健太は顔を向けた。
「えっ」
突然話を振られた風子はメガネの内に戸惑いの表情を少し見せた。
三人は同じ大学の一年であり同じサークルのメンバーで、部室を持たない彼らは学校内の適当な場所に集まったりこうしてファミレスで会合したりしていた。
「だけど、何だってそんなものやらなきゃならないんだよ? 伊狩さんに黙って勝手に始めてもいいのかよ?」
光一はあくまで否定的な口調だ。
伊狩知世子はこのサークルの部長で、現在はとある病気のために長期離脱している。
サークルの名前は『蛍発の会』という。自己啓発を目的としているらしいが非常に活動が曖昧で、彼らも特に強い興味や意思があって入会したわけでもなかった。
同じ学部で何となく話をするようになった光一と健太が二人で大学内を歩いていて伊狩から勧誘された。特に目的もなく何かやろうかと思っているところへ声をかけられ、そして部長がちょっとした美人だった事が入会の理由となっていたようだ。風子の方も特に理由はなかったけど、伊狩部長の誠実な態度に何か惹かれるものを感じたようだった。
どことなく主体性の欠けた面々だったが、誠実な部長に引っ張られてサークルはその体裁を保っていた。その部長が不在となって数週間が経つが、特に誰も抜けようともせずサークルは存続を続け、今日もこうして集まっている。
ただサークルの目標は失われていた。そんな中で唐突に健太がカポエイラの話を持ち出したのだった。
「伊狩さんは別に関係ないだろ。別にサークルの活動としてやらなくちゃならない訳でもないし。それにサークルの主旨ともそんなにどう仕様もなくかけ離れているとも思えないけどなあ」
健太の反論に、光一は言葉を出さずにチラリと横目で風子を見た。確かに部長の名前を出した事には大した意味がないなと自分でも思っていた。ただ何か反対したい気分だった。
風子はどう思っているのか、そんな事を一瞬考えてからまた光一は健太を正面に捉えた。
「だけど、なんでカポエラなんだよ。カポエイラ? どっちだっていいか。そんなものやらなくちゃいけないんだよ」
「さっきも言っただろ。姉貴がさ、どこで覚えてきたのか知らないけどカポエイラに妙にハマっちゃってさ。僕に教え込もうとしてさ。それから以前から僕らの話をしていたのを思い出して『じゃあ、連れて来なさいよ』って、なったんだよ」
「…………」
どうもよく分からない。この男の姉の話は何度か聞いた事はあったけど、どういう人なんだろう? 光一は首を捻る。
「別に、お前一人で教えてもらえばいいんじゃないの?」
「いや、さあ……なあ、頼むよ。一人じゃ心細いというか……いや、別にそんな怖いという事じゃないよ。そんな悪い話じゃないと思うんだよ。ねえ、高井さん?」
またもや困ったような表情を作りながら苦笑いをして、健太は風子の方を向いた。そして手を合わせた。
「さっきも言ったけど。ダイエットにも良いと思うよ。姉貴に会って、その体型を見てみてよ。すごいスマートなんだよ。ね、お願いだよ」
さほど厚くはないレンズの奥の瞳は健太の視線を捉えると、慌てたように少し目線を下に下げて
「そ、そうね。獅子村君がそこまで言うなら……」
最後まで言葉を出してはいないが、その態度はO.K.である事を表していた。これで流れは変わった。カポエイラという馴染みのないものを出したり恐姉家(?)ぶりを見せてボケる健太に光一がツッコミを入れているような構図だったが、風子を味方にした事によって形勢は一気に有利となった。
「……わ、分かったよ。それじゃあ、こんどの土曜日か。運動し易いカッコで行けばいいんだな」
いち早く敗戦を悟った光一はあっさりと健太の話を受け入れた。そしてその週の土曜日の午後から近くにある大きな公園に集まる事となった。
秋晴れの気持ちの良い日だった。少し肌寒くはあったがスッキリと晴れた空の下で、確かに何か運動をしなくては勿体ないような気もする。どちらかというとインドア派に属する光一ではあったが、そんな事を頭の片隅に思いながら待ち合わせの場所に足を運んだ。
集合時間の五分前に到着したが、他の面子はもうすでに来ていた。
光一が近付くと健太の隣に立っていた女性がにこやかに声をかけてきた。
「初めまして~。君が中森光一君だね。健太からよく聞いてるよ」
「あっ。こんにちは。初めまして。獅子村君のお姉さんですか?」
勢いに押されそうになりながらも光一は挨拶を返した。
「そうでーす。獅子村沙織です。よろしくねー」
実に元気な人であった。妙な迫力を感じる。光一は軽く獅子村姉を観察してみる。
首が隠れる程度の髪の長さの風子に比べると、明らかに長い。肩の下まで伸びるロングだが動き易そうに一本に束ね斜め後ろに流している。男子の平均身長より低い健太と同じくらいの背丈で、そして健太の言う通りに均整のとれた抜群のスタイルだった。身を包んでいるのはごく平凡なトレーニングウェアなのだが、ピタリと決まっていて何か特別な素材なのではないかと錯覚してしまう。
それから澄んだ瞳の目元はキリリと引き締まり、鼻立ちも整い輪郭も綺麗な線を描いている。体とのバランスのとれた小さめの顔は『美人だ』と思った。
弟の健太も優男ではあったが顔立ちそのものは整っている。家系なんだろうか? 光一は弟の方に軽い嫉妬心を覚えた。
鋭いとも言える眼力を持ちながら、それでいて余裕も感じさせる。声も綺麗でハッキリとしてよく通る、一流アスリートのような雰囲気をも感じさせる美人でカッコいい女性、光一の獅子村沙織に対する第一印象はそういうものだった。
「君たち、健太と同じ歳なんだよね。ピカピカの一年生だねー」
沙織は光一と風子を交互に見ながら嬉しそうにしている。
「姉さん。大学生にピカピカの一年生はないだろ……」
弟がツッコミを入れたが、その声には力が入っていない。
「ふふふふ。可愛いわねえ。たっぷり可愛がってあげるからねえ……」
沙織が両足をガニ股に開いて舌なめずりをしながら両の手を広げて掴みかかるような真似をした。二人は苦笑いしながら少し後ずさった。
「姉さん。三つしか歳違わないし、可愛いも何も……」
その理屈はどうなのか分からないが、この弟が姉を恐れている様子が見えてきた。
数分後、四人は公園の外周を走っていた。一周四百メートルくらいだろうか。「それじゃあ、準備運動で軽くこの周りを二周ねー」とさも当たり前のように沙織が走り出し、続いて健太が「やれやれ」と駆け出した。それに倣って光一、風子も走らざるをえない空気になった。
「走るのなんて高校の体育の授業以来だよなあ……」
息を切らせながら光一は自分の少し後ろを走る風子を見た。自分の方が速いけど女の子にしては頑張っているな、と思った。
コース前方を見ると、獅子村姉は遥か先を行っている。半周は差がついているだろうか。カモシカを思わせるようなしなやかで軽やかな走りだ。獅子村弟は光一より三十メートルくらい前を走っている。
優男かと思っていたが意外にやるな、と光一は思った。あの姉にそれなりに鍛えられているのだろうか。奴に負けるのは何だか癪だ、と光一はペースを上げたがなかなか追い付けない。次第に足がもつれてきた。気が付くと風子に並ばれていた。
「中森君、もう少し。頑張ろう」
苦しそうな顔をしながらも自分を励ましてくれる風子を見ながら、俺ってそんなに駄目な奴だったかな……と落ち込みそうになった。二人で「もう少し」と励まし合いながら並走していると
「遅い、遅ーい。だらしないなあ、君たちー」
と沙織がもの凄いスピードで二人を追い抜いて行った。
「退屈だからもう一周しちゃったよ」
ようやくゴールした二人に沙織は呆れたような目を向けた。二人よりも一足先に走り終えていた健太はやっと呼吸が戻ってきたところだった。
「いや……走るのは……ほんと、高校以来で……」
「わ、わたしも……しばらく……走ったことなんて……」
光一も風子も、息も絶えだえにやっと言葉を絞り出した。この人は自分達とは違った動物なんだろうな、と思い始めていた。
「まあ、初日だからねー。これから鍛えていけばいいか。それじゃあ、次はストレッチねー」
石張り舗装になってる所で腰を下ろして柔軟体操が始まった。
「これがジンガ。カポエイラの基本のステップねー」
やや前傾姿勢で歩幅を大きくとって、左の足を後ろに下げながら右腕を上げて肘で顔面をガードする、下げた左足を前に出して今度は右足を下げながら左腕を上げる。
ウオークマンを下に置いて南国風の音楽を流しながら、獅子村沙織がリズムに乗って軽やかに動作を繰り返しいくのを三人は見よう見まねでやるのだがどうにもぎこちない。一日の長である健太が多少は上手いようだが、沙織からはどんぐりの背比べにしか見えない。
「とにかくジンガがないとカポエイラは始まらないからねー。まずは私の後ろから私の動きを見ながら一緒に体を動かしていくのよ。同じ方向に動いて動きを身につけていくの。しばらくしたら、今度は私が反対を向いてみんなと向き合ってやるからね。しっかりとガードして相手がいる事を意識してやるのー」
ひたすら合わせて体を動かすしかなかった。最初のうちはぎこちなかったけれど、そのうち全員のリズムが揃ってきたようだった。
「だいぶいい感じになってきたわねー。次は蹴りを避けるポーズを覚えるの。自分が蹴るよりも先に避け方ね。柔道でも最初に受身を覚えるのと一緒ね」
沙織に倣って、片手を地面につけて頭を低くして下げもう片方の手でガードのポーズをとる。右に左に、ジンガの流れの中でリズムをとりながら避けの動作を入れる。そのうちに沙織が蹴る役を始める。最初は遠目に蹴りを出すだけだったが、慣れてきた頃合に一人一人の前に立ってゆっくりと蹴りを出して避けさせてその頭上を空を切るようにして足を通過させていく。
「避けがしっかり出来るようになったら、今度は蹴りねー。メイアルーアジフレンチっていう基本の内回し蹴りね」
三人の生徒達は沙織の真似をして蹴りを出してみる。
「あー、足が上がらないわねー。光一君、硬いなあ。風子ちゃんはまだ柔らかいけど力が足りないのね。腹筋を鍛えないと。次からは準備運動のメニューを増やさないといけないかな。健太は少しましだけど、まだまだだからねー。各自、普段からストレッチや筋トレをやっといてねー」
三人とも不完全な蹴りをジンガのステップの最中に繰り出していく。それを離れた位置で沙織が避ける真似をする。
「カポエイラは相手に攻撃を直接当てないからねー。約束組手みたいな感じで、お互いに避けられるように攻撃してそれをかわすのを繰り返すの。勝ち負けをハッキリさせる試合みたいなものはないの。格闘技、護身術でもあり踊りでもある。老若男女、誰でも楽しめるのがカポエイラなの」
そう話す沙織の表情は実に楽しそうだった。本当にカポエイラが好きなのだと思えた。そんなこんなで初日の練習の時間は過ぎていった。
夕方、三人はいつものファミレスにいた。
沙織先生は用事があるらしく「じゃ、お先に」と言って帰ってしまい、いつもの面子で打ち上げとなった。
「いやー、疲れたなあ」
光一の開口一番の言葉に皆も無言で同意した。
「しかし、凄い姉さんだな。一体何者? って感じで」
「職業は普通のOLなんだけど。昔からああなんだよ。にこやかな時でもなんか迫力があるんだけど、怒らせるともう手がつけられないんだ。ケンカでもずっと勝てなくて……」
それは分かるような気がした。光一も多分負けるだろうと思った。
「だけど、素敵なお姉さんねえ。憧れるわ」
風子が言った。確かにそうだろうなと思った。
「あの一緒に流してた音楽、あれも何か不思議な感じだけど。あれってブラジルの音楽なのか?」
「あれね。僕も詳しく知らないんだけど、アフリカの打楽器とかも混じってるみたいなんだ。さっき姉貴も言ってたけど、カポエイラってアフリカから連れてこられた黒人奴隷が主人から身を守るために練習した護身術で、格闘技の練習をしているのをカモフラージュするために踊りの練習に見せかけるように一緒に音楽を流しながらやってたんだ」
そんな話をされたような気もするけど、光一も風子も練習に無我夢中で頭に残っていなかった。
「しかしいつまでこれが続くんだよ? 明日も同じようにやる事になって。この調子だと毎週だぜ」
「さあ……姉貴が飽きるまで、かな?」
「なんだよそれ。俺たちゃ生贄か?」
「まあ、もうすぐ冬だし。女心と秋の空って言うじゃない。」
健太自身、言っていて意味がよく分からなかった。
「頼むよお。別にやっていて、そんなに悪いものじゃないだろ。初心者にはちょっと優しくないかも知れないけどさ。ね、高井さんもお願いだよ。姉貴のスタイルに憧れるだろ?」
風子の方を向いてまたも手を合わせる健太だった。
「そ、そうね。わたしも、まだ始めたばかりだし。続けてみたい、かな……」
「そうか……」
風子の態度を見て、光一も続けざるをえなくなったと覚悟した。
光一は風子に対して淡い想いを抱いていた。その風子の視線が光一には向いていない事を何となく感じてはいたが。風子が見ているのは……多分健太だ。その健太の気持ちがどこにあるのか、今一つ測れないでいたのだが。このサークルが存続している理由の一つは個々のメンバーのそうした感情であるような気がしていた。
数週間の時が流れた。
週末の練習は毎回欠かすことなく続いていた。各自日頃からもそれなりに練習して、だいぶ形になってきていた。
「俺達もだいぶ上手くなったよな。と、お姉さんの前で言ったらからかわれそうだけど」
いつもの公園で、いつものように練習をしながら光一は軽口を叩いた。沙織は「トイレ」と言って場から離れていた。
「基礎体力もついてきたよな。走る事はやっぱり基本なんだよ」
「わたしも、足が上がるようになって、蹴りもスムーズに出せるようになったわ」
三人とも練習の成果に喜びを感じながら体を動かしていた。和やかな空気が流れていた。
「ハーハッハッハ。なんや、それ? カポエーラのつもりか?」
突然、関西弁風の妙なアクセントを付けた声が響いた。声のした方を見ると、やや色黒で頭にバンダナをしている薄汚れたジャージを着てた同じくらいの年頃の青年が近付いて来ていた。青年は背中にリュックを背負い片手に大きな袋を下げていた。
「音楽を流してなかったら、カポエーラだと分からんかったで。そんなもんでよく人前で恥ずかしくもなくやってまんな」
えらく挑発的で馬鹿にした態度だった。流石に三人はカチンときたが
「ええか。カポエーラというのは、こうやるんや」
文句を返す間もなく、荷物を下に置いての青年の踊りが始まった。それはあまりにも見事な模範演技だった。基本動作に始まって、逆立ちしての前後への蹴り、側転から側宙、バック転など体操選手のようなアクロバティックな技を軽く繰り出してリズムに乗りながら自然にカポエイラを演じている。
ようやく側転が出来るようになった程度の彼ら初心者とはレベルが違い過ぎてどうにもならなかった。こんな人も世の中にはいるのかと、感心して見ているよりなかった。
一通りの踊りを終えて、青年は再び三人の前に立った。
「ほんまに、あの程度でカポエーラを名乗るのはおこがましいわ。あー、恥ずかしいわあ」
腕前が凄いのは認めるが、この態度はどうにも許せないものがあった。
「べ、別に人それぞれ、やるのは自由だろ? あんたにそんな事を言う権利はないよ」
光一が反論するが、男の舐めた態度は変わらない。
「自由は自由やけど。まあ、堂々とやってられる図太さには逆に感心するで。大したもんや」
「……」
どう言葉を返したものか迷っていると、最も頼りがいのある声が聞こえてきた。
「あれー、君たち。何やってるのー?」
沙織がトイレから戻ってきた。「君、誰?」
「わいか、わいの名前は加登千秋。あんたもこいつらの仲間か? 一緒にカポエーラをやっとんのか?」
「んー、仲間というか、この子たちは私の弟子ねー。君も一緒にやる?」
「あんたがこいつらの先生か。ふーん、えらい別嬪さんやな。ま、カポエーラは顔でやるもんやないけどなあ」
加登千秋は沙織を一瞥してからまた口を開いた。
「やってやってもええで。あんたもまとめて四人でわいに弟子入りするんやな」
加登は火花を散らしていたが、沙織はにこやかな顔のままだった。
「そうねー。どっちが上手いか試してみる?」
二人のカポエイラが始まった。
流石に沙織も敵わないんじゃないか、と光一は予想していたが現実はそれとは全く違う展開となっていた。加登の繰り出す蹴りを沙織は涼しい顔をしてかわし、お返しに加登よりも高くしなやかな蹴りを出す。もとより相手に技を当てる競技ではないが、一つ一つの動作に加登の方が驚いたような表情を表し、沙織の方は余裕の笑みを崩さなかった。
立って正面からの蹴り、低い体勢で回転しながら移動中に地面をついての蹴り、側転しながらの蹴り、バック転してからの蹴り、そして蹴った足を戻してそのまま逆立ちしてまた両足で交互に蹴りを出す。お互いにそんな技を出し合い、かわし合う。
しばらくそんなやり取りを続けてから、加登が少し迷ったように一瞬動きを止めた。そして離れて距離をとってから個人技のようなものを始めた。
側宙、バック転、バック宙、前宙、体をコマのように回しながら凄まじい勢いで後ろ回し蹴りを繰り返す。鬼気迫るような勢いで一つ一つの技から次の技へ素早くつないでいく。
それは先ほど三人の前で見せた演技よりも高く速く凄まじい連携で、いよいよ本気を出したかと思わせた。
「あー、そういうアクロバット技を見せるのが上手いカポエイリスタだって勘違いしてる人もいるんだけどね。カポエイラは相手とのやり取りの中に技を盛り込まないと何の意味もないんだよー」
一瞬負け惜しみかとも思える発言をした沙織だったが、その直後に加登がやった動きをそっくりそのまま再現してみせた。それも加登のものよりも上回る動きであったのは素人目にも分かるものだった。
「お前の姉さんて超人だよな……」
「僕も、ここまでやるのは見た事なかった」
「沙織さん、凄い……」
三人とも棒読みのように呟いて、ただ呆然と目の前の夢のような光景を見詰めていた。
「カポエイラの上手い人の条件っていうのは、どんな時でも相手の技を喰らわないって事。これに尽きるんだよ」
「……せやな。カポエーラの醍醐味は相手との技のやり取りや」
加登は再び距離を詰めて沙織の間近に迫った。
「君、さっきから発音悪いねー。カポエーラじゃなくてカポエイラだよ」
「んなもん、どっちだってええ。勝ったもんが正義やー」
今度はさっきとは比べ物にならないくらいの際どい間合いでの攻防だった。数センチの距離からのアクロバット技が飛んでくる。ふっ、と体が浮かんだかと思えば一瞬後に逆立ちして両足での蹴り、斜め前方からの変則的な蹴り、上へ下への多種多様な蹴り。加登の動きは本気で相手を狙っているかのように見えた。
それを沙織は平然と見切る。その動きはまるで……蛇だ。蛇を連想させるような動きでスルスルとかわしながら、的確に反撃をして加登を追い詰めていく。加登の動きが一瞬止まった。その加登のあごに向かって沙織の左足が伸びる。
当たる!
そう思った次の瞬間、沙織の足はピタリと動きを止めていた。あと数ミリでヒットするという所での寸止めだった。
「これで、君の負け……かな? カポエイラははっきりと勝ち負けはつけないんだけど」
加登はへなへなとその場に座り込んだ。
「いや、完敗ですわ。はっきりしとります」
素直に自分の負けを認めた。
「別にあんさんらに対して悪気はなかったんや。むしろ、カポエーラをやっとる光景が珍しくて。嬉しくなってからこうただけなんや。それに……」
加登は顔を下に伏せながら震えていた。泣いているのだろうか? と思ったら、ガバッとおもむろに顔を上げて立ち上がった。
「こんな凄いお人に出会ったんは初めてや。マジで惚れてもうた。わいと付きおうてくれえー」
加登は両手を広げてもの凄い勢いで沙織に向かって「好きやあー」と叫んで飛び付こうとした。がその加登の顔面に沙織の拳がめり込んだ。
「何なの、君?」