今日は何の日
初投稿です。
どうぞ,よろしくお願いします。
ぼやけた視界。映るものは皆赤い,真っ赤に色ついている。自分の手も,服も,床も,壁も真っ赤。そして,シンクの下にもたれかかっている父親も,床に落ちている包丁も,真っ赤だった。
父親の頭がゆっくりと動き,こちらを見る。そして一言,こう言うのだ。
『あいしてる。』
ピピピ。ピピピ。ピ。
夢から覚めたと認識するよりも先に,時計のアラームを止める。視界に映る自分の手に赤色はついていない。もちろん服にも床にも壁にも,赤色なんてついてない。時計に目をやる。時刻は朝7:00。
「また,か。」
玄見明日翔は,深い深いため息を吐いた。
「おはよう。」
リビングへ繋がる扉を開けて挨拶をすると「おはよー。」と間の抜けた返事が返ってくる。今日の朝飯当番,双子の弟である乃愛はもう食卓の椅子に座って待っていた。どうやらもう食事の準備は終わっているらしい。洗面台に向かいつつ,ちらりと食卓に目をやる。今日の朝ご飯は,ご飯,たまねぎとわかめの味噌汁,ほうれん草と卵の炒め物,きゅうりの漬物。相変わらず和食派の乃愛らしい献立だなと明日翔は思う。明日翔と乃愛は,現在アパートの二階一室を借りて二人暮らしをしている。男二人,しかも双子で同棲していることに,正直明日翔は自分でも気持ち悪いと思っている。だが,仕方無い。他に,乃愛以外に,明日翔には一緒に住むような人間はいないのだから。
洗面台で顔を洗い本格的に目も覚めたところで,明日翔は乃愛の向かい側に座る。座ってすぐに手を合わせ「いただきます。」と言って食べ始める。明日翔の食前の挨拶をうけ,乃愛も「召し上がれ」と「いただきます」を言って食べ始める。乃愛は朝ご飯が早くできても,必ず明日翔を待ってから一緒に食べる。わざわざ自分を待つ乃愛に対して,初めこそ明日翔は「待たなくていい」と言っていた。しかし,何度言っても乃愛は「食えるときは一緒に食う」と言って聞かなかった。だから今は乃愛のルールに従っている。そして,明日翔もまた,自分が調理担当の時はできるだけ乃愛を待つようにしている。なんだかんだ明日翔も,1人よりは兄弟と食べる方がいいからだ。まあ,お互い用事や付き合いもあるから,毎回一緒にというわけにはいけないが。例えば今夜みたいな。
「兄貴,前も言ったけど今日会社で飯行くから晩飯はいらね。あと,帰り遅くなるかも。」
と,言うように,乃愛は定時制の高校に通いながら工場で働いている。乃愛がこの進路を決めた時,明日翔が進学校に進学することもあってか,『双子の兄としてどうなんだ』とやたらと周囲に騒がれた。別にどうとも思わない。双子と言っても,それぞれ意志を持っているのだから好きにすればいい,と明日翔はその時も今も思っている。だから,乃愛が定時制の高校に通おうと,会社の付き合いで別に帰りが遅くなろうと,なんだろうと,正直どうでもいいと言えばどうでも良かった。好きにすればいい。ただし,
「酒は飲むなよ。」
自分に迷惑をかけない限りで。
「分かってるって。こんな身なりでも常識はある。」
「そんな身なりだから言ってんだ,馬鹿。」
そう,黒髪短髪の明日翔に対して,乃愛は茶髪のソフトモヒカンに,耳と舌にピアスが空いている。お世辞にも,常識ある人間とは言い難い外見である。それに,目つきだっていい方じゃない。双子で顔のパーツが同じ明日翔が,目つきだけで不良にからまれるのだから間違いない。こんな何もしていなくても職質されそうな外見なのに,職質されたあげく未成年で飲酒をしていたら,問答無用で連行されるに決まっている。そうしたら警察まで迎えに行かなければならないのは唯一の身内である明日翔だ。そんな面倒事,ごめんだ。
この乃愛の外見に対しても,初め明日翔は止めろと言った。しかし,食事の件と同じで,何度言っても「俺は俺にふさわしい恰好をする」と言って聞かなかった。乃愛的には,これが自分にふさわしい恰好らしいが,意味が分からないし,分かりたいとも思わない。しかし,乃愛のこの外見は見た目だけで迷惑がかかりそうである。いくら乃愛が言って聞かなくても,自分に迷惑がかかることを嫌がる明日翔なら無理にでも止めさせそうなとこだ。では,なぜ明日翔は諦めたか。それは,中学時代に散々乃愛と間違えられて不良に絡まれた双子の兄としては,外見がガラリと違う方が有り難いし,現に絡まれるのが減ったからであった。
食事を終え,乃愛は食器の片づけ,明日翔は洗濯物を干しにかかる。
「あ,乃愛,お前帰り遅くなるなら傘持ってけよ。」
「わかってるー。」
ちなみに今朝の天気予報は一日中晴れ。雨が降るとは一言も,どの天気予報士も,言っていない。
朝の支度を終え,二人はそろって玄関を出る。
「あー,仕事めんどくせ。」
階段を下りて一段目でぼやく乃愛。
「三年目で何言ってんだ。」
「三年目でもめんどいものはめんどいの。」
「仕事と学校どっちがめんどい?」
「断然,学校。でもま,学校は今年で最後だからなー。」
でも卒業したら学割なくなっちまうなーという乃愛の言葉を,明日翔は聞いていなかった。学校は今年で最後という言葉を受けて,意識が頭の中の思考にもってかれていた。
そうか。だからか。何で今日なんだと思っていたが…。そういうことか。だから今朝,また…。
「兄貴?」
再び乃愛の言葉を受け,明日翔はふと我に返る。目線を下げると,階段をあと数段下りるところで突然固まった明日翔を,不思議そうな顔で見つめている乃愛の顔があった。
「いや…,なんでもない。見た目も中身も鶏頭のお前が,よく三年間辞めなかったよなって驚いただけだ。」
「失礼な!」
「事実だろ。」
階段を飛び下り,その勢いで乃愛の鳥頭にチョップする。「いてっ。」と,不服そうに口先を尖らして明日翔を睨む乃愛の顔は,まさに鶏だなと明日翔は心の中で微笑した。
お互い自転車に跨り,道路に出る。
「んじゃ,行ってくるわ―。」
「行ってら。」
「兄貴も行ってら。」
ニカリと歯を見せて,乃愛は明日翔とは反対方向に自転車をこぎ始める。小さくなっていく弟の背中を見ながら,明日翔は今朝見た夢のことを思い出す。
『あいしてる。』
入学式,卒業式,誕生日,新年…そして今日は高校最後の年一日目。何かの節目に必ず見る夢。いや,正確には夢じゃない。忘れることのできない,忘れてはならない,
「…行ってきます,父さん。」
自分が父親を刺し殺したという,過去の事実だ。
教室に入ると,明日翔の前の席である”奴”は既に座っていた。
「おは,明日翔。」
黒田聖也。前髪を後ろに流したショートウルフ,外された第一ボタン,少し下げたズボン,サブバックについたぬいぐるみキーホルダー,自分の名前以外にいろいろ書いてある校内スリッパ。見た目からして,ちょっと調子に乗った高校生かと思えば,成績良し,運動良し,男女ともに友達多し,教師からの評判よしのパーフェクト人間。そして,明日翔が一番嫌いな人間。
「はは,まさか三年間一緒とはな。」
「ああ,まったくだ。」
明日翔の通う高校は毎年クラス替えをする。にも関わらず黒田とは三年間同じクラス,しかも苗字の頭2文字が“クロ”で同じなため前後の席。しかも黒田は,玄見兄弟が幼稚園に通っていた時の友達で,お互いに小学校へ上がると同時に引っ越した。だからもう会うことはないはずだった。なのにまさか高校で再会するなんて,誰が想像できたか。
明日翔が,重い気分と共に,背中の重いリュックを机に置いた時,デカいエナメルバッグを担いだ二人が横にやってくる。
「おはよーう。今年もよろしくなー。」
身長188センチ。デカくてガタイのいい坊主は,空地虎司。見たまんまの高校球児で,4番キャッチャー,主将を務めている。
「よろしく。」
虎司の隣にいる,ベリーショートで男子と見間違えそうになる女子は,天ノ川龍美。マネージャーではなく,選手として野球部に所属している。ポジションはピッチャー。女子は高校では公式戦に出ることはできないが,175センチと女子にしては高い身長に恵まれ,男子の中でも負けず劣らず,たまに練習試合にでている。
黒田に続き,虎司と龍美も明日翔と三年間同じクラスである。明日翔と黒田,虎司は高校最初の友人(明日翔と黒田は幼稚園からだが)でもあり,学校内だけでなく学校外でもよく一緒に遊ぶ仲である。他にも,今年は別のクラスになってしまったが,柿ピーこと種柿圭輔に,彼女(?)の咲桜桃子ともよく遊ぶ。一緒に遊ぶとは言っても,明日翔から誘ったことは一度もなく,毎回黒田に無理やり参加させられる。無理やり参加させられると言いつつ,明日翔はこのメンバーを気に入っている。黒田以外は。
明日翔は椅子に座り改めて感じる。この面子が揃うと…,
「なんか,三年になった気しないな。」
と笑い交じりに黒田が言った。黒田の言うことに,明日翔は反論できなかった。なぜなら,まったく同じことを思ったから。
「担任も同じだったりしてな。」
冗談交じりに言う虎司に,明日翔と黒田の「まさか。」という返しの言葉がダブった。
まさかだった。体育館で発表された主担任は,一・二年と変わらず,川連太郎だった。いや,もう,虎司が言った時点でフラグは立っていたし,学校のシステムからして,まあそうなる気はしていた。しかし,実際ここまで三年間同じ面子が揃うとなると,もう半笑いしかできない。しかし担任も同じとなると…
「こりゃ委員会もだいたい決まりだな。」
と黒田が半笑で隣の明日翔に言った。黒田の言うことに,またもや明日翔は反論できなかった。なぜなら,またまったく同じことを思ったからだ。
そして予想した通り,学級委員に黒田。体育委員に,空地虎司と天野川龍美。そして,文化祭委員に明日翔が決まった。
こうして明日翔の最後の高校生活は,特に何の変わり映えもなく,スタートしたのだった。