嫌いな私を好きになるまで
私は、私が嫌いだった。
私は、昔から内気で、怖がりで、弱虫な子どもだった。
何かある度に泣いて両親にすがった。
婚約者である鷹雅人様に初めて会ったときも、未知との遭遇のように感じていた私はずっと両親の後ろに隠れていた。
それを見た鷹様は、私を笑った。
『何、お前、俺が怖いの?』
その怖じ気付かない態度がかっこよく見えて、私は鷹様をよく見るようになった。
大人に負けない堂々ぶり、物事を正確に把握する冷静さ、子どもらしくない物言い。
全てが私にないものだった。
私は、鷹様に憧れて、鷹様を追いかけるようになった。
初めは嫌そうにしていた鷹様も、私が別段我が儘を言わないのに気付いてからは特にそういう表情をすることはなくなった。
だから、私は他の誰よりも早く気付いた。
鷹様が、ご両親にお願いをする姿を見ていないこと、そもそもご両親の話が出ないこと、鷹様を迎えに来る人の姿に、ご両親がいないことに。
鷹様は、愛情を貰えなかった子どもだった。
それでも、鷹様は鷹様で、やっぱりかっこいいままだったから、私はそれを指摘したことはなかった。
ある日、両親がこっそりと話している内容を偶々聴いてしまったことがある。
『鷹家の雅人くん、あれでは空気と同じ扱いじゃないですか、どうにかできないの?』
『こればかりはな……何せあの鷹家だ。逆らえばどうなるか分からん。仕方ないが、見守るしかないだろう』
『そんな……それでは雅人くんがあまりにも可哀想ではありませんか』
私は衝撃を受けた。
あの鷹様が、可哀想?
『可哀想』
そんなはずがない!
それならば、今までの鷹様は、可哀想なまま生きてきたことになる。
あんなにかっこよくて、何にも負けない鷹様が、可哀想なはずがない。
何故だか私は、鷹様にそれを聞かせてはならないと思った。
時折見せる大人の同情の目線から守るように、前より鷹様と一緒に過ごすようになった。
鷹様は不思議な顔をされていたけど、何も言わなかった。
鷹様が公立の高校を受験したいと言っても、ご両親は特に反対しなかったと聞いた。
このままだと鷹様と離れてしまう……!
焦った私は、心配する両親の反対を押しきって、鷹様の高校を受験した。
めでたく同じ高校に入学出来ると知った時は、随分と安堵したものだ。
これで、また鷹様と一緒に居られる。
それが、当たり前ではないということに、気付かないで。
鷹様と並んで歩く為には、弱い私のままではいけないということに気付いた。
エスコートされるときは尚更、鷹様と釣り合いのとれる女性でなければならなかった。
いつしか私は、強い私の仮面を被るようになった。
鷹様のことを「雅人」と呼び、背筋を真っ直ぐに堂々と、顎をつんと尖らせて少し高圧的に、眼を細めて魅惑的に。
そうして、高飛車なお嬢様の「高槻麗香」が出来上がった。
鷹様は、仮面の私に大変満足したようだった。
私は常に、仮面を被っているようになった。
弱い私を、圧し殺して。
鷹様が、あるとき私にこんな質問をした。
『好きってなんだ?』
鷹様は、愛情を知らないのだ。
それはそうだ。愛情のなかった家で、どうやって愛情を知れというのだろう。
私が教えて差し上げなければ。
思い立った私は、休み時間になれば時折友人を連れながら鷹様の元へ行き好きだと言い、授業で作った料理を持っていけば鷹様の為に作ったと微笑み、食事の時間になれば一緒に食べようと手を引いた。
周りから見たらそれは、正しく恋する乙女のようだったらしい。
私は、鷹様に恋をしているのだろうか?
かっこいいと、見ているとキラキラとするこの気持ちが恋だと言うのならば、私は鷹様に恋をしている。
「俺はこいつと一緒に食べるから」
学年が上がって幾月か経った頃、鷹様は傍らの美しい少女を示してそう言った。
私は暫くの間瞬きを繰り返し、少女を見つめた。
そして鷹様を見上げた。
「それならば、私も御一緒させていただくわ」
にっこりと微笑む私に、鷹様は眉間に皺を寄せて「好きにしろ」と吐き捨てた。
どの方がいたとしても、私の鷹様に愛情を教えるという使命に変わりはないのだから。
しかし、私が鷹様を見かける度に柔らかくなるその表情に、鷹様はあの少女に恋をしているのだと気付いた。
鷹様が、ようやく愛を知ったのだ。
こんなに嬉しいことはない。その相手が私でないのは少し残念だが、鷹様が「可哀想」などと言われないことを考えると、そんなことどうでもいい。
何故か風向きが良くない方へ向かっていた、ファンクラブとして活動している彼女たちの不満に、私は待ったをかけた。
頭を下げる私に、親切なことに彼女たちはそれを承諾してくれた。
順風満帆というのはこのことだ。
これで少女も鷹様を想ってくれたら、完璧だ。
その時は、私は鷹様から離れよう。
ちくりと痛む胸には見ない振りをした。
そろそろ食事を共にするのもやめようと思っていた頃、珍しく鷹様に外せない用事が出来、私と少女だけで食堂へ向かったことがあった。
少女は、鷹様に向ける笑顔で、どの定食にしようか悩んでいる私にそっと聞いた。
「鷹くんって、育児放棄されてたんですよね?」
「いいえ、そんな事実はないわ」
私は顔を上げ、今まで何回も言ってきた台詞を告げた。
しかし少女は、それを信じなかった。
「嘘!どうしてそんな嘘を吐くんですか?鷹くんみたいな可哀想な人には、私の助けが必要なんです。一番近くにいた貴女なら知っているはずです。鷹くんがご両親に愛されていないことを」
ぱしん、という高い音が食堂に響いた。
はっと気付いた時には、私は少女の頬を叩いていた。
だけど、私は後悔していなかった。
貴女が、「可哀想」などと、言ってはいけないのだから。
「……麗香、これはどういうことだ?」
そう言って今まで向けられたこともないような冷たい目をして、鷹様は少女に寄り添った。
少女が、何を言ったのかも知らずに。
私は顔に力が入るのを感じながら、仕方なく告げた。
「…貴方のことを、『可哀想な人』と言ったのよ。雅人は、可哀想なんかじゃ、ないのに」
育児放棄のことは言わなかった。
鷹様を傷付けたくはなかったから。
大丈夫。鷹様は物事をきちんと把握される方だ。
私の話を聞いてくれるはずだ。
手に力を入れながら、鷹様の言葉を待っていた私は愕然とした。
「あ?彩がそんなこと言うわけないだろ?そう思っているのは、麗香、お前の方なんじゃないのか?」
鷹様は、もう私の憧れた鷹様ではなかった。
私は薄々気付いていた。鷹様に向けるこの感情が、恋なのではないのだと。
だけど、鷹様は尊敬する人に変わりはなくて、私は鷹様を信じたかった。
数日後に両親から告げられた婚約破棄の言葉に、私は力なく頷くしかなかった。
「麗香、転校しようか」
もぬけの殻のような状態の私に、父は鷹様から離れる選択を示した。
鷹様の側を離れる訳にはいかない、と言葉を発しようとしてやめた。
鷹様にはもう、愛する人がいるのだった。
私は、もう、必要ないのだ。
いや、必要とかそうじゃないとか、鷹様はそもそも私を気にかけたことはなかったじゃないか。
これで、いいのだ。
鷹様に拒絶された1週間後には、私は別の公立の高校へと転校した。
「高槻さんって、婚約者にフラれたんでしょ?」
「まあ、あの高飛車そうな感じじゃ、仕方ないんじゃない?」
「しっ、聞こえるわよ」
聞こえてます。
私立より公立の方が噂は広まりにくいだろうと予想した私の期待は大いに外れた。
どこへ行ってもこそこそとこちらを見られ、近付けば腫れ物のように扱われ、流石に精神的にくるものがあった。
きっと、前の学校よりかはマシなのだろうが。
それにしても噂とは怖いものだ。
婚約者にフラれた云々は事実のようなものだしまだ許せるけども、相手の女の子をいたぶっていじめていたからやら、何人もの男をたぶらかしてそれがバレたから等、身に覚えのないものまで行き交っているのはいただけない。
私は居心地のよい場所を探し求めて学校内を徘徊した。
徘徊中にもガリガリと精神を削られていったが、私はついにオアシスを見付けた。
扉の前には「図書館ではお静かに」というお決まりの注意の張り紙が貼ってあった。文字のすぐ下には、かろうじて人間が人差し指を口に当てているように見える絵が描かれている。
扉をスライドさせ中に入ると、部屋の中はもう夕暮れに赤く染まっていた。
受付に座っている係りの人がちらりとこちらに視線を寄越したが、すぐに手に持っている本に戻した。
私より先に図書館を訪れていた3人の生徒はこちらに一瞥もしない。
ここの人たちは、他人に関心を持たない。
普段、珍獣の扱いを受けている私は、その無関心さがとても心地よかった。
私は勝手に「特等席」としている席に座った。
私はここに来ると、本を読むでもなく勉強をするでもなく、ぼーっとなにもしないで過ごす。
初めは勉強をしていたのだが、何時からか何も考えないで座るだけの時間になっていた。
鷹様を追いかけていたときでは有り得なかったことだ。
無防備な姿を他人に見せるなど、鷹様の恥になりかねないからだ。
だけど、ここに鷹様はいない。
もう、私は鷹様のお側には、いられないから。
「何、泣いてるの」
気付くと目の前に男子生徒が座っていた。
さっきの言葉は私に言っていたのだろうか?
頬を触った私は、そこが濡れていることに驚いた。
鷹様のことを考えていたら、自然と涙が出ていたようだ。
拒絶されたのに、まだ未練があるなんて。
息を吐き出した私に、目の前の生徒は「君、いつも、ぼーっとしてるよね」と話しかけてきた。
ゆっくりと顔を上げた私は、暫くの間考えて「はい」と答えた。
「ぼーっとするの、好きなの?」
何ともスローペースな喋り方だ。
だけど、今の私にはこれくらいがちょうどいい。
私は「最近、好きになったの」と呟いた。
目の前の生徒は、そう、と言って手元の本に顔を戻した。
もう帰ろうかな、と日がほとんど沈んだ空に目を向けた私は、前から聞こえてきた声に再び前を向いた。
「僕も、好きだよ」
そう言った彼は、眠たそうな顔に少しだけ微笑みを浮かべていた。
彼は、野々山豪と名乗った。
「豪なんて、一番僕に似合わない名前だよね」と変な顔をしていた彼は、皆にノロヤマと呼ばれていた。
行動がノロいから、らしい。
確かに、彼は喋り方だけじゃなく、行動全てが普通の人よりワンテンポ遅れているような気がする。
瞼が半分しか上がっておらず、瞬きですらゆっくりとするものだから、「眠たいのかな」と勘違いをしてしまう。
本人曰く「これでも、最大限に目を開いているんだけど」ということだった。10人中10人が見えないと答えること間違いなしな回答だった。
そんな彼は、図書館の常連の1人で、私の唯一の話し相手となった。
それは何故か。
私は未だ、クラスメイトの友達というものを作れずにいるからだ。
噂もあるが、そもそも私の態度がよくない。
前の学校でも、この性格を表に出していたせいで私とまともに会話してくれたのは1人の友人だけだった。
誠という名の、不器用だが名前に負けず真っ直ぐな性格をした綺麗な黒髪の女性だ。
彼女が出来た人間だっただけで、私のこの高飛車を気取る性格を知った上で関わろうとする勇者は、現れなかった。
分かっているが、長年連れ添ってきた仮面はなかなか剥がせるものではないのだ。
不思議と彼の前では、少しだけ剥がれてしまうけれど。
それを伝えると、彼はゆっくりと2つ瞬きをして、手の中にある本を閉じた。
「…そもそも、何で素の自分を、出せないのかな」
「鷹様に嫌われたくないからよ」
「…うん、だけどね、もうその鷹様って人は、いないんだよね?」
「そう、だけど」
そうなのだ。
もう鷹様のことを気にすることはないのだから、仮面などつける必要はない。
だけど、何故それが出来ないのか。
それは、きっと。
「…弱い自分が、嫌いだから」
私は、仮面をつけていなければ、まともに前を向いて歩くことも出来ない、弱い人間だ。
そんな自分は、昔から大嫌いだった。
「…うーん、それじゃあ、強いって、なにかな?」
首をゆっくりと傾げる目の前の彼に、私は「鷹様みたいな人よ」と答えた。
「何にも怖じ気付かなくて、芯が強くて、自分が揺らがない人」
「うん、そういう強いっていうのも、あるのかもしれないね」
傾げた首を戻して、私を真っ直ぐ見て彼は言った。
「僕はね、弱い自分を弱いって認めることも、強いってことだと思うんだよ」
ゆっくりと噛み締めるように言った言葉に、私は納得がいかなくて反論した。
「それじゃあ、結局弱いままじゃない」
「…うーん、そうかな?そうかもしれない」
何それ、と席を立って背を向けた私に彼は言った。
「でも、そうじゃないかもしれないよ」
訳分かんないよ、と呟いた私は図書館の扉を閉めた。
何故、高校生が、鉄棒をしなければならないのか。
「こんなの楽勝楽勝!」「えー!出来なくなってるー!何でなんで!」「うぐ、腹に食い込む……!」と自主練習の時間を使い、盛り上がるクラスメイトたちを眺め、私は溜め息を吐いた。
少し遠くから眺める私は、さぞ練習しなくてもそんなもの余裕ですわおほほほほという風に見られているに違いない。
その方が、どれだけよかったか。
自慢ではないが、これまでの人生の中で鉄棒をしたこともなければ、鉄棒などという遊具に触ったことすらない。
まあ、これを凌げば鉄棒に関わることもないだろうとたかをくくっていた私は、教師の言葉に青ざめた。
「次の体育、鉄棒のテストするからなー。しっかり練習しとけよー」
嘘でしょう……?!
どうして鉄棒なんかにテストがあるのよ!お願いだから今すぐに「ごめん、やっぱりなし」とか言って!
私の切実な願いは届くことなく、授業の終わりのチャイムの音と共に儚く砕け散った。
どうしようどうしようどうしよう。
1人で出来る訳がない。それならば、誰かに教わる?いや、駄目だ。そんな情けないことするくらいならば体育の授業を休んでしまおう。
そんなことを考えていた私の頭に、ふと彼の言葉がよぎった。
『僕はね、弱い自分を弱いって認めることも、強いってことだと思うんだよ』
弱い自分を、認める。
目を瞑って葛藤していた私は、よし、と目を開いた。
目の前で雑談している、先程軽々と鉄棒で回っていたクラスメイトに声をかけた。
「あ、あの」
「ぅえ?!あ、ごめん、邪魔だった?!ど、どけるね、ごめんね!」
私が声をかけた途端にその場から離れようとした彼女たちに、私は「待って!」と叫んだ。
「て、鉄棒を!教えてほしいの!でっ出来ない、から!」
言った。言ってしまった。
目の前の彼女等は、目を見開いてこちらを凝視している。
ああ、恥ずかしい。
やっぱりやめればよかった。彼女たちもきっと心の中では馬鹿にしている。
そんなことも出来ない、弱いやつだって、
「え、そうなの?遠くで見てたから出来るんだと思ってた。いいよいいよ、あたしたちが教えてあげるよ」
「うん、それくらいなら出来るし。でも、意外だなあ。高槻さんでも出来ないことってあるんだねえ。何でも出来そうな感じなのに」
「って言っても鉄棒だけどね。でも、ま、親近感わくよね」
彼女たちのそんな言葉に、私は泣きそうになるのを必死に堪え、輪の中に入っていった。
「そ、そんなこと、ないの!私にだって、出来ないこと一杯あるんだから!」
「へえ、例えば?」
「た、例えば……す、スプーン曲げ、とか」
「うひゃひゃひゃ、それはあたしだって出来ないよお!高槻さん、面白いねえ!」
「す、スプーン曲げって………!」
「そ、そんなに笑わなくたって……!」
『でも、そうじゃないかもしれないよ』
彼の言葉の意味が、分かった気がした。
このことを彼に報告すると、彼は静かに本を閉じて、私を見つめた。
そして、ふんわりと微笑んだ。
「偉いねえ。よく、頑張ったねえ」
その時、胸の奥がぎゅうっと掴まれたように感じて、胸に手をあてた。
首を傾げる私に、「どうかした?」と彼は聞いたけれど、私も分からなくて「何でもないの」と答えたのだった。
「豪くんって、いつも何を読んでるの?」
ふと常から気になっていたことを彼に聞いてみた。
豪くん、という呼び方になったのは、私が野々山くんと呼ぶことに抵抗があり、そちらで呼ばせてほしいと言ったからだ。
野々山くんと言うと、どうしても「ノロヤマくん」に聞こえて仕方ないのだ。
私は「ノロヤマくん」という呼び方は、彼を馬鹿にしているようで好きではなかった。
私の質問に、彼は1つ瞬きをして、本を背表紙がこちらに見えるような角度に立てた。
そこには、「宇宙の世界」という壮大な題名が記されていた。
「宇宙についての、本」
「宇宙?」
「そう。宇宙って、凄いと思わない?どれだけ手を伸ばしても終わりはないし、どうやってもなくなることはない。それに、僕達の知らないことで満ちている」
ふうん?と鼻が抜けるような返事をした私に、彼は目をキラキラさせながら「それって、僕達みたいだろ?」と身を乗り出した。
「そうなの?」
「そうだよ、無限の可能性があるんだから。僕はね、宇宙のことを知る度に、思うんだよ。今出来ないと思っていることなんて、宇宙の可能性に比べたら幾らでも出来ることばかりだって」
私は顔を輝かせる彼から目が離せなかった。
こんなにも、彼は眩しい存在だっただろうか?
「僕達に出来ないことなんてね、そんなのほんのちょっぴりだ。自分を信じればね、宇宙にだって負けない、凄いことが出来るんだよ」
学校を出た私は、未だに煩い鼓動に戸惑っていた。
鷹様に褒められた時だって、こんなに苦しくなるような動悸は起きなかった。
これは、何?もしかして、病気?
実は今日だけじゃない。胸の鼓動は、彼を見る度に大きく高鳴っていた気がする。
もしかして、これは、と顔に熱が集まるのを感じながら歩いていると、ふと前に人が立っているのに気付いた。
こちらを見ているような気がして顔を上げた私は、顔に集まった熱が一気に冷めていくような奇妙な感覚を感じた。
「麗香、やっと見付けたぞ」
そこに立っていたのは、私が昔から憧れて止まない鷹様だった。
けれど、鷹様は私を拒んだのではないのか。
固まる私に、鷹様は近付いてくる。
「誰が勝手に離れていいと言ったんだ?お前は俺だけ追いかけていればいいんだよ。ほら、帰るぞ」
そう言って私の手を掴もうとした鷹様の手を、私は無意識に払ってしまった。
不快に顔を歪める鷹様に、怖いと弱い私が震えている。
それでも、だけど、私は傷付いたのに。
鷹様は何でもないように私に話しかけてきた。
嫌だ。嫌だ。
私は今、あの鷹様に逆らおうとしている。
だけど、そんなこと、許されるの?
怖い、何をされるのか、分からない。
お母様やお父様だって、もしかしたら何か影響があるかもしれない。
だけど!
『僕達に出来ないことなんてね、そんなのほんのちょっぴりだ。自分を信じればね、宇宙にだって負けない、凄いことが出来るんだよ』
いつでも勇気をくれるのは、彼の言葉だ。
ああ、私、今とても貴方に会いたい。
私は胸の奥が温かくなるのを感じながら、鷹様を見上げた。
目を見開いた鷹様に、私は告げる。
「貴方は、弱虫な私を認めてはくれなかった。前の私はそれでも鷹様のお側に居られればそれでよかった。けれど、彼は、弱い私を認めてくれた。それが、答えよ。私は、貴方の元には帰らないわ」
鷹様は暫く黙っていたけれど、突然私の手を掴んで引っ張った。
「つべこべ言わずに俺に着いてくればいいんだよ、お前は。俺以外を見るなんて、許される訳がない」
「嫌!離して!」
どうしよう!このままじゃ、私、連れていかれてしまう……!
彼に、もう会えないの?
そんなの、嫌だ……!
やっと気付いた気持ちを、まだ彼に伝えていないのに!
「豪くん……!」
「はいはい、おにーさん。嫌がる少女を連れ去ろうなんて、いい男が台無しですよお」
後ろから伸びてきた手が、鷹様の手首を掴む。
余程力が強かったのか、鷹様の手は私から離れた。
すかさず私の前に滑り込んだ少し丸まった背中を見て、私は涙が出そうになった。
「誰だ、お前」
「それは、こっちの台詞だよ。おにーさん、あな」
「いいから麗香を出せ」
鷹様は、彼の遅い喋りにイラついたのか、言葉を遮って私を差し出すよう要求した。
鷹様に着いていきたくなくて、無意識に彼の服を握っていた。
「…そうだ、それなら、実力行使といこうか」
「ああ、いいぜ」
「ちなみにね、僕、柔道で黒帯持ってるから」
「…っ、それがどうし、っ」
「あれ、どうしたの、おにーさん。そんなに力入れてないんだけど、大丈夫?」
「…っくそっ」
お前なんか、俺から願い下げだ、阿波ずれめ。
彼の背に隠れていた私は、何が起きていたのかは分からなかったけれど、そんな捨て台詞を吐いてどこかへ行った鷹様を見て、私は力が抜けてへたりこんでしまった。
「うわ、あ、大丈夫?いやあ、さっきのおにーさん、怖かったねえ」
「あ、や、豪くんこそ、ごめんなさい、巻き込んで」
「いーよいーよお、流石に僕でも好きな子が危ない目にあってたら助けるよ」
「え、何?小さくて聞こえなかったわ。もう一回言って」
「いや、何でもないよー」
へたりこんだ私に合わせてしゃがみこんだ彼は、私の頭をゆっくりと撫でた。
「よく、頑張りました」
まただ。また鼓動が速くなる。
ドクドクと高鳴る胸を抑えて私は彼を見つめる。
私はもう分かっていた。
これが、恋に落ちたということなのだと。
さあ、勇気を出して言うんだ、私。
「ご、豪くん、あの、私、貴方のこと」
少しだけ勇気を出した弱い私を、きっと私は好きになるから。