22 生徒会役員改選告示(3)
いったんマイクを握ると人格が変わる乙彦ともろに影響を食らって奪い合いとなった藤沖とのひと時は、結局一時間延長することで一段落した。
「明日告示となるわけだが、もちろん一番のりで申し込むつもりだろう」
「そのつもりだ」
生徒会室では明日の昼休みより立候補者の受付を始めるという。できれば決心の変わらぬうちに足を運びたかった。
「詳しいことはまた明日聞くぞ」
「またな」
自転車で家路に着いた後、乙彦はすぐ内川に電話をかけた。一応気になることはあったのだ。
──関崎先輩、この前の学校祭ではいろいろありがとうございました!
はずんだ声の内川、いつものごとくのんびりし過ぎている。喝を入れたいがぐっとこらえる。
「あまり話せなかったが楽しかったみたいだな。片岡もお前に会えて喜んでたぞ」
──はい! 片岡先輩には本当にいろいろなところに連れていっていただき、それにあの後、また、いろいろおごってもらったりして、ほんとにすっごっく。
「何食ったんだ」
──カレーライスです。すっごいおいしいんです。ルーがとろとろしていてにんじんやかぼちゃ、あとたまねぎの形が全然ないくらいなんです。
どう考えても桂さんの手作りだろう。つばを飲み込む。
「そうか、うちの学校がそれなりに楽しかったならそれは俺もうれしい。それでひとつ気になったんだが、お前あの時、雅弘と会ったんだろ?」
雅弘のことは内川が一年の頃から顔見知りのはずだ。すぐ返事がもどってきた。
──え、どうして知ってるんですか? はい、佐川先輩もいらしていてびっくりしました。確か青工ですよね。
一応雅弘の進学先も把握しているようだ。
「そうなんだが、あと、総田もいたと聞いたんだが」
──はい、あのう。
少し口ごもった様子、ということは雅弘の話していたちょっとした内川へのからかいもそれなりにあったということだろう。告げ口されたわけではないにせよ、気になるものはさっさと確認するのが乙彦の流儀でもある。
「お前たちと会った後雅弘とも話をしたんだが、片岡とあいつとがまた何かやらかしそうになったらしいな」
──いえ、そんな、ああ、違います!
慌てている。別に総田も内川をいじめようとしたわけではないのだろう。乙彦からしたらかなりやりすぎに思えることだけれど内川はその点あっさり受け入れているようにも見える。内川がどう思っているかはあまり気にならない。むしろ焦点は片岡だ。片岡が明らかに性格の正反対な総田とどういうやり取りをしたのかが非常に気にかかる。雅弘にももし、総田が激怒していたら代わりに謝る覚悟を伝えておいたがはたして。
──けんかじゃないんです! 絶対に! 関崎先輩それだけは信じてください!
電話の向こうで半泣きになりながら内川が訴えるのが聞こえる。息が荒い。
──あの、たまたま総田先輩と顔を合わせて頭下げてて、その、いろんな話をしていたら片岡先輩があの、俺のこと、なんか、すっごく、褒めてくれちゃってて、ええと。
「お前のこと褒めるってどこをだ。歌舞伎十八番一通り暗唱できることか」
──違います違います! あの、俺のこと、賢いとか、すごいとか、ものすごく褒めてくれてて、信じられないって総田先輩が言ったら全部それ否定してくれて。あの、総田先輩は決して悪気あって言ったことじゃないってわかってますし、あのいわゆるかわいがりみたいなもんだって思ってます。けど、片岡先輩は真に受けて、あのそれで。
「わかった、だいたい想像がついた」
話を遮り、乙彦は改めて片岡との予定を確認した。
「今度はいつ勉強するんだ? 片岡のうちか」
──今度の土曜です! けど今度はうちにいらしていただけるそうなんで、うちの母さんすごい勢いで部屋掃除してます。
内川の話だけでは状況がつかめなかったこともあり、受話器を置いた次の指で片岡へ電話をかけなおした。大抵最初に出るのは桂さんだ。
──よおよお、関崎くんか。学校祭は男っぷりよかったなあ。しっかしど派手な制服でご苦労さんでした。
実は桂さんとも記念撮影したという経緯がある。あとで直接お礼状を贈ろう。
「あの、司くんはいますか」
──いるいる。ちょいと呼び出してくっか。
すぐに片岡が電話口に出た。弾んだ声が響く。
──あ、関崎、うちにかけてくるなんてめずらしいよね。
「いや、ここ最近お前と話す機会なかったからな、なんとなくだ」
それなりに片岡とはしゃべっているつもりだがタイミング的に藤沖が割り込んでくることが多く、内川との合同学習についてはおおっぴらに出来ずにいる。下手にばれたら藤沖が嘴を挟まないわけがないという乙彦の判断は間違っていないと思う。
「まずは礼を言いたい。この前の学校祭では内川をいろいろ面倒見てくれたようで、俺もあいつの先輩として感謝しているんだ。なかなか面と向かって言えなかったんだが」
──たいしたことしてないよ。でも、喜んでくれてよかった。
「カレーライスもご馳走になったと言ってたが」
──桂さんがうちに連れてきてくれて、一緒に食べたんだ。それからすぐ学校に戻ったよ。
ずいぶんなとんぼ返りだ。ということはあまり学校祭中友だちと一緒に行動しなかったのだろう。委員会に所属しない生徒の場合、やろうと思えば午前中クラスに顔を出した後は学校にいなくても問題がないというのも確か。
「内川のことはいいんだが、なんかお前、俺の中学時代の知り合いと顔を合わせて何か話をしていたと聞いたんだが、どうした、何かあったのか?」
単刀直入に尋ねてみた。
「片岡、お前も理由なく無駄に揉め事起こす奴とは思っていないんだが、一緒にいた俺の友だちによると相当お前、いきり立っていたと聞いて気になっていたんだ。お前にかみついた奴とは俺もいろいろと因縁があるし、場合によっては話し合いに付き合ってもいい。ただできるだけ早い段階で詳しい事情を聞きたいんだが教えてもらえないか」
片岡は黙った。しばらくかすかな息遣いだけが聞こえた。
──別に、なんもしてないよ。
「だが相当、すごかったと聞いたぞ。普段のお前とは思えないくらい怒っていたと聞いたが」
──すごくないよちっとも。
つぶやき声のみ。また少し沈黙の後に、
──けど、俺思うんだ。
涙ぐんだような声が響く。
──周りがたとえ高望みだとか、こんな学校に受かるわけないとか、無能だとか、いろいろ言ったって誰かが支えてくれれば、きっと奇跡って起こるんだってこと。
「奇跡って、内川のことか」
──それもあるけど、味方がたったひとりでもいれば、きっとがんばれるんだよ。俺、ほんとにそう思ってるから、勝手に内川くんが何にもできない奴扱いする話聞いてて、ちょっと違うんじゃないかって思った、それだけだよ。けんかじゃない。ちゃんと普通に話をしただけだから、関崎が心配するようなことじゃないよ。
ふたりとも明確な答えは返してこなかった。
受話器を置いた後、乙彦は改めて片岡の過去に想いを馳せた。
──たったひとりの味方。
果たしてこの言葉の重さを、脳天気な内川が理解できる日は来るのだろうか。人事ながら心配になってきた。