1 自由研究顛末(3)
規律委員会も始まり、毎朝の週番や服装チェックなどもこまめに行うなどそれなりの日々が続いていた。一年生は一部の生徒……たとえば南雲……を除いてはいわゆるルーティン業務をこなすだけだったし、たまに一年B組の清坂美里から、
「関崎くん、相変わらずがんばってるね。自由研究すごいって噂だよ!」
と笑顔で声をかけられたりと、取り立ててなにが起こったというわけではない。
──一学期の終業式のことは忘れてているんだろう。
立村宅経由で行われたひまわりの告白は、夏休み中にすべて漂白されてしまったのかもしれない。まあ乙彦は即座に返事をごめんの一言で終わらせたわけだし、その後美里がしつこく迫ってきても受け流すつもりでいた。気持ちは全く変わらない。
ただ、こうやって普通に話す分にはさっぱりした女子で、取り立てて何か言い立てることもない。普通に、あくまでもその他大勢の一人とであれば。
──いや、むしろ。
乙彦なりの清坂美里の存在意義を忘れていた。
──現在、地下に潜っている立村を支える貴重な友人として、だ。
純粋にこれだけはがんばってほしい。そのためであれば乙彦は協力を惜しまない。
合唱コンクールのその後どのような展開を迎えたかも、たまに藤沖や古川こずえに聞いてみるものの、芳しい返事が返って来ない。
「まあ心配してくれるのはありがたいけどさ。たぶん、なんとかなるよ。私もさ、夏休み中それなりに活動してたしね」
放課後、ふと思い立って古川に尋ねてみたところ、口はぼったい言い方でごまかされた。
「とにかく急いではいるんだわよ。ただね、人それぞれ事情があるし、こればかりはねえ、集団じゃないんだよ、一体一の熱いサービスが必要」
「なんだそれは、サービスというと何か飯をおごったりするのか」
「それもありね。でも、あんたが想像しているようなもんじゃないかもね」
曖昧な言い方でもって古川は手を振り教室を出て行った。とにかく、古川こずえが死ぬほど忙しい状態だということだけは理解した。
──藤沖も応援団のことでいろいろ忙しいんだろうが、もう少し古川を手伝ってやっていいんじゃないか。
新学期が始まりちょうど五日ほど経った放課後、乙彦はいつものように図書館で「外部三人組」……新グループ名未定……との集会を行っていた。三人とも部活に加入していない、委員会がない日もあり、となると大抵打ち合わせて待ち合わせる。クラスの連中とだらだら話をしていることもあるので三人顔を合わせない日もあるのだが、二学期に入ってからはここのところない。皆勤賞だ。
「合唱コンクール、なっちゃったよ、とうとう」
周囲の目を伺いながら、それでもあっけらかんと静内が報告した。
「指揮者か」
「そういうこと。今日帰りに合唱コンクールの指揮者と自由曲を決めることにしたんだよね」
「ロングホームルームでなくて帰りのホームルームでか」
静内は握りこぶし作って頷いた。
「そういうことよ。ロングホームルームで一時間みっちり相談するより、評議のほうでさっさと決めて提案して終わりにしようってことになったわけ。担任も同意」
「それ、思い切り民主主義に反しているぞ」
乙彦が突っ込むと静内はつんと済まして言い返す。
「一学期で私も担任も懲りたのよね。議論好きな女子が約一名いて話が長引いてえらい目に遭ったからってことで。まあちょっとはもめたよ。それこそ関崎のいう『民主主義』ってとこでね。多数決求められたけどそれは私の読み通り。みな面倒なこと好きじゃないし、彼女の考え方に女子だけじゃなくて男子も半端してたしってことであっさり、『翼をください』に決定!」
さすがに「翼をください」は知っている。いい曲だ。中学時代遠足バスの中で歌った。
「あれはいい曲だな」
「ありふれてるったらそれまでだけど、気持ちよくてわかりやすいのが一番だと思ったんだ。伴奏もしやすそうだしね。私も伴奏担当の人に早い段階で候補曲教えてたから、すぐに練習に取り掛かれると思う」
静内、さすがだ。外部生でありながら評議に選ばれた……しかもあの清坂美里を差し置いて……というのが頷ける。
「静内、合唱コンクールの話はそんな進んでるのか」
名倉が相変わらず朴訥につぶやく。
「うちのクラスは実力テストのことで頭がいっぱいだが」
「D組はそうかもね。頭いい人多そうだもん」
乙彦も名倉に同意した。
「俺のクラスも同様だ。古川がひとりで走り回っているが、全く情報が流れてこない。自由曲が決まったという情報すらないんだが」
「それは遅すぎると思うよ。私も音楽好きじゃないし人のこと言えた義理じゃないけど、クラスまとめからしたらある程度時間が必要だと思うんだよな」
「お前、前から音楽や芸術苦手だとか言ってたがなんで指揮者引き受けた?」
素朴な疑問を投げかけてみた。静内は指を立ててにやりと笑った。
「経験値を高めたいのよ。クラスをまとめたり、指示したり、そういう統帥力を身につけたいなあと思って。社会に出たらリーダーシップ必要なとこに回されるかもしれないし、そのために実体験を増やしておきたいってそれだけ」
──静内お前結構。
飲み込んだ言葉を、あっさりと口に出したのは名倉だった。
「野心ありすぎだろう」
「まあね」
けろりとした表情で笑う静内に、鬼のようなリーダーシップは感じられなかった。
しばらく互いの宿題を見せ合いつつ、わからないところは教え合い、間違っているところはネタとしてつっこみ合い時間を潰していた。時折同級生たちがすれ違って声をかけるが愛想よく返事すればそれでよし。それ以上割り込んでくる奴はいない。
ふと、図書館入口で何か気配を感じた。向かいあった乙彦がたまたま扉に目線をやっていただけだったが、
「ちっくしょーなんなのあれ。納得行かねえ!」
怒鳴りまくって入ってきた、顔見知りの男子を見つけてしまったからだった。眼鏡をかけた男子と小柄で中学入学したてとしても違和感なしの奴、もうひとりががっちりしてはいるがとぼけた雰囲気の男子。合計三人。見事にトリオ。
「なんで俺のがあんな最低扱いされちまって、あいつらのが評価されちまうんだよ! 説明しろって!」
「まあまあホームズ、落ち着いて。人の価値感は分かれてるんだからさ。たまたま俺たちの『シャーロック・ホームズ研究』は趣味がわかる先生がいなかったってだけだよ」
一生懸命に中学生風男子が「ホームズ」と呼ばれる男子を宥めている。
「そうそう、怒るなよ。難波、やっぱしこれはだなあ、シャーロキアン協会みたいなところに提出しろってことだろ」
「天羽、俺が頭に来てるのはそんなことじゃねえ!」
図書館内で全注目を浴びていることに気づいていないことは明白だった。南雲はずっとおちゃらけ雰囲気の男子相手にずっと愚痴を撒き散らしているのだから。
「なんで俺たちの『シャーロック・ホームズ研究』が人真似扱いされちまうんだ! 俺たちの夏休み、何してたかわかるだろ! ずっと図書館こもって資料集めて読み合わせしてただろ、それをだぞ、『同じような自由研究は山のようにありオリジナリティーが感じられない。評価としてはC』とか言われねばならねえ理由ってなんなんだ!」
「いや、まあシャーロック・ホームズ自体が世界の宝だし、純粋なオリジナリティーってのは難しいんじゃないかなあ。俺たち、十分価値あることやったと思うよ」
またにっこり笑顔を作って中学生男子が語りかける。全く焼け石に水。
「俺たちのオリジナリティーがねえというのなら、じゃあなんでだ。なんであの『外部三人組』の奴が高いオリジナリティー認められるんだ? 俺たちからしたらあんなの中学時代誰かが余裕で提出してたぞ。誰でもやろうと思ったらできるだろ? けど、全然高い評価受けてねえのにな。絶対学校側、ひいきしまくってるだろ!」
完全に空気が凍りついた。
奥のテーブルに「外部三人組」が鎮座ましていることを、天羽・更科・難波の「元評議三羽烏」は気づいていなかったと見える。
「なんなのあいつら」
静内が背中を向けたまま乙彦に問いかけた。
「なんか、私たち悪いことしたみたいだけどなんで個人特定して文句言うわけ?」
「最もだ。先生たち経由で抗議しとこう」
名倉が小声で囁くのを、乙彦は押しとどめた。
「いや、今直接聞いてくる。ここで待ってろ」
立ち上がった。同時に目の前の三人組が立ちすくんでいるのを確認した。難波がなぜ「外部三人組」の自由研究についてそれだけ激高しているのか、それを確認する必要がある。まずはそこからだ。