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18 初顔合わせ(5)

 桂さんとさしで話すのは楽しかった。片岡曰く「売れない漫画家がみかん箱ひっくり返して描いている姿」のイメージではあるがかなり頭の切れる人のような気がした。もし内川がとんでもない不良だったとしたらいったい桂さんはどう排除したのだろうとか想像してみるが、なんとなく、

 ──あっさりラーメン作るの手伝わせて友だちに引き込んでるんじゃないか。

 とすら思える。こういう人こそ学校の先生向きじゃないだろうか。

「ところでな、関崎くん」

 桂さんは乙彦にラーメンのゆでるタイミングを指示しながら語りかけた。

「A組で英語が一番出来る子がいると聞いたんだがな。どんな奴だろうな」

「立村のことですか」

 不意に立村の話題を持ち出され、ラーメンどんぶりを用意する手が震えた。立村に関して問われる時は決してポジティブな内容ではない。桂さんはなにげなく続けた。

「ああ、たぶんその子なんだが、司がやたらと意識しやがってな。どうしてもトップが獲れないっていっつも悔しがってるんだ。どんな勉強してるのかねえと思ってな」

「あいつは天才です」

 一言で言い切った。そうとしか説明しようがないし、もしこの場に立村本人がいても言葉に詰まるだけだろう。

「天才? そうきたか。ほれ、そろそろ火を止めるか」

「あ、はい」

 ほどよく湯だったところでコンロの火を止め、網で麺を掬い取る。

「立村はトータルの順位こそあまりよくないようですけど英語だけはピカイチです。前本人から聞いたことがありますが、英語以外の言語も一週間辞書と文法書とテープがあればなんとか使えるようになると聞いたことがあります」

「まじかいそれは」

「はい、俺もその現場見ました」

 事実ではある。大学の授業で無理やりイタリア語の文法書とテープを渡されて一通り使えるようにするといった拷問なみのカリキュラムがあったようだが、立村は冷静にそれをこなしていた。イタリアオペラの歌詞を渡されて訳をその場で行うような内容と聞いたが、立村はすぐに「椿姫」の一説をすらすらと読み上げていたという。乙彦には全くよく理解できないが、そういう頭の回路を持っていることは事実だろう。

 あつあつのラーメンにとんこつのたれをかけて、チャーシューも載せる。葱もたっぷり、にんにくも丸ごとたっぷり積んでいる。スタミナだけはつきそうだ。

「さあてと、運んでくか」

 

 三十分後と言いながら結局一時間たっぷり部屋に篭っていたふたりは、山盛りラーメンに目を輝かせ、両手を合わせていただきますした後すぐに飛びついた。

「お前ら本気でやってたんだな」

「当たり前だよ」

 やはりいつもと違う上品さで片岡は答える。珍しいことに汁を飛ばさずに食べている。一方内川も最初は恐る恐る箸を取っていたが、一口食べたとたん呆然とし、

「こんなおいしいラーメン、俺、生まれて初めて食いました!」

 興奮気味につぶやいた。満足する桂さんの表情が見ものだった。

「俺のオリジナルレシピが気に入ってくれたようでなによりだ。毎日いろいろ食い歩いている俺の舌を信用しろよ」

 ぽかんとしている内川に片岡がこれまた上品に注釈を加える。

「桂さんはね、ラーメンや焼肉とか、そういう料理に一言ある人なんだ。味に疑いはないよ」

「すごいです、すごいです!」

 まさに別世界を視界からも味覚からも感じ取ったのか、完全に内川はノックアウトされている。

「さ、内川くん、ラーメン伸びる前に食べちゃおうよ。それからさっきの続きやるよ」

 ──片岡、お前まだ勉強続けるのか!

 絶句する乙彦を尻目に、内川も笑顔でこっくり頷いた。

「はい、片岡先輩ついていきます!」

「大丈夫だよ、受験間に合うから。俺も全力で応援するからね」

「片岡先輩!」

 桂さんと顔を見合わせた乙彦の微妙な表情などこのふたりには関係ないようだった。いったいどういう魔法を使って内川のやる気を引き出したのか、乙彦が知りたいのはむしろそちらの方面である。

 即、片岡の部屋に飛び込んでいった内川がどういう顔をして勉強していたのか想像する方が難しい。


「さてと、さっきの続きなんだがいいかなあ」

「はい。クラスのことですか」

 あと一時間みっちり勉強している間、ふたたび桂さんとの「ホスト」トークが再開された。乙彦も望むところだった。この機会にできれば片岡に関する未知の部分を解消したいところもある。

「俺な、一方的な司の言い分しかわからねえってとこがあるんだ。だからこうやって関崎くんみたいな冷静な第三者的意見もちょくちょく聞きたいんだよ」

「告げ口はする気ないんですが、個人的意見ならいくらでも言います」

「助かるよ。んで、クラスで一番英語が出来る子の話なんだけどな」

 ずいぶんと桂さんは立村の話に食いついてくる。

「そんなに片岡、話してるんですか」

 声を潜める。

「まあな。別に司も自分でそれなりに勉強してるんだから人のことなんぞ気にするんじゃねえって思うんだがな。トータルの成績では勝ってるんだったらそんな意識、しねえでもな」

 桂さんはため息を吐いた。また片岡の部屋扉を見つめた。

「でも、この前の合唱コンクールでは片岡も言ってましたけどずいぶん立村のこと見直したようなこと言ってましたよ」

 簡単に乙彦は合唱コンクールの経緯を説明した。すでに桂さんも把握しているようですんなり納得していた。

「人は相性いろいろあるから別に放っておいていいと俺は思います」

「うん、まあそうだな。んで、その立村って子は別に司のことをいじめたり無視したりしてるわけじゃねえんだろ?」

「当たり前です。立村は俺の友だちですが心底いい奴です。合唱コンクールの件でも分かるとおり立村は弱い奴に対しては目一杯守ろうとしますし、その他いろいろな場面であいつのこと見てますがとにかくひたむきな奴なんです」

 弁護しておいた。いったい片岡の奴、立村についてどんな悪口言っているんだか想像するだけでも恐ろしい。あとで釘刺しておいたほういいだろうか。これ以上誤解招く発言したら内川に本性ばらすとでも言ってやるか。

「じゃあなんでああも負けん気出すんだかな司も。品山に住んでるとか言ってたな」

「はい。少し遠いですけど自転車で通っているそうです。俺も遊びに行ったことあります」

「品山、か。んで、雑誌の記者さんとこの息子さんとかも言ってたな」

「お父さんが『週刊アントワネット』の記者だと聞いたことがあります」

 本人からというよりも、噂だが。

 桂さんの目つきが鋭く光ったような気がした。ほんの一瞬だが。

「そっか、なるほどなあ」

 それ以上桂さんは立村について突っ込まず、テレビのお笑い番組にチャンネルを合わせた。


 結局、片岡邸を出たのは夜の九時過ぎだった。家に改めて電話を入れ、十円玉を置き、桂さんの車で送ってもらった。勉強という苦行を乗り越えたとは思えないふたりの楽しげな笑顔に包まれ、乙彦もとりあえずは言いたいことを飲み込んだ。土産にスーパーのビニール袋いっぱいの栗をそれぞれもらい乙彦は先に車から降りた。

「じゃあまた、明日!」

 最後まで王子雰囲気を保ったまま、片岡が輝く笑顔を向けた。手を振り玄関に入ると母が電話にしがみついて熱くおしゃべりをしているのが聞こえた。耳を傾けるとどうやら、内川の母相手のようだった。

「え、今いらっしゃいました? じゃあうちの息子も帰ってきたからまたよろしく」

 慌てて電話を切り、母は興奮気味に乙彦を迎えた。

「おとひっちゃん、今内川くんのお家、すごい騒ぎになっているって話よ」

「え、なんで」

「『迷路道』の御曹司が息子さんの家庭教師になってくれるなんて思ってもみなかったって!」

 ──片岡、あいつ一応「御曹司」なのか。

 明日学校で、王子仮面をはずした片岡をじっくり観察してみようと決めた。



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