18 初顔合わせ(3)
意気投合したところで約三十分後に桂さんから電話がかかってきた。出たのは母ですぐ呼びに来た。また片岡の幻オーラを見てはなんともいえないため息をつき、乙彦には、
「今、お電話いただいたのだけどおとひっちゃん」
言い方からしてもう余所行き化している。片岡もみたらし団子を無事平らげ内川と楽しそうに兄弟の杯を交わしている。
「誰から」
「あの、お友だちのお兄さまかしら」
──桂さんだろ。
「みんなをお招きしたいとのお申し出なのよ。あの片岡くん?」
声が上ずっている。何があったんだろう。片岡はまだ無駄な気品を垂れ流しつつ、
「兄が迎えに参りましたか」
絶対普段は使わないであろう言葉を発した。もし乙彦が学校にいれば即頭をがっしり押さえ込んでやりたいところなのだが、完全に空気を支配している片岡に何も言えはしない。
「あら、お兄様?」
「はい。兄同然なんです」
これまたあいまいな表現をする。母の頭は大混乱しているようだがかまっちゃいられない。乙彦は義兄弟と化したふたりに呼びかけた。
「これから片岡、お前のうちに行くのか」
「もちろんだよ!」
朗らかな笑顔で片岡は答え、内川にも当然のごとく、
「来てくれるよね」
語りかけた。完全に骨抜きとなった内川が逆らえるわけもなく、
「あの片岡先輩、俺、本当に行っていいんですか」
「そのつもりで今日来たよ」
──嘘こけ! お前一言もそんなこと言わなかっただろ!
桂さんがすべてを段取りつけてくれたとしか思えない。さてこれからが内川の正念場だ。じっくり桂さんは内川の内から外から観察するに違いない。
黒い車が玄関前で待っている。片岡はちらと後ろを一瞥した後、
「おいしいみたらし団子をご馳走さまでした! また遊びに来てもいいですか?」
またもお坊ちゃま風を吹かせつつ笑顔を振りまいた。
「ええ、ぜひ。でもお口汚しでなかったかしら」
「いいえ、ものすごくおいしくいただきました」
嘘ではない。ぺろっと三本くらい食っていた。指で数えていると車から降りてきたきちんとしたスーツの男性……桂さんと気づかず……が愛想よく母に一礼した。すでに電話で話は終わっているらしく、乙彦へ母はささやいた。
「あんた、失礼ないようにしなさいよ」
「当たり前だろ」
「それと内川くんのお宅にも電話したほういいのかしらね」
「別にそれはいいんじゃないか」
いくらなんでもそりゃ過保護だ。やたらとお迎え派手かもしれないが、どうせ片岡の家についたらまたラーメンでも啜りながらぐだぐだ過ごすのが落ちだ。それもまた楽しいのだが関崎家に残した片岡の印象があまりにも違いすぎるのが気になる。たぶん止めたところで母は内川の母に電話をかけて片岡情報を流すだろう。内川の母さんも乙彦の両親と経済感覚が一緒だからきっと驚くだろう。自分の息子が「生徒会長」であることは知っていても青大附高にまで名前がとどろいてしまっている「伝説の生徒会長」であることには気づいていないだろう。
「じゃあ、行って来る」
「お夕飯いるかどうかだけ連絡してちょうだい」
──そこまで俺もずうずうしくないつもりだが。
車に乗り込み、片岡と内川がさっさと後ろ座席を陣どった。無理に入れば乙彦も入れないわけではなかったがなんとなく助手席に座る羽目となった。一通り内川もそつなく挨拶を交わし、緊張した面持ちのままちんまり座っているのがミラーごしによくわかる。
「関崎くんのお見立て通りだなあ」
しばらく楽しげにふたりのしゃべりあう様子に聞き入りながら桂さんは乙彦に語りかけた。タイミングよく信号待ちとなる。
「うちの司を気に入ってくれたようでなによりだよ、なあ内川くん」
「あ、はい!」
またこちこちに固まりつつも内川の語る話題は例によって時代劇ネタである。乙彦にはついていくのが骨だ。勧善懲悪タイプのものかそれとも裏世界を描いたシニカルなドラマがいいのか。熱く語り過ぎて片岡も退いているんじゃないかと心配になるがそうでもないらしい。にこにこ頷いている。学校ではまず観られない落ち着いた兄貴っぷりだ。
「時代劇だと衣装とかにもこだわりあるの」
「もちろんです! 最近の民放テレビ時代劇は衣装に金をかけなさすぎます! しかも時代考証めちゃくちゃですし俺はこの現実がとても悲しいです」
──時代考証考えられるほどお前歴史勉強してるのか?
突っ込みたいが隣りで笑いをこらえている桂さんに申し訳ないのでがまんしていた。片岡も車の中ですぐ猫かぶりをやめるんでないかと思っていたがさにあらず、相変わらずのお兄さん風情を漂わせている。このまま青大附高に連れて行ったらさぞ藤沖も立村も卒倒するに違いない。
「そっか、そこまで衣装にこだわりがあるとなあ。よっし、今度図書館ツアーでもやるか。内川くんに付き添ってだ、その衣装に関しての資料集めでもしてみるか」
「いいねそれ」
桂さんに甘ったれた言い方する片岡ではなかった。しっかり大人の対応している。いったいどうしたんだ片岡。乙彦の思惑に気づくことなく内川はすっかり片岡に心酔しきっているようだ。誤解を解いてやるべきかそれとも受験が終わり白黒はっきりつくまでこのまま夢見させてやるべきか。いや、どうせ一緒に勉強すればメッキもはがれることだろう。たいして心配することないか。
マンションについてからも内川の仰天ぶりは人目を引いた。
「すげえ高い! 上から飛び降りたら大変ですよ」
「大丈夫だよ。飛び降りたり落としたりすることないし」
部屋の中に入ると今度は乙彦が驚いた。きれいに部屋が掃除されていて男くさい匂いなど一切しない。玄関になげっぱなしだった靴は全部整えられ数自体が三足程に減っている。それだけではない。台所の生ごみもなければ洗濯物の山も消えている。
「お前、いったいどれだけ掃除したんだ」
「当たり前だよ。せっかく来てくれるんだから」
「じゃあ俺や藤沖はなんなんだ」
「あ、ええとその」
口ごもる片岡の後頭部を思い切りはたいてやった。もちろん内川の夢を壊さぬように目立たぬところでするくらいの思いやりはあるつもりだ。桂さんが三人に向かいそれぞれ肩を叩きながらにっと笑った。
「さっき関崎くんのおっかさんには夕食ご馳走すると約束しておいたから安心して今日はうちで食ってけ。それと内川くんのおっかさんにも連絡してくれるという話だったから君ものーんびりしてらっしゃい。まだ腹は」
「さっき関崎の家でおいしいみたらし団子いただいたから、もう少し経ってからでいいよ」
ぽかんとしている内川の前で、片岡は気品の香りを相変わらず漂わせつつ桂さんと遣り合っている。乙彦の観た限り内川のために演技しているとしか思えないのだが。つまり、
──どうしても内川の前ではお兄さんっぽく観られたいってわけか。
思えば片岡はクラスの典型的なみそっかす扱いされてきていた。乙彦も藤沖も、その他男子たちは片岡をどこか手間のかかる弟のように接してきたところがある。実際そうなのだからしょうがないのだが、片岡本人は複雑な気持ちを抱えていたのかもしれない。部活や委員会活動するわけでもないから「片岡先輩」と呼ばれることもほとんど経験ないだろう。男子のステータスは概ね女子受けで計られるものだがその辺りも片岡は最低値に近い。そんな中であっという間に片岡を兄貴分として慕い懐いてしまった内川が心変わりするのだけは避けたいに違いない。