18 初顔合わせ(2)
兄も弟もいない部屋で乙彦はカーテンを開け放した。どうせあいつらが上がってきたらその時しきりを作ればいい。ちんまりとみたらし団子にかじりついていた内川がいきなりぴっと背を伸ばして立ち上がった。礼儀はわきまええいる。さすが自分の後輩だ。
「内川待ったか」
「いえ、あの、ごちそうさまです」
こいつも相応焦っているらしく舌が回ってない。あわてているのか最初に乙彦へぺこりとし、次に片岡と顔を合わせて、
「あ、は、初めまして」
すっかりどもってしまっている。隣りで片岡はきょとんとした顔をしていたが、改めて、
「関崎の後輩くん、ですか。初めまして。片岡といいます」
極めてしっかりと一礼をした。落ち着いている。桂さんに髪の毛を溶かすようどやされていた時の頼り無さなんぞどこかに捨ててしまったようだ。母にしても内川にしても、乙彦には見えない高貴なベールが片岡にはかかっているようだった。余計な幻などさておいて、乙彦は片岡に大きめのみたらし団子を指差した。内川一人分用意したようだが、まだ結構串が残っている。
「ほら、まず食え」
「ありがとう」
爽やかに微笑んで片岡は奥の席にまっすぐ進んで座った。ちゃんと正座している。
「いただきます」
乙彦も皿を覗き込む。内川もしょっちゅう乙彦の家に居座って遊んでいることが多いし、おやつの時間には母手製の団子やケーキ、クッキーなどが用意されている。今日も早めに到着した内川のためにコインチョコ大の大きめな団子を作ってやったのだろう。片岡はためらうことなく手を伸ばしかじりつく……のだがやはり上品に見えるのは気のせいか。しばし乙彦も鞄を机に置きブレザーとネクタイを外してあぐらをかき様子を伺った。内川がすっかり固まっているのが妙に笑える。
「何緊張してるんだ」
「あの、はいどうも」
「どうもじゃないだろ。ところで内川、学校祭はどうだった」
少し気楽にしてやりたい。伝説の水鳥中学生徒会長内川に尋ねる。
「はい、すっごいすっごい盛り上がりました!」
「すごいは一度でいいんだがそれほどか。で、何が一番盛り上がったんだ?」
「やはり演劇ワークショップです!」
片岡が団子にかぶりつきながらこちらを見ているが無視した。まずは内川優先だ。
「たまたま青潟で演劇やっている人が父母の中にいて、ぜひ手伝いたいって言ってくれたんですよ。それでとんとん拍子に進んで最後はその場で即興劇やろうかってことになってやりました」
「何やったんだ」
「松の廊下です!」
目の前の片岡が思い切り吹き出している。当然だろう。笑ってよし。乙彦は遠慮なく爆笑させていただいた。それを褒め言葉と勘違いしたのか内川は語る語る。
「俺の頭の中には、青大附中の人たちが作ったビデオ演劇のテープがイメージとしてあったんです。青大附中はかなり時間と衣装代かけていろいろ作っているようなんですけども、今回はそこまでできないってことなんで即興で身振り手振りだけでやりました。忠臣蔵の松の廊下のくだりは全部暗記してますんで俺がやりたい放題やらせていただきました」
「内川、とことん生徒会長権限乱用しているな」
「そのくらい、役得としてもらってもいいかなあと思ったんです。先輩まずかったですか」
──まずいと思うが、しかし。
乙彦はため息と一緒に答えた。
「俺がいたら絶対止めたと思うがもうやっちまったんだからしょうがない」
これぞ、伝説の生徒会長だ。もう何も言うまい。最後に立村にも伝えておこう。あいつこそ青大附中評議委員会ビデオ演劇で浅野内匠頭と化し絶叫していた張本人だからだ。
飲み物も母から調達し、コーラを三人でわけあって飲みながら少しずう話をしていった。片岡の今までにない気品あるオーラにすっかり当てられていた内川だが、それなりに気を遣って話しかけてくる片岡に少しずつ心開いているようだった。
──しかし、よくぞ化けるな片岡。
クラスで見る片岡はお世辞にも気品ある王子なんて雰囲気などない。顔立ちが突然整形したかのように変貌したわけではないのだが、乙彦の家に足を踏み入れたとたんどことなく上品なおぼっちゃまのイメージを漂わせ始めている。とりたてて何か妙に気取っているわけではないし喋り方もそんなに変わったとは思えない。ただなんとなく、仕草が清潔なのだ。だらしないところがなぜか感じられない。学校で何かあると乙彦にあどけなく語りかけてくるがきっぽい仕草など桂さんの車内に置きっぱなしにしてきたに違いない。
「時代劇、好きなの?」
「はい、夕方四時から夜十時までの時代劇タイムはできるだけテレビの前にいるようにしてます。生徒会やっているのでなかなかその時間帯までには戻れないんですが。早くビデオ買いたいんです」
「もしよかったら、俺のうちで観る?」
追加されたみたらし団子を満足そうにかぶりつきながら……それでもやはり仕草は丁寧だ……片岡は内川に提案している。一応ここまでの流れとしてふたりの自己紹介と内川の受験勉強という目的までは確認し合っている。片岡も乙彦の見立て通り内川のことが気に入ったようでいろいろと相手にしゃべらせようとしている。
「え? でも、それは」
思い切りびっくりする内川に、片岡はまた遮りつつ説明する。
「これから受験日まで一緒に勉強するとなると、きっとテレビ観るの大変だと思うんだ。俺のうち、ビデオ三台あるからそのうち一台セットして、終わったら観て、それからってやったほうがいいかもしれないよ」
「あ、ああ、それは、あのビデオ三台?」
「ラジカセの間違いじゃないだろうな」
乙彦も念を押した。
「違うよ。俺、英語の塾行ってる間野球の試合見られないからいつもビデオに予約録画しておくんだ。裏番組もあるからそれも保存しておくとなるとやっぱり二台は最低必要だよ」
信じがたいが、片岡に悪意や自慢の匂いはひとつもない。たぶん、そうなのだろう。恐らく残りの一台は桂さんがぶんどっているのだろう。しかしビデオデッキなんて乙彦の家にはない。大抵の家にはそんな何十万もする家電があるとは思えない。それも複数台、信じがたい。乙彦の思惑を知ってか知らずか、片岡はさらに提案を続ける。
「俺、思うんだけど、これから青大附高を受けるとなるとものすごく勉強しなくちゃいけないよ。俺そんなに成績良くなかったけどたまたま受かったよ。でも高校から入ってくる人は本当に頭いいんだ。関崎もすごいんだよ」
「もっとも俺は中学受験落ちたがな」
「そんなのどうでもいいよ。内川くんがもし真剣に青大附高受けたいんだったら、俺英語とかそのあたりならちょこっとは教えられると思うんだ。足りないところは関崎に手伝ってもらうけど。でも、うちでやるとなるとやっぱりテレビとか観たくなるのわかるよ。だったらうちで録画して、勉強終わったら一緒に観ようよ。帰り遅くなっても大丈夫、送るから」
わくわく気分が溢れんばかりの片岡と、なにか崇拝するような眼差しの内川を見比べながら乙彦は、自分の判断がもしかしたら間違えていたのかもしれないと不安を感じた。相性が良すぎる。どうしたんだろう片岡は。このままだと内川は片岡を完璧なる青大附高の王子様として崇め奉りそうだ。現在英語科A組において女子たちからは白い目で見られている重たすぎる過去をもつ男子とは誰も思わない。ほりの深い顔立ちも、小柄だけども敏捷な動きも、本来であれば十分女子たちを魅了して不思議のないものだった。
──まじかよ。こいつら、本気で兄弟分の杯、交わすかもしれないぞ。