17 伝説の生徒会長(3)
とにかく、無謀過ぎるということだけはわかった。
「よし、お前のやる気だけは買った。俺も出来るだけ協力する」
乙彦の思惑を越えて気合の入りすぎた内川を見送りつつ、さてどうするかと思案した。
──やる気だけで受験乗り切れるようじゃ俺もここまで苦労しちゃいない。
水鳥中学の教師陣が一体何を血迷って内川を青大附高受験を駆り立てたのかが何度考えても不思議でならない。素直に考えれば生徒会長として活躍した内川の華麗なる花道として提案しただけなのかもしれないし、目標を高く掲げれば眠れる獅子たる内川……とは思えないが……も目覚めて本気出すかもしれないと発破かけただけなのかもしれない。
いや、しかし、やはり謎だ。
確かに眠れる獅子は目覚めたかもしれない。乙彦が青大附高の現状を説明すればするほど舞い上がるあいつの表情が今も目に浮かぶ。本当は熱冷ましの意味でそうしたつもりだったのだが逆効果というのもなんとも言えない。もうここで無理して諦めるよう説得するのは時間の浪費というものだ。突っ走るのを見守るしかない。
いやしかし、見守るだけではどうしようもない。
──青潟の高校受験ったら公立一校に私立一校だろ。どうするんだ滑り止め。
青大附高以外の私立は感覚として「滑り止め」という認識がある。乙彦の知る限りよっぽどの例外を除いては公立高校を第一志望にして私立は黙っていても合格するであろう学校を選ぶはずだ。ある意味初めての受験校で感覚を掴み本番に挑むといった雰囲気でもある。しかしこの調子でいくと内川はとっぱじめから第一志望を受けることになる。まず合格するとは思えないしそうなると落ち込みを引きずりつつ公立受験に挑むことになる。これは厳しい。根性だけはもしかしたら持っているかもしれないがそれでもきつい。
──それにあいつ受験勉強そもそも始めているかが怪しいぞ。
水鳥中学学校祭が終わり生徒会改選がすすめば少しは余裕も出来るだろう。だが空いている時間をそのまま勉強に投入するだろうかと考えると疑問も残る。そこまで内川、勉強が好きとは思えない。乙彦の場合青大附高受験に備え立村には実に世話になった。頼みもしないのにわざわざ過去問題集やら学校で配られているという英語ヒアリングテープ……決して後暗いものではないと立村はしつこいくらい念を押していた……や、その他テスト問題なども含めて熱心に資料を送ってくれた。おかげで乙彦のモチベーションも上がったしどのくらいのレベルが入学までに必要かも把握できた。手を抜こうとも思わなかった。
内川には何もない。さて、さて、どうするか。
夕食後、乙彦はラジオで海外放送局の日本語放送を聞き流しつつクラス名簿を開いた。
クラス全員の住所と両親の名前および職業まで書いてある。ちなみに乙彦の場合は会社員のひとことのみ。わかりやすい。
──とりあえず俺のすることは、内川に現実を見つめさせることなんだがな。
もう受験を諦めさせようとは思わない。腹も決まった。
あそこまで本気ならばしかたない。手伝おう。
しかし何が出来るだろう? 今のところ乙彦も全力で家庭教師してやりたいくらいなのだが実際は難しいだろう。学校祭も規律委員会絡みでいろいろありそうだし、終わったら終わったでたぶん評議委員に選ばれるだろう。そうなるとさらに大車輪で働かなくてはならなさそうだし、本当の意味での労働たるみつや書店でのバイトも続く。とにかく忙しい。
男子名一番最後の名前を指先でつついてみる。
──本当は立村の力を借りたいところなんだが。
自分が受験した時にはあれだけ支えてくれた立村のことだ。乙彦が事情を話せばきっと協力してくれるだろう。自分が目立つことに対しては嫌がる性格だが陰で支えるような役割であればきっと手伝ってくれるだろう。本当は電話かけるつもりだった。
──いや、しかしなあ。立村のことを内川も一応は知ってるしな。やりずらいだろう。
華麗なる評議委員長時代を知る内川が立村の落ちぶれた……とは思わないが傍目にはそう見えてもしかたがない……姿を目にしていろいろ思うところがあるかもしれない。立村もさすがに惨めな思いしそうな気もする。
一行、上に進んで指先で押してみる。
──藤沖か、あいつはあいつで大喜びで乗ってきそうな気もするが。
乙彦の兄貴分という立場のあいつも、相談すれば頼まなくとも手を出してきそうだ。
それこそ勉強方法から受験に対する心構えからさらには人生に対する気合とか、延々と語り続ける姿が目に浮かんでくる。それはそれで友情の麗しき現れと思わなくはない。しかし受験する内川としてはどうだろう。萎縮してしまいかえって実力発揮できなくなってしまいそうな気もする。藤沖には悪いが奴は教師向きではないと思う。
教科書やノートの並んでいる棚を軽くたたいてみる。
──一番いいのは外部生に頼むことなんだろうがな。
外部三人組の力を借りるというのが一番いいような気もした。実際それで進めてみようかとも思った。同じ外部の連中ならばどういう勉強をすればいかもコツが飲み込めているだろうし、受験日までのモチベーションの保ち方とかもアドバイスしてくれそうな気がする。しかしここにも落とし穴がある。成績からすると圧倒的に名倉だろうがあの朴訥な口調で説明されても脳天気な内川の頭には入りそうにない。静内はそもそも女子という段階で却下だ。男女差別ではない、単純に内川が怯えるのが目に見えている。あいつがどれだけ川上寿々に震え上がっていたか思い出すだけでも哀れだ。
──帯に短し襷に長し。
みな、いい奴ばかりなのだ。よくわかる。乙彦が後輩のためにと頭を下げればきっと協力してくれるだろう。下心などなく内川のために力を尽くしてくれるだろう。しかし肝心の内川があまりにもアホすぎるとなると頼むのも気が退ける。自分の後輩だし、やはり乙彦が面倒みるしかないとも思うのだが、見てやれない時期に内川がどれだけぼおっとした状態で過ごすか予想がつくだけになんとかして誰か助けがほしい。どうするか。
ふと、クラス名簿の上あたりに指が触れていた。まじまじと見た。
──片岡?
小学校時代女子たちの間で流行っていたこっくりさんとキューピットさまのように指が勝手に動いたらしい。片岡司の名前のところで指が止まっていた。
──片岡か。確かに。
どんぐり眼のあどけなさと乙彦にひっついて楽しそうに笑う表情。
のほほんとしたまま何も考えずに乙彦を見上げている内川と。
──似てるかもな、あいつら。
乙彦が見た限り、片岡は女子たちからの評価が救いようのないほど低いことを除きそれなりに成績もよく外見もまずくないように思える。顔立ちも面倒な事情さえなければきっと女子受けするであろう洋風の美男俳優を思わせるところがある。それでいてまだ子ども子どもしているのがアンバランスではあるけれども。外見だけではない、立村についで英語順位のみ学年二番というのはかなり優秀なんじゃないだろうか。英語だけではなく他の授業もそれなりに点数を稼いでいる。認めたくないが乙彦より順位は上だ。
──片岡なら藤沖や名倉と違って、内川をびびらせないような気はするな。
藤沖のように説教かますこともないだろうし、立村のように過去の繋がりで遠慮しなくてはならなくなったりすることもないだろう。さらに言うなら、片岡があまり他の生徒たちとも強い繋がりがないことも内川にとっては気楽かもしれない。何よりもあのふたりを並べてみて、どちらが先輩か見分けることの出来る奴はそういないだろう。
──結論、明日片岡と交渉だ。
肝心要の片岡の了承をもらわないと話が進まない。とりあえず結論が出たところで乙彦は頭を切り替えた。ラジオのダイヤルを回しはっきり聞こえつつある東欧の放送局を拾うことに専念した。