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13 薬のかおり(4)

 宇津木野の父が話し出したことは、古川がついさっき乙彦に語ってくれた事情とかぶっていた。宇津木野あつ子が音楽の才に長けていて著名な指導者たちからも注目の的となっていることや、その分鋭すぎる感性を持て余してひとり苦しんでいることとかも。

 ──親父さんもその点は把握してたんだな。

 あくまでも乙彦は黙って聴くだけだし、それ以前に宇津木野との接点がほとんどないので一エピソードとして受け止めるだけにとどまる。それでもやはり、ひとつのことに打ち込む姿には男女関係なしの尊敬の念が浮かび上がる。

「青大附属のお友達のみなさんには、中学の頃から良くしてもらい、あの子の、こういったらなんですが家族でもたまに持て余すことのある感性を受け止めてもらい、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また今回の、合唱コンクールですか。その、本当であれば伴奏を引き受けてみなさんのお役に立たせていただくべきところを、娘のわがままでですね」

「そんなことないですよ、おじさん」

 話言葉にも気品のある、乙彦の知る「お父さん」像とは異なる宇津木野父の佇まい。それを一瞬のうちに打ちのめす「おじさん」という古川の発言、いいのかこれで。

「私もあつ子さんから直接話を聞いて、そりゃわかるなあって思いました。音楽の世界っておっかないんだなあっていうのもありますけれど、せっかく仲良しになった友だちと不必要に仲違いしたくないのはありますよ。女子としてそれ当然です」

 苦笑いして見守っている麻生先生に従い乙彦も口を挟まなかった。宇津木野父は穏やかに古川を見守っている。

「疋田さんとも仲良くなったのにまた面倒なことに巻き込まれたくないのも当然ですよね。もちろん私あつ子さんが中学時代からピアノの名手だってこといろいろなところから聞いてましたしすごいなあって思ってましたけど」

「たかがピアノ、されどピアノ、ですね」

 宇津木野父は静かに笑い、少しずつランチを進めた。Aランチとかでボリュームが少なめで味付けがやたらと薄い中華丼だった。正直言ってあまり、美味しくない。

「もともとあつ子はひとつのことに集中しすぎるところがあります。十月の学内演奏会ももちろんですがその後にちょっとしたコンクールも予定があり、あの子としてはおそらく、伴奏まで手が回らないと判断したのかもしれません。それに加えて、疋田凌子さんの存在もきっとあったのでしょうね」

 ──やはりそこか。

 古川が一年A組ピアニストふたりの諸事情を耳にしつついろいろと考えていたのはその辺りにも理由があったのだろう。それにしても、父親にしては随分娘のことを観察してるものだ。子どもの立場からすると少し重たそうだ。

「小学校の頃から疋田さんとはしょっちゅう同じコンクールで顔を合わせていましたし、意識もそれなりにあったのでしょう。周りが煽り立てていたのも確かにあります。もし疋田さんとあつ子が同じクラスにならなければまた不要なライバル心を燃やすだけだったでしょう。もちろん音楽という道ではとことん切磋琢磨しなくてはなりません。それは理解しているつもりです。でも、やはり、あつ子にとっては同じ道を目指す友だちに出会えてきっと嬉しかったんでしょうね」

「うん、絶対嬉しかったと思います!」

 古川が両手にスプーンと割り箸を握りしめてうんうん頷いた。

「私もクラスで観察してましたけど、疋田さんと音楽の話をしている時のあつ子さんの顔はめちゃくちゃ輝いてましたもん」

 やはり古川はよくクラス女子たちのことを面倒見ている。藤沖にはやはり反省させるべきではないだろうか。

 あまり美味しくない病院食堂ランチを平らげた後古川はすぐに口を紙でぬぐい、

「それでなんですけどおじさん」

 また失礼な呼びかけを宇津木野父にした。

「今の段階ではまだ、会えないんですか?」

 肝心要のことを忘れていた。本当であれば「付き添い」なのだから、当の本人である宇津木野を見舞うべきなのだが麻生先生も宇津木野父も切り出そうとしない。実は相当まずいことがあるのではと乙彦も気にはなっていたのだが。

 麻生先生は古川をなだめるよう手を振りつつ答えた。

「まあまあ、古川、お前が心配しているのはわかるんだがやはりな。今は無理だよ」

「今は少し薬で休んでますから、また落ち着いた頃に見舞ってやってください」

 口を揃える大人たちの様子に古川も何かを感じたのかすぐ話を別の方向に持っていった。

「わかりました。じゃあまだ時間があるみたいなんで、これ、伝えてもらえますか?」

 いきなり古川は両手を組んでテーブルの上においた。じっと大人ふたりを見据えた。

「私たちは決して宇津木野さんを責めませんから、元気になったら学校に来てくださいって」

「それはもちろん」

 宇津木野父が穏やかにかわそうとするのを、古川は首を振り真剣な眼差しで訴えた。


「私、知ってます。さっきおじさん話してたこともそうですし、心配してることもわかってます。彼女は音楽の才能ばりばりだし、それに比べて今日演奏した伴奏野郎のへたっぴさもよくわかってます。その子も一生懸命がんばっているけれどそれでも越えられないものってあります。宇津木野さんがその子の代わりに伴奏をやるって話を持ちかけたのは、気持ちとしてわかるんです。だってお話にならないくらいの差がありますから」

「おい、古川」

 思わず乙彦も制そうとするが無視された。

「で、もっと言うとそのことをあつ子さんはすごく気にやんでたと思うんです。私も彼女と直接話をしていて、すごく悩んでたんだなってことわかりますし。今日具合悪くなったのは決してそれが原因だとは思ってませんし単に気分が悪くなっただけだと思うんですけど、きっと彼女自身は罪悪感でいっぱいだと思うんです。いろいろなことが重なってるから」

「いや、大丈夫だろう、大丈夫だよ」

 麻生先生も口を挟むがやはりカットされる。ひとり、宇津木野父だけが熱心に耳を傾けていた。

「私、一応クラスの評議ですからクラスの雰囲気わかってるつもりなんですけど、合唱コンクールで最後まで歌えなかったことを悲しんでいる奴ってクラスにそれほどいないと思います。むしろあつ子さんが倒れたことをみな心配している人ばかり。だから安心して戻ってきて欲しいんです。知ってます? うちのクラスでこの前、プチ・コンサートやったんですけどここにいる関崎が歌って、あつ子さんがピアノ弾いたんです。すごかったですよ、反響。これぞ本物だってみんな感動してましたよ。ある意味あそこでうちのクラスの合唱コンクールは終わってたんじゃないかなってくらい」

「あつ子が話してましたよ。久しぶりに楽しく合わせられたとね」

 乙彦の方を宇津木野父は微笑みながら見つめた。こんなところで暴露しなくてもいいのにと思いつつ乙彦は頭を下げた。

「だからそれはそれでいいんです。私、どうしてもあつ子さんに伝えたいのは、人と感じ方が違ってたっていいんだってことなんです。きっと彼女が辛いのは、自分が音楽について繊細すぎるから人を傷つけてしまったことなんじゃないかなって。伴奏も本当だったらきっと思いきり弾きたかっただろうし、自分の求めているハーモニーを繰り出したかったんじゃないかなって。表向きは伴奏やった子がどうしても弾きたいと言い張って断った経緯があるんですけど、きっと彼女、相手を傷つけてしまって、自分の音楽感性が悪いんだって思い込んじゃってるんじゃないかって」

 じっと黙りこくるお父上。

「私、中学時代に似たような友だちたくさん見てきました。普通じゃないとかこんなの違うとか言われてきて、問題いっぱいかかえていた人を。最初はみんなどう受け止めていいかわからなくて悩んだり、それこそばっこばこに打ち抜いてたりもしたんですけどね。けど、みな最後はわかりたいんです。音楽の才能なんてないけど、あつ子さんが苦しんできていることとか、分かち合いたいんです。うちのクラスならそれきっとできます。誰とは言いませんけど同じような思いをしてきた子が男子女子それぞれいます。だから、あつ子さんが目を覚ましたら、うちのクラスの子たちはみな待ってるよってそれだけ伝えてください。もし誰か勘違いした奴がいたら私がそいつの持ち物責任もってちょんぎります。だから安心してって、お願いします」

 古川はゆっくりと頭を下げた。ここでさりげなく「何をちょんぎるのか」とつっこむ奴もいなかった。食事の匂いと一緒にどことなく漢方薬っぽい香りが漂ってきたのに乙彦は気がついた。ここは病院だった。

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