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13 薬のかおり(3)

 時間が知らず知らずのうちに流れていく。気がつけばもう十一時半を過ぎている。

 先生たちも出てこないし、宇津木野の両親らしき人も見当たらない。

「どうするんだろうね」

「俺たち本当にここにいていいのか」

「いるしかないじゃん。ほんとは帰りたいけど」

 古川も腕時計を何度も覗き込みつつ、看護師たちの動き回る様を観察していた。

「世の中の人はああやってがんばって働いているナースのみなさまで妄想するらしいよねえ。あんたそっちの趣味ある? コスプレとか」

「コスプレとはなんだ?」

 初めて聞いた言葉に問い返す。「妄想」とか出てくるときっとその類の系列だとは思うのだが。

「コスチュームプレイの略語。まあいいよあんた知らなくて。それにしても私たち結局どうすればいいんだろうね」

 ──結論なんか出るのか?

 乙彦が言い返そうとした時、目の前の扉が開いた。麻生先生、保健室の先生、そしてきっちりしたスーツ姿の男性と女性ふたりが何度も礼をしながら現れた。すぐ古川が立ち上がり駆け寄った。乙彦も続いた。

「先生、大丈夫だったんですか」

 麻生先生より前に保健室の先生が笑顔を浮かべて、

「宇津木野さんは大丈夫だから安心していいわよ。それと」

 古川をねぎらいつつ保健室の先生は麻生先生にも、

「奥に休憩兼食堂室がありますのでそちらでお話しされてはいかがでしょう」

 促した。ふたりの男女も少し微笑みながら、

「ぜひよろしくお願いいたします」

 一礼した。


 青潟市立病院の廊下突き当たりに案内されて、古川とふたりでついていく。一応その場で宇津木野の両親であることは説明されたしきちんと挨拶もした。ただ状況が全く説明されていない以上どう反応していいかわからない。古川に問いかけるのもためらわれる。

 お昼が近いということもありテーブル席はほとんど埋まっている。入院患者と見舞い者が一緒に食事をとることも出来るらしいが五人座るのは難しそうだ。

「先生、ここでなくてもさ、そのへんのソファーじゃだめ?」

「だめに決まってるだろう」

 古川と麻生先生が場所について相談し合っているのを見かねてか、宇津木野の母が、

「それでは私、あつ子のところについてますからあとはどうぞよろしく」

 乙彦たちにも優しい表情で頷いてその場を去った。四人席だとなんとか押さえられそうなテーブルが空いていたからだろう。なんとか席に着くことができた。

 麻生先生の前に乙彦が、宇津木野の父親の向かいに古川が座る形となる。

 すでに麻生先生が詳しい事情を説明してくれていたらしく、改めて礼を言われる。

「関崎くんと、古川さんですね。先生と娘から事情は伺っています。本当に君たちのおかげであつ子は救われました。親として心より礼を言わせていただきます。ありがとう」

「あの、それで宇津木野さんは大丈夫」

 乙彦が口走りそうになるのを古川に膝をぱっちり叩かれて正された。また微笑みを浮かべつつ宇津木野父は説明してくれた。

「容態は落ち着いています。少し様子を見るようにとお医者様には伺いましたが生死に関わるものではありません。その点はどうか安心してください」

「よかったよ、お前たちが一番責任感じてるだろうから、まずは一番最初に伝えないとな」

 ──十分遅すぎると思うが。

 とはいえ麻生先生や宇津木野の両親が話す限りは、最悪の事態をまぬがれたことだけは確かのようだ。肩がこわばっていたのに気づかなかった。すっと力が抜けた。古川もはっきり聞こえる吐息をついて、

「よかったあー! もうさっきまで生きた心地しなかったし。でもよかった。宇津木野さん、元気になって早くうちのクラスに戻ってきてもらえるようにしますから、気がついたらそう伝えてもらえますか?」

「そうですね、そうできるといいですねえ」

 ──本当に大丈夫なのか?

 微笑みは消えないが、どうも途中の言葉がどこか引っかかる。麻生先生が宇津木野父にとくとくと説明する。

「先ほどもお話しさせていただきましたが、合唱コンクールでこの関崎、彼が指揮者でしてあつ子さんの体調変化にすぐ気づいたようです。即座に指揮台から飛び降りて助けおこし、その後はまあ結果としてはよかったことになりますが背負って保健室に運んだというわけです。大人でもすぐそう判断出来る奴はいませんよ。その点、彼はよくやってくれました」

 古川も調子に乗って口を挟む。黙っていればいいのにと乙彦の方から膝を叩き返してやりたくなるが一応はこいつも女子だ。誤解を招くことは避けたい。

「そうなんですよ! 私もあの時何が起こったかわからなくって、一瞬ぽっかんとしてしまったんですけど関崎くんが動いてくれたおかげで宇津木野さんを助け起こすことができたんです」

「そうだ、古川も大活躍だったな。えらいぞえらいぞ」

「古川さんも本当にいつも、あつ子のことを気遣ってくれて、いや今回のことに限らず頭の下がる思いです」

「へへえ」

 わざとなのか、笑いを取るような口調で話している。古川も宇津木野を親にも気づかれるくらい面倒見てきたということなのだろう。だいぶ気心も知れている様子だ。乙彦は黙って頭を下げた。

「ですが、今回の合唱コンクールにはクラスのみなさんもさぞ力を入れて練習していただろうにと思うと、親の立場はともかくとして申し訳ない」

 宇津木野父がまた頭を下げる。ここは乙彦が否定する番だ。

「いえ、僕は宇津木野さんが元気になることが一番、クラスのみんなにとって嬉しいことだと信じています。合唱コンクールで歌うのはせいぜい十分もかかりませんが、学校で過ごすのは三年間です」

「君は面白い発想をするね」

 からから笑い出した宇津木野父。古川も肘でつついてにやりと笑う。麻生先生がつなげた。

「今、あえてこのふたりを連れてまいりましたのはまず、あつ子さんが倒れた時一番側で観ていたというのがひとつ、そしてもうひとつの理由はできましたらお父様より、あつ子さんの今まで置かれてきた立場をご説明いただければというお願いです」

「確かに」

 大人ふたりの会話を読み取れないまま、耳を澄ます。だんだん食事の匂いが漂ってきた。野菜炒めだろうか。思わず腹が鳴るのを聞かれてしまった。宇津木野父は乙彦を見てまた楽しげに見つめた。

「今日はこれから、学校で給食ですか。もし急ぎでなければここで少しお話をさせていただきたいのですが、先生、お時間いただくことは可能でしょうか?」


 ──先生そりゃ無理だろ。

 てっきり麻生先生が断るもんだと思っていた。そろそろ給食の時間も近いし宇津木野の状態も大したことがなければ、さっさと教室に戻ってそのことを伝えたい。他の連中だって心配しているに決まっている。幸か不幸か一年A組の連中は絶対に優勝したいと頭から火を吹いている奴はそうそういない。たぶん、宇津木野の体調が安定したことを伝えれば多少の未練はあるにしても喜んでくれるに違いない。

「わかりました。学校に連絡を入れておきます。すでにこの子たちの合唱コンクールは終了していますから。これから先のことを、ぜひにお願いします」

 古川はそれが当然といった顔で、

「私も、あつ子さんのことでお父様にお伝えしたいこと、いっぱいあるのでぜひお願いします」

 きわめてよそいきの言葉で返事をしていた。」

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