13 薬のかおり(2)
──音楽のこだわりか。
古川はなおも語り続ける。
「立村の演奏を疋田さんと宇津木野さんは毎回耳にしてて、これだとちょっとなって顔していたのは私も気づいてたよ。関崎とのミニコンサートはほんと生き生きしてたし、あのふたりはピアノを弾きたくないから伴奏を辞退したわけじゃないもの。本当は思い切りピアノ弾きたかったんだよ。めちゃくちゃ好きなように演奏したかったんだよ」
「だが立村は本気で練習していると」
「そうなんだよ。立村が下手は下手なりにさじを投げてくれれば本当はよかったんだよ。ふたりともそれを期待してて、たぶん諦めるだろうと思ってたみたいなんだ」
「古川、それは宇津木野たちから聞いたのか」
乙彦は確認したかった。今の話が本当ならば伴奏という行為の陰に潜むどろどろが醜すぎる。古川は肯定するように頷いてすぐ首を振った。
「相談はされた。けどね、ふたりが一番悩んでいたのは立村があれだけ真剣にやっているのに自分たちの身勝手な価値観を押し付けていいのかってことなんだ」
「普通は怒るな。俺も怒る」
「普通は、ね」
古川はいったん言葉を切り、
「あんたさ、今日の課題曲歌った時、伴奏がおかしいとか変とか思った?」
いきなり話をそらせてきた。すぐ乙彦も思い出す。別にない。
「特に何も感じなかったが。立村もとちらなかったぞ」
「だよね。私は普通の音楽感性しか持ってないからそれですむんだ。けど、宇津木野さんにとってはいろいろと演奏の粗が気になってしまう。それはあるみたいんだよ」
「それも宇津木野から聞いたのか」
またこっくり頷いた。
「まあ、一応ね。けど、宇津木野さんは辛そうだったよ。そう感じる自分がおかしいんだって何度も言ってた。みんなに合わせるようにしたいけど自分は音楽に対してだけどうしても変なところでこだわってしまう癖があるって。だからこそあれだけすごい演奏ができるんだろうけど」
「古川が宇津木野をかばう理由はわからなくもないが、合唱コンクールは学級の団結を高めるための行事であってピアノの旋律にこだわるためのイベントではないはずだ。そっちにこだわりたいのならそれこそ、十月に行われる学内演奏会でやればいいことだろう」
「理屈ではそうだね、そうだよね」
古川は乙彦の言い分をそのまま認めた。
どうも古川の話には頷けない。
あくまでも伝聞だからまるごと信じることもできないけれども、宇津木野たちが立村の演奏拙さに耐え兼ねて自分から伴奏を申し出るといった展開は、乙彦からしたら調子が良すぎるような気がする。しかしその話をなぜ、宇津木野の処置が行われる寸前に古川が話さなくてはならないのか、そこが謎だった。
「だが、結局伴奏の件と宇津木野が倒れたことと何か関連性があるのか」
直球で問いかけた。
「あるといえばあるし、ないと言えばないね」
「俺に話しておかねばならないことだとすると、あると解釈していいのか」
「いいよ。だらだら喋っちゃったけど要するに、宇津木野さんはいっぱいいっぱいになっていて壊れる寸前だったってこと。逃げ場がないってこと。倒れたことイコール背負ってきた何かと関連してるとは言い切れないけど、このままだと彼女にまたひとつどでかい罪悪感っていうお荷物ひとつ乗っかるわけよ」
「なんだその、お荷物とは」
「せっかくの合唱コンクールをめちゃくちゃにしちゃったっていう、罪ね」
「それは不可抗力だろう。本人が意図的にわざとしたわけではない」
「そうだけど、宇津木野さんはきっとそう思ってないよ」
そこまで話した時、ようやく麻生先生が現れた。乙彦たちをすぐに見つけ駆け寄ってきた。きょろきょろして誰かを探すような素振りを見せて、
「お前ら、どうしてここにいる?」
「先ほど、麻生先生が到着するまで待機するように言われました」
乙彦の言葉をひきとって古川も続けた。
「すぐに受付の方に声をかけてくださいって言われてます」
「わかった。それで宇津木野のご両親はまだか」
「来ているかもしれませんが、たぶん私たちでは顔がわからないと思います」
もしかしたらすでに受付に確認して、自分の娘のいる病室へ向かったのかもしれない。ずっと話に没頭していて気づかなかったことに反省するしかない。麻生先生は乙彦の肩を叩きすぐに受付の担当者と話をつけ、
「古川鋭いな。すでにご両親はいらっしゃっている。とりあえず三階に上がろう。なにはともあれそこからだ」
ふたりを伴いエレベーターの前に向かった。
車椅子に乗っている人や杖をついている人、点滴を腕に繋いで引きずりながら歩いている人、往来する中なかなかエレベーターには乗り込めなかった。それでもなんとか辿りつき、麻生先生の指示に従い検査室前のベンチに座り直した。
「俺は今からご両親に挨拶してくる。お前らもう少し待ってろ」
看護師の女性に導かれて先生が別室に通された後、ふたたびふたりきりとなる。
「俺たちのすべきことはなんなんだろうな」
「ご両親への状況説明。たぶん私たちができることはそれだけ」
「その間うちのクラスの連中はどうしてるんだろう」
乙彦が保健室に突っ走った後、クラスの状況を全く知らぬままで来てしまった。麻生先生と話せる間に確認しておけばと思うも後の祭り。
「合唱コンクールはいったん二年まで歌って、給食食べて、それからまた三年生って流れだよ。うちのクラスはもう終わっちゃったから、あとは聴くだけでしょ。優勝候補探してるかもよみんな」
「そんなのんきなことしてられる状況か」
思わず言葉を荒げたくなるが、古川は動じなかった。
「私たちだって宇津木野さんが今どういう状況なのか全くわからないじゃないの。どっちにせよ私たちがこれからすべきことは、宇津木野さんの病状とできればなんでもないよって報告、あと、そうだ、ここからが大事」
古川は改めて周囲を見渡した。頭に白い網をかぶっている人や、包帯をまいている人が点在している中、
「罪悪感ばりばりの宇津木野さんを、これから帰ってきた時にあったかくフォローするための方法を考えないとね。私がさっき話したこと、今の段階では誰にも言わないでほしいんだ」
「話す気はないが」
「私なりに考えはあるんだ。ただね、余計なこと言い出す奴とか、直接話をした例えば立村とか、状況観ていた美里とか、いろいろな立場の人がいるわけよ。これから学校に戻ったらかなりもめると思うけど関崎には、男子をしっかりまとめる役割をしてほしいんだよね」
「俺が何をするんだ。むしろそれは藤沖が」
言いかけた乙彦を遮り古川は続けた。
「悪いけどさ。この件だけはあんたでないと頼めないの。理由は言えないけど。それと今から宇津木野さんのご両親と話す時、私がとっぴょうしもないこと言うかもしれないけどとりあえずは黙っててちょうだい。考えがちゃんとあるんだから」
言っている意味が全くわからないが、まずははいと答えるしかなかった。