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プロローグ 夏休み終了二日前

 なぜこの先輩に気に入られてしまったのか、乙彦には最大の謎である。

 何とも言えないくすんだ匂いと天井から床に至るまでアイドル写真がびっしりと貼りめぐらされている不思議な部屋の中で、乙彦は今回も冷えたいちご牛乳を飲んでいた。

「ここまで来るのも大変だったようだね、ごくろうさん」

「いえ、運動になります」

 「日本少女宮」の抱き枕にまたがったまま、ショートパンツに真っ赤なTシャツ……背中には「みんなまとめて惚れたるで! 日本少女宮」とプリントされている……をぶかぶかに来た結城先輩が乙彦を見下ろしている。

「とりあえず、一学期は楽しんだかね」

「はい、盛りだくさんの三ヶ月でした」

 正直に答える。クーラーがしっかり利いているのがありがたい。まだ汗ばむ季節だけに、乙彦もできれば日陰で寝っころがりたいのが本当のところだった。夏休み終了二日前ともなると本当は二学期の準備とかいろいろあるのだが、さすがに三年の先輩から呼び出された以上は受けざるを得ない。後輩の義務であると同時に、お下がりの制服やら教科書やら参考書やらをダンボールでもらった立場上、礼儀を守らねばならない。

「僕も、後輩たちから君の大車輪の活躍を耳にしていたけれどもね。入学時に感じた僕の勘はやはり馬鹿にできたものじゃないな。前代未聞だよ。外部生のスター誕生というのは」

「もったいないお言葉、かたじけないです」

「かたじけないか、受けるなこりゃ」

 ひとりで爆笑したあと、結城先輩は丸っこい顔をにこやかにして、

「僕の知る限り、外部から入ってく諸君は大抵えらい苦労をして、学校の補習に追われ、場合によってはドロップアウトしてしまう奴らがほとんどだった。もしくは学校についていくことは行けたけれども、無意味に内部生へ敵意をむき出しにしてトラブルを起こしたりと、まあいろいろと面倒な輩が多かった。しかし君はいわゆる『外部生』のステレオタイプとは違う。ここまでファンを増やしてきたのはさすがだよ」

「みんな、いい奴だからだと思います」

「そう謙遜しなくてもいいよ。まあ、こういうところが好感持たれるところなのかもしれないね。ほら、いちごミルクをもっとお飲み」

 ──あまりおいしいとは思わないんだが。甘ったるいぞ。

 甘いのが苦手ではないが限度がある。とは思う。


 しばらくBGMに「日本少女宮」のLPをレコードプレーヤーにかけたまま、結城先輩はしみじみと語り続けた。

「僕も評議委員長としていろいろと目配り気配りしてきたつもりだが、最近は生徒の立場ではどうしようもことが日々起こりつつある今日この頃なんだ。学内の問題だけであれば、ちょちょちょいのちょいと誰かをとっ捕まえて頭を付き合わせて相談するのもありなんだがね。学校そのもの、となるとちょいと僕の手には負えない。悔しいがね」

「そんなことがあるんですか」

 全然わからない。ピンと来ないことは説明してほしい。

「まあ、君もこの学校にいる以上はそのうち情報が入ってくるよ。関崎くん、君は規律委員に潜り込んだと聞いたがどうなのかな、盛り上がりは」

「いわゆる普通の規律委員だと思いました」

 これも極めて普通の感想である。乙彦からすると毎朝早朝の週番から始まり違反カード切り、及び服装チェックといったありふれたことしかないし、噂に聞いた「青大附高ファッションチェック」という季刊誌も発行される気配がない。

「ああ、そうか、いろいろ噂はあるんだね。たぶんあれは南雲が全部仕切っていたはずだし、彼がこれから役付きになった段階で動くだろうよ。二年生は今ひとつ先生に投げっぱなしのところが多いが、関崎くん、君の世代の動きはなかなか激しいからね」

「南雲ですか」

 複雑な思いを込めてつぶやく。あの「学内の美少年アイドル」とも呼ばれる女子たちからの熱い視線ナンバーワンの南雲秋世、乙彦にとっては単なるバイト先のすれ違い野郎に過ぎないのだが、よく考えると同じ委員会なのだ。しかも、中学時代は伝説の規律委員長とも聞いている。今まで全く一緒に動くことはなかった。

「一年一学期は比較的相手の出方を待つ時期だからしょうがない。どの委員会もほとんどそういうものだよ。ただね、僕が思うに関崎くん」

 結城先輩は付け合せのマシュマロを口に放り込んだ。

「君はそろそろ次のステップに進んだほうがよさそうだね。僕が勧めた立場上申し訳ないんだが、規律委員は君にとって退屈すぎるようだ」


「あの、どこがでしょうか」

 礼儀として尋ねてはみたものの、結城先輩に「退屈じゃないのか」ともし聞かれたら困ってしまうのは確かだった。つまらない、それは言えている。

「一学期は関崎くん、君に準備運動してもらいたかったこともあって、あえてどの委員会でも可とさせていただいたんだ。規律委員会もそのものは奥が深いしこの調子だと南雲ががんばってくれるだろう。期待はしている。ただ君が南雲の下でこき使われているのをどうも僕は想像できないんだ。君は手芸好きか?」

「いえ、あれは女子のすることではないでしょうか」

 学校のクラブに「手芸クラブ」というのは確かにあったが男子が入ったのを見たことがない。

「そうでもない。君が変えねばならないのは先入観だよ。規律委員会が中学で花開いたのは、男子も手芸活動を楽しめるといったルートをこしらえたからではないかと僕は睨んでいる。まあそれはどうでもいい。大切なことは、君がこれからファッションやら手芸やら衣装作りやら、そういう活動を楽しみたいと思っているかどうかなんだよ」

「あまり、です」

 小学校時代に家庭科で針と糸の使い方は習ったがそれだけだ。繕いものは親に全部任せている。

「そうだろうそうだろう。さらに君と南雲はいろいろと因縁がありそうだ。そうなると君のステップアップはそろそろ十一月までに考えておかねばならないよ」

 結城先輩はやわらかい抱き枕を胸まで抱き上げて頬ずりした。思わず乙彦は尻ひとつ分うしろずさりした。


 ──まだ内密事項だしな。

 ステップアップになるのかどうかはわからないが、おそらく後期のクラス委員改選で乙彦は評議委員に指名されることが内定している。理由はひとえに、現評議委員の藤沖がこれから先、新設予定の応援団に向けて活動を強化するためである。すでに藤沖本人を始め、担任の麻生先生からも承諾を得ている。押し出される形にはなるけれども、覚悟はある。

 ただ、そのことを結城先輩に話すことはまだできそうにない。

 ──藤沖も気を変えないとも限らない。それに。

 思いかけたところで結城先輩は抱き枕を抱えたまま語りだした。


「二学期以降の流れにもよるが、君が何をしたいかを少し絞った方がよさそうだ。君、芸術科目は何を選んだ?」

「書道です」

「となると、美術と若干重なるか。美化委員も悪くないよ。それに君は、長距離が強いらしいね」

「体育委員も惹かれるのですが、活動が厳しそうです」

「君はそちらのタイプではない。そして英語科。そうだね、となると、どこがいいだろう。おおそうだ、いいことを思いついたぞ」

 いきなり結城先輩が膝を打った。

「関崎くん、君に指令を出そうではないか」

「何をですか」

「この二学期、十一月のクラス改選までになにかトップに立つような機会を掴んでくれないか。僕としてはひとつ、勧めたいことがなきにしもあらずなんだが、まだこのままだとなかなか言い出しにくいところもあってね。あまり心配はしていないんだが、なにかがつんとひとつ打ち出せるものがあるといいよ。例えば学年トップを取る、学年英語一番を取る、体育の長距離走で最速タイムを出す、とにかく君にはインパクトだけではなく、人にはっきり提示できる、一番という称号が必要なんだ。それさえあれば、僕も置き土産を準備できるんだがね」


 ──悪いのですが、結城先輩。

 嘘はつきたくないので黙る。関崎乙彦は口が堅いことを誇りにしたいので、嘘を言うのを避けるためには黙るしかないのだ。

 ──評議委員を受ける覚悟は、しつこいようですがあります。


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