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9 伴奏合わせ(3)

 まだB組連中が元気に合唱し続けているのを聴きつつ、乙彦は立村のぺらぺらした楽譜を眺めた。赤いペンで細かな書き込みがなされている。立村の文字ではない。教えてくれている誰かが書いてくれたのだろうか。

「全部のっかるのか。譜面めくりとかしなくてもいいのか」

「いいよ、どうせ暗譜するから」

 立村はいったん歌い終わったらしいB組連中の様子を伺うようにしてつぶやいた。

「B組もやる気あるんだな」

「ある。あのクラスも男女団結力あるからな」

「静内も本当はああいう音楽などの華やいだイベントが好きではないんだが、やはり選ばれた以上は責任を持ってトップを目指したいと考えているようだ」

「華やいでるかな、合唱コンクールってば」

 不思議そうに首を傾げて指先を見つめる立村。乙彦からしたら、そもそも合唱コンクールというイベントひとつでここまで盛り上がるということ自体が信じがたい。中学時代は合唱コンクールなんて流すための行事、どれだけ気合を入れることに苦心したかを思い出す。反面、この学校ののりときたらまさに学校祭そのもの。恐ろしいことにこの学校は学校祭をはじめとするたくさんの行事が並びすぎていて、メリハリがなさすぎるというのもある。

「お前たち内部生にとってはさほど違和感がないかもしれないが、俺たち外部からきた人間にとっては正直戸惑いがあるのも確かだ」

 少し誤解を説いておきたかった。乙彦は続けた。

「静内はひとりでこつこつ石碑を見て歩いたり、歴史を研究したりとか、そういうことが好きな性格だから、全身に視線を集めるようなイベントはおそらく苦手だろう」

「でも、受けざるを得なかったということか」

 無表情に立村は受けた。

「周りの、主に女子たちの強い支持を得たらしい。本人の希望では少なくともない」

 立村は答えず、黙ってB組の女子たちが静内に叱られている姿を眺めていた。その中には清坂美里もいる。あえて何も言わずにおいた。

 「翼をください」の合唱が始まった。

 静内がぴりぴり叫んでいるだけあって、音のテンポも歌のハーモニーもみなぴたりと合っていた。いっちゃなんだが、A組の歌声と比較してはならないと思う。聴き終わった立村が乙彦に問いかけた。

「関崎、今の曲だけど、どう思う?」

 正直な感想を述べた。

「ぴしっと整っているな」

「歌いたくなるか?」

「もちろんだ」

「古川さんと正逆のやり方だからな」


 ──古川とか。

 古川たちも自分たちの練習の手を止めて、ちろちろB組の様子を伺っている。露骨に見つめるのではなくなんとなくといった雰囲気を保たせ、でも実は興味津々というのが溢れ出るような態度で。古川のことだから自分らのレベルの差ははっきり理解したのではないだろうか。乙彦は立村に問いかけた。

「本当はああいう風に細かく悪いところを指摘すべきかと俺は思うが、違うだろうか」

「静内さんのようにか」

 切り返した立村の口調はきつくなかった。

 静内もまた、「翼をください」の見事な歌い上げにまだ不満足だったようで、

「そうね、ここをもう少し高い声で歌ったほうがいいの。なにか悲鳴に聞こえてしまうから。もっと声を伸ばしてちょうだい」

 などと偉そうに説教している。誰も文句を言わないということは納得しているのだろう。

「そうだ。確かに古川のように相手を持ち上げる形での指導は悪くない。だが、それ以上に必要なのは、改善だ。どこが悪くてどこがいいのか、それを明確に指摘しないと俺たちも何をしていいのかわからないんだ。少なくとも俺たちに対して古川はそれをしていたはずだ」

「まあ、確かにな」

「立村の言い分も理解はできる。実際中学の時はそれでうまくいったというのならばそれはそれでいい。だが、俺としては褒めるだけが必ずしもプラスになるとは思えない。悪いことははっきりノーと言うべきだ。今の静内のやり方は何が悪くてどうすればいいかを的確にする方法で、あれなら多少不愉快であっても納得するだろう。男女関係なく、だ」

 せっかく勝負する場を得られたのならば、ベストを尽くすべきだ。指揮者も伴奏者も急ごしらえというハンディは確かにある。それでも、これだけ本気を出してまっすぐ突き進んでいるクラスがあるのならば、A組も多少厳しいことを言いつつ努力する必要があるのではないかとも思う。

 立村は何かを言いたそうにしたが、それ以上何も言わなかった。


「こんな調子だと、恥ずかしくて外で発表なんてできないから。もう少ししないと」

 かなり手厳しい叱咤の後B組の練習が終わった。タイミングよくA組の女子たちもB組の友達らしき相手に声をかけて一緒に帰る提案をしたりなどしていた。附属上がりの連中ばかりだしクラスの違いなどさほど影響しないのだろう。乙彦も静内に近づいて声をかけた。幸い、誰も静内に寄り付いてくる奴はいなかった。

「よく聞こえていたぞ。スパルタだな」

「しょうがないじゃない。そのくらいしなくちゃ」

 静内は乙彦に照れくさそうな笑いを浮かべた。合唱練習をしている間はにこりともせずに厳しく指導していた静内も、さすがに疲れたのだろう。

「だが俺からしたら、B組は音程も揃っていたが」

「甘いわよ。まだまだ。音程が合うなんてこんなもんじゃないの。もっと練習が必要なの。本当だったら夏休みからもっとびしばしやるべきだったと反省してるとこ」

「おい、じゃあ俺たちの自由研究が無駄だったってのか」

「そんなことないない。そうだ、自由研究と言えばさ」

 静内は声を潜めて乙彦に囁いた。

「今度、私と関崎と名倉の三人をうちの学校の放送局が取材するって話、聞いた?」

「いや、聞いてないが」

 初耳だ。そもそもなぜよりによって「外部三人組」の取材を放送局がしようと企んだのかそれ自体が信じがたい。静内は首を振りため息をついた。

「私も、この前結城先輩から話を聞いてびっくりしたわよ。なんでも今回は、テーマが自由研究に関わる生徒たちのいろいろな話らしくって、何をしたいんだかよくわからないなって疑問だったわけ。とりあえず私たち三人の時間がある時にってことで予約入れられちゃった」

「結城先輩がか」

「評議委員長がなぜ放送局のアポ取りするのか私にはとんと謎だけど、関崎と名倉にも伝えておくってことで話、ついてるから。あとで相談しようか」

「了解」

 思いがけない話だが、まだ静内経由の口約束に過ぎない。正式な話が来てからでいいだろう。乙彦はちらとアップライトピアノの方を眺めやった。立村がまだピアノの前に腰掛けているのだが、いつのまにか清坂がその脇にある席に腰掛けて楽譜をいじっているのが見えた。古川もにやにやしながら覗き込んでいる。立村が鞄から取り出した大きめマガジンタイプのファイルらしきものを取り出すと清坂は、

「ほら、貸して。これから練習するんだったら、見やすいほうがいいに決まってるじゃない。楽譜もちょうだい。綺麗に貼ってあげるから、待っててね」

 のりとハサミを器用に操って、楽譜を一枚一枚ファイルに貼り付けていく。立村が遠慮がちに、

「清坂氏、いいよ、あとで俺がやるから」

 断りを入れても全く聞く耳持たないようだ。

 「今朝言ったでしょ。立村くんのぶきっちょぶりはね、三年間同じクラスだった私が一番よく知ってるの! 今のうちにやっとけば、次に練習する時楽でしょ? ほら、黙って見ててよ」

「ごめん」

 それにしてもよく聞こえる声だ。音楽室の視線を集めていることに清坂は気づいているのかいないのか。申し訳なさそうに小さくなってる立村と対照的なこの態度、火に油を注ぐがごとく今度は古川も近づいてきた。

「あんたたちまた、なにいきなり図工の時間やってるのよ。あれ、この巨大なノートってもしかして美里が立村に?」

「ちょっと、ぴったり貼りたいから邪魔しないで」

 清坂の肩を揺らしている。うるさそうに文句を言う清坂をこれ以上邪魔せず古川は、

「ははん、これ、楽譜を貼り付けて立てるようにってことかあ」

 紙で作った巨大なノート……ファイルではなかった。いわゆるスクラップブックのようだった。遠目ではよくわからないが、英字新聞のようなものを器用に組み合わせたデザインのものに見えた。

「まだのりが乾いてないから触るときは注意してよ!」

 清坂は口でこそきつく答えるものの、あっさり認めた。

「そうだよこずえ。今日は立村くんの誕生日だし、貴史と一緒にプレゼント作って渡したの。それがどこか変?」


 ──そうか、あいつ今日誕生日か! 九月十四日か。

 初めて知った。立村は昨日までまだ十五歳だったということで今日から乙彦と同い年ということだ。なんだ、昨日まで年下だったのか。

 妙なところで感慨深い乙彦とは違い、隣りで冷ややかな視線を投げかけている静内の様子をびんびんと感じた。

 ──清潔じゃない、ように見えるんだろうな静内には。


 静内の視線などお構いなく清坂と古川はきゃいきゃいと盛り上がっている。側でされるがまま伏せ目の立村に関しても、眼中にない。

「変じゃないけどねえ。羽飛と作ったってわけ?」

「そうだよ。こずえには言わなかったけど、立村くんの誕生日が今日なのと、貴史もとにかく何か作りたくてならないってうずうずしてたから、この表紙を貴史にデザインしてもらって渡したの。立村くんも伴奏するなら、できるだけ見やすい楽譜で弾けたほういいしね」

「誕生日ねえ。あんた、今日が誕生日なわけ?」

 ちらっと様子を見やる古川に、立村も仕方なさげに答える。

「そのとおり」

「ふうん、となると、あんたがとうとう私らと同じ歳になるってわけかあ」

「おっしゃるとおりでございます」

「弟じゃあないわけね。寂しいねえお姉さんも。とりあえずたいした隠し事じゃなかったってことよね。まあいいわ、じゃあ美里、私の誕生日もぜひ羽飛とプラスで何か芸術作品お願い。あ、パンツにオリジナルのイラストってのはさすがにパスね」

「なによこずえ、そんなことするわけないじゃない! もうエッチ過ぎる!」

 

 A組ふたりとB組ひとりの楽しげな語り合いを微笑ましく見ていない一人のB組女子。

 そろそろまずいとは思っていた。

 ──静内、どうするんだ。

 静内はやはり勝負に出た。脳天気にはしゃいでいる三人組に、その場から動くことなく呼びかけた。音楽室にいる連中全員に聞こえるほどの声だった。 

「清坂さん、悪いんだけどこれから女子だけ残ってもう少し練習したいんだけど時間大丈夫? 今日は大丈夫よね。女子だけどうしても音が合わないの。特にソプラノパートが気になるんだけど、清坂さん忙しいみたいだしできれば時間の取れるときにまとめてやりたいんだけど、時間、あるよね」

 ──まずい、静内、完全に頭に血が昇ってるぞ。

 清坂からしたら友だちの誕生日プレゼント贈呈に過ぎない。気心の知れた仲良しとの自然なおしゃべりに過ぎないだろう。しかし、清坂が立村のために手作りのスクラップブックをこしらえている間にも静内は完璧な音色を求めて必死に練習していたわけだ。これはもう、切れないわけがない。これは清坂に折れるよう、立村あたりから口寄せしてもらったほうがいい。立村に近づく前に清坂が感情のない声で答えた。

「いいけどどこでやるの」

「グラウンドの隅っこでやりましょう」

 シビアな返事。清坂は口答えしなかった。立村と古川のふたりに、

「じゃあね、また土曜にこずえのとこ行くから、そのときまたね」

 言い残し、鞄に工作道具をひとまとめにしてしまい、そのまま教室から出て行った。静内も、その他のB組生徒たちも従った。本当はもう帰ってよかったんだろうがさすがに静内のあの発言に逆らう度胸を持つ奴なんていないだろう。

「清坂氏、ありがとう」

 立村の穏やかな微笑みだけが救いだった。やれやれといった感じの古川も乙彦に何かもの言いたそうにしている様子だった。すぐに立村が乙彦に提案を持ちかけてきたのはちょうどタイミングよかった。あんな雰囲気でそのまま帰る気にはなれないだろう、とてもだが。

「関崎、せっかくだからお前の指揮を見る訓練したいんだ。一緒に手伝ってもらえるかな」

 古川にも、文句が出る前に先手を打ったのか、

「とりあえずさ、俺と関崎には気に入らないところどんどんダメだししてもらっていいから、黙って聞いててもらえると助かるんだけどな」

 あっさりとお許しを得て、その後また有志のみで練習を続けた。古川のやり方は変わることなく、

 ──ダメだしされるのは指揮者と伴奏者のみ、合唱者は甘い褒め言葉。

 のみだった。これがA組と割り切るしかなさそうだった。

 


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