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7 録音作業(2)

 話はとんとん拍子で進み、古川がまずは音楽教師の肥後先生に音楽室を放課後一番で使わせてもらう許可をもらい、麻生先生には藤沖が二時間目の休み時間に報告しにいった。その後も各授業の休み時間の合間合間に話を進めている。教室ではピアニストコンビが熱心に頭を付き合わせている。結局昼休み後決定したのが、

「放課後一番にA組全員ダッシュで音楽室に向かい、カセットテープを準備した上で独唱を披露する。終了後は他クラスの練習を邪魔しないように早々に立ち去ること」

 この予定ということだ。

 ──こんないきなりでいいのかほんとに。

 乙彦の独白も誰ひとり聞いちゃいない。あっという間に帰りのロングホームルームと相成り、麻生先生も楽しげに、

「藤沖の発想にもたまげたが、関崎が喜んで乗ってくるのもびっくりだ。できれば俺もお前らのミニコンサートを楽しみたいところなんだが残念ながら会議がある。録音してくれるというのならぜひ、後で聴かせてもらえるもんだと信じたいんだが、期待していいのか」

 完全にのりのりだ。思わず口ごもるが古川がすぐに切り返す。

「先生、それ無理よ。音楽は生ものだから、足を運ばなくちゃ」

「それがたやすくできるようなら俺も教師なんかやってないぞ。とにかくだ、我がクラスのピアニストふたりの名演奏もぜひぜひなんらかの形でお目にかけてくれることを楽しみにしているぞ。どうせ合唱コンクールでは」

 ここで何かを言いかけたが飲み込むようにして、

「まあ早く練習するに越したことはないがな」

 言葉を濁した。号令が終わるとそそくさと教室を出て行った。


 立村が楽譜を取り出したのを見つけてすぐ古川が預かり、

「それと関崎、ちょっと来な」

 近づき乙彦を呼んだ。

「どうした、これから音楽室に行かないとまずいだろう」

「その前に楽譜、楽譜。あんたもおいで。あ、立村はここで待ってな。一緒に行くからさね」

 側でぽかんとしている立村を尻目に、古川はすぐその楽譜を宇津木野と疋田に手渡した。「ねえねえ、これ立村からぶんどってきたんだけど、この楽譜、今のうちに目通ししておきたいかなと思って」

 手早い。すぐにふたりは目を輝かせて受け取った。疋田がまたこくこく頷きながら、

「ありがとう、古川さん助かる」

 開きつつ宇津木野に話しかけている。

「ほら、曲、どうする? 今度は私が『恋はみずいろ』弾くから、『モルダウ』にする?」 

 されるがままの宇津木野は素直にその選択に従った。吹奏楽連中から「ピアノの女神さま」と称えられるだけの才能を持っているとは聞いているが、その生演奏で歌えるとはかなり小っ恥ずかしい。とんでもないところで音を外さないようにしなくてはならない。少し咳払いして喉の調子を確かめてみる。異常なさそうだ。

「まあ立村でもなんとか弾けるようになったってことだからそれほど難しくないよね」

「うん、そうだね。早く見せてもらえたから大丈夫。それと関崎くん、歌のタイミング、私もできるだけ合わせるつもりだけどスピードが合わなかったらあとで言ってね。何度でも弾き直すから」

 疋田は乙彦に熱心な口調で頼み込んだ。続いて宇津木野も、

「私も」

 はにかみながら続いた。心底ピアノ演奏を愛している様子が伺いしれた。このふたりの技量はともかくとして、中途半端な歌い方はできない。こちらも気合を入れるしかない。

「ありがとう。俺としてもカラオケ以外で歌うのはそうそうないことなんだ。生演奏というのは贅沢だが、昨日立村と組んだ時も気持ちよかった」

「生が好きなのねえ、生、が」

 また余計な茶々を入れる古川も、すぐに真顔に戻り、

「立村のレベルじゃないからねえこの二人。ま、ふたりとも大変な時なのにわざわざ手伝ってくれて本当に感謝! ふたりが弾いたとこは録音して、あのへっぽこ伴奏者に耳たこになるくらい聞かせてしごくから安心してよ」

 ──へっぽこ、とは穏やかじゃないな。

 乙彦は振り返った。立村が居場所なさげに小さくなり、またちらと乙彦たちのほうを様子見していた。視線がかち合い、立村のほうからすぐにそらした。


 そのまま藤沖たちと一緒に教室を出た。宇津木野、疋田の両名も楽譜を抱きしめたまま仲良く階段を昇っていく。乙彦も続こうとしたが、

「関崎、ちょいと待て。ちょっと付き合え」

 無理やり回れ右させられた。古川も一緒に、

「そうだよ、寄り道しないとね」 

 ふたり背中を押し、最奥の職員室へと押し出していった。

「何か荷物でも持っていくのか」

「荷物、まあ確かにそうだ」

 古川と意味ありげに笑みを浮かべる。職員室に入りつつ、

「今日は職員会議だそうだが、約一名、未練ありありの御仁がいるからな」

「麻生先生に用事か」

 よくわからない。わかっているのはどうやら我がA組評議コンビのみのようだ。まだ会議は始まっていないらしく先生たちもそれぞれ席でお茶を飲んだりしている。麻生先生も同様に何やらノートを開いてメモを取ったりしている。

「先生、失礼します」

「よお、お前らこれからコンサートだろ」

「先生もよろしければいかがですか? 他の先生も誘って」

 にやっと古川がささやく。いや、ささやくというよりもかなりどでかい声で、

「やっぱ、生の演奏と歌ってのは録音では楽しめないものですよ、ねえ」

 わざとらしく語りかける。藤沖もまた同様に、

「先生どうですか、せっかく関崎ががんばってくれるんです。それにこういったらなんですが、本番は関崎指揮者です。しかも演奏が」

「わかってるわかってる。お前らの言いたいことはよくわかっているんだ」

 不機嫌そうな顔をこしらえているように見える麻生先生。どこか芝居がかった口調で、

「だが大人にはなあ、会議ってもんがあるんだ。あと十五分くらいしてからだがな」

「先生、今日は誰か停学になったとかそういう話はないですか」

「ないな別に」

 三人で職員室中に聞こえるよう会話を交わしていると、そりゃ他の先生たちも視線を向ける。しかも斜め前からは静内が野々村先生と何か打ち合わせをしている。たぶん聞こえているだろう。ちろちろ見ている。野々村先生が麻生先生に話しかけた。

「合唱コンクールの練習なのですか、麻生先生」

「そうなんですよ聞いてくれますか野々村先生」

 渡りに船、とばかりにしゃべりまくる麻生先生。

「うちのクラスの生徒で合唱コンクールの伴奏から外れた生徒ふたりが、噂では美声を持つと言われるこの関崎のために生演奏でミニコンサートを行う予定なんですわ。他クラスでもその話題で持ち切りで、俺も今日は三年のクラスの連中からもそのことについていろいろ聞かれたわけなんですよ。これからすぐ二曲歌って解散になるんですが、会議がねえ」

 ──なんだそのわざとらしい口ぶりは。

 鈍感乙彦もさすがに麻生先生の思惑を感じ取らざるを得ない。

 野々村先生に静内が、極めて上品な優等生面でもって話しかける。

「関崎くんは本当に歌が上手なんです。私も昨日偶然耳にしました。合唱コンクールのお手本になりそうな歌声でした」

 ──嘘つけ。カラオケボックスでいやというほど聴かされたからだろ。

 つっこみたいのを我慢する。とりあえずここでは静内も乙彦も外部の優等生だ。 

 野々村先生があら、といったふうに乙彦を見やると他の席にいた先生およびたまたまうろついていた教頭先生も興味を示したらしく、

「麻生先生、生徒たちのミニコンサートですか。二曲で済むのであれば会議開始を少し遅らせてもいいですよ」

 援護射撃をしてくれ、さらには、

「僕もぜひそれは聴きたいですねえ。敵前視察という意味も込めて」

 三年の担任教師数名がにやつきながら近づいてくる。

「麻生先生、では十五分だけ特別授業に行ってらっしゃい。報告もよろしく」

 生活指導担当の先生にも快く送り出され、とうとう麻生先生は申し訳なさそうな顔を作り、

「いや、クラスの私事で申し訳ございません。こいつらのへっぽこ演奏を確認したらすぐ戻りますのでよろしくお願いいたします」

 勢いよく立ち上がった。乙彦がぽかんとしている間にも向かいにいる野々村先生と静内も意見が一致したらしく、

「それでは私たち女子軍もお供いたします」

 涼やかに微笑んだ。後ろでちらと乙彦にやんちゃな目つきで合図を送るのがやはりいつもの静内だった。

 見送る先生、ついてくる先生、それぞれになぜか肩を叩かれ激励されつつ、よくわからないなりに乙彦は職員室を出た。麻生先生が古川と藤沖に意味ありげに手を差し出していたのを見ると、やはり何らかの企みごとがあったとしか思えない。まあ、これは無視することにしよう。今は歌うことに集中せねば。


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