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7 録音作業(1)

 家に帰ると机の上に封筒が一通置いてあった。乙彦が帰る前に雅弘が母に預けていったものだそうだ。開いてみると「青潟市立工業高校 礎祭」なるチラシが一枚挟まっていた。さらに中には、チケットも数枚含まれている。よく見るとクラスの出店で提供するドーナツセットとセットのコーラが購入できるものが一枚、もう一枚が吹奏楽発表会のチケット。チケット代は記載されていない。

 学祭は九月第四週の土日。合唱コンクール後なのがありがたい。中旬ではなかったらしい。雅弘もあの子供向けのミニリヤカーのようなものをこしらえるためにのこぎりやかんなと格闘しているのだろうか。

 ──絶対行くぞ!

 乙彦は財布にチケットをしまい、雅弘の家に電話をかけたが残念ながら奴はいなかった。まあいい、あとでもう一度連絡しよう。


 次の日、朝一番で教室に向かうと待ってましたとばかりに静内と名倉が待ち構えていた。わざわざロビーにいるというのがいかにもだ。

「おはよ、関崎」

「お前らまたどうした。またなんかあったのか」

「起こしたのはあんたじゃないの」

 静内はブレザーをしっかり着込んでいた。まだ九月のうちは夏服でも構わないが一応うす手のブレザーは購入を勧められていた。もちろん乙彦が購入するわけもなく、先輩たちから譲り受けた制服を着るだけだが。どちだにせよ風はもう夏のものではなくなっている。

「大騒ぎなんだけどどうする?」

「何がだ」

「さっきA組の女子連中がお前の噂をして去ってった」

 名倉が腕組みをして言う。

「噂だと」

「そうだ。なんでもお前の歌が絶品だったという話を別のクラスの女子から聞いたんだそうだ」

「いったいどういうネットワークなんだ」

 話が早すぎる。乙彦はたまたま立村と一緒に練習をしただけであって、たまたま歌っただけのこと。あの中にはB組のかなり絞られた人数しかいなかった。それを静内に伝えると、

「内部生のネットワークってすごいね。私も知らないうちにあっという間に全校生徒に広まっちゃったみたい。さっきもね」

 小声でささやく。

「三年の評議委員長の先輩いるでしょう」

「結城先輩か」

「私、さっき呼び止められて聞かれたわよ」

 静内は評議委員だから結城先輩と顔見知りでも不思議はない。

「関崎がまた何かしでかしたのかってことをね」

「お前なんて言った?」

 念を押しておく。別に悪いことはしていないつもりだが。

「そのまま普通に話したわよ。A組の指揮者と伴奏者の練習で、流れで歌うことになっただけって」

「結城先輩はそのあと何か言っていたか」

「別に何も、ねえ」

 名倉も一緒だったらしく顔を見合わせたが、

「ただ、気になることと言えば、あの伴奏の人には気を付けたほうがいいってね」

「また立村のことか」

 ずいぶんと立村叩きがあちらこちらから見え隠れする。結城先輩も中学時代からの因縁がいろいろあるのかもしれないが、外部生の乙彦からするとちょいと立村がかわいそうだ。

「言いたいことはなんとなくわかったからはいとだけ答えておいたよ」

「俺も言いたいことはあるがとりあえずいい」

 どちらにせよ、乙彦がまたA組で騒ぎの火種を巻いてしまったことは確かのようだった。


 朝の外部三人組集会を終えて、A組に向かう。

 予想通り、すでに教室には藤沖、古川、片岡、そして離れたところに立村が揃っていた。他の女子たちも明るく「おはよう関崎くん!」と声をかけてくる。ついでに

「関崎くん、昨日歌ったんだって?」

 探りを入れてくる。別に隠すことではない。頷くと、

「B組の子たちが絶賛してたよ! すっごく上手だったって」

「今度音楽の時間に歌うべきだよ」

 口々に目を輝かせて語りかけてくる。本当は一緒にピアノ伴奏した立村の努力をたたえたほうがいいのではと思うのだが面白いくらい無視している。とりあえず答える。

「いや、やはり指揮をするには自分でも音が取れないといけないからな」

「関崎くんがカラオケキングだという噂は聞いてたけど、みんなオペラ歌手みたいだったって興奮してたんだから! なんでうちのクラスにはそれ隠しちゃうの」

「隠してはいないがたまたまなんだ」

 褒められるのはありがたいが、なんでそんなにみな食いついてくるのだろう。いつの間にか藤沖が近づいてきてくれて、交通整理をしてくれた。女子たちもそれぞれの席でひそひそ話に切り替えている様子。ほっとした。

 

「さすがだな、またお前の伝説が響き渡ってるぞ、朗々とな」

 藤沖は乙彦に話しかけ、また満足げに目を閉じた。

「何がだ。俺はまじめに合唱コンクールのために」

「わかっている十分にだ。それはそうとこのクラスでは公開しないのか? 俺たちはみな待ち構えているんだが」

 からかうのではなくかなり真面目な口調で尋ねられた。次いで、

「そうだ、提案なんだがそろそろうちのクラスでも合唱の練習を本格化させないか? B組もそうだがC組の猛りっぷりたるやすさまじいものだぞ。朝・昼・夕ととにかく時間があれば歌い続けている」

 噂のC組状況についてもレポートしてくる。相当難波が燃えているとみた。とてもだが戦う気がそがれる。

「来週からと古川からは説明を受けている。俺もそれでいいと思う」

 少しなだめる意味で口を挟んだが熱く燃え滾った藤沖には通じない。

「いや、遅いだろう! いいか、とにかく早めに俺たちは前に進まないとならないだろう。俺がお前を見込んであえて推したことが間違っていないという証明はできた。さてさて、これからだぞ、目指すは優勝だ!」

「本気でお前それ言ってるのか?」

 思わずつぶやいた。静内の指摘がひっかかっているところもあり、いつかは話を持っていかねばとは思っていたのだが、こうやって一体一で話している限り十分やる気に満ち溢れているような気がする。相棒の古川も坊主頭の藤沖を撫で回しつつ、

「まあまあ、藤沖もそう燃えなさんな。あのねえ、私だって本当は早く練習始めたいよ。わかるよそのくらい。でもさ、みんないろいろと面倒な事情がてんこ盛りなのよ。世の中には短期集中型が向いているグループもあるのよ」

 なだめるように話しかけ、ぐるりと教室内を見渡した。こくっと頷き、

「たぶん私が見る限りうちのクラスはそちらのタイプよねえ」

 しみじみとつぶやいた。さらに、

「それにさ、私思うんだけどね、さっさと早いうちにデモテープを作っておけば練習しやすいんじゃないの。そのデモテープを作るためにまずは立村の伴奏を完成させる必要があるんだよね。それまであともうちょっと必要ってとこ?」

 立村を見やる。ここまで話題の九十九パーセントは乙彦に向かっていたのだが、ようやく他の連中も立村に視線を向ける。困った顔でもって立村も答えた。

「今週いっぱい、時間もらえれば、たぶんある程度は形になると思うからそれまでもう少し待ってもらえるかな」

 藤沖が「お前どうする?」的な視線を投げる。あまり希望を持っていない様子だ。乙彦も正直、時間がどうかと思わなくもないのだが立村の努力だけは買ってやりたいと思う。

「俺も立村の意見に賛成だ。昨日合わせてみたができればもう少しうまくなってからのほうが歌いやすいんじゃないかという気がした。俺ひとりの判断だが」

 露骨に不満そうな顔をする藤沖。やはり面倒な関係は継続中だ。

「だが、伴奏が完璧になるのを待っていたらいつまでたっても始まらないだろう」

「ならどうすればいいだろう」


 不意に藤沖が立ち上がった。

「俺に提案がある。すまないが宇津木野、疋田の我がクラスの誇るソリストおふたりに相談がある」

 きょとんとして宇津木野、疋田のコンビが顔を向ける。疋田さんが人懐っこく、 

「どうしたの?」

 問いかける。藤沖は腰を低く、深い声で、

「今日の放課後なんだが、悪いが一瞬だけ助けてもらえないか」

 頼み始めた。ピアニストふたりは顔を見合わせたが、すぐに疋田さんが返事をした。

「ピアノのことなの?」

「無理にとは言わないが、この関崎の独唱に伴奏をつけてもらえないか。それと、昼休みのうちに俺もテープを買っておくから、古川、肥後先生からラジカセを借りてきてもらえないか」

 古川の 

「なんなのいきなりあんた、何スイッチ入ってるんだか。いわゆるさかりがついたって奴?」

 茶化しも無視して藤沖が語り始めた。お得意の演説が始まりそうで乙彦はひそかに注意のランプを頭に点灯させた。

「昨日、関崎があのごつい顔にしては想像できないような美声をB組の連中の前のみで披露したと聞いて、どうしてもそれを確認したい気持ちがある。だがまだ中途半端なピアノ伴奏で奴の歌を観賞するのはどうも好かん。そこで、ふたりならば関崎を包み込むにふさわしい伴奏をしてもらえると思う。もちろん合唱コンクールの諸事情については古川からもよく聞いているし無理はしない。だが、せめてA組の中だけでも本物の伴奏というものを頭に焼きつかせたいんだが、どうだろう。忙しいところ申し訳ないが協力してもらえないか」


 ──おい、これ立村をこけにしすぎてるんじゃないのか。

 乙彦が嘴を挟む前に古川がフォローに回った。無謀な提案としか思えない。止めるのかと思いきや、

「ごめんね、いきなりでびっくりしたかもしれないけど、ただまあここだけの話だけど、私も関崎がひとりでカラオケでのマイク離さずにいる姿は拝見してるんだよね」

 裏切った。いつのまにか藤沖と古川、共同戦線を張っている。乙彦が気づかぬうちにだ。褒められることこの上なし。こちらではどう言い返せばいいのかわからない。

「まじ、ほんと、うまいんだから。たぶんB組の子たちが驚いたのもそこにあると思うんだよ。私、音楽のことよくわかんないけどね、ただ、ピアノを本気で弾いているふたりに伴奏してもらえたら、関崎もうれしいんじゃないかな」

 肘でつつく。ここで、何か調子のいいこと言えというのか。お門違いだ。こちらはただ黙って凍りつくしかないというのに。乙彦の顔をまじまじと見つめたソリストふたりは顔を見合わせて何かを思ったかのように頷き、 

「私も、そんなに関崎くんが上手なら、ぜひ伴奏してみたいな」

 宇津木野が小声で囁いた。背の高いわりに引っ込み思案の通称「ピアノの女神さま」宇津木野の発言に思わずみなどよめいた。同時に疋田も両手をぎゅっと握り締め何度も頷いた。小柄だが行動力はありそうに見える。すぐに立村に声をかけた。

「宇津木野さんがそういうんだったら私も付き合う。立村くん、楽譜ある?」

 立村も思わぬ展開に凍りついていたようだが、すでに強力解凍剤の古川こずえがフォローに回った。

「大丈夫、こいつさっきから机の中に楽譜突っ込んでて、朝学習終わったらひたすらじっくり見入ってたよ」

「でも練習とかしないとまずいんじゃ」

 立村の細い声をすぐに打ち消す疋田の言葉に、乙彦は立村への哀れみをひしひしと感じた。これは男として、寂しいだろう。

「私たち、初見であの程度の曲、いつも弾いてるから放課後見せてもらえれば十分間に合うと思うよ」

 ──立村はこのふたりがあっという間に弾ける曲を、さみだれのように必死にたどるしかないんだよな。これは、男として、辛いだろ。誰かカバーしろよな。

 哀れな立村を慰める奴はひとりもいない。藤沖が勝ち誇ったかように言い放つ。

「よし! なら今日はみな、無理にとは言わん。クラスで時間が少しでもある奴集まって、関崎の独唱と我がクラスのピアニストを愛でる会を行おう! 古川の言う通り合唱は短期集中型だが、本物を耳にするしないとでは全く違うぞ。それとだ、この独唱会は特別に俺がカセットテープを一本私費で負担する。録音するぞ。そのテープを聴きながら最初はとことん練習だ」

「ちょっと待て、俺はまだ歌うもなにも」

「クラスの合唱コンクールに協力できて、お前もカラオケボックスに行かなくても好きな歌を思う存分歌える、しかも生演奏だぞ! いいか、俺はやるぞ、やるからな!」

 乙彦の意思を無視して、とうとう「関崎乙彦独唱コンサート」の企画が立ち上がってしまった。藤沖のやる気なしという評価を否定できたのはよかったが、完全に蚊帳の外におかれた立村のいたたまれなさと、また見世物みたいに歌わねばならない我が身の立場に乙彦も頭を抱えたい気持ちが正直だった。そりゃ、歌いたいし楽しそうだとは思う、しかし。 

 そっと立村に近づき、藤沖たちに聞こえないように囁いた。

「決してお前を下手だとは言ったつもりないんだが、完全にこのままだと誤解される。俺としては一週間かそこらであそこまで弾けるようになった立村も相当だと思うが」

「いやいいよ。事実なんだから。それに俺も、あのふたりのピアノでの伴奏は録音したいしな。昼休み、自分用にテープ持ってくるから、関崎悪いけど各二回、歌ってもらえると助かるよ」

 ──こう見えて立村、お前も十分やる気なのか!

 おそるべし。英語科一年A組、十分過ぎるくらい気合の入ったクラスだった。乙彦は今改めて思い知った。

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