6 独唱(6)
一曲腹から声を出して歌うのは実のところかなりのエネルギーを消耗する。その後は軽く指揮のタイミングなどを練習した後、
「関崎ありがとう、あとは俺ももう少し自分でさらっていくから、先に帰っていいよ」
立村のありがたいお言葉に促され、外部三人組と一緒に音楽室を出た。B組の連中が帰るタイミングを逃したようにうろうろしていたのもあって、静内はしばらくクラス練習を続けていた。手持ち無沙汰なのは名倉のみだった。
「名倉、悪かったな」
「いや、なかなか面白かった」
感慨深げに名倉がつぶやく。聞きつけて静内が問いかけた。
「何が? 関崎の独り舞台?」
「それもあるが、お前のスパルタぶりも見ものだった」
言われてみるとその通りで、乙彦も同感した。静内の本気っぷりたるやまさに鬼のようで、恐らくC組の難波と対を張れるくらいなんではないかと思う。乙彦は実際難波の様子を見たことがほとんどないのだが、たぶん並び立ちそうな気がする。
「スパルタなんてあんなもんじゃないわよ。今日参加してくれた人たちがクラスの合唱を引っ張っていくわけだからここのところは本気にならなくちゃなんないわけ。今日参加しなかった人たちにはあそこまでしないわよ。無理やりやらせても無駄だし」
「じゃあどうするつもりなんだ、欠席者には」
思わず尋ねると、
「本気な人たちのパワーで教室を覆うの。そうすれば余裕よ。しかたなく従ってくれる」
「しかたなく、か」
「そう、最近悟ったの」
両手を組み、夢見る乙女のように静内は真上を見上げた。こうやってみると普通のお嬢さん女子高生に見える。
「話、わかる人にだけ頼んで、あとは見捨てていいんだってこと。もう全員の面倒見切れないってこと」
ずいぶん過激なことを言っているものだ。乙彦と名倉は顔を見合わせて頷いた。
──静内、疲れてるな。
学食では一番安いコロッケを二枚だけ買った。名倉も真似して同様に、静内は水のみ。
「節約よ、外部生のたしなみ」
「俺も節約したいんだが、さすがに腹が減った」
「同意」
「あれだけめいっぱい歌ったんだもんねえ」
からかい調子で静内が指先をくるくる回す。揚げたてのコロッケをつまみつつ乙彦は、
「ところで、本題だが自由研究のこと、名倉から聞いたか?」
一番大事な話である。静内も名倉と目で確認しながら、
「もうとっくに聞いてるでしょ。まあね。褒められたんだけどまあいろいろとってとこ」
「B組は面倒だな」
「今に始まった話でないし、私も適当に流しているからどうでもいいんだけど。でもやっぱり手抜きせずに作ったものを褒められるってのはいい気分よね」
「もっともだ。静内ひとりの趣味という気もするが」
つっこんでやると静内は満足げに水を飲んだ。
「そうね。私のやりたいことをやったって感じ。あんたたちには感謝よ。小遣い入ったらコロッケ一枚くらいおごろうか」
「しけたご褒美だな」
名倉の台詞に三人、わけもなく笑った。
──どうなんだろう言ったほういいのか。
相当静内と清坂とのにらみ合いが厳しいものだとは予想していたが、あそこまで言わせてしまうくらいだ、そう簡単に解決などしないだろう。今のところは野々村先生の援護もあって静内が清坂を圧倒しているが、B組以外には清坂を好ましく見る連中だってそりゃいるだろう。C組の評議三羽烏だって立村つながりで静内を睨みつけることだって考えられる。現に難波は自由研究のことで外部三人組をまとめて一方的に恨み真髄ときている。
しかし、自分たちは別に何も悪いことなどしていない。ただ真面目に勉強しただけだ。
気をなぜ遣わねばならないのか、納得いかない。
「関崎ももう知ってるよね。結局あの担任が露骨な言い方したからまた余計な火種まいちゃってことだけ」
乙彦の考えを読んでいるのか読んでいないのかわからないが、ひたすら静内はしゃべり続ける。
「無視しとけばいいののよああいう手合いは。私はあの人の自由研究になんて興味さらさらないし人それぞれ好みがあるのだからどうでもいい。現実に足がついていない作文を提出したところで関係ない。でも、どうしてもあの担任は言いたくてならなかったみたい」
「たぶん立村たちと一緒にやった内容だろう。今年の自由研究テーマは地道な作業が評価されやすかったみたいだな」
乙彦なりに意見を挟んでみるが、静内は首を振った。
「うちの担任の話だと、単純にこつこつやったこと以上に、しっかりと考えているかどうかが大切だったみたい。私たちそれはしっかりやったと思う。ちゃんと裏付け調査もいろいろしたしね。関崎なんてもうおじさんたちに大ウケだったじゃないの」
「本当に関崎とのやり取りは面白かった」
名倉も同意するのは何か間違っていると思う。
「うちの担任が言うには、妄想をふくらませて架空の世界を綴っているよりももっと現実を見なさいってこと。言いたいことはわかるのよ。私もファンタジー大嫌いだから。でも、それを選んだ人たちをこれ見よがしに吊るし上げるのはどうかなと思う。おかしいものを正しいと思っている人たちが、その一言で考え変えるわけないし。むしろ、開き直って相手を恨むだけ」
「ファンタジー云々とは別なんだが、俺がひとつ疑問なのは」
ふと思いついたことを乙彦は伝えた。音楽室に入る前の静内が言う「あの担任」についてだ。
「俺たちが静内を音楽室前で待っていた時、うちのクラスの伴奏担当が例の先生と一緒に来たんだが、見る限りあいつとはうまくやっているようだ。静内の言う妙な噂が立つのもしかたないかもしれないとは思うが、自由研究について文句を言われたわけではなさそうだ。吊るし上げにあった相手と同じテーマを扱っていたはずだから当然あいつにもその旨話しているはずなんだが、なんでだろうな」
「あの伴奏の人ね」
意味ありげに静内はつぶやき唇を歪めた。
「なんとかクラスをなだめることができてよかったわよ。あの担任意外とうちのクラスの女子には受けがいいのよ。だからあんな趣味ではないと思いたかったみたい。それに、彼女の昔の彼氏ってことでただでさえ軽蔑されているから絶対ありえないという意見みたいよ。関崎には悪いけど私はあの伴奏の人、詳しく知らないから伝聞でしか判断できない」
「立村の女子受けは悲惨だな。本当はいい奴なんだが」
ため息をつき残りのコロッケを噛み締める。だいぶ冷めてしまった。
「ただ、噂によると彼はかなり感傷的な小説を提出したらしいと聞いているんだけど」
「小説?」
驚いて問い返すと、静内は無表情に答えた。水をまた一口含んだ後、
「芸術肌の人だとちらちら噂は聞いてる。うちの担任は腐っても国語教師だから、小説創作という目で見た時に興味をそそられたのかもしれないなって思った。最初っから妄想膨らませるのだったら、創作小説としてさっさと書いてしまえばいいのに。友だちのふんどしを借りてちまちまやるよりもね。私、それをクラスの子たちに説明して納得させたのよ」
「納得、したのか?」
乙彦がしたいと思っていた質問を名倉がした。
「なぜかしちゃった。関崎の友だちには申し訳ないことしたかもね。あの彼とうちの担任との関係については、単純に創作小説の書き方を勉強しているだけであってちっともロマンチックな匂いなんてない。そう説明して納得させちゃった」
「静内、お前」
こんな強引な決着の付け方で許されるのだろうか。乙彦の目の前にいる女子は、とてつもなく策略家のような気がしてきた。敵に回したら怖い相手だ。もう敵判定されてしまった清坂には同情するしかない。早めに白旗挙げたほうがいいと立村通して伝えておいたほうがいいだろうか。迷っている。