プロローグ 夏休み終了四日前(2)
静内の名倉をからかう様は塩にぎりを平らげまで続いた。当の名倉もたまに拗ねる素振りを見せる程度であとは惚気ることに徹している。
──それにしてもあいつらずいぶんと。
麦茶をポットから注ぎつつ、乙彦は足をレジャーマットの上に伸ばし横たわった。だいぶ日もやわらいできていて、一時期のフライパンに熱された状態とは違い過ごしやすくなってきている。
「あれれ、関崎寝ちゃったよ。まだ昼間だってのに」
「起きろ。焦げるぞ」
ふたりに無理やり揺さぶられ、仕方なく目を開ける。覗き込む静内と名倉のむすっとした顔が並んでいる。
「お前らそれにしても、ずいぶんと人の噂話に盛り上がれるなあ」
思ったことを素直にまずはつぶやく。静内が戸惑った顔をする。
「関崎だって、名倉の恋路には興味あるって言ってたじゃない」
「実際相手を見た。なるほどと思った。それで十分だろ」
「でもさ、理由聞きたいよ。なぜ惚れたかくらいはね」
「人にはそれぞれ好みがあるだろ。それで十分だ」
あっさり交わす。青大附属の連中は男女ともに顔を合わせるたび、誰に惚れた彼に惚れたと大騒ぎするのが常なのだが、まさかこの「外部三人組」中ふたりも同じとは思わなかった。いや、染まったと考えるべきなのだろうか。
「静内も、最初は人の噂話興味ないと言ってなかったか。それにプライバシーにも触れないとか言ってただろ。それがなんだ、この変わり様は」
「学校の子たちのことは興味ないよ、それは間違いなし、でもこの名倉だよ? あれだけ彼女自慢してクッキー見せびらかした名倉だよ? 確認しないでどうするの」
「どちらにしても同じだと思うぞ」
乙彦は起き上がり、あぐらをかいてふたりに語りかけた。説教しているようにも見えそうだ。
「事情は一通り聞いた。いろいろ面倒だったんだろうなとは思う。だがそれだけだろう」
「わかってくれたか」
満足げに名倉は頷いた。はたしてかの彼女の魅力をふたりが理解したと思い込んだのか、それとも静内に質問の嵐にされたことのしんどさを乙彦が共感したのか、さてどちらか。
「それと、彼女の相手があの、南雲だとは思わなかった」
「そうだよね、これはびっくり。でもかなり有名な話だったらしいよ。私は南雲くんって子がどんな奴だかわからないからあまりぴんとこないけど」
「俺のバイト先にいる奴だ。正直、いろいろあるのでノーコメントにしたい」
もちろん乙彦も、名倉の「恋路」について全く興味がないわけではない。ただ、そのお姫様が乙彦のタイプとは正反対だったこともあってそれ以上突っ込む気になれなかったというのがある。ただ、その彼女が青潟大学附属中学時代に付き合っていた……しかも、熱愛されていたらしい……という相手があの、規律委員の南雲だったことの驚きは大きかった。さらに言うならそのカップルが出来上がった段階でも親衛隊活動は続き、最終的にふたりの間にトラブルが生じた際にはふたり駆けつけて、命懸けで彼女を守ることを宣言したとか……実に、青大附中という世界はワンダーランドである。
「じゃあ、名倉もあまり面白くないよね。だから委員会活動しないんだ」
「しない。そんな暇はない。俺は医者になる」
「またまたあ」
静内が楽しげに笑う。さすがにここを軽く流されると名倉も面白くないらしい。乙彦の知る限り名倉のガリ勉ぶりは相当たるもので、おそらくここでのろけ話をしている以外の時間は塾に通っているとも聞く。
「この学校の軽い雰囲気に飲まれたくない。俺は本気で医者になるためにこの学校に入ったんだ」
「医者になってどうするの」
「もちろん」
答えは簡単だ。あの彼女のご両親が思い浮かぶ。
「眼科を目指すのか」
「わからんが、近いうちに決める」
──わかりやすい奴だ。
一年D組外部生の中でも現在、優秀な成績を納めていることで知られる名倉時也も、目的を裏返せばこんなものだ。
「静内、ここまで名倉をいじめたんだから、当然お前も覚悟はあるんだろうな」
そろそろ次に行く。「プライバシーには立ち入らない」と言い放ったくせにこうやっておしゃべりに興じる静内を吊るさないわけにはいかない。当然、名倉も同意している。
「そうだ。お前はどうなんだ? 俺たち以外にもそれなりに友だちと遊んでたんじゃないのか」
「名倉には言われたくないけどね。いわゆる女子たちとのお付き合いはしてる」
「お付き合い」という言葉に妙な力が入っている。静内も自分の水筒からお茶を飲んでいる。
「委員会関係か」
「それもあるけど、まあいろいろと面倒。担任の先生にも呼び出されるし、あのわけのわからない個人面談とかもやるし、ほら、合唱コンクール」
名倉が、
「そうだ、合唱コンクールは関崎、当然歌うんだろ」
当然、という言葉に力を込める。
「関崎はポジション決まってるからいいけどね。私指揮者だよ、たぶん」
「静内が指揮者というのも当然だ」
「なんでよそんなの。私、音楽なんて大嫌いなんだけど担任が私に頼ってくるから仕方ないよ。悪いけどこのクラス、人間関係面倒くさすぎ」
「お前がクラスの愚痴をこぼすのは珍しいな」
乙彦がねぎらうと、静内はため息を大きくついて、トートバックを膝に乗せた。
「中学時代の過去が持ち上がってくるのは仕方ないと思うよ。私みたいな外部生が評議になったから過去が精算された気分ですっきりしてるんだろうね。別に私も過去のドラマなんて聞きたくないんだけど、なんでみんないろいろ話にくるんだろう。女子たちの会話ってほとんどそれだよ。もううんざり」
「静内、お前にそれ言う権利ない。五分前の自分の行動を省みてどう思う」
「関崎、本当にあんたもどこが外部の星なんだか」
馬鹿話は果てしなく続き、きりのよいところでカラオケBOXに移動した。今日で自由研究も打ち上げなのでとことん歌いたいと乙彦が提案したからだった。
──それにしてもな、静内もこの夏でがらっと変わった。
名倉とアホ話に興じている静内の長い髪の毛を眺めつつ、乙彦はマイクの準備をした。最終的に自分が一番歌う形になるわけだが、
──出会った時は、「不思議の国のアリス」になったみたいだとか、ずいぶんお嬢さんっぽい雰囲気を醸し出していたが気がつけばこんながらっぱち女子に変貌しているよな。古川とついにしてみたいもんだ。
一学期が終わる直前まではこういうふうにあけっぴろげに馬鹿話する女子ではなかったような記憶がある。きっかけがいつだったのかはわからないが、夏休み顔を合わせるようになってから一気にボーイッシュスタイルの格好でうろうろしだし、乙彦や名倉のさまざまな人間模様をさりげなく探ってくる。乙彦は別に隠すことはないし、クラス内の面倒な事情もある程度は説明してあるので気にはならない。ただ、
──そのくせ静内自身のことは一切触れようとしないな。
そのことだけが気にかかっていた。家族構成も、兄弟姉妹がいるかも、そのあたりの事情は一切明かさないスタイルは今まで通り。
──まあいい、こういう奴のほうが妙に気を遣う必要もないし、それはそれでいい。