5 初秋の雨(1)
本格的な練習は九月から、とはなっていたもののそれぞれのパートで集まったりはしていたようだった。乙彦も週が開けてから二日ほどは指揮者生徒を集めた特訓をそれなりに受けた。静内や難波も一緒だ。ただし肥後先生ではなく吹奏楽部に所属する三年生が指導する形を取るのでさほど厳しくはない。なによりも全クラスの指揮者が集まるわけだからひとりひとりに目が届くわけでもない。
「あとは自分らでやれってことよね」
静内と帰り道、のんびりと語り合った。
「基本は二日間で覚えてあとは自分なりにアレンジしろってことかな。ずいぶん投げっぱなしよね」
「しょうがないだろう。俺もよくわからないが手の振り方だけは覚えた」
「関崎、あんた大丈夫なの」
「多分大丈夫だろう。保証はできないが」
久々の雨もようで、傘をさしてバスロータリーへと向かう。自転車で通えない日がたまにあり今日はそこにちょうど当たったというわけだ。静内も乙彦の家からはさほど遠くないので自然と一緒に帰ることになる。
「B組はもう練習本格的に始めているんだろう。俺のところはまだまだだ」
「急いでやらなくちゃいけないのにほんとのんびりね」
呆れたように静内はつぶやく。それはそうだろう。B組もかなりやる気に満ち溢れているらしく、朝、昼と時間を用意して練習を続けているとのこと。すでに先週から始まっている。
「仕切りはうちの担任に任せられているからやりたいようにやろうかと思うんだけど。面倒な人がいるのもあってね」
「誰だそれは」
「言わない。関崎顔に出るから、私が誰のことを言ったから一発でばれる」
──人の悪口を言わないのはよいことだ。
「あすからやるわよ。とことん練習予定。私の指揮者練習が一段落したらあとはクラスでまとまってやりたいの。音楽室取れるかな」
「やはりそのくらいやらないとまずいということか」
ひとりごちた。静内はそれ以上つっこまなかった。バス待合場に入って傘を閉じ、ちょうど空いていたベンチに腰掛けた。大学生以外乗る奴がいないのが意外だった。
──それにしても、生徒会か。
先週、藤沖に伝えられた言葉がまだこびりついている。
──後期は評議をすっとばして、生徒会に行くとか。
乙彦の選択肢に全く含まれていないものだった。夏休み、片岡宅の焼肉パーティーにて藤沖が乙彦を評議の後釜に置きたいということを訴えたけれどもすでに二転三転してしまっている現実があるらしい。
──だが青大附高の生徒会は俺の知っている世界とは全然違うんだろう。
水鳥中学の生徒会は性格が恐ろしく合わない奴らの巣窟で乙彦は四苦八苦しながらもなんとか乗り切った。やんちゃでカリスマありの総田副会長、時代劇マニアの一学年下内川会長、やる気なさげのアンニュイ川上会計、そしてシーラカンスな関崎副会長。よくやっていけたものだ。ここまでひどい組み合わせというのもそうそうないとは思うが第三者からしたら歴代に残る名生徒会と呼ばれている。
「静内、後期、評議そのまま続ける気、あるか」
問うてみた。静内は傘をたたみながらさらりと微笑み頷いた。
「ある。せっかくここまでやらせてもらったんだったらね。最後までやり遂げたいよ。クラス替えになったらもうこういうチャンスないし。そこんところが英語科と違うよね」
「もっともだ」
「関崎はどうなの。このまま規律委員続けるつもりなの。また朝一番で週番の違反カード切ったりズボンの丈測ったりするの」
「わからん」
まだシークレットだろう。外部三人組にもまだ、後期以降の評議委員就任予定については語っていない。もちろん生徒会を勧められたことなどもってのほかだ。
「青大附中の委員会至上主義を外野から見てきたから規律委員会にも期待をしていたんだが、正直あまり面白みはないな」
「だよね。持ち上がりの人たちも同じこと言ってる。相当つまらないんだろうね。そう考えると私、評議でよかったのかもね。先生に強く出ても怒られないし多少厳しく話してもみな頷いてくれるし」
清坂美里もかなり面白くなさそうな顔をして週番の仕事をしている様子だった。元評議委員としてはいろいろ思うところがあるのだろう。
「関崎、あんたも評議になっちゃえば」
軽く、静内が声をかけてきた。つるりとしたつややかな髪の毛が湿っているのか白く光っている。
「地味に違反カード切っているより堂々と立って指示しているほうが向いているんじゃないの」
「俺ひとりの判断で決められることではないからな」
「立候補すればいいじゃない」
「今の評議の立場はどうするんだ。藤沖だぞ」
「でも、こういったらなんだけど藤沖くん全然仕事しているようには見えないよ」
初めて静内は藤沖の評議委員としての言動について触れた。
「あいつは俺の友だちだが、かなり真面目だぞ」
「わかってる。元生徒会長でしょう。真面目なのはわかるんだけどね。ただもう少しきちんとやるべきことはこなしてほしい。関崎に言えばばれるのわかっているから言うけど、委員会やっている最中にいきなり教室を抜け出して中学の校舎へ走っていったりすっぽかしたりというのはよくないよ」
「あいつそんなことしているのか」
初耳だ。藤沖は決してそういう手抜きをする奴ではない。相棒の古川にクラスの仕切りを丸投げしているようなところもあるが曲がったことが許せない男気の持ち主だ。
「俺には信じがたいんだが」
「私も、今まではいろいろ事情があるって聞いていたから黙っていたけど、最近はひどすぎるんじゃないかなと思うことが多々あるのよ。古川さんがひとりで切り回しているというのも頷けるね。彼女が動かないと誰も回らないもの」
誰もいないこともあり気持ちが緩んだのだろう。静内の口調は止まらない。
「中学に事情持ちの彼女がいて、その子が精神的に不安定だから支えなくてはならないというのがあるんだってのは誰かから聞いたんだ。また後期からは応援団を設立するからそのスカウトとかで忙しいってことも。でも、それは義務を果たしてからだよ。今は評議委員としての最低限の仕事をこなすことが最優先だよ」
「確かに。お前の言い分は正しい」
「関崎に指揮者を押し付けたって話を聞いて空いた口がふさがらなかったけど、本当言うとそれは驚かなかったよ。そのくらいのことしそうだなって思ったし」
──困ったな。
すでに藤沖から、なぜいきなり指揮者の座を譲ったのかその理由を説明されている我が身としては反応に困る。近い将来乙彦が生徒会役員に立候補するための箔を付けるため、と言うのが一番近い。藤沖なりの親心だ。しかし今の段階ではそれを伝えることができないのも事実。おそらく藤沖はこのように第三者へ誤解の種を撒き散らしているのだろう。
──事情持ちの彼女の件は片付いたのか? 藤沖?
あれからあえて尋ねてはいないが、静内の言い分だとたぶん続いているのだろう。
応援団の件は麻生先生にも伝えてあるので藤沖としてはおおっぴらに動いて構わないと思っているのかもしれない。だが、まだ評議に収まっている以上もう少しきっちりと働く必要があるという静内の意見も一理ある。
「わかった。俺も藤沖が行事絡みのことをすべて古川に振りすぎているとは思っていたんだ。友人として忠告すべき内容だろうなこれは」
「なんだか悪口でごめん」
「だが、あいつは本当にいい奴なんだ。クラスではみ出しかけている男子を仲間に入れてやったり、右も左もわからないまま入学してきた俺に対していろいろとおせっかい焼いたりと結構思いやりはあるし、リーダー性もある。静内もいろいろと噂は聞いていると思うがあいつの交際相手である女子は」
「知ってる。修学旅行で」
言いかけて口ごもった。やはり女子には伝えづらい内容だろう。
「あいつの欠点かもしれないが、あいつは自分を慕ってくる相手に対してはとことん守ろうとする。また応援団の件についても藤沖は中学一年の頃から計画を立てていてやっと高校でその夢が叶いそうになり舞い上がっているんだろう。だが、それと今の仕事を投げ出すこととは別だ」
静内はしばらく乙彦を見つめた。鞄の留め金を指先で撫でながら、
「関崎の友だちはみんな、いい奴なんだね。私からしたら恋愛にうつつ抜かしているようにしか見えないけれども、男子の眼でないと見えないよさもあるんだな」
付け加えた。
「この前、音楽室の入口でA組の伴奏者さんの話聞いた時も、同じく思ったよ」