4 実力試験結果(4)
一年A組の教室はさぞや噂話で持ちきりだろうと覚悟していたのだが、入ってみると意外にもみな静かだった。むしろ乙彦が外部三人組とうろうろしていたことの方を男子連中にからかわれたくらいだし、それは毎日のことでもあるのであっさり流せる内容のものだった。当の本人立村も、機嫌よく英語の宿題の模範回答を一部男子……乙彦は含まれていない……に手写しさせていたりなんなりと、いたって普通に過ごしている。
どこが「B組の女性担任教師といちゃついている」奴なんだろうか。
やはりあれは、静内に口伝えしたB組女子たちの大げさな物言いに違いない。
──たいしたことなさそうだ。
静内にはそう伝えておいた方がよさそうだ。そう判断した。
合唱コンクールの練習予定が朝のホームルームで、古川こずえによって発表された。
例によって藤沖の出番はない。麻生先生が苦笑いする中で、
「とりあえず、本格的に練習するのは九月から! ここのところは譲れないんでみんな八月あとちょびっとしかないけどやらなくちゃいけないことがあったら片付けておいてね。それとピアノ伴奏については、立村くんにもうちょっと頑張ってもらう必要があるんでちょっと合わせるのには時間がかかりそうです。先走り汁出さないようにってとこ。それと」
「古川、朝からまあ」
呆れたようにつぶやく麻生先生も、あえて古川を止めることはしない。
「それと指揮練習も、関崎くんがご存知の通りのバイタリティでしっかりやり遂げてくれるでしょう! てなことで関崎あんたもちゃんと自己発電とかしっかりやっといてちょうだいよ。勝負は九月、絶対九月、何がなんでも九月!」
「古川、もう少しなあ、女の子らしくしてほしいんだがまあいいか。とにかく一年A組は九月以降に練習を本格化させるってことでまとまったってことでいいな」
誰も何も言わない。反対の声が上がらないのは賛成ということだ。
──指揮者練習も来月からでいいのか? 本当に。
静内がやたらとやる気出しているのを知るだけに、A組側ののんびりモードが気にならなくもないのだが。
「もうひとつ。一応他のクラスの情報も入ってきていると思うんだけど、中にはもう音楽室を占拠してハーモニーだかをがなっている奴らがいるとも聞いてます。みなやる気に満ち溢れているクラスも、どことは言わないけどC組とか。そういうクラスもあることはありますが、いやあねえ、そればかりはねえ、うちもそれなりのリズムってものがあるしね。あまり気にしないで先に行きましょ。今のうちにしておくことはパートわけと、できれば休み時間にちょこちょこっと練習っぽく歌うとかその程度。放課後の練習はなかなか大変だと思うので、そのやり方については私も肥後先生に相談して考えます。けど、せっかくの機会だししっかり盛り上がっちゃおう!」
心地よい拍手が鳴り響いた。男女問わず、古川のまとめは裏表なくしみとおる。
「こんなんで大丈夫か? まあ伴奏を間に合わせるのが先決だしな。とりあえずは古川女史に任せるとするか。それと関崎、お前の麗しき歌声を指揮者就任によって聞くことができないのは残念だが、なんらかの形でコンサートでもやるか」
わかる連中……古川と藤沖……が笑いこけている。今ひとつぴんとこない奴らがけげんな顔して見上げている。片岡が不思議そうな顔をして、
「今度、カラオケの機械、用意したほういい?」
問いかけてきた。何に用意したいんだろうかわからない。
とりあえずはっきりしたのは、まだ指揮者練習を行うにしても間があるということと、放課後練習がさほどない以上普通に過ごせるという点だった。静内の話だとこれからは合唱コンクールのスパルタ特訓が始まりそうな気配があるし、当然指揮者にも負担がくるようなので乙彦も正直面倒だと思わなくもなかったのだが。
何事もなく一日が過ぎ行く中でひとり古川だけがこまこまと走り回っているのが目立つ。
「藤沖、しつこいようだが合唱コンクールについては古川に任せっきりで本当にいいのか」
「あいつはひとりで動いている方が好きなんだそうだ。かえって俺が手出しする方が面倒になる。特に女子の細かい事情については下手に男子が怒鳴るより効率的だ」
単純に手抜きのような気がしなくもない。かといって乙彦が藤沖にかわって評議の真似事をする気もない。藤沖は両腕を組んだまま乙彦に、
「関崎、お前これから先のことだが」
おもむろに水を向けた。他の奴はいない。古川が数人女子を引き連れて廊下へ向かうのを見送ったのみ。教室には乙彦と藤崎のみだった。
「片岡の家で食った時にも話したが、後期のクラス委員改選に向けてお前に頼んだこと覚えているか」
──評議委員か。
藤沖の後釜となって一年A組評議を引き受ける件については、すでに了解済みだ。余計なことを言わずに頷くと、
「今でも俺はお前が評議を任せるに足る人物だと信じているし、だからこそいきなり指揮者を押し付けてしまったわけなんだが」
「口はぼったい言い方するな。はっきり言えよ」
「実は、現在、状況が流動化している」
藤沖は周囲を再度見渡した。しつこいようだが誰もいない放課後だ。窓だけが細く開いている。夏風がすり抜けるちょうど良い空気が漂っている。
「夏休み前の段階ではどちらにせよ俺が応援団に力を注ぎ、その上で空いたポストをお前に明け渡しといった形で進めるつもりだったし、麻生先生からも許可をもらっている」
「あの時の焼肉はうまかった」
「同感だ」
片岡に英語科トップを獲ってもらってもう一度食べたい気持ちはある。
「だが、他クラスの状況を鑑みるとどうもお前に向かう風が怪しい。少し気になる噂を耳にしたので俺なりに調査をかけてみたんだが」
なんだか嫌な予感がする。「関崎の教育係」を自認する藤沖らしいやり口でもある。
「まさかとは思うが、自由研究の話か」
「お前も気づいていたとはな」
「昨日、やたらと麻生先生に絶賛された。だが俺の手柄とは言えない。静内の趣味が暴走した結果に乗っかっただけだ」
素直に思ったことを告げる。藤沖は机を揺らして笑いこけた。
「さすが外部三人組の紅一点、只者じゃないな。評議委員会ではさほど目立つこともしないが」
「史跡関係に異常なほど詳しいんだ。せっかくそういう素養を持つ相手がいるのなら、学ぶのも悪くはないしなかなか面白かった」
「お前ら三人組が楽しんでいるところに水を差すようで悪いんだが、学校側がお前らを大絶賛すればするほど、一部にひずみが出てきているのも確かだ。そのことは、気づいているだろうな」
乙彦は頷いた。たぶん、あいつらのことだろう。
「天羽や難波のことか。それなら思い当たる節がある」
「やはりそうか」
納得したのか藤沖は続けた。
「図書館で難波が自分らの自由研究をくさされたとのことで八つ当たりし、その際にお前ら外部三人組の作品を槍玉に上げて喚き散らしたという話を耳にしたんだ。俺も、三人組の中核がお前だということを知らないわけがないから、直接あいつに談判しにいった」
「藤沖の男気はありがたいが、俺も天羽から詳細を聞いて納得したので後腐れはない」
「いや、そのことだけではない。俺と難波とは中学時代同じクラスだったこともあって、それなりに話も通じる。もちろんいろいろな面子の問題もあるだろうしあいつからお前に詫びが入るとは考えにくいが、関崎にこれ以上ちょっかいを出さないようにしてほしいと釘を刺しておいた」
──余計なことをしやがって、とは言えないか。
とりあえずこちらでは礼を言う必要があるだろう。
「気遣わせたようで悪かった」
「礼を言うには及ばない。だが、俺なりに調査をかけてみて気づいたんだが、関崎は想像以上に内部の叩き上げ連中を脅かしている。一学期のうちはそれでもお客さん扱いされていてせいぜいがガキの悪口程度で収まっていたが、今回の自由研究結果や実力試験の順位なども踏まえて考えると、ここから先、関崎の歩む道はいばらなんではないかと思えなくもない」
大げさな言い方だ。乙彦からしたらいばらの道は園芸バサミとのこぎり持参で切り開くものだ。一時期より収まったとは言え、藤沖の過保護対策は相変わらずのようだった。
「合唱コンクールでなぜ音痴の難波が指揮者に納まったのかが謎でならなかったのだが、そちらはもともと音楽委員だったということで納得した。しかし、噂に聞く通りC組の合唱コンクールに向かう姿勢は普通のものではないらしい。評議の羽飛や轟から聞く限りだと自分の全エネルギーを賭けて勝負に出ているといった感じらしい。かつての同級生である俺には信じがたいことなんだが。どちらにしてもこれから先、関崎に対しての態度が過激になることは否めない」
「藤沖安心してくれ、俺はそのくらいのことは十分経験している。無駄な戦いをする気もない」
「いや、それはわかっている。関崎なら余裕でC組連中をひとまとめで片付けられるだろう。だが、ひとつ気になるのは、仮にこのまま評議にお前が入った場合、クラスをまとめることは問題ないにしてもまた余計な茶々を入れてくる連中の対応に振り回されるだけなんじゃないか」
「どうなるか俺には想像つかないが、とりあえずはなんとかなるような気がする」
「それならいいんだが、関崎」
藤沖はほとんど乙彦の言うことを聞き流したような顔で、拳を机の上に静かにおいた。
「場合によっては、ひとつ飛び越えて勝負することも念頭においてもらえないか」
「なんだそれは」
問い返すと藤沖は、もうひとつの拳も机においた。両拳で軽く机を叩いた。
「生徒会出馬も、候補のひとつとして考えてもらえないか」