4 実力試験結果(3)
中学時代であれば、試験の後はたいてい家族で学年トップ祝いとしてとんかつをご馳走してもらったものだった。三兄弟で成績に関しては乙彦に叶わなかった兄弟も、
「あれだけうめえとんかつ食えるのなら、おとひっちゃんにがんばってもらったほうがいい」
という食い意地の張った結論に達し、今では素直に応援してくれている。
高校に入ってからは残念ながら悲惨な結果が続いているためせっかくのとんかつもご無沙汰していたのだが、そろそろ要求してもよい順番なのではないだろうか。
──まだ無理だ。
乙彦は頭を振ってその考えを振り払った。
──やはりトップ取らないとな。
次の日乙彦が朝のバイトを済ませて学校に向かうと、後ろから、
「関崎、おはよ」
声をかけられた。朝、静内および名倉に呼び止められるのは珍しい。一緒に帰ることは多いのだが。風のぬるくなった中のんびりと歩く。遅刻の心配なしの時間だ。
「おはよう、お前らふたりで来てるのか?」
「そういうわけじゃないけどたまたまね」
静内はいつもの黒ゴムひとまとめ髪スタイルのまま、白いブラウスに束をたらした。
「ちょっと早めに情報収集しとかないとまずいってことがあるのよね。めんどくさい」
「なんだそれは」
「関崎がいるんだ、ちょうどいい。話せ、静内」
名倉も事情をすでに把握していたらしい。ふたりとも口には出さないが実はしょっちゅうコンビで行動していたんじゃないだろうか。少しちりちりとしたものを感じる。
「そうだね。どうせばれることだし」
腕時計を覗き込むと八時五分前だ。まだ余裕もって話ができそうだ。
「あまり他の人に聞かれたくないことなんだよね」
「それならあそこ行くか」
生徒玄関脇の人気少ない場所に向かった。この前古川こずえと語らった場所でもある。
「実はね、うちの担任のことで少しトラブルがあったみたいなんだ」
離れた場所で合唱の朝練習をしている生徒たちが固まっている。聞かれる心配はなさそうだ。
「B組の担任? 野々村先生か」
「そう。私も昨日の夜に同じクラスの子から電話もらって話聞いただけなんだけど。正直私、信じられない内容なんだよね」
クラス担任でもなく、学科ももってもらっていない野々村先生に関しては全く見当がつかない。話を促した。
「具体的には何なんだ」
「それが、関崎の友だちとうちの担任が、なんか妙なことしていたらしいんだって」
「俺の友だち、誰だそれ」
頭にいろいろ浮かべてみる。青大附高の奴らであることは確かだろう。
「妙なこととは、具体的に」
「いちゃついていたらしいんだって。私だってもうちょっと具体的な事情確認したいんだけど、どうもその子もまた聞きしたようなので関崎のいう『具体的』はわからないみたいだよ」
「俺の知っている奴というと、そいつの名前はわかるだろう」
「大丈夫。ほら、今回の試験で英語トップをとってた人」
「立村か?」
反射的に問い返すと、名倉が大きく頷いた。
「あの英語の問題で満点獲るというのはすごい奴だ」
そういう問題ではないとは思うのだが。まずは乙彦の「友だち」が確定した。
だがしかし。野々村先生と立村が「いちゃついていた」とはどういうことなのか。そもそも「いちゃつく」とはどういう場面で使う言葉なのか。
乙彦なりに舞台を把握する必要がある。静内にさらなる「具体性」を求めることにした。
「静内、俺もなんでそういう話になっているのかがまったく見当つかないんだ。立村は確かに俺にとっていい友だちだが、人前でその、非常識なことをする奴ではない」
断言しきれないところが難しいが、少なくとも「いちゃつき」はないだろう。
「だが静内も、何か事情を把握しているんじゃないかとは思うんだが」
「また聞きのまた聞きでよければ説明するよ」
静内は小声でふたりを自分の傍に集めた。すっとぼけた顔で名倉も近づく。事情知らないのは乙彦だけというのが少々面白くない。
「昨日の放課後、一年C組の人たちが音楽室で合唱コンクールの練習してたんだって。そしたらいきなりうちの担任と関崎の友だちとが現れてピアノの練習をし始めたらしいんだよね。伴奏の練習」
「前にも話したが立村の家にはピアノがないんだ。音楽室でピアノ練習することに違和感あるか?」
静内も立村のさみだれな音色を聴いているはずだ。あの、あぶなっかしい練習光景を考えれば、立村が一刻も早く稽古に励みたい気持ちはわからなくもない。
「でもなんでうちの担任? 謎はそこよ」
「お前のところの先生は、ピアノ弾けるのか」
名倉が乙彦の知りたいことを確認してくれた。
「どうなんだろう。聞いたことないけど。話を聞いた限りではかなり熱心に関崎の友だちに教えていたみたいだしそれなりには弾けるのかもね」
「それならあいつも必死だから教えてもらおうとしていたんじゃないのか。それほど変だとも思わないが。立村は根っからの真面目人間だから、誰からでも上手になる方法を教えてもらいたいんじゃないのか」
「私が聞いているのはあくまでも伝聞。事実じゃないから。とにかく一生懸命練習を見てやってたらしいんだけど、突然これから自分で稽古をつけたいとか言い出したらしいの」
「稽古って、まさか立村に、ピアノをか」
「そう」
「野々村先生とは、俺の知る限り国語の先生だったと思ったが」
「その通り」
名倉が図太い声でまとめた。
「つまり、先生は何らかの目的があって関崎の同級生に密着しようとしているということだ」
「何らかの目的ってなんだ? 名倉、俺にはあまりにも高度な発想すぎてついていけない」
「単純明快じゃない。関崎、要するにね、うちの担任は関崎の友だちに入れあげているってこと。十歳も年下の男子にそんなこと思うなんて想像できないけど、第三者からみたらそう見えちゃったようよ。それで、私のところに事件勃発の電話がクラスメートから殺到と、そういうわけ」
静内は鞄を持ったまま大きく振った。
──立村が、B組の担任と一緒に「いちゃついていた」?
いや、絶対にありえない。いろいろな方向から可能性を掘り下げてみたけれどもやはり結論は同じだ。たまたま音楽室でピアノの弾き方をレクチャーしてもらっただけであって、それ以上の何があるのだろう。静内の話は尾ひれ瀬ひれがついた状態で届いているものだから、本人もどこからどこまでが本当のことだかわかっていないだろう。余計な動詞「いちゃつく」はさっさと外して考えるべきである。
「静内、俺には何度考えても噂の拡大解釈にしか思えない。だがなんでだ? 今日お前がその噂をもとに早く学校に来ることになったのは、その理由を知りたい」
「そう来ると思った」
待ってましたとばかりに名倉も手を打った。静内は満足げに頬を緩め、
「一応私は一年B組の評議ってことになっているし、その情報が妙な形で広まった場合クラスメートたちの動揺を沈める義務があるわけなの。私は知ったことじゃないけど、この学校ではそうしなくちゃいけないらしいのよ。めんどくさい」
一瞬、古川こずえの横顔がよぎった。ちょこまか走り回っている姿は、まさに青大附高の女子評議委員の鏡なのかもしれない。
「さらにうちの担任は悪い人じゃないんだけど世間知らずのお嬢様っぽいところがあるのよ。好き嫌いがはっきりしすぎているというか、妙に潔癖なところとか。たぶん私が睨むに、えこひいきの現場を押さえられただけだと思うのよ」
「えこひいきの現場か」
乙彦より前に名倉がつぶやく。
「よくあることよ。なんとなく気に入った生徒をえこひいきしちゃっただけ。詳しい事情はこれから集めるけど、そんな色恋沙汰なんかじゃなくてただの『えこひいき』。それ言うなら私もされたくないけどされちゃってる。他にも犠牲者結構いると思うんだ」
「なるほどな。いちゃついているのではなくて、生徒として単純にひいきしたかっただけなのに、妙な色眼鏡で見られてしまったということだな」
静内の観点は鋭い。自由研究の時だけに用いられる視点ではない。こいつの性格を夏休みじっくり読み取った乙彦としてはまさに納得だ。
「まあ、女子はひいきって嫌がるけど男子はそれほどでもないしね。関崎に話しておけばそのお友だちの立場が不安定になってもきっとなんかうまくしてくれるかなと思って、実はあとで相談しようって決めてたんだよね。名倉?」
無言で腕を組み名倉は頷いた。
「関崎もクラスメートのごたごたはノーサンキューだろうし。それに、いろいろ、その人とはあるみたいだし。クラスの評議委員が揉め事を片付けなくちゃいけないんだったら関崎にも相談するのも仕事のうちだし」
「いい判断だ」
時計を覗き込む。そろそろ八時十五分を回ろうとしている。玄関に入ろう。乙彦はちらと鞄の中の週番用腕章をひらひらさせた。規律委員の義務だ。
「話してもらえて助かった。俺もA組でそれなりの準備ができる」
「役立ったってこと?」
「そういうことだ。あいつはもともと誤解されやすいところがあるから、それを早い段階で食い止めるためにまずは事実関係を確認したいんだ」
静内と名倉が顔を見合わせてにやっと笑っている姿を眺めつつ、乙彦は上履きに履き替えた。やはりこういう場合は本人に確認するに限る。しかしそれにしても、
──あいつら、ふたりで何を話していたんだ? 相談するのも一緒か?
外部三人組のくせに、外されているなんてたまったもんじゃない。




