4 実力試験結果(2)
帰りの週番が終わったところで乙彦も図書館に向かうつもりでいた。静内と待ち合わせて再度音楽室へ足を運びたかったのだが、
「関崎、いいとこにいたぞ。悪いがちょっと残ってくれないか」
麻生先生にとっ捕まってしまった。二学期が始まってからまだ麻生先生とはしっかり話をしていない。別に担任の先生と熱く語り合いたいとも思わないのだが、実際話をしてみるとおもしろいのも確かなので素直に残ることにする。
「何か手伝うんですか」
「いや、今回は早いうちに伝えておかねばならないことがあったんでな。ちょいと来い来い」
手招きして麻生先生は乙彦を自分の席脇に呼んだ。空いている席を引っ張り出して座らせた。
「あまり他の生徒の前だとな、おおっぴらに褒められないもんでここで改めてだ。関崎、本当によくやったな。夏休み本気でがんばったかいがあったってもんだ、えらいぞ、えらい!」
「あ、ありがとうございます。あの、それは実力試験のことですか」
念のために確認してみると、麻生先生は頷いて次に横に首を振った。
「それもあるが、何よりもなあ、自由研究、あれがすごい」
──やはりそっちか。
静内大先生大活躍の「青潟の石碑地図」。一部ではやっかみも受けている代物だがベストを尽くしたことには違いない。ありがたく感謝する。
「嬉しいです。ありがとうございます」
「きわめてシンプルなテーマを、関崎をはじめとするお仲間たちが一生懸命歩いて確認し、裏付けをとって熱心に仕上げた甲斐があったというものだぞ。どの先生からも大絶賛されているんだ。ただ資料を集めただけの寄せ集めではない。素晴らしく評価されてるぞ」
──静内が聞いたら舞い踊るな。
「うちの学校は頭が先走っている奴が多いから、やたらと背伸びしたテーマを選ぶ傾向がある。まあそれはそれで若さの特権と言えなくもないんだが、やっぱりつま先でひょこひょこ歩くのは危なっかしくも思えるわけなんだ。できたら良質で手の届くところからしっかり足固めする方がいいんでないかなあと、じいさんとしては思う」
──別に慎重にしているわけではないんだがな。
麻生先生は吹き出す汗を拭き取りながら続けた。
「その点、お前たちは一見、よくあるテーマを扱っているように見える。実際以前も同じような内容を選んだ生徒もいないことはないんだ。だが、実際足を運ぶだけではなくその場所の空気と、今まで気づかなかった部分を拾い上げて細かく確認していく作業はまだ誰も行っていなかったようなんだよ。紙媒体だけ集めてうんちく語るなら誰でもできる。お前たちはそれぞれ、直接様々な人たちと会って話をし、その上で懸命に考え構成した。その差は口で言うとあっさりしているが、天と地の差なんだ」
「あの、僕はそれなりにやりましたが、実際はB組の静内さんとD組の名倉くんが」
この調子だと乙彦ひとりで仕上げたものだと思われそうなので、後々のことも考えて説明だけしてくことにした。麻生先生もにやにやしながら乙彦の肩を叩き、
「わかってるぞ。お前ら三人がそれぞれ力を合わせて作り上げたということはよくわかる。特に静内、彼女は史跡に関心があるのかなあ」
「実際は静内さんがすべて仕切ったようなものです」
「そうか、とすると歴史に興味があるのかなあ。なかなか面白い奴だなあ」
──そのくせ社会の成績はあまりよくないみたいだが。
しばらく自由研究の裏話を求められいくつか語っていて一段落した時に、
「そうだ、大切なことを忘れていたんだが」
麻生先生が膝を叩いた。
「関崎、指揮者になる準備は進んでいるか」
「まだこれからです。これから音楽室に行って肥後先生に教えてもらうつもりです」
「さっそく特訓しに行くというわけか。お前がそうしないわけねえとは思っていたんだがな。クラスの連中はどうだ、盛り上がってるか? 俺が見た限りだといまひとつ乗りがよくないようなんだが、どう思う?」
そんな悲観するような盛り上がりでもないと思うのだが、
「古川さんが一生懸命クラスをまとめています。まだ気合が入っていないだけで、時間が経てばもっとその気になるのではないでしょうか」
「そう思いたいんだがなあ。まあ今回は関崎が指揮者に選ばれたおかげで俺も正直ほっとしているんだ。全く古川も思わぬ爆弾を仕込むからなあ、あのお嬢は」
──爆弾? 立村のことか?
もともと麻生先生は立村に厳しく当たりつつも温かい眼差しを投げていたはずだ。立村本人がそれを受け止めているかは別として。
「立村の伴奏ののことであれば、俺は心配してません」
「お前はあいつをかばうなあ」
本当のことを言っておいたほうがいいだろう。続けた。
「立村は本気でピアノの練習に取り掛かっていますし、肥後先生のところへも通って練習しているようです。現場、見ました」
「現場ときたか」
「まだたどたどしい弾き方ですが、立村の性格として中途半端な出来で終わらせるとは思えません」
先日の静内発言が正直気にならないわけではない。第三者からしたら聴くに耐えられないレベルなのだろう。実際どこまで立村が上達するかはわからない。だが、周囲から不安視されたままでいれば、またあいつはからの中に潜り込んでしまうような気がする。
「それに、伴奏に立候補すると決めたのは立村本人だと聞いてます。まさかあいつが自分からクラスのための活動に参加する気になるなんて、正直想像外でした。もちろん俺も少しずつ立村を引きずり込むように心がけるつもりでしたがまさか本人から」
「だろう? 俺も同じだ。なに考えてあいつ伴奏なんかに立候補したのかが、今だにすとんと落ちてこないんだ。そうだよなあ。クラスの連中もおんなじはずだ」
「だからこそ、このチャンスを逃してはならないんだと思います」
乙彦は力強く繰り返した。
「俺、いや僕はここまで立村が本気を出した以上それを受けて立つ覚悟でいます。これから先、立村がもし伴奏を完璧にやり遂げたとしたら、それだけでも十分な成功体験になると思いますし、周りの立村を見る視線も少しは落ち着きそうな気がします」
「そうだな。関崎がそこまで覚悟をしているんだったら俺は言うことない。とことんひっぱれ。担任としても男としてもここは腹据えて応援しねばな。ただ」
麻生先生はふっと言葉を留めた、続けた。
「だが、立村にまたわけわからないことを言われたりされたりして振り回されたら、関崎、お前はそこまで付き合う必要ない。ある程度面倒になったら見切れ。友だちを捨てるというわけじゃない。他の奴なりもしくは俺なんかの力を借りろ。正直俺も立村が何を考えているのかつかみかねているところもあるんだ。頭寄せ合って文殊の知恵を出し合うために担任なりクラスメートってもんはいるんだからな。ひとりであいつを支えようなんて思わないことだ」
「でもそれだと」
言い返そうとする乙彦に、麻生先生は念押しした。
「宿泊研修でもあいつに言っておいたが、俺は三年間かけて立村と話をする覚悟なんだ。長期戦だぞ。まずはあせるな、関崎」
──三年間。
もう半年消化しているというのに。そんなのんびりしていられない。