プロローグ 夏休み終了四日前(1)
そろそろ自由研究の製本に入る。乙彦は前の日約束した通り、青潟市立郷土資料館前に向かった。徒歩ですぐだからさほど遠くはない。この夏休みで管理の人々ともすっかり顔なじみになり、最近はいろいろと資料も融通をきかせてくれている。入口でうろうろしているといつもの係員さんから、
「今日もお仲間と一緒かい」
声をかけられた。
「いつもお世話になってます」
頭を下げる。時折、水鳥中学時代の同級生たちも通りすがり、
「おとひっちゃん、おひさ!」
と声をかけていく奴もいる。もちろん、無言ながらも快く手で合図する。
「関崎、お待たせ。あれ、名倉は?」
今日はデザインが若干女子っぽく入った黄色いTシャツ姿の静内が現れた。この夏休み中静内の格好はまさにシンプル、Tシャツとジーンズ、それしかない。さっぱりしすぎているくらいだ。
「名倉は、そうだな、まだだ」
「昨日の疲れかなあ」
意味ありげにつぶやく静内は、抱えた大きなトートバックを覗き込み、
「予定よりも早く完成しそうだよね」
そのまま乙彦に持つよう差し出した。抱えてみるとずっしり重い。
「これを提出か」
「そう。ひとつ考えているのが、石碑で使った石、あるじゃない。あれも標本みたくして出したらどうかなとか思うんだけど」
「それだとえらい荷物だな」
「うん、悪いけど関崎よろしく」
「荷物運びか、おい」
またさらっと交わし合いつつ、乙彦は名倉の来るであろう方向に目をやった。いつもなら時間通りに来る奴なのに。静内が言う通り確かに遅刻は珍しい。
「なんか、ちらっと同じクラスの子たちから聞いたことなんだけどね」
静内はまたトートバックを取り戻して肩からかけた。
「青大附中で中学の時、同じような自由研究やった人がいたらしいんだって」
「まあよくあるかもな」
「けど、よくよく聞いたらかなり手抜きだったらしいんだよね。全部資料を貼っつけただけで、説明も本の抜粋ばかり。中学生らしいといえばそれまでだけど、内容が似たようなものだからといって軽く扱われるのはなんかいやだなあ」
「静内があれだけ歩いて集めた資料とは比較にならないんじゃないか」
今回の自由研究「青潟の石碑地図」はひとえに静内の大活躍に尽きる。最大の功労者であり、本来であれば乙彦や名倉は刺身のつま扱いでもいいんじゃないかとすら思う。資料だけではなく、直接すべての石碑の場所へ足を運び、場合によっては関係者に連絡を取ってもらい話を聴かせてもらったり、郷土資料館の職員さんの仲人で市役所の非常に詳しい……仕事以上の情報までもらったが……人に紹介してもらい、マイクロカセットを使い録音させてもらったりもした。全部静内の仕切りでついていっただけなのだが、乙彦もしまいにはすっかりいっぱしの郷土学者気分を味わった。
「そうだよね。これだけやったら、それなりに評価はされるよね」
「他の奴らがどういうことしているかにもよるがな。講習の時にいろいろ聞いたがみな、こだわりはあるみたいだぞ。うちは英語科だから絵本の翻訳をやる集団もいるらしいし、特定の作家や画家についての研究をする奴もいる、その他、芸術関係でよくわからないことを準備しているともちらちらと聞いているが」
「芸術か、なんだか苦手な世界だな」
ぽつっと、静内がつぶやく。
「そうなのか。俺も人のことは言えないが」
「美術、演劇、音楽、その他もろもろ、全然私、わかんない。なんか、所詮作り物じゃないって気がするんだ」
からりと言い切る。
「私、昔から現実に根付いたもの以外に興味がなくて、ファンタジーの世界とかそういうのが苦手だったんだ。遊園地とか、美術館とかもそう。非現実よりも、歴史とかこういった明らかに現実、っていうものの方が面白いんだけど」
「女子にしては珍しいな」
「だよね」
そこまで話したところで自転車の急ブレーキの音が響いた。大遅刻。もちろん罰は用意済み。汗だくになったずんぐり野郎の名倉が深く一礼した。
「関崎、静内、悪かった」
「罰ゲームはわかってるよね」
戸惑った顔で救いを求める眼差しの名倉だが、とりあえずは知らんぷりしておいた。
「さあ行くぞ、最後の仕上げだ」
といっても、対して何かというわけではない。実際静内の手により完全に製本は終わっているし、行うとしたら追加資料があるかどうかの確認くらい。顔見知りの職員さんからもらう情報もほぼ吸い上げた状態だった。
「今日でひと段落だし、挨拶だけしとこうか」
静内の指示で三人、職員のみなさまに頭を下げお礼を言った後、そのまま外に出た。まだ昼前、十一時を回ったところだった。
「結局何のためだったんだ、無駄足か」
「いいよ。関崎、今日は目的別のところにあるってさっき言ったじゃないのさ」
「ああ、名倉の吊るし上げ」
名倉が首を押さえてうめき声を上げる。
「何もしてないぞ俺は」
「遅刻は学生にとっての大罪だよね。とりあえず、そこの公園に行こうよ。そこだったら青大附属の関係者もそれほどいないだろうし、名倉も後腐れなく告白できるってことよ」
「静内、お前、やはり女子なんだな」
「女子で悪うござんした」
悪びれることもなう言い放つ静内に、乙彦は苦笑いしつつ続いた。
「あまり責められるようだったら俺も助け舟出す。正直になれば怖いものはない」
「本当だな、誓えよ、関崎」
夏休み何度もたむろったすぐそばの公園に向かい、レジャーシートを敷いて水筒を取り出した。塩だけまぶしたおにぎりを用意してある。母が夏バテ防止に備えて三人分用意してくれたものがあるが、足りなければ家に取りにいけばいい。
「うわあ、サンキュー、やはりこういう塩むすびが一番生き返るよね」
まだ昼も回っていないのに、静内は歓声を上げて手を出した。
「関崎のお母さんよくわかってるよ」
「俺もそう思う」
母を褒められるのはやはりよいものだ。まだ学校に入っていない小さな子どもたちしか遊んでいない公園にて、三人のんびり握り飯に食らいつく。
「あのさ、昨日結局何時までいたの?」
静内がさっそく質問を名倉に投げかける。名倉も口ではいろいろ文句言っていたものの言いたくてならなかったらしく、すぐぺらぺらしゃべりだす。
「夜六時くらいまでだがな。お前ら帰るの早すぎだ」
「せっかく誘ってくれて悪いんだけど、ああいうアッパーな雰囲気、なんか苦手なんだよねえ」
「あれがアッパーというのか」
乙彦が思わず口を出す。高級感はなかったと思う。
「そうか、つまらなかったらすまん」
「違うって、名倉とこうやってしゃべってるぶんにはいいんだけどね、なんかあれだけたくさん人がいる中で気を遣い合うのって、ちょっと疲れるよ」
「そういうものなのか」
傍で聞いていると静内も遠慮のないことを言っているようだが、実際はこうやってもらったほうが乙彦としてもありがたい。次回は無理に呼んでもらう必要もないわけだから、苦手なものは即、はっきりさせておいたほうがいい。
「俺も、静内と同意見だ。いいやつばかりだったとは思うんだが、全く知らない奴がのこのこ顔を出すというのは、さすがに気がひける」
「残念だが次回はなしにするか」
こればかりは心底残念そうな顔をする名倉に、すぐフォローする静内。
「でもさ、私としてはむしろ、こうやってるほうがいいよ。私たちは握り飯上等! こうやってさ、言いたいこと言って、のんびりしているほうが向いてるんだよね。それで、名倉、あの、あんたのお姫さま、本当にあの子なの?」
一瞬にして名倉の表情がぱあっと明るく輝いた。
「そうだ、あれが奈良岡だ」
「あのやたらとしきりたがっていた、背の小さい奴、やたらと自転車が派手だった奴がいたがあいつもお前の友だちか」
気になっていたことを確認すると、名倉は胸を張って即答した。
「そうだ。あいつは夏木といって、奈良岡を守る会親衛隊長だ」
「まさかと思うけど名倉、お前もその親衛隊に入っているのか」
「もちろんだ、第一号だ。ついでに言うと、第二号は今、うちの学校にいる」
──親衛隊はわからなくもないんだが。
乙彦からするとかえって名倉をあのお嬢さまがどっしり守る、といった方が自然に思えた。さすがに静内もそこまでぐさぐさ来ることを言うつもりはなかったらしい。