3 指揮者練習(3)
指揮者決定後の夜、立村本人から電話で連絡をもらった。クラス内で乙彦がいきなり引きずりだされた段階で立村の意見も本当は聞きたかったのだが、難波に引きずり出されてしまいそれっきりで気にはなっていたのだった。
まず乙彦に指揮者経験があるかどうかを確認した後、
──中学二年の時に合唱コンクールやったけど、あの時は俺でも出来たから多分大丈夫だよ。うちの学校、中学二年しか合唱コンクールに参加できない決まりになっていたんだ。だから俺たちも一回しか経験してない。ただ高校については今のところ全学年が参加する形式で、順位は先生たちとの協議で決まると聞いている」
青大附属特有のルールを初めとし、英語科ゆえのデメリット「ひとクラス二十一名」という点にも触れ、
──ただうちのクラスはもともとクラス人数が少ないからさ。一人欠けるだけでもかなりのデメリットにはなるような気がするよ。関崎も本当は歌いたかったと思うけど」
立村は自分も中学二年の時に指揮者を担当したことにも触れた。各クラスの評議委員は強制的にあてがわれた役割らしい。たいしたことないとは言っていた。
「そうか、俺でもなんとかなるか。
──なるなる、関崎なら大丈夫だよ」
「ありがとう、立村はやはり頼りになるな」
しばらく電話で立村から伴奏担当となるまでの大まかな展開および古川こずえ宅での練習に関して話をした。乙彦が知らなかっただけで前々から打ち合わせは行われていたようだ。ある程度反応が悪いことも覚悟していたのだろう。立村は乙彦を気遣うように、
──ただ、指揮者の関崎の負担になりそそれが申し訳ない。とにかく急いでメロディだけでも弾けるようにして、少しでも合わせられるようにするからさ。
それはお互い様だ。乙彦もこれから真剣に打ち込まねばならない。
「俺もなんとかして指揮者としての責任を果たすべくベストを尽くす。立村、よろしく頼む。ああ、そうだそれとだ言っておかねばならないことがある。
──何?
怪訝そうに受話器の向こうの立村が問う。機会がある事に伝えねばならないことだった。
「お前とこうやって協力しあえるようになるのが、俺は本当にうれしい。ありがとう。
──いや、そんなたいしたことしてないけど。
くぐもった声で立村ははにかむように答えた。
実力テストを間にはさみ、なんとか乙彦も夏休みに片付けた宿題を頭に叩き込んでなんとか乗り越えた。幸い試験内容は今までの中間・期末試験と異なり比較的楽にこなせるものだった。いわゆる「暗記物」でまかなえるもので、宿題通りの問題がばしばし出題されていた。普通に勉強していればそれなりの点数は取ることができるはずだった。なんとかここでクラス平均点以上の、できれば学年で三分の一グループに食い込めればまだ安心できるのだが。
「どうだ、片岡、英語はどうだった?」
英語の試験で今回は締めとなる。答案回収後乙彦は、クラスで英語順位二番の片岡に問いかけてみた。
「うん、できた」
あまりにもわかりやすい返事だった。満面の笑みだ。
「どのくらいできたんだ」
「あっという間に終わった」
驚く。やはり片岡は英語順位二番だけあって、今回の試験内容だと特に苦しむこともなかったのだろう。ヒアリング含めて問題なかったということなのだろう。ちなみに乙彦は制限時間まるまるかけて長文の英作文と戦った。
「今度一番だったら今度は鍋パーティーやろうってことになってるんだ。関崎もまた来てくれるよね」
にこやかに片岡が話しかけてくる。相当夏休み直前の焼肉パーティーが楽しかったのだろう。
「そうだな。けど一番でなくてもやっちゃまずいのか」
つい突っ込んでしまう。どうも乙彦としては、片岡がやたらと英語順位一番にこだわるのに違和感を感じてしまう。あまりがつがつした気持ちがなさそうなおぼっちゃま顔しているくせに、英語順位だけは妙に神経質なところがある。どうせこだわるのなら学年順位を基準に考えろと思うのだが、片岡の場合は違うらしい。
「英語は一番だから価値あるんだよ! この前だって一番になれたからあれだけおいしい焼肉食べられたし」
「片岡、お前、食べ物で価値を判断しすぎてないか」
何か片岡の発想は間違えているような気がする。もし今回の実力テストで立村に首位奪還されたらどうするつもりなんだろう。前回片岡が一番になったというのも、元をただせば立村が試験当日欠席したからであってある意味棚ぼただ。
──総合順位、トップ以外を狙う羽目になるとはなあ。
最近はこの現実にも慣れつつある。
試験が終わり、すぐに古川こずえが乙彦を呼び止めた。きた、こう来ると思っていた。
「関崎、これからどうするの」
「試験が終わったから、そろそろ指揮者練習が始まるだろう」
「あっそか。そうだよね」
すっかり忘れえちたという顔で古川は膝を打った。
「じゃあこれから音楽室行くんだ」
「そうだ。立村があれだけ本気を出しているのであれば、俺もそれなりの対応が必要だ」
「対応、ときたかあ。やる気のあるのはいいことよ。行ってらっしゃあい」
大げさに手を振り見送る。乙彦も片手で答えた。あのあと古川は時間のありそうな女子を集めてかんたんなパート練習をピンポイントで行う予定なのだそうだ。
「関崎、おまたせ!」
いつもの図書館指定席で待ち合わせ、乙彦は静内とふたりで音楽室へと向かった。実力テスト後にすぐ、指揮者同士で肥後先生に挨拶する予定でいた。指揮者担当者でありながら乙彦も静内も芸術科目が書道と美術ときた。ほぼ初対面に近い。
「試験はどうだった」
「今回は、なんとかなりそう」
「いわゆる『試験』だからな」
「あのパターンが基本になってくれれば私だってこんなに落ちこぼれないですんだのに!」
両手を上げて静内は頭を抱えた。
「普通の問題、普通の答え。普通の学校ってそれじゃない?」
「そうだな。今までのはあれなんだったんだ」
「意味なく長文の作文書かせたり評論させたり、あんなことして何わかるわけ?」
それでも出来は上々だったようで静内のしゃべり方は軽やかだった。
「青大附属からそのまま持ち上がりで推薦入学するのならともかく、他の大学受験するんだったら絶対に通用しないよ。この学校の勉強だと」
言われてみて気づいた。確かに、一般的な試験形式ではない。静内は小声で、
「実はね、この前の日曜、模擬試験受けに行ってみたんだよね。予備校主催のやつ」
「そんなのあるのか」
「あるある。そしたらもうすっごく簡単で、冗談で書いた志望校が全部A判定だったもん。ただし」
「なんだその意味ありげな笑いは」
「青潟大学を第五希望で登録したらなんって出たと思う?」
含み笑いしつつ、静内は囁いた。
「なんと『判定不可能』」
「なんでだ? それマークシート式か? 記述式か?」
「マークシートってところがみそね。つまり、青潟大学は推薦か、すべて長文絡みの記述式ばっかりなんだって。だから、通常の模擬試験では判定ができないってわけ」
「なるほどなあ」
謎だ。謎過ぎる。乙彦はひとしきり手を打って笑いながら音楽室の前に立った。
かすかに片一方だけの「モルダウの流れ」らしきピアノの旋律が聞こえてきた。たどたどしく、同じ部分だけを何度もさらっているかのようだった。