3 指揮者練習(1)
青立狩 高校一年・二学期編 3 指揮者練習(1)
指揮者選出されてからはどんどん物事が先に進んでいった。乙彦がぼんやりしている間に、古川がさっさと音楽の先生に特訓の話をつけてくれていたし、同じく指揮者をあてがわれる羽目となった静内からも、
「まあ、普通の音感があれば大丈夫じゃない、そんなにぴりぴりしなくても」
と励まされた。ひとつ気にかかるのは、C組の指揮者が先日面倒な出来事を巻き起こした難波というところだが、そのあたりもあえて気にしないようにしている。藤沖も、
「難波にはこれ以上余計なことを言わないよう、俺からちゃんと話をつけとくから安心しろ」
と何度目かの口利きを申し出られている。いや、乙彦も自分でなんとかできるとは思うのだが、青大附属固有の面倒なつながりもあるのだろう。あえて任せておくことにした。乙彦も一学期を通じて、それなりに成長したというわけだ。
「一応ね、考えてるんだけど」
やっぱり一番物事を考えているのが古川こずえであることに変わりはない。
ちょこちょことこまめに今後の予定を報告しにきてくれる。ありがたい。
「他のクラスは朝練とか組んでいるとこもあるようだけど、あんたはそれ絶対無理だよねえ」
よく理解してくれている。そうなのだ。「みつわ書店」のバイトを休むということは月謝を捻出できないということにもつながる。
「そうだよ、わかってるよ。あ、あんたは引け目感じなくてもいいからね。他にも吹奏楽やら運動部やらで朝練ある部下tはたくさんあるから。うちのクラスそういえばさ、結構活動的部活動やってる奴が多いんだなあって、今回の調査で実感してるとこなんだわ」
てっきり自分の身の回りが帰宅部……立村しかり藤沖しかり片岡しかり……だったこともあって気づかなかったのだが、そう言われてみると頷ける。
「それに、帰宅部ったって遊んでるわけじゃないんだよ。宇津木野さんや疋田さんはピアノに命かけてるし、他にもフルートやらギターやらいろいろ習ってる子もいるし」
「塾はいないのか」
「なぜかうちのクラス、いないねえ。これってすっごく意外なんだけど。片岡が英語塾行ってるくらいなんだよねえ。隠してるのかもしれないけど」
古川は首をひねった後、すぐに話を戻した。
「とにかく、朝練はなしとなると次どうするかよねえ。放課後練習ももちろん考えているんだけどさ、よくよく考えるとこれも無理あるんだよ。それこそ部活やってる子たちにとって秋の新人戦とかコンクールとかあるじゃん。ほんとはそっちの追い込みでも大変そうなんだよね」
元陸上部員としては納得だ。クラスと部活を両立させるのはなかなか骨だ。生徒会も本当は両立させたかった中学時代の過去を思い出す。さすがに今はそれプラスバイトも加わっているから乙彦の強靭な体力があっても無理なようなきがする。
「そうよね、あんたもわかってるよ。それとさ、もうひとつ現実的な問題があるんだけど」
こずえは指をぱらぱら動かす仕草をした。言いたいことはわかる。
「つまり、そこなのよ。立村にうちの弟が昔使ってたおんぼろキーボードを貸してやって練習させてるけど、ものになるにはもう少し時間かかりそうよねえ」
「あいつも言ってたが、そもそもピアノがないんだろう?」
立村が親の手ほどきでそれなりに弾けるということは、音楽の授業で証明されたと聞いている。だが、それなりに練習しないとまずいことも承知している。
「まあね、でも、練習する場所はそれなりに押さえているみたい。肥後先生も立村のやる気とピアノ事情は把握してるから、放課後音楽室のピアノ使っていいって話になってるようだし、時々レッスンもしてやってるみたい。あいつがそんなこと言ってた」
「音楽の先生がか」
「そうね。吹奏楽の顧問だしそんな暇あるのかとつっこみたいけど、今の時期は合唱コンクールが中心みたいだから。それだけじゃなくて立村も親のコネでピアノの先生紹介してもらって一ヶ月だけ集中特訓するとか言ってた。本人のやる気だけはあるのよ」
「意外な話だな。古川、立村は中学時代一切ピアノについて話をしていなかったと聞いているが」
前から不思議に思ってきたことを尋ねた。こずえも頷いた。
「そうなんだよ。私もね、この前電話した時初めて聞いたよ。羽飛も美里も知らなかったってくらいだもの、ありゃ隠してたよね。ぴっくりしてさ、前のクラスの子たちも含めてピアノオーディションティータイムをうちでやったら、立村圧勝しちゃったからこれはいけると思ったんだよね。けど」
ここでまた、古川は言葉を継いだ。
「弾けることは弾けるけど、合唱に合わせられるかどうか、ということになると別問題だと思うんだ。ソロでは行ける。両手では二曲とも弾けるようになってる。うちのピアノ貸して練習させてるけど、それなりにはね。けどそれで歌えるかというと微妙なところが正直あるんだよ。そこでねえ」
あらためて古川は乙彦の顔を見据えた。
「立村のピアノがある程度人前に出せるようにするまでにだいぶ時間がかかるわけよ。だからできるだけ細かいパート練習を中心にやってくつもりでいるのよね。バス、テノール、ソプラノ、アルト、それぞれ歌の練習に徹してもらって、関崎はそれを聞きながらリズムを取る訓練してもらうって流れでどう?」
「悪くはないんだが、立村そんなに仕上がりに時間がかかりそうなのか」
古川の言葉は、立村に期待していいのか悪いのかが判断付き兼ねるところがある。
「間に合うとは思うよ。だからさ、弾けてるの。弾けてるんだけど人前に出せるレベルじゃないの。うーん難しいところなんだけどね。ここだけの話、うちのクラスの子たちの大半は、宇津木野さんと疋田さんのピアノ演奏を聴いちゃったのよ」
「どういうことだ」
意味が分からず問い返すと、古川は小声で、
「音楽の授業で立村が『エリーゼのために』弾いたって言ったでしょ」
「確かに」
「その時、肥後先生の考えで宇津木野さんと疋田さんも一緒に演奏させちゃったのよ。しかも、初見演奏だよ? どういうことかわかる? 楽譜を初めて見た状態ですらすらっと演奏しちゃったんだよ。それってすごくない?」
ピアノの優れた技を持つものならば珍しくないことなんだろうが乙彦にはできそうにない。
「つまり、本当だったらこのレベルで演奏してもらえるはずだったのに、立村レベルの弾き方でがまんしなくちゃあいけないんだという現実があるわけ。理由は理解しているし納得している、つもり、なんだけどやっぱり気持ちは違うよ」
女子はやっぱりわからないものだ。
「このままぴこぴこ弾きの状態で立村を練習に出すと、やはりあまり、うまくないんじゃないのって思うんだ。あいつの性格もちょっとしたことでいじけてしまうってのは私もわかってるし、ある程度自信ついてからにしてもらいたいんだよ。これ以上トラブル起こしたくないもんねえ」
──しかし、古川そこまで考えているのか。
感服するしかない。乙彦は言い返さずにそのまま流れを古川に任せることに決めた。