エピローグ 片岡邸忘年会(2)
のんびりバスで向かい、到着したのは一時半過ぎだった。
「お前ら遅かったなあ。ほら、上がった上がった」
いつものオートロック玄関も桂さんがちゃんと待っていてくれたので手間も要らなかった。ふたり一緒に挨拶してエレベーターに乗り込む。
「司がもうあっちこっちうろうろして落ちつかねえからなあ。今日はのんびり泊まってけ。それとどうだったウッチー、ちゃんと通信簿持ってきたよなあ」
「はい! もちろんです!」
いつのまにか桂さんからは「ウッチー」と呼ばれるようになっている内川。
「司もそれ心配してたんだ。今日はそれなりにやるからな。ああ、あと関崎くん、お前さんはふたりが勉強している間俺とのんびりビデオでも見てようぜ。用意しといたぞ好きそうなもんいろいろな。ハリウッドアクション物とか好きだろ」
大好物このうえない。いつもテレビで放映されるのを待つだけだが。
「じゃあ準備万端だ。まずは俺のお手製焼きそばを食らうがいい!」
見るからに目を輝かせて迎えてくれた片岡だが、やはり内川の前ではかっこつけたいのだろう。少なくとも青大附高のA組教室では見せない顔で、
「待ってたよ、楽しみにしてたんだ。内川くん、さあ僕の部屋においでよ。あと関崎、その辺に適当に座ってて」
なんたるこの差別。むっとしなくもないが乙彦なりに片岡の弱みを握っている部分もあるのでさらりと流す。部屋に入りしっかり整えられた室内のテーブルに着き、たっぷり野菜と肉が入った焼きそばを一気にいただくことにする。野菜がブロッコリーやらトマトやら謎のものも入っているが口に押しこんでみると意外にさっぱりしておいしい。ソースが決め手なのだそうだ。
腹がくちくなったところでソファーへ場所替えをした。それぞれ改めて梅ジュースを一杯ずつもらい桂さんの
「じゃあお前ら、俺はちょっくら買出しに行ってくるから悪させんで遊んでろよ」
の一言でもって送り出し、一息ついた。
「それでなんだけど、内川くん」
いくら親しくなっても片岡は「ウッチー」とは呼ばないらしい。口元のソースもしっかり拭いているしはみがきも済ませている。悪いが学校で片岡がそんなことするの見たことない。さわやかな笑顔を振りまいている。
「昨日も電話で話したけど、結局成績はどうだった?」
「はい! おかげさまでこんなに四が増えました!」
「四?」
見せたくてうずうずしているのか片岡はリュックの中から大判の封筒を取り出した。水鳥中学の成績表はA4版の二つ折りでかなり大きめだ。てらいもなく片岡に差し出した。
「どれ、見せて」
丁寧に受け取り片岡がさっと開く。表情を変えずにじっくり見入る。親のようだ。
「英語が伸びたね。五になってる」
「そうなんです、生まれて初めてです! 九十点獲れました!」
念のため内川には、
「俺も見ていいか?」
尋ねてOKをもらい覗き込んだ。やはり弟分気にかかるものがある。
──おい、大丈夫か。一学期、内川の成績ってせいぜい三じゃねえのか? 五は社会だけだぞ。
内川が「四が増えた」と喜ぶのも無理はない。なにせ一学期内川の成績は見事に三の嵐、数学にいたっては二とかも混じっている。さすがに一がないのは救いかもしれない。二学期の成績は確かに三だったものが四に上がったり、それこそ英語が二段飛びの五になったりしていてそれなりに努力は伺える。そうなのだがしかし、
「内川、本当に厳しいことを言うようだが」
これは水鳥中学の先輩として言うべきことを伝えたほうがいい。
「青大附高の試験を考えるに、これはかなり大変な状態だぞ。俺も受験する時は人のこと言えないが」
言いかけたところを片岡が遮った。
「関崎、少し黙っててくれないか」
またあの、学校では絶対に見せないお兄さんモードに切り替えている。やれやれだ。
「内川くん、すごいよ、よくやったね。僕もこんなに劇的に成績が伸びてるなんて思わなかったんだ。英語が五、ってすごいよほんとに!」
よくよく見ると片岡の奴、涙ぐんでいる。何度も頷いている。そのままの泣き笑いした顔のまま、
「大丈夫だよ、ほんとに大丈夫、きっと青大附高に受かるよ。こんなにがんばってるんだったら。今日も勉強道具持ってきてくれた?」
語りかけた。ここまで喜ばれるとは内川も思っていなかったのか慌てて、
「は、はい! 今から出します」
リュックサックをひっくり返した。取り出したのは行きがけに詰め込みまくった雑誌の山と、教科書一式。確かに無駄ではなかった。見るに見かねて乙彦も出すのを手伝いテーブルに並べると片岡は、
「それじゃ、少しだけやろうか。悪いけど関崎、少しふたりで部屋に篭っているからここで待っててもらえるかな」
ずいぶんと高飛車な言い方でもって乙彦に告げた。
「ビデオは好きなの見てていいよ。それと飲み物も冷蔵庫から好きなの飲んでていいからさ。それじゃ、内川くん」
「はい、片岡先輩ついていきます!」
──忘年会のはずが勉強会でお前ら本当に楽しいのか……。
妙にテンションが高い内川も片岡にふらふらくっついていき、扉はぱたりと閉められた。残された乙彦はひとり、残りの梅ジュースをやけっぱちで飲み干した。
──この姿を内川の前では保ちたいから、藤沖をはじめとする奴らには内緒にしているんだろうな。
さりげなく泉州にも探りをかけてみたが、内川の家庭教師代わりになっていることについてはばれていない様子だった。まあ泉州にかかっては内川もおびえてしまうのは想像がつくし、片岡だってあんなお兄さん面を保つことは難しいだろう。
──正直青大附高に合格できるかどうかはほぼ九割がた無理だと思うんだが。
もともと狭き門であり乙彦が受かったのは奇跡中の奇跡。そう考えると胸にもやがかかるようなものもあるのだが、今はそんなこと考えている暇などないんだろう。冷静に成績表の中身を考えてみれば三から四に挙げるというのも結構大変なことではある。英語が五というのも、水鳥中学の英語テストレベルを考えればちょこっと努力するだけでなんとかなりそうな気はする。片岡が内川のやる気を引き出したことについてはお見事というしかない。
──せめて公立高校は一ランクくらい高いところ狙わせてもいいってくらいにはなるだろう。内川もそうだが片岡も、これで少しは自信がついたんだろうな。
クラスでのみそっかす振りを知るだけに笑いたいのをこらえるのが辛いのだが、それもまたよし。片岡たちがどういう勉強方法を取っているのか興味もあるけれどここは静かに見守ることに決めた。手元のみかんを皮剥いて袋ごと口に放り込んだ。