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27 新天地へ(4)

 そのクッキーは厚みが一センチほどもあり「クッキー」と呼んでいいものかどうか迷う代物だった。ビスケットかミニケーキといったほうがいいかもしれない。口にしてみるとやはりケーキの親戚とでも言いたくなるようなやわらかさを感じる。ちょうど腹がすいてきたところだしこのくらいのボリュームがあるのはうれしいことだ。

 後から乗り込んできた羽飛も含めみんなで缶に手を突っ込みひたすら食いまくる。

 ここに先輩後輩の境はなく、みな遠慮なく奪い合う。

「しかし奈良岡さんお菓子作り得意だよね」

「そうなんです。彰子ちゃん、卒業式の打ち上げパーティーの時も用意してくれたんです。お医者さんになるよりもお菓子屋さんになったほうがいいんじゃないかって言ってたよね、貴史?」

 清坂がすぐ脇に控えている羽飛に同意を求める。いやがるどころか二枚まとめて口に押し込んでいる羽飛は、

「だってそうだろ? 奈良岡が手術室でメス握り締めているところと、このめちゃめちゃバターのくっきり利いたクッキーを焼いてにっこりしてるところとどちらがあいつらしいと思うんだ?」

「もっともだ。少なくとも腹は幸せだ」

 とりあえず難波も味には満足しているらしく三枚目をつまんでいる。

「あれ? 阿木さん食べないの?」

「うんちょっとおなかいっぱい」

 あえて一切手を出そうとしないのが阿木さんだった。更科が勧めるもとげのない口調で断る。単純にクッキー嫌いなだけなような気がするので無理には勧めない。

「関崎くん、奈良岡さんって知ってたっけ?」

「いや、ただ一度」

 言いかけて名倉の顔を見る。伝えてよいものか。外部三人組として。

「関崎を連れて奈良岡の家に行ったことが一回だけある」

 またぶっきらぼうに名倉は答えた。いきなり周囲が先輩たちふくめて「ほう」とこちらを見る。視線集中、喉が詰まる。

「そうだったの? 私知らなかったな。それいつのこと?」

 ──答えるべきか?

 迷う乙彦の代わりに名倉がさらに答える。

「夏休み中。小学校時代の仲間を集めて流しそうめん食ったんだ」

「そっか。彰子ちゃん小学校時代からアイドルだったもんね」

 あっさり清坂は納得していった。ここからさらにつっこまれたらどうしたものかと危惧していたのだが、とりあえず清坂としては奈良岡彰子という女子について語りたくてならないらしく乙彦には問わなかった。

「会ったことあるならわかるよね。彰子ちゃんほんと性格もよくってみんなへの思いやりもあって、男子から大人気だったのよ! 名倉くん、わかるよね」

 心なしか名倉の頬が赤らんでいるように見えるが単に息が上がっているだけと見える。

「私も同じクラスで三年間仲良くしてきたけど『私の周りの人たちはみんないい人ばかり』が口癖だったの。いろいろあって他のクラスの女子たちから嫌がらせされちゃったりしたこともあったんだけど、それでも嫌いになったりしないで少しでも仲良くしていかなくちゃってがんばってたの。だからかな、南雲くんもね」

「おい美里、やめとけ」

 会長の騎士、羽飛がさりげなく止める。ただし口にはまだクッキーが残っているもごもごしゃべりのままだった。

「南雲が何かしたのか?」

 止められて迷っていた清坂だが、唐突にひとこと、

「南雲くんとすっごく仲良しだったの。でも南雲くん女子にものすごく人気あったので一時期すっごく彰子ちゃんやっかまれたことがあったの。でもね、彰子ちゃんはめげなかったの。南雲くん、彰子ちゃんがいなくなってきっと寂しかったんだね。だから今、新しい彼女と付き合ってるのかなあ」

 羽飛が一転してむっとした表情でクッキーを食い続けているのが見ものだった。


 ──そうかやはり、あれは南雲だったか。

 なんとなくちらほら噂を耳にしてはいたが、やはりと納得した。さほどの驚きはない。どうでもいいが規律委員会の予算は、南雲が委員長となった暁にはかなり厳しいものになるだろう。名倉が果たして敏腕の会計となるのかが非常に気にかかる。

 ──はんぱじゃない因縁があるということか。南雲にしろ名倉にしろ。

 乙彦はちらっと名倉に目を向けた。俯いている。


 不意に阿木さんが腕時計を覗き込んだ。

「ね、今日って、これから生徒会の仕事で新しい予定ある?」

「今日はとりあえずないけど、期末試験終わってからの打ち上げなんだけど」

 清坂が答えると阿木はこっくり頷いて、

「じゃあ私、今日早く帰らないとまずい用事があるの。ごめんね美里」

 さっと立ち上がり、穏やかな表情で手を振り生徒会室を出て行った。唐突だったのでどう答えていいのかわからなかったが、とりあえずは手を上げて見送るのみにした。

 隣の名倉が少し表情を翳らせているのが気になる。

「どうした名倉」

「そういうことだ」

 言葉少なく答えた名倉は、缶をちらと見やり、

「前にお前に話しただろう」

 ため息つきつつぶやいた。

 ──なんだそれ。

 乙彦の記憶にはほとんどなかった。まずい。あとで思い出しておかねばなるまい。


 とはいえ今日は期末試験も近いということで早めのお開きとなった。

「それじゃね。期末試験終わったらすぐに生徒会室集まってね」

 清坂に送り出され乙彦は名倉および難波と更科と一緒に廊下へ出た。この四人で歩くということは今までほとんどない。今でに乙彦は難波とまともに口を利いたことがないし、更科とはその循環油のような形で話をすることはあるものの表面上を撫でるような付き合いにとどまっている。それがいいのか悪いのか、正直分からない。名倉はほとんど元会計の先輩および乙彦としか直接話をしていない。

「清坂さんは知らないんだろうなあ」

 階段を下りて生徒玄関に向かいながら更科がふとつぶやいた。相手は難波に向かってだった。

「奈良岡さんとは友だちだったのはわかるけどさあ。ちょっと言い過ぎてるよなあ」

「あいつはもともとそういう女子だろ」

 吐き捨てるように難波が答える。あまり心持よい内容ではなかったらしい。乙彦の隣りでその会話に耳をそばだてている様子の名倉がいる。いざとなったら取り押さえたほうがいいだろうかと緊張する。

「名倉も奈良岡さんと友だちだったなら知ってると思うけど、奈良岡さんと南雲との話、知ってるだろ?」

 大きく頷くのみの名倉。

「あのふたり公認のラブラブカップルだったしね。ただ南雲があそこまでめろめろになっちゃったら、もともとの南雲親衛隊の女子が傷つくのはしょうがないっちゃしょうがないよね」

「親衛隊ってなんだ?」

 乙彦が口出そうとしたところをなぜか名倉が制した。そのまま更科に物言わず頷いた。

 生徒玄関のすのこで靴を履き替えながら、

「阿木さん居づらくなっちゃうよね。こういう時にキリコがいてくれたらなってほんと思ったよ」

「うるせえな」

 語気荒くもどこか疲れたような難波の声がすぐ側で聞こえた。A組とD組の靴箱は少し離れているため名倉がどういう顔をして聞いているかまでは確認し損ねた。


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