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2 伴奏者決定(1)

 晴天の霹靂だった。早朝バイトを終わらせた後悠々と週番のため生徒玄関をくぐった乙彦に、同じクラスの男子がふたり、肩を並べて駆け寄ってきた。

「関崎、お前知ってる?」

 朝の挨拶もなし、靴をすのこで脱ぎかけた乙彦を取り囲む。

「いきなりなんだ?」

「だから、昨日お前聞いたのかってこと」

「だから何をだよ」

 ふたりとも興奮気味で会話が成り立たない。吹奏楽の朝練が終わったところらしく、どうやら一年A組の人間を捕まえたくてならなかったらしい。

「合唱コンクールだよ、合唱」

「まだ伴奏決まってねかっただろが!」

「それは知ってるが俺は全然聞いてないぞ。第一自由曲が何になったのかすら知らん」

 乙彦が答えると、ふたりはまた泡を食ったまま語り続ける。

「それは『モルダウの流れ』で堅く決まったけどな、それじゃねえんだよ、話は!」

「だから、結論から言えよ」

 少し話を整理したい。乙彦はまず上靴に履き替えるとふたりと一緒に一年A組の教室へと向かった。鞄だけおいて、それから週番担当の待つ職員玄関に向かう。遅刻者は生徒玄関から入ることができず、職員玄関に回らざるを得ない。その上で規律委員が違反チケットを切ることになる。

「これから週番なんだ、早く説明してくれ」

「伴奏だよ、伴奏」

「誰が弾くと思う?」

 またかきまわすようにふたりが矢継ぎ早にしゃべる。

「誰だ?」

「驚くなよ」

「立村だってさ」

 ──立村?

 さすがに乙彦も歩くのを止めた。


 ──立村がなんでだ?

 吹奏楽二人組がエキサイトするのも無理はない。男子が伴奏というパターンは今まで一度も聞いたことがないが、まったくないというわけではないだろう。しかし、立村にピアノを演奏するだけの素養がそもそもあるのかがわからない。尋ねた。

「俺は合唱コンクールの詳しい事情を全く知らないんだが、そもそも立村はピアノ弾けるのか?」

「弾けるわけねえだろ!」

「知ってたら中学の合唱コンクールでばれてただろ!」

 荒々しく言い切るふたり。そういえばふたりとも内部進学者だった。

「うちの学校、中学の場合合唱コンクールが二年の時しかねえんだよ。どいつがどれだけピアノ弾けるかなんてほとんどわからねえけど、それでも選ばれることは選ばれるんだ。うちのクラスの宇津木野さまと疋田ちゃん、このふたりはまじプロ。てっきりあのふたりで決まると思っていたんだ」

 ──宇津木野と疋田、か。

 顔は覚えているのだが、あまり喋ったことがない。そもそも乙彦は女子に騒がれても一体一でしゃべることはほとんどないと言ってよい。数少ない相手が静内と古川くらいのもの。ピアノの名手とは聞いたことがなかった。なぜ宇津木野に対してのみ「さま」を付けるのかが謎ではある。理由を頼みもしないのに語ってくれた。」

「宇津木野さまはピアノの女神様だし、疋田ちゃんも音大目指しているし、ふたりで課題曲と自由曲分けあって弾くもんだと思ってたんだよ。ふつうそう思うだろ?」

「俺は知らなかったが、それだけ弾けるんだったらそうだろうな」

「関崎もそう思うよな? なのにだぞ、なぜいきなり立村が顔出すんだ?」

「待ってくれ、一番大事なところを聞きたいんだ」

 乙彦は止めどもなく語り続ける二人を押しとどめた。そろそろ週番朝礼に出席しなくてはならない。

「立村はピアノ弾けるのか? 中学時代の合唱コンクールでたまたま弾かなかっただけであって、全く弾けないってわけじゃないのか」

 ふたりは顔を見合わせた。

「あいつは中学の時評議だったから、指揮者に回ってたよな」

「そうだそうだ。中学の合唱コンクールでは暗黙の了解で、自動的に男子評議は指揮者に回るしきたりなんだ」

 ──学級委員が指揮者になるのと同じ感覚か。

 違和感はない。乙彦は改めて問うた。

「ということは、まだ立村がピアノを弾けないという断定は、できないというわけだな」

「まあ、そうだな、そういうこと」

 しぼんだふたりに、「貴重な情報感謝だ」とだけ伝え、乙彦は机の上に鞄をおいて、週番様の緑の腕章を片手に廊下へ飛び出した。


 ──あいつがピアノ、弾けるのか?

 今まで立村とはそれなりに話をしてきたけれど、楽器の演奏について盛り上がったことはほとんどない。語学に堪能なので海外の音楽情報とかラジオのエアチェックに関する話は若干出てきた記憶もあるが、あまり熱心に話した記憶はない。無理に話題にすることもない話ではある。

 ──しっかし突拍子もない話であることは確かだな。

 吹奏楽部の二人があれだけ興奮し続けるにはそれなりに訳があるのだろう。水鳥中学の合唱コンクールを思い出してみても、伴奏する生徒は大抵ピアノの上手な女子で、課題曲と自由曲をそれぞれ分担して演奏していた。暗黙の了解で決まっているとはまさにその通り。改めて誰が弾くかを立候補させることはなく、知らないうちに音楽の先生が指定していた。気がつけば、決まっていたといった感じだ。

 乙彦は職員玄関のすのこの上で、しばらく腕章を肩に安全ピンで止めた。半袖だとその点面倒くさい。まだ誰も規律委員が来ていない。今日の当番は誰だったろうと頭を巡らせる。一年規律の担当は確か……。


「関崎くんおはよう!」

 ──そうかこの人か。

 少し気分が重たくなる。清坂美里が二つ分けの髪型で笑顔を振りまきながら駆けつけてくる。赤いリボンを形よく襟に結び、軽く振りながら、

「早いね、バイトからまっすぐ来たの?」

「ああ、そうなんだ」

 あまり余計な会話を交わさないように気を付ける。できれば清坂と一緒の当番は避けたかったのだが決めるのが三年の先輩たちなのだから文句も言えない。他の二、三年の先輩たちもちょろちょろ集まってきたのでしっかり礼をし、清坂から離れることには成功した。

嫌いなわけではないが面倒ではあるのだ。

 朝八時十五分。週番朝礼を職員玄関前で行う。三年の先輩が服装チェック時の注意事項などいわゆるいつものパターンの言葉を並べていく。お題目そのものなので聞き流す。ふと気がつくと、南雲もすでに乙彦の後ろにつっ立っている。こいつも今日当番だったのかと思い出す。挨拶を忘れていたと気づく。

「それでは、チェックに入ります。みなさん全員、配備についてください」

 正しい言葉なのかそれは、とつっこみたくなるがとりあえずは一年三人並んで職員玄関前に整列した。まだ二分程生徒玄関が閉まるまで時間がある。


「あのさ清坂さん、つかぬこと伺いますが」

 いつもながら狐っぽい髪型の南雲が、軽い調子で清坂に話しかけている。

「なあに南雲くん」

「りっちゃんがさ、伴奏するって噂、聞いてる?」

 いきなり隣りの二人が顔を見合わせて核心を突く話題を始めている。清坂は少し戸惑った顔をしていたが、ちらっと乙彦を見やり、

「ええっと、それ誰から聞いたの?」

 小声で尋ね返している。乙彦を明らかに気にしている。知らんぷりすべきか迷う場面ではある。

「うちのクラスの女子のみなさま」

「そんなに情報早いんだ。こずえ連絡してるのかな」

「どうも本当っぽいな」

 しかし不思議なのはなぜ南雲も、「別れた彼女」である清坂に対して「前の彼氏」である立村の諸事情を聞こうとするのだろう。乙彦も本当であれば口を挟みたい気持ちがあるのだが、気がつけばもう生徒玄関のドアが施錠されてしまっている。はじかれた生徒たちが雪崩を打って職員玄関に駆け込んでくる。来る順番で生徒手帳を没収し、違反カードを切る作業に没頭した。

 

 

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