24 信任投票(1)
「ええっ! 美里、生徒会長に立候補しちゃったの!」
次の日の朝、古川が生徒玄関ロビーにて素っ頓狂な声をあげた現場に出くわした。いつものように「みつや書店」のバイトを済ませて駆け込んできたらよりにもよってタイミングよくといった感じだった。
柱回りに貼り付けられた生徒会役員改選立候補者氏名一覧を他の生徒たちもまじまじと見入りつつ、
「まさか女子がなあ」
「それも一年だろ?」
「清坂さんって中学の時評議委員やってたよね」
などといろいろ語り合っている。予想外の展開であったことには違いない。乙彦は古川の隣りに立ち朝の挨拶を交わした。一応古川は清坂の親友だ。知らないなんてことは通常ならありえないはずだ。何か事情があると見た。
「関崎、あんた、知ってた?」
顔を見るやいなや古川は勢いよくかじり寄ってきた。
「何をだ。生徒会役員の立候補者か」
「当たり前じゃん!」
「古川は清坂から聞いてなかったのか」
慎重に問い返す。別に古川を信用していないわけではないのだがここ最近乙彦の予想していない出来事が多すぎる。
「聞いてないとは言わないけど、でもさ、まさか」
とりあえずはこの場でしゃべるべき内容ではなさそうだ。
「少し詳しいこと聞きたいんだが、いいか」
ロビーの隅に連れ出した。古川も特に嫌がらずについてきた。ただ朝の一発な話題を持ち出そうとはしなかった。柱回りでわいわいやっている連中の中には一年A組の生徒もちらほら混じってきている。
「俺もかなり驚いたんだが」
切り出してみた。古川も頷きながら聞いている。
「生徒会役員の立候補者名は俺も昨日、受付締め切り後の生徒会室で初めて知ったんだ」
「そうだよねえ」
腕組みして首をひねっている。女子っぽくないしぐさだった。
「今回どういうわけか、立候補した奴の名前ほとんど噂にもならなかったし」
「それが不思議なんだ」
何度も考えた疑問を伝えた。
「俺ぐらいだろう。副会長に立候補したと噂になったのは」
「ああ、あんたは目立つからね。隠したって無駄無駄よね」
「じゃあなぜ」
言いかけた乙彦を古川は制した。ため息交じりに、
「嘘言いたくないからはっきりしてるとこだけ言っとく。一応、美里が生徒会に立候補するつもりってとこまでは聞いてたよ。友だちとしてね。私もそれは大賛成。ほんとはB組の評議委員に入ってもらってA組の私と仲良く活動したかったって本音もあったけど」
言葉を切った。
「でも、どうもそれ期待できそうにないじゃん? 静内さん人気あるし。だったらもっとやりたいことができそうな生徒会に入るのが美里にとってもいいことじゃないかなって気がしたんだ。そこまではほんと」
「だがなんでそれがばれなかったんだろう」
しつこく疑問を問うと、古川は当然といった顔で言い放った。
「ばらすわけないじゃん! 立候補したいとは言ってたけど、実際立候補するかどうかは美里の判断だもんね。美里が生徒会室に行って立候補手続きするとこまではついていけないよ。実際そこまでは私も、ほら、この前集まった時につきあったけどさ」
締め切り前日の集まりに確かに古川はいた。だがあの場でも、何も知らなかったと言い張るのか。
「なんだかなあその疑いぶかそうな目つき。信じてないでしょうが。まあいいよ。あんたと同じく私も今、気持ちの整理がつかない状態なんだから」
「あの時古川も、清坂が立候補したところまでは確認していたがどのポストを希望したかまではわからなかったということか」
「そうだね、その通り」
古川はあっさり認めた。
「どうせばれることだし付け加えとくと、羽飛が立候補するのも知ってたよ」
「やはり」
「美里ひとりだと心細いだろうってことで、立村が勧めたんだよ」
「立村がか?」
ますます不思議だ。そういえば立村は一切そのことを語らなかった。
「私たち中学でしょっちゅうつるんでいた仲間同士だからね。最初に美里が羽飛、立村、そして私に打ち明けてくれたんだよ。もちろん応援はするけど、実際私たち生徒会がどういう世界なのか全然知らないわけ。立村は評議委員長やってたくらいだから接点ゼロとは言わないけどやはり感覚がね違うじゃん。美里もほとんどそんな感じだろうし、羽飛や私なんてもう問題外。たぶん立村のやたらと考えすぎる性格上、美里のことを心配しすぎたんだろうね。羽飛に出ろ出ろって勧めてたよ」
「そういうことか」
ちょうどここで鐘が鳴った。しかたない。古川との事情聴取は途中で打ち切ることにした。
──立村がやはりかんでいたか。
立候補受付前日の集まりで立村が顔を出した、ということ自体何かありそうな気はしていた。できるだけ委員会、ましてや生徒会など距離を起きたがっていたはずの立村がだ。いくら仲のよい友だち同士とはいえなぜ、そこまで助言しようとするのだろうか。
教室に入ってから立村にも軽く挨拶をした。なんだか申し訳なさそうな顔で頭を下げる立村にそれ以上問い詰めることも気がひける。すぐに話しかけてくるのは藤沖だった。
「とうとう立候補者が揃ったわけだな。実際は信任だし決まったようなものだが率直な感想を聞かせてくれないか」
かなりまじめに問い詰めようとしている。答えに迷う。そもそもどう答えればいいのか。
「意外な展開だとは思った」
「会長か」
「ああ」
短く答える。そうとしか言えない。藤沖も声を潜めて、
「事情は俺ができるだけ先輩たちから洗い出すつもりだから安心しろ。だがな、他の連中も全く清坂の動きを読めなかったというのは意外だった」
「俺もだ」
「てっきり羽飛が会長かと思っていたんだが」
「誰もそれを疑う奴はいない」
藤沖は首をひねった。
「難波と更科が立候補というのはある程度予想ついていたが、なぜ天羽が動かなかったのかだ」
「できれば知りたいのは、その他の女子ふたりについてだ」
あまり清坂がらみの話題にはつっこみたくないのであえて逸らそうとすると、聞こえていたのか片岡がちょろちょろとひっついてきた。藤沖がにやつきながら片岡を見下ろしたが無視して語りかけてきた。
「泉州さんのこと?」
「お前知ってるのか? あの、書記に立候補した人だが」
「うん、この前焼肉をうちに食べに来てた人、覚えてない?」
他の女子たちに聞かれたくないのか片岡は、藤沖以上に声を潜めた。机に張り付かんばかりになり、乙彦に密着した。
「俺は一度見た顔を忘れることがないんだが覚えていない。不覚だ」
片岡が何かを話そうとして迷っているところへ、余計な一言を藤沖が投下した。
「西月の親友だったよなあ、片岡」
本当はそこから先の、泉州という女子の話を聞かせてもらいたかったのだが、片岡はいきなり顔を真っ赤にして無言で席に戻ってしまった。仕方ない。今度内川の事情を聞く流れでついでに話を持ちかけてみよう。情報はあるに越したことはない。