狗神
「『はじめまして』、邑見くん
狗神綜嗣です
よろしくお願いしますね」
びっくりしたが祖父の後ろで人差し指を
口に押し当て、『し~っ』っとやっている彼は
とても無邪気に声を立てず笑って見せたのだ。
その笑顔は無邪気であるがゆえに
悪魔と同意語であることを知るのはそう遅くはなかった。
悪意がないのは悪意があることと同意語だ、といったのは誰だったか。
たいていそういう時は言った人の名前を付けたほうが信憑性もかっこよさも増すってものだけど
それほど今の話には重要でもない。友達が言っていた気がするし。
師匠は「講義・実習」の名目で数々の、いわゆる
「心霊スポット」というところに連れて行ってくれた。
たいていははずればかりで、たとえいても大して害のない
例えば、そう地縛霊のようなどうしようもないものばかりだった。
そのなかで、ほんの少しだけ、本物に当たるときがある。
それは悪霊だったり、それの集合体だったり。
どこそかの山の中に行ったときは、見たこともない
表現するなら悪魔、という表現がしっくりくるとてつもないのもいた。
そういうのを探しては師匠は次々に喰っていった。
最初はただ、殺していると思ったのだけれど。
それが「喰っているのだ」と気づいたのは
その悪魔のような奴と出会ったときだった。
あのときの師匠の笑顔といったら、それは楽しそうで
そして無邪気だった。。
それはまだ子どもといって差し支えない年齢だった僕の心に
笑顔というのは恐怖の対象でもあるのだということを
しっかりと焼き付けた。
「見ろよ邑見!
あれが『当たり』ってやつだ!
わかるか?あれの元はただの意識の集合体だ
それが見てみろよ、今じゃ立派な生命体だ!
あの邪悪さ!
あの凶悪さ!
あの醜悪さ!
あれが『人』たるものの敵だぞお!!!」
その時初めて、僕は師匠の姿を見た。
「よくみとけよぉ、
これが産土神を、
永遠ともいえる永い時を綴った「神」を
取り込んだ人の姿だ!」
人としての姿の境界は薄れ、乱れ、崩れ、
そして現れたのは深い、黒い霧に包まれ
その姿すら定かではない『モノ』だった。
それはとても神といえる代物ではない。
僕には、躯を蝕む巨大な呪いそのものに見えた。
そのまま深い闇の霧は僕を含めた見渡す限りを包み
それが晴れた頃にはあの悪魔の姿はなく、静寂が残った。
うるさく鳴っていたのは、僕の体に血液を送る心臓と
師匠を包む、より暗く、濃くなった絡みつく黒い霧だけだった。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです」
感情を出さずにいったつもりだったが
実際出た声は、震えて上擦った情けないモノだった。
「怖いか?
闇が怖いか?
黒き気を纏う俺が怖いか?
こんなものが、何が怖いもんか
目瞑ってみろよ、邑見
真の闇はそこにある
混沌の闇ってのは自分の中にあるもんだ」
そういった師匠の目は爛々と紅く光っているように見えた。
その後師匠はぱったりと姿を見せなくなった。
それでももう今までの先生ではもう僕の興味を引くことはできなくなっていた。
もともとその素養があったのかは知らないが
僕は「言霊」の力を得ることに成功しますます退屈になっていった。
陰陽師とやらが見せてくれる『技』とやらは
もうすでに僕にはただの一発芸に過ぎなかった。
それから数ヶ月して嫦娥から綜嗣があいたいと言っていると連絡が来た。
僕はすぐに会う旨を嫦娥に伝えた。
それから次に連絡が来たのはさらに数日過ぎた昼だった。
これから会おう、と。
「ひさしぶりだねぇ、邑見」
その変わらないように見える笑顔は
もはや僕には猛禽類にしか見えなかったのだけれど。
そのときにはなぜか師匠は片目を髪の毛で隠すようにしていた。
「どうしたんですか?
鬼○郎でもあるまいし」
「きになるか?」
「ええ」
「ほんとに?みる?」
今度の笑顔はとても無邪気で前の師匠を思い出した。
こちらの返事を聞く前に髪の毛を上げた先のその左目には
紫に輝く、そして妙に透明感のある宝石がはまり込んでいた。
「タリスマン」
「そう!ご名答だ!」
やけにうれしそうだった。
タリスマン。
主として呪術的な目的で作られたものとは違い、装身具や日常的な道具を
特別な道具で作ったり、石を埋め込んだり、呪文を書き込んだりして特別な力を持たせる。
銀などの金属でできた装身具は特に力が備わっているとされる。
当然、西洋の技術であって、僕たちが使うものではない。
質の違いすぎるものを取り込むのは凶とされる。
というより、体内で力の反発が起こり肉体破壊か精神崩壊か
どちらかの道をいく羽目になることが多すぎるからだ。
それをこの人はやってしまっている。
しかも、自分の肉体に、だ。
「あなたは・・・っ
なにをしているんですか!
それではいずれあなたの体も!!」
「ならない」
「え?」
「なりはしない
なぜなら、それは幻想だから」
「げん、、、そう?」
「妄想、錯覚、すべては幻
そこにあるようで、なにもない
そこにあるものこそは幻想で
そこにないものすら
実はそこにあるかもしれない」
「どう・・いうことですか?」
それに明確な答えをくれることは無かった。
「見に行くぞ、邑見」
「今度はどこに行くんです?」
「内緒だよ。嫦娥、君も来るか?」
「とめても、行くのでしょう?」
「当然だよ」
「じゃあ、行かないわ
その代わり、明日は私に付き合って」
「よっし、じゃあ今日はもう遅いし
出発は明後日で」
「わかりました」
このときすでに嫦娥は気づいていたのかもしれない。
いや、きっと気づいていたから
彼と、人としての最後の時間を師匠と過ごしたのだろう。
そんなことも気づかない、気づけないまま
僕はその、明後日を待つだけで高揚する自分を抑えるので手一杯だった。
力を得た僕の姿を見てほしかった。
次にあんなヤツが出たら、今度は僕が倒して、師匠に認めてもらうのだ、と。




